かつて『ハムナプトラ』シリーズでイケメン冒険野郎として名を馳せた(ほどでもないか)ブレンダン・フレイザー。
そういえばこないだのアカデミー賞で久しぶりに名を聞いた。
冒険野郎といえばハリソン・フォードが80超えてなお失われた聖櫃のころとあまり体型が変わらずまだインディやろうってのに、ブレンダンはあの頃の女の子をキャーキャー言わせていた(のか?)頃の面影は見る影もなく、半分くらいはメイクアップとは言え別の意味でキャーキャー言わせそうな姿に変わってしまっていた。
調べるとしばらく姿を見なかったこれまでの期間、なかなか大変だったらしく、セクハラにあったり、体調を崩したり、結婚が破綻したり、心もズタズタな生活だったそうである。
そう思うと、今回のブレンダンの役も、ここ10数年の彼の生活と少しダブるところがある。
そういえばダーレン・アロノフスキーの映画に出てくる人物、特に落ち目のダメ系人間にはそれを演じる役者自身の生き様が投影されがちだ。
『ブラックスワン』でナタリー・ポートマンにプリマの座を奪われる元プリマを演じたウィノナ・ライダーも、可愛いだけの女の子から狂気も演じられる表現者になろうと必死なナタリー・ポートマンも
『レスラー』で昔の栄光にすがるダメ親父のミッキー・ロークも
みんな、この役は私自身だ…と思って入れ込んで演じるから数々の名演が生まれたのかもしれないし、多分監督もそれを狙ってキャスティングしているのだろう。
映画としてはこれまでのアロノフスキー作品と比べると映画的躍動感に乏しい気はするが、もちろんそれは元々舞台劇だからというのもあるし、躍動など絶対無理そうな主人公だからでもある。
だからこそ映画はむしろこれでもかと閉塞感を描く。時々開かれるドアの向こうに見える外はいつもどんよりしているか、雨が降っている。そしてこれでもかとブレンダンの体を顔を映す。
暗く沈んだ、普通に歩くことも億劫な生活に自ら落ちていった男の哀しみは、他人事ではなく自分ごとのように思えてくる。
後悔。誰しもが抱えて生きている後悔という感情の全てを凝縮というより肥大化させたような、夢のヒーローと真逆の姿は鏡に映る私たちの姿のように思えてくる。
だからこそラスト
ドアが開いた向こうに、眩しい陽光が見える
それは瞬間的に直感的に悲しいラストを想起させるのだが、同時に魂の浄化にして後悔という鎖から解き放たれた自由の喜びを感じさせもする。
怪獣のようにズシンズシンと歩き、そして飛翔する姿に、自分の心も救済されたように感じたのだった。
無駄な命なんて一つもないと、ブレンダンの一世一代の名演が見事に伝え切った。
生きてて良かったなブレンダン。
生きてて良かったな俺。
『ザ・ホエール』
監督:ダーレン・アロノフスキー
原作・脚本:サミュエルDハンター
撮影:マシュー・リバティーク
出演:ブレンダンフレイザー
セイディ・シンク
ホン・チャウ
サマンサ・モートン