スマヌ。
この映画全然ダメ。受け付けない。
映画鑑賞中、何とかして楽しんで鑑賞しようと、心のモードを次々と切り替えまくる格闘を続けていた。
この文章はその記録である。
火曜日。仕事を早めに切り上げ、映画館に向かう。公開中の映画で見てないもの、かつ仕事が終わってからの時間帯で上映しているのは「室井慎次」と「四月の雪」と「NANA」。正直言ってどれもそんなに観たくない映画だった。30過ぎの男がヨン様でもあるまいと「四月の雪」はパス。幅広いジャンルの日本映画を観たいと思っていたのでサスペンス系をバスして「NANA」にした。
知らなかったが、毎週火曜は"メンズデー"ということで男性は1000円で観れる日だった。
ちょっとラッキー。
・・・・・・・しかし見始めて30分で私は激しく後悔していた。
主役の2人の女優が・・・観れたもんじゃない。
中島美嘉は台詞しゃべるのが精一杯で、感情が何もこもっていない。外見以外はキャラになりきってない、というか、板についていない。正直言って、観ててこっちが不安になるくらい、ドヘタだ。
一方で宮崎あおいはって言うと、こちらはさすがに過去に塩田明彦や青山真二やうるさそうな監督たちと組んできただけに、演技は(中島美嘉と比べりゃ)はるかにしっかりしている。キャラにピタリはまっている。しかし彼女の芝居は、上手いとか下手とかそんな技術的な問題でなく、はにかんだり、ダダこねたり、てへっと笑ったり、はしゃいだりする、そんな漫画チックな"カワイコブリッコ"な演技に激しい生理的嫌悪感を感じてしまう。
棒読みと過剰な可愛さの十字砲火にさらされ、感情移入など不可能な精神状態に追いつめられた私。ふと時計を観るとまだ30分もたっていない。マジで退席しようかとも思ったが、それはあまりに失礼なので考え直す。
とにかく頭を切り替えなければならない。あと90分も不満や批判を頭の中に渦巻かせるわけにはいかない。
演技だの演出だのそんなもん全て無いことにして、シナリオを読んでるつもりになってただストーリーだけを追って観ることに方針転換する。
もはや何の期待も持てない2人を女優とか人間とか思うのは止めて、2人をストーリーを形作るのに必用な台詞を吐き出すマシーンと思って観る事にしよう。
そう思うと、型通りの表情をする宮崎あおいも、表情のない中島美嘉もロボットみたく見えてくる。
そうしてストーリーだけ追ってみれば、宮崎あおいの彼氏が他の女に心引かれ浮気するくだりなんか、どうなっちまうんだろう・・と少しハラハラする。もっとネチッこく続けてほしかったが以外とあっさり終わって残念。そういえば大谷健太郎監督の前作「約三十の嘘」は、詐欺師のだまし合いの映画と見せかけて、恋愛話のもつれの映画だったりした。どろどろ恋愛は彼の本領発揮なのか?
もろ説明的な台詞の応酬に嫌気を感じつつも、多少ともストーリーにのめり込んでくると、2人の演技もそれなりに思えてくる。
宮崎あおいが事務職について、その仕事のシーン。イヤミな女上司にガミガミ叱られ、男社員に色目を使われる。
同性に嫌われ、異性に好かれるが恋人として付き合うとウザイ。宮崎あおいはそんな女として、こう言っちゃなんだが、すごく説得力のあるキャラとなっている。それを承知であのような過剰なカワイコ演技を完璧にこなしているとしたら、やはり才能ある女優なのかもしれない。
中島美嘉の感情のこもってない演技も、虚勢を張って強がってる女キャラにあってなくもない。(ま、彼女の場合は単に下手なだけなんだと思うが)
そんな風に多少とも好意的に観ようと思い始めたものの、長くは続かない。ライブのシーンはまあ臨場感もあって良かったが、そうはいっても少なすぎ。2時間中3回くらい。いっそ十分に一度はライブになるような音楽映画にすりゃ良かったのに。
クライマックスのTRAPNESTのライブで中島美嘉が宮崎あおいに「私、一服してから行くわ」と言った時、私も一服しに席を立ちたくなったが、減煙中なのでやめた。
ただ、そのへんのシーンでふと、ナレーションが気になった。「あの時私たちは・・・」って、一体どの時勢から喋っているナレーションなんだろう。中島美嘉が「いつか意地も見栄も無くなって、歌うのにも疲れたら、あの倉庫に戻っていい?」などと語っていたが、ひょっとしてその時を迎えたくらいの未来から美しかった恋と友情の時期を回想しているのだろうか。
