[クリスタル・スカルの王国]映評前編はこちら
ユダヤ、ヒンドゥ、キリスト・・・と宗教遺物を巡る冒険だった前シリーズ。
まだ大きいところでは、仏とイスラムがあるのになぁぁぁ
ともかく方向性を変えたストーリー
そして演出も方向性を大きく変える。
[アリの描写の完璧にコントロールされた感じがとってもつまらない]
アナログからデジタルへ
技術の進歩に伴ってスタイルを変えるのはいいのだが、今回はデジタル処理を安易に使うことでシリーズの面白さを半減させた気がした。
特に顕著だったのが、シリーズ恒例の気持ち悪い生物大量出現シーン。
あの軍隊アリは怖くも気持ち悪くもなくげんなりさせられた。
アリは恐らくフルCGと思われる。
クリスタルスカルの力でアリの大群が綺麗にインディたちを避けて進んでいく。CGならではの完璧にコントロールされた虫たちの動きが前作のファンとしては何か違うと思わされた。
前シリーズでは本物の蛇や虫やネズミを何百何千と用意。(ダミーやロボも相当数用意していたが)
「魔宮の伝説」での虫のシーンについてスピルバーグは「撮影の初日に(12000匹の)4分の3の虫が逃げてしまったのです。4年前の撮影で逃げた5000匹のヘビに会いにね」・・・とアメリカンジョークを語っていた(出典・・・「魔宮の伝説」の公開時パンフ)
コントロールの利かない本物の生き物たちは手間も時間も人手もかかるし、おそらく金もかかるし、映画には不向きであったろう。
だが、そんな生き物たちに、私はリアルな生理的嫌悪感を感じていた。
レイダースで魂の井戸に落ちたインディの目の前で鎌首をもたげるコブラ。この時反射光が映りこんでしまいガラスの仕切り版があるのがバレバレなのだが、それが逆に「本物使っているんだな」と思わせる。(ちなみにレイダースのリマスター版DVDでは反射光の写りこみをデジタル加工で消しているらしい)。インディというキャラが蛇に怯えるという場面としての恐怖と気持ち悪さだけでなく、俳優ハリソン・フォード本人がリアルに感じ取る恐怖と気持ち悪さを一緒に体感する。演技じゃないリアルな感情を読み取った気がした。
そうしたシーンでスターの気持ちと同調した気になることで、スターへの愛着も高まるのだ。
しかし今回のCGで完璧にコントロールされたアリにヘビや虫や鼠のような気持ち悪さはなかった。
それでは、CGならではの生物の気持ち悪さを表現していたかというとそうでもない。
「ハムナプトラ」の皮膚の下をはいずり回る虫、「キングコング」のでかい虫たちにまとわり疲れカジカジ噛まれている感覚、同じく「キングコング」のヒルかゴカイかなんかに頭からしゃぶられる嫌悪感。そうしたものがインディのアリにはない。わずかにソ連兵の口や鼻にアリが入り込む描写があるくらいで、CGならではの残酷描写もない。スピルバーグがそういう演出に長けていないわけではないだろう。なにしろ「ロストワールド」で小さな恐竜に顔をかじられまくるシーンを作った人である。
レイティングを気にして残酷描写を少なくしたのだろう。
アリのシーンで唯一良かったのはケイブラ様の演技でありました。
はい登ってきたアリをおみ足でお潰しになるところはちょっとゾクゾクしました。
銃をかまえた手に乗ってるアリを見てプルプルピクピクしてるお姿も微笑ましかったです。
しかし、枝にぶら下がりになって難を逃れたケイブラ様でしたが、アリが木の幹をつたって上から来てビビるとかして欲しかったです。
[追悼・バット・ローチ]
そのアリに喰われたソ連兵であるが、前シリーズならパット・ローチが演じたであろう巨漢。しかし、60過ぎのじいさんに殴り合いで負けるのは納得いかなかった。
パット・ローチは、第一作で飛行場でインディと戦うドイツの大男、第二作で岩砕器で砕かれるインドの大男、第三作で“ゲシュタポ”としてクレジットされている(が、いまだにどこに出ていたのか判らない。誰か教えて)シリーズ常連俳優。
