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映像作品とクラシック音楽 第43回 『エクソシスト』の終わりとウェーベルン・ワンダーランド

2021-11-18 23:51:42 | 映像作品とクラシック音楽
僕が初めて彼女からその話を聞いたのは2021年の秋だった。
「怖いホラー映画があって」彼女はFacebookのコメント欄ごしに僕に語り掛けてきた。「エクソシストって怖い映画」
『エクソシスト』は確かに怖い映画の類に入るだろう。ホラー映画に分類するのもうなづける。ただし映画についてうるさい批評家肌の人たちに言わせるとあれはホラーには分類できないと言う。僕自身ホラーの定義などわからないので彼らの思い込みの可能性は多分にある。
「怖い映画か」僕はさめかけのコーヒーをぐいと飲み干してから言った「君が怖い映画を観ることが、僕にとってどんな意味があるのだろう」
「意味はあるのかもしれないし、無いのかもしれないわ。ただその映画にウェーベルンの音楽が使われいるってのはどう。興味をひくんじゃない。あなたにエクソシストにおけるウェーベルンの音楽の使われ方について書いてほしいのよ」
「ウェーベルンの音楽について書いてほしい」僕の相槌に対して、Facebookのコメントごしに彼女がぐいと身を乗り出してくるのを感じたけど、ただの気のせいかもしれない。「それはどうかな。僕は確かにクラシック音楽が好きだ。」僕はiPhoneから流れる小澤征爾指揮のヤナーチェクを聴きながら、彼女の反応を待った。しかし彼女は冬眠中の熊のように沈黙を続けたので仕方なく僕から話をつづけた「けどね、ウェーベルンについてはほとんど無知なんだ。いわゆる前衛的な現代音楽だろ。これだけは聞きたいんだけど、君はああいう現代音楽の意味は分かる?あるいはわからない?」
「完全な意味不明などないわ。完全な絶望がないようにね」
「ウェーベルン」僕はもう一度その名前をつぶやき「オーケー。少し時間をくれないか」と言った。そして僕たちはビジネスライクに別れた。

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などと村上春樹風に書いてみましたが、疲れてきたので元の自分の文体に戻そうと思います。
キザな感じで書きましたが、あちこち事実と反している文章でして、ウェーベルンについて書いてほしいと言ってきたのは村上文学風の女の子ではなく、FacebookのクラシックCD鑑賞部屋の管理人の大塚さんですし、なかなか物語が進まないようなもどかしい会話のやりとりは行っておりません。

それはともかく『エクソシスト』について書くのはよいのですが、問題は「ウェーベルンって誰やねん」ってことでした。
そこでとりあえずグーグル先生に聞いてみるわけです

アントン・ウェーベルン(ヴェーベルンと表記する場合も)は、オーストリアの作曲家。1883生まれで、1945没ですから、当然ナチスの支配時代を過ごしています。そして彼の音楽はナチスから「頽廃音楽」であるとされて弾圧されました。彼はユダヤ人だったわけではないのでマーラー音楽の弾圧のされ方とは理由が異なり、いわば思想的というか芸術に対する感性が全体主義体制から嫌われていたのですね。
だからナチスが好きなベートーベンやワーグナーのような気持ちの上がる曲じゃなくて、まあ大体想像つくけど、いわゆる前衛的な、居心地の悪い曲なんだろうな…と思いながらCDを勝って聞いてみたのですが、やはり想像の通りでした。別に批判してるわけじゃないですよ。ワケワカラン音楽は映画音楽で散々聞いているんで免疫はできてます。
CDの感想は後述するとしてウェーベルンのことです。
彼は作曲家として一番脂がのっていたであろう50代のころが不幸にもナチスの支配時代で、恐らくろくに作曲活動はできなかったでしょう。ですが皆さんご存じの通り、ナチスは戦争に敗れ政権は崩壊します。ウェーベルンはいよいよ俺の時代が来た、とヒトラー自殺の報を受けたときに自分の輝かしい未来を夢想したのかもしれないし、そうじゃないかもしれません。
しかし、なんと彼は1945年、終戦後まもなくに亡くなります。
亡くなった理由と言うのが、ナチスの手先と間違われ、監視していた連合軍の狙撃兵に、ベランダに出て煙草に火をつけたのをナチスの仲間への合図と間違われて撃ち殺された・・・というのです。
なんという、時代に愛されなかった人なのでしょうか。
ものすごく心が沈むような情報を入手してから、私はタワレコオンラインでウェーベルンの音楽を聴けるCDを探しました。


