文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

万両が、芥川に、仏像であることを気付かせた。それもまた、縁。

2011年01月03日 23時19分48秒 | 日記

だが、この万両と、仏像、向こう岸の石、手前の木とは、一直線になっているのである。

これもまた、日本人のdecencyの原点。

あちらの…西方浄土から、こちらの娑婆へ、無私にして救いの人である釈迦が向かってきている、

と、読めなくもないと芥川は思う。

娑婆(しゃば)は、サンスクリット語(梵語)sahāの音訳で、我々が住む仏国土(三千大千世界)の名前。sahāには「大地」という意味がある。漢訳では「堪忍」という訳語が充てられることから、この世は、生老病死(しょうろうびょうし)や人間関係、さまざまな欲望など、煩悩に耐えていかなければならない世界であるという解釈もある。そうしたことから娑婆と名付けられ、また、「忍土」ともいう。

三千大千世界(さんぜんだいせんせかい、梵語:
Trisāhasramahāsāhasralokadhātu)は、仏教用語で10億個の須弥山世界が集まった空間を表す言葉。略して「三千世界」「三千界」「大千世界」ともいう。

 1つの世界 [編集]
仏教の宇宙論では、須弥山(しゅみせん)の周囲に四大洲(4つの大陸)があり、そのまわりに九山八海があるとする。これが我々の住む1つの世界(1須弥山世界)で、上は色界(しきかい、三界の一つ)の梵世(Brahmaloka)から、下は大地の下の風輪にまで及ぶ範囲を指す。

 3つの千世界 [編集]
上述した1つの世界が1000個集まって小千世界となり、小千世界が1000個集った空間を中千世界と呼び、中千世界がさらに1000個集ったものを大千世界という。大千世界は、大・中・小の3つの千世界から成るので「三千大千世界」とも呼ばれる。
このように、「三千大千世界」とは「大千世界」と等しい概念で、1000の3乗個、すなわち10億個の世界が集まった空間のことを指している。

 仏国土との関係 [編集]
1つの三千大千世界は1人の仏が教化できる範囲であるともされるため、1つの三千大千世界を1仏国土(buddhakṣetra)ともよぶ。
我々が住んでいる世界を包括している仏国土(三千大千世界)の名前は娑婆(サハー、sahā)である。阿弥陀如来が教化している極楽(sukhāvatī)という名前の仏国土は、サハー世界の外側、西の方角にあるため西方極楽浄土と呼ばれる。薬師如来の東方浄瑠璃世界や阿閦如来の妙喜世界なども同様にサハー世界の外に存在する。


金閣寺の完全版…。

2011年01月03日 22時59分33秒 | 日記

金閣寺の完全版…一昨日まで、カメラの説明書も読まず、おまけに、液晶画面だけを見て、撮影していたために、画面が、微妙に傾いていたりしたのを正し、この冬の完全版とする作業(笑)

昨日から、ファインダーを通して、撮影する事にしたら、愈々、芥川が写真を撮る時の集中は増して来た…姿勢も様々…金閣寺の様に、人が多い場所では、限られたスペースで撮影を強いられるため、相当な体力を消耗することになる。

一眼レフカメラ愛好家で、オートフォーカス一本槍の方はご存じの様に、自分が撮りたい対象への、ピントが、なかなか、やって来てくれないことが、多々ある…何度も駄目押しをして、終に諦めて、撮る事もしばしば。

中腰等を強いられている時には、結構、応える。そんな状況で、2時間弱を費やせば、精神的にも応えるのです。

…集中に依る疲労と…心洗われる…日本のdecencyの真髄、空気の清澄さetc.からくる…達成の後の、脱力感のようなもので…次の予定は、今日はなしにして、これにて終了と思う事もしばしば。

昨日は、金閣寺の完全版を、我ながら達成したと思う…先日の雪の金閣寺は、よりによって、水平が少し、ずれているものをアップしましたが…今日、明日の内に、完璧なものを、立て続けに、載せますのでご容赦下さい。

昨日は、帰路の茶店で、試食の、ゴマだんごを食べたら、瞬時に、元気が回復した…頭脳の集中に効くものはブドウ糖、話に集中したら、最低40分おきに、甘いものを食べるべし…第一章で言及した、僕と同年だった、今は亡き、素晴らしい医師…刑事コロンボの様な人(車まで、そっくり)が教えてくれた通り。

それで昨日は、予定通り、冬の竜安寺に向かえた。


芥川が、所謂、書き初めのように、元旦に浮かんだ事には、続きがあった。

2011年01月03日 09時09分28秒 | 日記

…今の民主党執行部というのは、何という頭の悪い連中だろうか。

東大を出て弁護士をしています、だとか、京大を出ました等という人間は、掃いて捨てるほどいるのですから、むべなるかなですが。

 