第一作ではネパールのシーンにも出ているので、インディに三回も殺されたことになる。
ちなみにルーカス製作総指揮の「ウィロー」でもダースベーダーを彷彿とさせる悪の将軍役を演じていた。
今作にも出るかと期待していたが、すでに他界されておりました。
ご冥福をお祈りいたします。
[ジョン・ウィリアムズの音楽・その衰えと、マニアックな流用箇所解説]
最近のウィリアムズは技巧に走るばかりで、メロディメーカーだった80年代の輝きがない。
(「パトリオット」「ターミナル」「SAYURI」などは良かったが)
今作も印象的な新テーマは作らず、旧作テーマの使い回しで逃げていた。
前シリーズのころのウィリアムズなら、マットにもスパルコにも印象的なテーマをつけていただろうに。
ひょっとしてエンドクレジットの三曲目にかかった技巧ばかり先にたってメロのたってないあの曲がマットのテーマなのかもしれないが、前三部作でのショート・ラウンドのテーマやインディパパのテーマの親しみやすさには遠く及ばない。
また、密林のチェイスシーンなどアクションシーンの音楽のキレの悪さにはハリソン同様に衰えを感じさせられた。
「レイダース」の「砂漠の追跡」、「魔宮の伝説」の「トロッコ・チェイス」、「最後の聖戦」の「オートバイとオーケストラのスケルツォ」といったキレのあるアクション音楽を作っていたころのウィリアムズが懐かしい。
さて、前シリーズのサントラファンとして、今作での音楽使い回し箇所を解説しよう。
「アークのテーマ」
「失われた聖櫃」のラストシーンでもあった倉庫。その内部が初めて写されるショットで、アークのテーマ(厳密にはマップルームのシーンで使われたアレンジの流用)がかかる。
第一作のラストシーンにかかったのもアークのテーマだったから、あの倉庫に戻ってきたよ・・・ってことを示すための選曲だろう。
ただし、なまじアークのテーマがかかるもので、敵の狙いは「アーク」なんじゃないかとか、敵が間違ってアークの蓋開けて大惨事になるんじゃ・・・と過剰な期待をしてしまった。
「ペルーからの飛行」の流用1
オープニングアクションでいよいよインディが大活躍、という時にかかるのは、第一作でペルーからプロペラ機で脱出する時に奏でられたレイダースマーチのアレンジが、ほぼそのまま流用される。(手抜きだなぁぁ)
「ペルーからの飛行」の流用2
大学の全景が写るショットでは、第一作でペルーから帰還した後に大学全景が写るシーンと同じブリッジがかかる。
「マリオンのテーマ」
ヒロインにマリオン再びということで、当然ながらマリオンのテーマが彼女の登場シーンにかかる。エンドクレジットのメドレー曲の中でも演奏される。メロディメーカーだったころのウィリアムズの曲はとても安定感があり、マリオンテーマが聞こえてくると一安心する。
「ヘンリーのテーマ」
インディの研究室でヘンリー・ジョーンズ・Sr.の遺影が写るとき、ヘンリーのテーマがかかる。
また本作のラスト付近、ヘンリー2世と3世が心を通わせるシーンでもヘンリーのテーマがかかる。新テーマを期待したいところだが、もともとヘンリーのテーマが「父子の絆」を謳いあげるために作られた曲だったことを考えると、ラストにおけるこの選曲は「ヘンリーのテーマ」が「ジョーンズ家のテーマ」へと昇華した感があり、悪くない。
「レイダース・マーチ」
言わずもがな
ただし、エンドクレジットの終結部が前三作とは異なるアレンジが施されていて、ちょっと驚き、そして嬉しかった。
********
■■■■■■ レイダース 失われた聖櫃 おさらいレビュー
■■■■■■ インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説 おさらいレビュー
■■■□□□ インディ・ジョーンズ 最後の聖戦 おさらいレビュー
