
ものすごい映画力
映画脚本としての構成力(戦場シーンの無い序盤で、血、崖、信仰、という映画の三大要素をこれでもかと見せるところ)
アメリカも沖縄では地獄を見たということ
組織に従わない男のはぐれもの感
アンドリュー・ガーフィールドの信仰で苦労してる感(また、神の声聞いちゃってるよー)
などなど、ああ、やっぱり強い映画作家だなと思う
が、しかし
この映画は本当にこれで良かったのか
アメリカ軍の公式発表をそのまま疑問なくなぞっただけの様な、
もっと深くできたはずなのに、冒険を避けた様な、物足りなさもあったのだった
戦場には行くが銃は持たない、敵は殺さないと誓った主人公
それを曲げずに、軍内でのイビリ、イジメ、シゴキ、果ては軍法違反として刑務所にまで送られかけるが、ついには信念を貫き通して、晴れて「銃を持たない兵士」となる
そこまではOK
問題なのは映画における彼の信念との戦いがそこで終わってしまうことだ。
戦場で彼の信念を揺さぶるようなことは差し込まれない。
例えば、今銃を持てば信念は曲げるが仲間は救える、という状況をなぜ提示しなかったのか?そこは、事実はどうであれ、当然映画なら描くべきエピソードだったのでは?
それこそ「神よ、なぜ助けたいだけの私に試練を与えるのです」なシーンになったのに
ハクソーリッジに民間人はいなかったのかも知れないけれど、子供や女学生たちが火炎放射器で焼かれる様や、日本軍の命令で自決させられる民間人たちをデズモンド・ドスはどう思ったのか?
史実として、デズモンド・ドスはそうした光景を見なかったのかもしれない。また、見たところで何もしなかったろうし、何もできなかったろう
それでも彼に、そうした光景を見せて何かを感じさせるのが、現代の映画作家の使命ではないか?
私は「プライベート・ライアン」という映画はどちらかというと否定的なのだけど(スピルバーグ信者の自分としては珍しく)、でも投降したドイツ兵を面白半分に撃ち殺すアメリカ兵を見て何も言わず何も言えないトム・ハンクスを映していた一点において、「ライアン」の方が「ハクソーリッジ」より戦争と向き合う映画作家の使命感を感じるのである
メルギブ映画は暴力の中で信念を曲げない男たちを描いてきた。ウィリアム・ウォレスもイエス・キリストも、名前忘れたけどアポカリプトのあいつも
そこには痛みに耐えることが恍惚となり信念を強固にしていった感があった。物理的なダメージを映像化することによって、思想の向こう側を垣間見せていたように思うのだ。
しかしながらハクソーリッジには主人公の感じる痛みがあまりに薄いように思える。物理的な意味でも、精神的な意味でも。
「パッション」や「アポカリプト」のころにこの映画撮っていたら主人公をもっともっといじめたんではなかろうか
なんか色々あって、優しくなっちゃった?メル・ギブソン
アル中親父が息子のためにひと肌脱ぐところは「ブラッド・ファーザー」に引き続いてメルギブの反省してますアピールに付き合わされた印象(「ブラッド・ファーザー」の方がそれでも払拭できない染み付いた悪党感による痛みが心にくる)
音楽
ルパート・グレッグソン・ウィリアムズ
聞いたことないけど、「ザ・ロック」などのハンス・ジマー一門のハリー・グレッグソン・ウィリアムズの縁戚関係ですか?
ただ、序盤に特に、メルギブとの厚い信頼関係のあったジェームズ・ホーナーのサウンドを思わせる叙情的な楽曲が多々あり、メルギブの「ホーナー・ロス」を思って勝手に感慨にふけっていた。このシーン、ホーナーだったら、もっと心に響く曲を奏でたんだろうな、あーでもちょっとホーナーっぽいなー、ってそんな感じの。
でも自分のその思いは、決して見当違いではなかったようだと思ったエンドクレジット
しっかりと、ジェームズ・ホーナーへの追悼の一節が、、、
そうだよね。「ブレイブハート」はともかく、「アポカリプト」まで音楽やるなんて、よほどの信頼関係なきゃ無理だよ
久々の監督復帰作で、久々のアカデミー賞候補になりながら、その想いを一緒に分かち合いたかった戦友の不在・・・
「ハクソーリッジ」
監督 メル・ギブソン
出演 アンドリュー・ガーフィールド、サム・ワーシントン
8年ぶりに映画熱が湧き出てきました・・・
悲惨な沖縄戦を語るには民間人の犠牲が欠かせませんが、
さすがにそこまで突っ込んでみるには映像力に圧倒されてしまい・・・
しばらく映画に没頭しますので、
またよろしくお願いいたします。
いつか帰ってくると信じていました
また、ブログのお手本のように、見事に短くまとめた映画批評、期待してます