だとすると、過剰なキャラ造形も誇張された思い出だから、ゆったりしたストーリーも少ないライブシーンも記憶が薄れてるから・・・と思えなくもない。中年か老年になった2人が色んな思い出噛み締めつつ、一つ一つ記憶を辿っているとしたら、物語が少し美しく思えてくる。その割にはアップとか多くて変な気もするが。
宮崎あおいは中島美嘉に、「女友達ってより、彼氏みたい」と言う。確かに中島美嘉主演の刑事アクションとか観たい気もしてくる。それはともかく友情以上愛情未満な女の子2人の関係を描きたかったのだろうか?そんな関係ならもっと濃いものを「サマリア」で十分に堪能している。「サマリア」での、沸点ギリギリの2人の女の子の不安定な関係は、一方の死で片方が不安定状態から脱却する術もなくして心の闇を彷徨い、そこからさらにドラマが展開していった。「NANA」は宮崎あおいから中島美嘉への一方的な依存関係のまま話は進み、ドラマは特に発展しない。きっと原作はさらに色々展開するんだろうが、この映画ははっきしいって何の変化もなく進んでいく。
あ、いかんいかん、今は「NANA」を鑑賞中だ。「NANA」に集中しろ。他の映画なんて考えるな。と思っていたらエンドクレジット。
ふう
長い2時間だった。
目に見えない敵と戦っていたようだ。疲れた。
ヒットしてるみたいだから続編も作られるのだろうが、その時までに中島美嘉さんが少しは感情込めた台詞が喋れるようになっていてほしい。できないなら、台詞なしでひたすら歌っていてほしい。宮崎あおいさんはもう少し落ち着いててほしい。などと考えながらトボトボ歩いて駅に向かう私。なぜか無性に酒が飲みたくなった。
↓面白かったらクリックしてね
人気blogランキング
自主映画撮ってます。松本自主映画製作工房 スタジオゆんふぁのHP
この映画全然ダメ。受け付けない。
映画鑑賞中、何とかして楽しんで鑑賞しようと、心のモードを次々と切り替えまくる格闘を続けていた。
この文章はその記録である。
火曜日。仕事を早めに切り上げ、映画館に向かう。公開中の映画で見てないもの、かつ仕事が終わってからの時間帯で上映しているのは「室井慎次」と「四月の雪」と「NANA」。正直言ってどれもそんなに観たくない映画だった。30過ぎの男がヨン様でもあるまいと「四月の雪」はパス。幅広いジャンルの日本映画を観たいと思っていたのでサスペンス系をバスして「NANA」にした。
知らなかったが、毎週火曜は"メンズデー"ということで男性は1000円で観れる日だった。
ちょっとラッキー。
・・・・・・・しかし見始めて30分で私は激しく後悔していた。
主役の2人の女優が・・・観れたもんじゃない。
中島美嘉は台詞しゃべるのが精一杯で、感情が何もこもっていない。外見以外はキャラになりきってない、というか、板についていない。正直言って、観ててこっちが不安になるくらい、ドヘタだ。
一方で宮崎あおいはって言うと、こちらはさすがに過去に塩田明彦や青山真二やうるさそうな監督たちと組んできただけに、演技は(中島美嘉と比べりゃ)はるかにしっかりしている。キャラにピタリはまっている。しかし彼女の芝居は、上手いとか下手とかそんな技術的な問題でなく、はにかんだり、ダダこねたり、てへっと笑ったり、はしゃいだりする、そんな漫画チックな"カワイコブリッコ"な演技に激しい生理的嫌悪感を感じてしまう。
棒読みと過剰な可愛さの十字砲火にさらされ、感情移入など不可能な精神状態に追いつめられた私。ふと時計を観るとまだ30分もたっていない。マジで退席しようかとも思ったが、それはあまりに失礼なので考え直す。
とにかく頭を切り替えなければならない。あと90分も不満や批判を頭の中に渦巻かせるわけにはいかない。
演技だの演出だのそんなもん全て無いことにして、シナリオを読んでるつもりになってただストーリーだけを追って観ることに方針転換する。
もはや何の期待も持てない2人を女優とか人間とか思うのは止めて、2人をストーリーを形作るのに必用な台詞を吐き出すマシーンと思って観る事にしよう。
そう思うと、型通りの表情をする宮崎あおいも、表情のない中島美嘉もロボットみたく見えてくる。
そうしてストーリーだけ追ってみれば、宮崎あおいの彼氏が他の女に心引かれ浮気するくだりなんか、どうなっちまうんだろう・・と少しハラハラする。もっとネチッこく続けてほしかったが以外とあっさり終わって残念。そういえば大谷健太郎監督の前作「約三十の嘘」は、詐欺師のだまし合いの映画と見せかけて、恋愛話のもつれの映画だったりした。どろどろ恋愛は彼の本領発揮なのか?