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アナログからデジタルへ
技術の進歩に伴ってスタイルを変えるのはいいのだが、今回はデジタル処理を安易に使うことでシリーズの面白さを半減させた気がした。
特に顕著だったのが、シリーズ恒例の気持ち悪い生物大量出現シーン。
あの軍隊アリは怖くも気持ち悪くもなくげんなりさせられた。
アリは恐らくフルCGと思われる。
クリスタルスカルの力でアリの大群が綺麗にインディたちを避けて進んでいく。CGならではの完璧にコントロールされた虫たちの動きが前作のファンとしては何か違うと思わされた。
前シリーズでは本物の蛇や虫やネズミを何百何千と用意。(ダミーやロボも相当数用意していたが)
「魔宮の伝説」での虫のシーンについてスピルバーグは「撮影の初日に(12000匹の)4分の3の虫が逃げてしまったのです。4年前の撮影で逃げた5000匹のヘビに会いにね」・・・とアメリカンジョークを語っていた(出典・・・「魔宮の伝説」の公開時パンフ)
コントロールの利かない本物の生き物たちは手間も時間も人手もかかるし、おそらく金もかかるし、映画には不向きであったろう。
だが、そんな生き物たちに、私はリアルな生理的嫌悪感を感じていた。
レイダースで魂の井戸に落ちたインディの目の前で鎌首をもたげるコブラ。この時反射光が映りこんでしまいガラスの仕切り版があるのがバレバレなのだが、それが逆に「本物使っているんだな」と思わせる。(ちなみにレイダースのリマスター版DVDでは反射光の写りこみをデジタル加工で消しているらしい)。インディというキャラが蛇に怯えるという場面としての恐怖と気持ち悪さだけでなく、俳優ハリソン・フォード本人がリアルに感じ取る恐怖と気持ち悪さを一緒に体感する。演技じゃないリアルな感情を読み取った気がした。
そうしたシーンでスターの気持ちと同調した気になることで、スターへの愛着も高まるのだ。
しかし今回のCGで完璧にコントロールされたアリにヘビや虫や鼠のような気持ち悪さはなかった。
それでは、CGならではの生物の気持ち悪さを表現していたかというとそうでもない。
「ハムナプトラ」の皮膚の下をはいずり回る虫、「キングコング」のでかい虫たちにまとわり疲れカジカジ噛まれている感覚、同じく「キングコング」のヒルかゴカイかなんかに頭からしゃぶられる嫌悪感。そうしたものがインディのアリにはない。わずかにソ連兵の口や鼻にアリが入り込む描写があるくらいで、CGならではの残酷描写もない。スピルバーグがそういう演出に長けていないわけではないだろう。なにしろ「ロストワールド」で小さな恐竜に顔をかじられまくるシーンを作った人である。
レイティングを気にして残酷描写を少なくしたのだろう。
アリのシーンで唯一良かったのはケイブラ様の演技でありました。
はい登ってきたアリをおみ足でお潰しになるところはちょっとゾクゾクしました。
銃をかまえた手に乗ってるアリを見てプルプルピクピクしてるお姿も微笑ましかったです。
しかし、枝にぶら下がりになって難を逃れたケイブラ様でしたが、アリが木の幹をつたって上から来てビビるとかして欲しかったです。
[追悼・バット・ローチ]
そのアリに喰われたソ連兵であるが、前シリーズならパット・ローチが演じたであろう巨漢。しかし、60過ぎのじいさんに殴り合いで負けるのは納得いかなかった。
パット・ローチは、第一作で飛行場でインディと戦うドイツの大男、第二作で岩砕器で砕かれるインドの大男、第三作で“ゲシュタポ”としてクレジットされている(が、いまだにどこに出ていたのか判らない。誰か教えて)シリーズ常連俳優。
第一作ではネパールのシーンにも出ているので、インディに三回も殺されたことになる。
ちなみにルーカス製作総指揮の「ウィロー」でもダースベーダーを彷彿とさせる悪の将軍役を演じていた。
今作にも出るかと期待していたが、すでに他界されておりました。