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そして注文したのが写真のCDです。
マーラーやん!と思うかもしれませんが、このCD2枚組で1枚目がマーラー1番、2枚目がマーラー4番なのですが、マーラー交響曲の中では比較的時間短めの1番と4番によってできるCDの収録可能時間の余白に、ウェーベルンの音楽を詰め込んでいるのです。
昔、サントラLPをカセットテープにダビングして、A面B面それぞれにできるテープの余白にゲームミュージックを録音したりしていましたが、あの時の私と同じノリです。
まあ、ともかくウェーベルンの音楽を色々とまとめて聴けるCDで、なおかつ『エクソシスト』で使用されているという「管弦楽のための5つの小品、作品10」を聴けるアルバムというとこれだけでした。
指揮者はヘルベルト・ケーゲルです。
失礼ながら初めて知った指揮者でした。
調べてみますと東ドイツで活躍していた方のようです。さらに調べると…


東西ドイツ統一に絶望して拳銃自殺した


…色々思うところはあったかもしれないけど、死ぬことないじゃん…
なんだかウェーベルンを探し出すと、テンションの下がる情報に色々と行き当たります。
ともかく、この2枚組アルバムの隙間に収録されたトータルタイム50分に及ぶウェーベルンの楽曲の数々をこの1ヶ月くらい、聴いて聞いて聞きまくったのでした。
ナチスが嫌うくらいだから心アゲアゲにする曲など一つもないんだろうと思ってましたが、やっぱり予想通りでデートで行った演奏会でこの曲ずっと聞いてたら、そのあと口数少なくなりそうな楽曲群でした。すき好んで聞く人は少ないだろうなぁとは思いましたが、何かすべて現実離れというか、まともな精神状態を超越したような雰囲気があり、悪魔祓いの映画に使いたくなる理由は分かるのです。
あわせてネットでウェーベルンの曲をいくつかかいつまんで聞いたりしたのですが、ケーゲルさんの演奏、クソ真面目な印象ですね。『エクソシスト』サントラに収録されているのは「管弦楽のための5つの小品、作品10」の3曲目ですが、そのサントラ収録版と比較しても、ケーゲル版は丁寧で美しく演奏されてはいますが、サントラ収録版の雑ながらも曲を楽しんで演奏している感じの方があっている気がしました。


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さて、ウェーベルンも十分聞きこんだし、久しぶりに『エクソシスト』を観ようかとネット配信の同作をホラー嫌いの妻がカラオケ疲れでグーグー寝込んだ日を利用して家の大きめのテレビで楽しんだのでした。

『エクソシスト』もいろいろと気の重くなる情報の多い映画です。
監督のウィリアム・フリードキンはアクション映画の歴史を塗り替えるような傑作『フレンチ・コネクション』(1971)を手がけました。その作品では手持ちカメラを多用したドキュメンタリー映画的なタッチや、自然光によるざらついた映像や、畳みかけるような編集センスが光っおり、その年のアカデミー賞で作品賞、監督賞などを受賞しました。
『エクソシスト』は1973年作品なので、『フレンチ・コネクション』でイケイケになってたころの作品です。冒頭のイラクのシーンや、カラス神父の観る悪夢のシーンなど『フレンチ・コネクション』のようなドキュメンタリータッチ映像を感じますが、ご存じの通り映画の大半はリンダ・ブレア演じる少女リーガンの寝室が舞台となり、特殊メイクを駆使して人でなくなった少女が血や汚物とともに卑猥な言葉を吐き散らす様をこれでもかと見せてくるのです。『エクソシスト』は今やホラー映画の世界ではクラシック的扱いで、これも『フレンチ・コネクション』ともども映画の新しいフォーマットを作った作品と言えるでしょう。
とはいえ、『エクソシスト』での現場でのフリードキンの演出は常軌を逸しており、彼こそが悪魔だったんじゃないかと思うくらいです。


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フリードキンは演出の際、45口径の拳銃やショットガンを持ち出し、ジェイソン・ミラーなどに過剰な演技指導をしていた。また演技経験のないダイアー神父役のウィリアム・オマリーが瀕死のカラス神父に告解を与えるシーンでは、感情を引き出すため、本番直前にオマリーの頬を平手打ちし、その動揺した姿のままで迫真の演技をさせた。
(Wikipediaより)
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こんな演出、現代なら即刻レッドカードで業界追放でしょう。当時だってイエロー超えてオレンジくらいのやり方だったのではないでしょうか。
パワハラ、セクハラが当たり前だった時代の映画界ですから…などといって済ましてはいけない話ですが、一方で作品そのものの評価は別に考えなくてはいけません。