もろ説明的な台詞の応酬に嫌気を感じつつも、多少ともストーリーにのめり込んでくると、2人の演技もそれなりに思えてくる。
宮崎あおいが事務職について、その仕事のシーン。イヤミな女上司にガミガミ叱られ、男社員に色目を使われる。
同性に嫌われ、異性に好かれるが恋人として付き合うとウザイ。宮崎あおいはそんな女として、こう言っちゃなんだが、すごく説得力のあるキャラとなっている。それを承知であのような過剰なカワイコ演技を完璧にこなしているとしたら、やはり才能ある女優なのかもしれない。
中島美嘉の感情のこもってない演技も、虚勢を張って強がってる女キャラにあってなくもない。(ま、彼女の場合は単に下手なだけなんだと思うが)
そんな風に多少とも好意的に観ようと思い始めたものの、長くは続かない。ライブのシーンはまあ臨場感もあって良かったが、そうはいっても少なすぎ。2時間中3回くらい。いっそ十分に一度はライブになるような音楽映画にすりゃ良かったのに。
クライマックスのTRAPNESTのライブで中島美嘉が宮崎あおいに「私、一服してから行くわ」と言った時、私も一服しに席を立ちたくなったが、減煙中なのでやめた。
ただ、そのへんのシーンでふと、ナレーションが気になった。「あの時私たちは・・・」って、一体どの時勢から喋っているナレーションなんだろう。中島美嘉が「いつか意地も見栄も無くなって、歌うのにも疲れたら、あの倉庫に戻っていい?」などと語っていたが、ひょっとしてその時を迎えたくらいの未来から美しかった恋と友情の時期を回想しているのだろうか。
だとすると、過剰なキャラ造形も誇張された思い出だから、ゆったりしたストーリーも少ないライブシーンも記憶が薄れてるから・・・と思えなくもない。中年か老年になった2人が色んな思い出噛み締めつつ、一つ一つ記憶を辿っているとしたら、物語が少し美しく思えてくる。その割にはアップとか多くて変な気もするが。
宮崎あおいは中島美嘉に、「女友達ってより、彼氏みたい」と言う。確かに中島美嘉主演の刑事アクションとか観たい気もしてくる。それはともかく友情以上愛情未満な女の子2人の関係を描きたかったのだろうか?そんな関係ならもっと濃いものを「サマリア」で十分に堪能している。「サマリア」での、沸点ギリギリの2人の女の子の不安定な関係は、一方の死で片方が不安定状態から脱却する術もなくして心の闇を彷徨い、そこからさらにドラマが展開していった。「NANA」は宮崎あおいから中島美嘉への一方的な依存関係のまま話は進み、ドラマは特に発展しない。きっと原作はさらに色々展開するんだろうが、この映画ははっきしいって何の変化もなく進んでいく。
あ、いかんいかん、今は「NANA」を鑑賞中だ。「NANA」に集中しろ。他の映画なんて考えるな。と思っていたらエンドクレジット。
ふう
長い2時間だった。
目に見えない敵と戦っていたようだ。疲れた。
ヒットしてるみたいだから続編も作られるのだろうが、その時までに中島美嘉さんが少しは感情込めた台詞が喋れるようになっていてほしい。できないなら、台詞なしでひたすら歌っていてほしい。宮崎あおいさんはもう少し落ち着いててほしい。などと考えながらトボトボ歩いて駅に向かう私。なぜか無性に酒が飲みたくなった。
↓面白かったらクリックしてね
人気blogランキング
自主映画撮ってます。松本自主映画製作工房 スタジオゆんふぁのHP
僕はこの作品未見です。予告を観た時は面白そうに思えたのですが、自分に合わなさそうで。
それなのに感想すっごいよく分かります。
僕も観ていたらきっと同じように思っていたに違いありません(笑)
やっぱりこの作品はスルーしてDVDが出た頃にチェックしておきます。
終わってみて初めて気付く不思議なナレーションといったところでしょうか。
ところで、続編は見ますか?
DVDが出る頃には続編の予告が劇場にかかってそうですよ
DVDなら20倍速で観て、ライブシーンだけ再生するのをお薦めします。って、それじゃサントラ買えばいいか
>kossyさま
単に説明のためのナレーションだったのか?単に原作にあるから同じように使ったのか?(原作は読んだことないです)
続編ですか
うーん・・・
ハリウッドでウィノナ・ライダーとジェニファー・ロペスでリメイクしたら観たいですが(歳とりすぎか・・・)
ナレーションは、原作をそのまま使ってましたよ。
(あとで、読んで分かったのですが…)。
面白かったのは劇場の雰囲気でした。観客は主にティーン中心の女の子で、みんなそれなりにおしゃれして見に来ていました。圧倒的に原作のファンで占められているんですね。これは映画館というより、コンサート会場のそれに近いと感じました。
ですから、映画を見終わった後の感想などに耳をすませていると、「ナナ(中島美嘉)はなりきってた!」とか、「レイ(松田龍平)のお腹が出てた!」とか、「ヤス(あの坊主頭のドラマー)はクリソツッ!」などの声が多く聞かれました。誰も映画を見ていないんですよね~。
そうでしたか。あんま深く考えずに、原作そのままにしてみたってとこなんでしょうね
>大澤さま
コンサート会場。なるほど
中島美嘉はなりきってた(外見だけ)・・・ってみんな思わないのかなあ?
自分のことは棚において言いますが、お腹が出ている衣装なら本人に鍛え直させるか、別な俳優を使うか。いずれ今作最大のミスキャスト。
平岡くんだけでなくキャスト全体的に一生懸命さが伝わってきません。衣装と髪型だけ原作に似せればそれで満足という観客が多いのでしょうが
龍平も親父を見習って、過剰に役にのめり込む俳優になってほしいですね