ご冥福をお祈りいたします。
[ジョン・ウィリアムズの音楽・その衰えと、マニアックな流用箇所解説]
最近のウィリアムズは技巧に走るばかりで、メロディメーカーだった80年代の輝きがない。
(「パトリオット」「ターミナル」「SAYURI」などは良かったが)
今作も印象的な新テーマは作らず、旧作テーマの使い回しで逃げていた。
前シリーズのころのウィリアムズなら、マットにもスパルコにも印象的なテーマをつけていただろうに。
ひょっとしてエンドクレジットの三曲目にかかった技巧ばかり先にたってメロのたってないあの曲がマットのテーマなのかもしれないが、前三部作でのショート・ラウンドのテーマやインディパパのテーマの親しみやすさには遠く及ばない。
また、密林のチェイスシーンなどアクションシーンの音楽のキレの悪さにはハリソン同様に衰えを感じさせられた。
「レイダース」の「砂漠の追跡」、「魔宮の伝説」の「トロッコ・チェイス」、「最後の聖戦」の「オートバイとオーケストラのスケルツォ」といったキレのあるアクション音楽を作っていたころのウィリアムズが懐かしい。
さて、前シリーズのサントラファンとして、今作での音楽使い回し箇所を解説しよう。
「アークのテーマ」
「失われた聖櫃」のラストシーンでもあった倉庫。その内部が初めて写されるショットで、アークのテーマ(厳密にはマップルームのシーンで使われたアレンジの流用)がかかる。
第一作のラストシーンにかかったのもアークのテーマだったから、あの倉庫に戻ってきたよ・・・ってことを示すための選曲だろう。
ただし、なまじアークのテーマがかかるもので、敵の狙いは「アーク」なんじゃないかとか、敵が間違ってアークの蓋開けて大惨事になるんじゃ・・・と過剰な期待をしてしまった。
「ペルーからの飛行」の流用1
オープニングアクションでいよいよインディが大活躍、という時にかかるのは、第一作でペルーからプロペラ機で脱出する時に奏でられたレイダースマーチのアレンジが、ほぼそのまま流用される。(手抜きだなぁぁ)
「ペルーからの飛行」の流用2
大学の全景が写るショットでは、第一作でペルーから帰還した後に大学全景が写るシーンと同じブリッジがかかる。
「マリオンのテーマ」
ヒロインにマリオン再びということで、当然ながらマリオンのテーマが彼女の登場シーンにかかる。エンドクレジットのメドレー曲の中でも演奏される。メロディメーカーだったころのウィリアムズの曲はとても安定感があり、マリオンテーマが聞こえてくると一安心する。
「ヘンリーのテーマ」
インディの研究室でヘンリー・ジョーンズ・Sr.の遺影が写るとき、ヘンリーのテーマがかかる。
また本作のラスト付近、ヘンリー2世と3世が心を通わせるシーンでもヘンリーのテーマがかかる。新テーマを期待したいところだが、もともとヘンリーのテーマが「父子の絆」を謳いあげるために作られた曲だったことを考えると、ラストにおけるこの選曲は「ヘンリーのテーマ」が「ジョーンズ家のテーマ」へと昇華した感があり、悪くない。
「レイダース・マーチ」
言わずもがな
ただし、エンドクレジットの終結部が前三作とは異なるアレンジが施されていて、ちょっと驚き、そして嬉しかった。
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■■■■■■ レイダース 失われた聖櫃 おさらいレビュー
■■■■■■ インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説 おさらいレビュー
■■■□□□ インディ・ジョーンズ 最後の聖戦 おさらいレビュー
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自主映画撮ってます。松本自主映画製作工房 スタジオゆんふぁのHP
映画はガッカリでしたが、ケイブラ様は光っていましたね。
