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ショスタコーヴィッチ交響曲第5番「革命」

2017-11-09 19:55:47 | クラシック音楽
ショスタコーヴィチ交響曲第5番「革命」通称タコ5

ショスタコーヴィチの名声を確固たるものとした言ってみれば彼のブレイク曲にして、代表作。
わかりやすい「あがる」楽曲で、サブタイトルからもわかる通り、ロシア革命を讃える音楽である(革命という副題は日本で勝手につけられたものらしいけど、なんか革命感のある曲です)・・・が、ショスタコ的にどこまで本気だったかは疑わしい。
作らされた曲とも言えるかもしれない。それでもなんでもいい曲であることは間違いないが。

作曲されたのはドイツとの戦争が始まろうかという1936年。初演はロシア革命20周年記念の1937年だった。
スターリン独裁下の当時のソビエトに於いては、芸術も娯楽も含めたあらゆることが社会主義国家の建設とか革命と結びついていなくてはならなかった。
革命後に音楽を学んだショスタコーヴィチにとって、最初の交響曲3曲は特に疑問もなく(若さゆえ?)、共産主義の理想に燃えていたところがあったのかもしれない。

(写真は関係ありません)

さらに言えば初期の作品など学校で作ったものなので、自由な作曲などできるはずもなかった。
そして彼はプロ(という言葉が社会主義国にあるのかよくわからんが)の作曲家として己の才能の全てを注ぎ込んだ渾身の作品交響曲第4番を作曲するのだが、これがどうも楽譜審査だけでソ連政府に批判されたか、あるいはこんなもの発表したら批判されてシベリア送りだぞって誰かに言われたかして怖気づいたらしい(後年のソビエト政府の御意向など知ったことかなショスタコを思うと、やっぱ若かったのだろう)

第4番はしばらくお蔵入りとなり初演は60年代までお預けとなってしまう。その苦い思いが、ショスタコーヴィチにわかりやすい革命万歳曲を書かせたのかもしれない

これなら文句あるまい!!これなら批判されんだろう!!
そう思ったのか
あるいはどことなくムスカさんに似ているショスタコは「バカどもにはちょうどいい目くらましだ」とか思っていたかもしれない


しかし4番批判で作曲家としてのキャリア終了と思わせてからの5番でソ連指導部大熱狂で一転ソ連を代表する巨匠へという逆転劇。
その後のショスタコの人生はずっとそんな感じである。芸術家の野心をあらわにして政治的に責められては、別の楽曲を発表して称賛されるという
芸術と政治の狭間を音楽の才能で乗り切った。ショスタコの伝記は映画化したら面白いと思う。
「敵はヒトラーとスターリン!武器は音楽!」
主演は生きていればロビン・ウィリアムズがよかったなー
ラッセル・クロウあたりでお茶にごすか

さて第5番であるが、その後のショスタコ交響曲のひな形のようにもなっている
重々しくも劇的な盛り上がりを見せる第一楽章
どこかダンサブルなスケルツォの第二楽章
弦楽じんわりな第三楽章
大団円迎える第四楽章

とりわけ第一と第二楽章など、交響曲第8番や第10番と置換可能じゃないかなどと思ったりもしつつ、それでもなんでも1楽章と2楽章はショスタコらしさ全開で聴かせる。
1楽章のピアノの入り方とか、1楽章2楽章のスネアの音を聞くとショスタコだなーと思う。交響曲でスネアをことさら強調するのってショスタコーヴィチの特長。戦争とか革命とか血生臭いテーマが多いからだろうか。
ショスタコーヴィッチの音楽は戦いの音楽だ。彼自身がドイツとの戦争だったり、ソ連国内での政治闘争だったり、戦いっぱなしの人生だったから、名声も持って生まれた才能よりも戦いで勝ち得たものだから。
勝負の1日の朝に聞きたいのはベートーベンでもチャイコでもマーラーでもなく、ショスタコーヴィッチだ。

そんで第四楽章。
これは、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」、ドボルザーク「新世界より」第四楽章と並んで、これで燃えなきゃウソな、クラシック3大激アツ音楽の一つだ。
開始3秒でテンションマックスに振り切れるので注意が必要だ。
ティンパニがドンデンドンデン鳴り響く行進曲、早いテンポでに戦いの情景がオーケストラで描かれてから、テンポは下がって一旦落ち着いてから、映画のラストシーンで勝利を歌い上げるように感動のファンファーレが高かに、やっぱりティンパニが「ツァラトゥストラはかく語りき」のようにずっしりと打ち鳴らされて最高潮の盛り上がりの中で終わる