リーガンの寝室で登場人物みんなの吐く息が白くなります。現代ならCGで吐息を付加するのでしょうが、この当時は現場で物理的に発生させていたに違いなく、たぶん冷凍庫みたいな設備のセットを作って俳優たちをそこに押し込んだのでしょうね。

フリードキンの狂人ぶりは音楽にも表れています。
もともと劇伴音楽は『ダーティ・ハリー』や『燃えよドラゴン』で有名なラロ・シフリンに依頼していました。しかしフリードキンはシフリンのスコアを全く気に入らず…そこまでは映画の世界ではよくある話ですが…


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フリードキンはテーマ音楽を担当したラロ・シフリンが制作したデモ・テープを、彼の家族の見ている前で投げつけ、彼を解雇した。
(Wikipediaより)
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狂ってますよね。
そしてフリードキンは、マイク・オールドフィールドが発表したプログレッシヴロックの曲「チューブラーベルズ」の冒頭部分を作品のテーマのごとく使い、さらに不安をあおるような楽曲として、数々の現代音楽を劇伴音楽として散りばめたのです。
音楽に注目して映画を観れば、クシシュトフ・ペンデレツキ、ジョージ・クラムといった現代音楽作品が印象的に使われております。
エンドクレジットではハンス・ヴェルナー・ヘンツェの「弦楽の為のファンタジー」が迫りくるような迫力で奏でられ、映画に恐怖の余韻を残します。
一般的にはあまり好まれない現代音楽たちに、ホラー映画という居場所を与えたのは『エクソシスト』の功績の一つかもしれません


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彼女はカフェミストを飲みながらウェーベルンについて語る


僕が耳の素敵な彼女ともう一度話をしたのは2021年の11月だった。
「話は大体わかったわ」彼女はスターバックスのカフェミストに口をつけながら、興味深そうに話した(でも彼女の本当の関心はそこにあったのか、僕は自信が持てなかった)「それで例の音楽はどうだったの」
「ウェーベルンのこと?」
「どこに使われているか分かったの?それともわからなかったの?」
わからなかった、と僕は言った。確かにエンドクレジットにはウェーベルンの名と「管弦楽のための5つの小品、作品10」が表記されていた。でもウェーベルンの音楽は断片すら聞こえなかった。あるいは聞こえなかったと信じたかったのかもしれない
「映画を観て音楽を覚えいる人はなかなかいないわ」
「でも僕は事前にウェーベルンの予習をしっかりしたうえで、音楽を意識しながら見たんだ。しかも3回見た。」これは本当だった。ディレクターズカット版を2回、オリジナル版を1回観た。3回目はさすがに飛ばし飛ばしだったけれど。「メリン神父がリーガンの家に来るところか、メリン神父がふるえながら薬を飲むところの曲がウェーベルンだったかもしれないし、違うかもしれない。でもペンデレツキやクラムの曲ははっきりそれと分かったのに、ウェーベルンの曲だけは確証が持てなかった」
「もしかしたら」彼女は髪をかき上げた。形のいい耳がのぞいた。(わざと耳を見せたのかもしれないし、違うかもしれない)「ウェーベルンの曲は結局使われなかったのかもね」
「じゃあどうしてクレジットに」
「使ったシーンが丸ごとカットされたのかもしれないし、フリードキンにも使った場所が分からなくなったのかもしれない」
「結局、ウェーベルンは僕にとって何だったんだろう」
「ウェーベルンの音楽は…なんていうか十分に非現実的だったわ。私の言いたいこと、わかるでしょ…」
「ウェーベルンはナチスと間違えて撃ち殺された。ケーゲルは社会主義の終焉に絶望してピストル自殺した。そして僕はウェーベルンの音楽が50分も収録されたCDを買って聞き込み、エクソシストを3度も続けて観たけど今も生きている。」
「それでいいんじゃないかしら。ウェーベルンの音楽がどうであれ、そのおかげであなたは沢山の映画を観ることができる」
「もし映画を見たいならね」



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上手くまとめたようで全然まとまってませんが、こんなところで筆をおきます
それでは、また素晴らしい映画と素晴らしいクラシック音楽と現代音楽でお会いしましょう!!!

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