ただ、超能力者の役で、実はその能力はなんちゃって なんだけど、その設定がうまく活かされてなかったです。
インディにCGは合わずやっぱりアナログだなー、と再認識しました。
アリに関しては同感です。
CGが映画の中から何かを奪ってしまった。
そういう気がしてなりません。
『スター・ウォーズ』みたいに
最初から、無理なところを写すのなら仕方ないですが…。
しんさまの分析の方が面白いですが。
一番の眼目は、音楽聞きに行ったような気がしております。懐メロ聞きに行ったと思って、結構満足です。
キレよりも、ゆるさかな。
いやぁ~、しんさんのインディーシリーズに懸ける情熱・入れ込みに脱帽です
音楽をここまで詳しく分析しておられるなんて・・・
インディー検定1級ですね
ちなみに、サントラCDはあまり買わないし、買ったとしても曲名は無視するkossyです。いや、サントラに限らず、曲名はほとんど覚えないなぁ・・・バンドやってたときも自分で作った曲のタイトルを言えなかった。
『レイダース』の反射光も知らなかったで~す♪
やっぱ、なんちゃって術者だったのですか
うわ嘘くせえと苦笑しましたが、あの目つきにズキューンと射抜かれたので嘘でもいいからもっと術かけてぇぇぇとか思いました
Mですから
>えい様
なんでもできるCGが脚本家から創作力を奪っていった気がします
まずホンがあって、その無理な注文を技術で実現させるのがファンタジーアドベンチャーのルールだと思うんですけど、今作は逆でした。CG前提で脚本作るっていう
>sakuraiさま
死んでも生きてる設定だった寅さんの御前様とちがい、生きてるのに殺されたインディパパ。マーカス演じたデンホルム・エリオットと違いスタッフにあんま好かれてなかったのかもしれませんね
シャイア・ラブーフがあの後イギリスに移住してMI6に入るとかしたら面白いんですけどね
決め台詞は、「ジョーンズ、マット・ジョーンズ」
>rokoさま
インディ検定っすか
俺、テレビのヤングインディ観てないから、1級は無理だなあ
>kossyさま
前三作のサントラは若き頃聞きすぎて、サントラ全曲そらで口ずさめます。スターウォーズ4~6とインディ1~3(それにスタートレック1~4も)のサントラは完璧に私の血となり骨となっています。
あのころはサントラもLPだったので、傷つけたり針が摩耗したりするのが怖かったので、必ずカセットにダビングして聞いていました。カセットのラベルに全部の曲名を手書きで書き込んだので曲名も自動的に覚えました(最後の聖戦のサントラはCDでしたけどね)
クリスカのサントラは現時点ではまだ未購入ですが、あれだけ文句言った割に、やっぱり欲しくなってきています。
腐っても鯛、衰えてもJW。なんだかんだでハリウッドの新進気鋭の作曲家どもより遥かに上いってますから
もう後編がUPされていたのですね。
虫・蛇の件、そういわれるとそうですね。
最初、「レイダース」公開当時、中学生でしたが、私は好きじゃなかったんですね。いかに、ルーカスとスプルバーグといえど。どうも内容を知ればしるほど、虫や蛇がでてくるし、どうも泥くさいと。
結局、「魔宮の伝説」からはまってしまったのですが、仰る通り、あのアリには気持ち悪さを感じませんでしたね。
なるほどね。
ジョン・ウィリアムズの音楽の解説もさすがですね。
一応、私の拙い記事もTBさせていただきます。
では、また。
CGだからいけないってこともないんですが、あのアリはどうも怖くなかったです
ま、もともと前三作ほどのヒットは狙えないから、極力レイティング下げようとした結果なのかもしれません
お子様ランチアクションとバカにされていた前三作のころを乗り越え、シンドラー、ライアン、ミュンヘンと残虐描写がむしろ評価されるようになってきたスピルバーグですが、なぜだか今になってあのころよりずっとお子様ランチな冒険もの作っちゃったんですね