ソ連のお歴々が膝を叩いて喜ぶ様子が目に浮かぶようだ

しかし一方でどこかショスタコーヴィッチ的にもヤケクソ気味で書いたような、他の交響曲の重みに比べると空々しいというか、から騒ぎな感じがしなくもない
映画で言えばキューブリックの「スパルタカス」とか、新海誠の「君の名は。」のような
それでも聞くたびに胸が熱くなるのは間違いない、生理的に抗えないような危険な薬物のような音楽が、タコ5の第四楽章だ。

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CDはショスタコーヴィッチが全面的に信頼していたソ連の巨匠エフゲニー・ムラビンスキーの1970年代の来日ライブのものを購入。

お恥ずかしいことではあるが、自分にとって初めてのムラビンスキーであった。
調べるとこの人もショスタコーヴィッチに負けず劣らず、あの芸術家にとって窮屈なソビエトでとんがりまくった、ロックな生き方をした方らしい。
貴族出身のため政府に嫌われ、それでも実力でのし上がり、レニングラードフィルを世界有数の名門オケにした。ソ連で「神のために演奏する」とか言っちゃう図太くも信念の塊というか
ガンダムオリジンのマ・クベの台詞を拝借するなら

「共産主義の理想なぞ私にとって、チャイコフスキーの一小節にも値しないのだよ」(声:塩沢兼人さん)とか言いそう、と勝手に妄想

ショスタコーヴィッチはこの第5番の初演で初めてムラビンスキーと出会い、以来二人は一心同体というか、黒澤明と三船敏郎、スコセッシとデニーロのごとき不可分の存在となるのである。
その割にショスタコーヴィッチは最後までムラビンスキーに遠慮のようなものがあり、また初演をお願いしたいんだけど断られたらどうしよう・・・という中学生の恋愛のようなドキドキをいつも感じていたようだ。
で、実際13番の初演をムラビンスキーに断られた時、かなりショックだったらしい。
13番はソ連におけるユダヤ差別を扱った内容に対する論争を起こしたが、ショスタコーヴィッチにとってはそんなことよりムラビンスキーに演奏を断られたことの方がダメージがでかかったらしい。
そのムラビンスキーが断った理由は、妻が病気なので専念できない、というなかなか愛らしいものだ。

ムラビンスキーの重厚なユーモアのカケラもないような、そういう意味では糞真面目な社会主義っぽい演奏は、しかし非情さを醸すショスタコーヴィッチの音楽にぴったり。優しさなどなく一音一音が銃弾のように心臓を貫いていくようなとがった世界観は西側のクラシックにはあまりない。

あとムラさんに関しては、なんというか、単純に顔が好きです。
フルトヴェングラー


カラヤン


バーンスタイン
(カラヤンとバーンスタインって顔似てるよなー・・・)

より、やっぱりムラビンスキーの顔がいいなあ。


顔で選んで一番好きな指揮者はクラウディオ・アバド


カルロス・クライバーはハンサムすぎて逆に好きになれない


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ところで、タコ5であるが、西側での演奏では第四楽章のコーダ(終曲部)がやたら早いテンポのものが多い
バーンスタイン版とかティンパニがドコドコと景気良く鳴る
ゆっくり噛みしめるように鳴らすムラビンスキー版とは全然違う
どうも、正しいテンポが記された楽譜がなく「四分音符=88」説と、「四分音符=188」説があり、西側は後者を取ることが多いらしい。
でもショスタコーヴィッチのヒーローで分身で相棒なムラビンスキーのテンポがやっぱり正しいってことでいいのだろう。
とはいえ、バーンスタインの猛烈テンポも悪ノリ野郎な彼にあってて悪くない。

ムラビンスキー版
バーンスタイン版
ムラさん版は45分くらいから
バースタ版は46分くらいから
テンポの違いをお楽しみください

演奏終了時のバースタの「どや!演奏しきったぜ!」な顔と、ムラさんのこんな激しい曲を演奏しきっても心が微動だにしてない感じの顔の違いもお楽しみください

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そんな感じで、うっすーいクラシックファンとしてのクラシック楽曲感想をこんな風にブログに書いていこうと思います・・・・
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