ブログ興味深く拝見させていただきました。なるほど、ふむふむなのです。
あの核実験のシーンはなんだか笑えましたね。死の灰を浴びてインディにもついに死が迫るのか!!と思いきや、ブラシでゴシゴシしてOKなのだからバカバカしい(笑)。
よく突っ込まれるこのシーンですが、私はブラックなユーモアだと思います。誰がどうみても助かるわけないし、さらに冷蔵庫で助かるなんて、そんなバカな!なのです。
核実験は1957年という時代背景を感じさせられるし、そんなおぞましい時代に潰されそうになりながらも、いつものようになんなく切り抜けてしまうインディ・シリーズのお決まりが仕組まれており、そこには明らかにリアリズムから外れたSFチックなユーモアが広がっているのだと思います。
だからもう宇宙人が出てこようと、滝から三回落ちようとも生き延びる彼らがいるのです。バカバカしいウソっぱちな可笑しさがそこにはあるのだと思います。
核実験のギャグは、明らかに、スピルバーグが多大な影響を受け、数多く模倣した、キューブリックの『博士の異常な愛情』のブラック・ユーモアが反映されていると感じました。
さてさて、アリの大群だけでなく、本作ではCG多用されてましたね。
わたくしは本作でのCGは大いにかまわないと思います。CGであっても、恐怖や興奮を感じさせ、さらにはサスペンスを展開させるような、スリリングな非日常を観る者に体感させてくれれば、それでいいのだと思います。
アリの大群も、疾走するジープでの戦い、ジャングルでのカーチェイス、あの爽快感と興奮は、制限のないCGだからこそ実現したものであり、カメラワークなどの演出の才だと感じました。
CGは表現の道具でしかありません。あの縦横無尽に駆け回るカメラワークやサスペンスと恐怖の演出はCGなくしては不可能です。
問題はCGを多用することではなく、CGを安易に使用し無駄に用いてしまうことです。
サスペンスやアクションをどんなに実写で撮っても、観客に日常では体感できぬ強烈なエモーションと興奮を感じさせてくれなければそれは雑なシークエンスになりますし、いくらCGを使っても、観客に非日常を体感させてくれなければ、同じく雑なシークエンスとなるでしょう。
当然のことながら、前三作がアナログであったのは、CGが今のように発達していないこともあります。
スピルバーグとルーカスはCGを用いて、新たに表現の幅を広げ、さらなるエンターテイメントの高みに挑戦しているのだと私はおもうのです。
しかし、それにしても、斉藤さまの聡明な文章にはいささか感銘を受けました。
様々なことを思いめぐらさせてくれますね!!
どうかこの生意気なコメントと生意気で未熟なヒッチのデシャバリをお許しください。
長い文章を読んでいただきありがとうございます。
問題はCGを多用することでなく安易に無駄遣いつることだ・・・と仰られる、まさにそれを露呈してしまったのが本作だと思うのですよね。私の場合。
これまで技術でも表現力でもイマジネーションでも観たことの無い物を提示してきてくれたスピルバーグが、本作では他のハリウッド映画やプレステなどのゲームのデモ画面でも観た様な、既視感のある映像ばかり羅列していた気がしました。
この程度なら007でもハムナプトラでも観たもので、オンリーワンだったインディ・ジョーンズの魅力が無くなっていたと感じたのです。
絶対大ヒットさせるとガツガツしていた80年代、絶対アカデミー獲るとガツガツしていた90年代を経て、富も名誉も充分に手に入れたスピルバーグが野心なくただパロディに走っただけな様に見えて残念でした。
あまり歴史的名作を期待せずクスリと笑いに来てくれよ・・・という目的なら充分に満たしているのですが
スリルに欠けるゆるいアクションの原因はアナログかデジタルかの問題でなく、野心の無さの問題なのかと思うのです。
まあ、感じ方はそれぞれなので、結果楽しめたのならそれでいいのですけどね