400人超の圧倒的な勢力でありながら、その半分で、政権運営を為して右往左往し、挙げ句には、民主主義、市民の党であると標榜していながら…時の権力に依る不当な弾圧を受けた者を、庇うどころか、己のために利そうとなす有様。

 

同じ党員としてやってきた仲間と為す事も出来ぬ者が…敵対して来た者たちと、今は、己が権力者だとして、その権力を維持するためだとして、党派を組みたい等と考える…大新聞の論説員たち等にけしかけられたのかは知らぬが。

 

「法律論で言えばO氏は、お終いだ…法律をかじった者なら誰でも分る事…」等と…部数だけは、日本有数の週刊誌で抜かすような…御用学者たち…下世話な言葉では「べんちゃら野郎、或いは茶坊主」と言う…に、そそのかされて、古今東西、常に国は滅びて来た事も知らず。

 

馬鹿じゃないか…例え、参議院でねじれ…それを作ったのは自分自身である事も省みず…が、あったとしても、400人超の大勢力で一致団結して、事に当たれば、為されない事はないものを…

 

歴史上初めて選挙に依る政権交代達成が確実だった2009年に…時の権力が、最後の悪あがきのようにして…自分たちの党首に為した弾圧に便乗して事を為そうとする有様。

 

 これ以上の馬鹿が何処にいる…それが芥川の書き初めでした。

 

…過ちて改めざる、これを過ちと言う。

 

 

 

 


1月2日、金閣寺。

2011年01月03日 08時33分15秒 | 日記

2011年1月2日、金閣寺にて。

冬の金閣寺・芥川版の完全稿を作った百数十枚の内の一枚です。

ありとあらゆる国の人が感嘆していた金閣寺。

中国・韓国の人が一番多かったことは、日本の未来のためにも、

とても良い事だと、芥川は思う。 

 

同時に、「世界で2番目、3番目じゃ駄目なんですか」、等と、テレビの前で、見えを切った、閣僚は、話にもならない人物だと、芥川は断じる。

…あなたが出て来た母体であるテレビは、世界に一つだけの…等と言う事を、

昔から今に至るまで、やってきたじゃないか?

 

なにを仰る芥川さん、テレビなんかは嘘八百、その場しのぎのいい加減なもの、

軽佻浮薄の極みだって事ぐらい、大人でしょう、知らなきゃ。

あれは、精神年齢13歳のレベルで成り立っているものよ…などと言われたら、

身も蓋もないが。


2011年1月3日。

2011年01月03日 07時43分05秒 | 日記

おはようございます。 

 

去年の716日に、芥川賢治として登場してから初めての新年を迎えた。 

天と地ほどの違いは、いろんなことに顕著。

 

まず、昨年までの新年なら(ハワイ等に行っていた時分なら、ハワイから帰って来てから)読んでいた新聞を、全くと言って良いほど、読みたいと思わない。

 

何故?…大新聞(芥川が取っているのは、朝日と日経だが)の論説員たちの、思考の有様というか、情報の根拠というものが、記者クラブで発表されたものであったり、政府高官と称される者の思考に準拠したり、経済官僚の考え方に沿ったものであったりしているだけのものであることが、見えてしまったからだ。

 

これに加えれば、同じように、政治を論評する事で大成功したり、高給を稼いでいる様な、一部の連中(これまた官製情報に準拠している連中だ)に依って、この国のマスメディアは、論を形成しているだけのことだからだ。

 

テレビ…昨年までは、惰性の様に、この全局一律の、三流テレビを観ていた。

今年、観たものは、NHKの7時のニュース、BSジャパンの、パリ・オペラ座の秘密の様なタイトルの、牧瀬理穂が案内人役のドキュメンタリー番組。

 

昨日は、ニュースを途中からに続いて「ダーウィンは見た」の特集番組。

それから、見事なセットに、当代、今が盛りの様な、名優二人…ロバート・ダウニー・ジュニア、と、ジュード・ロウに依る「シャーロック・ホームズ」…これは大作ですので、21時~24時まで観ていました。

 

何故?「文明のターンテーブル」第一章で、私たちの国の、テレビの実態を完全に認識した訳です。…こんな阿呆な物…諸悪の根源であると言っても過言ではない…を、観れる訳が無いからだ。

 

このテレビから世論が作られ、正義が作られる…アホか。

 

去年までと、今年と、どちらの新年が、豊かで、ありのままだったかは言うまでも無い。

 

 

 

 


金閣寺こそ、ほんものの大スター。

2011年01月03日 00時05分18秒 | 日記

年末に、ビジネス上の心労が重なったせいで、弊社専務は、風邪を患い、結構長引いていたのですが、やっと回復。

 

昨日、訪れた金閣寺は、目出度さなら一番ですから、体調の完全回復を願いに、参拝しようと、一緒に京都に向かった。

 

芥川には、連日の金閣寺であるが、昨日から、思っていた事もあった…金閣寺の写真を完成させよう…完璧な写真を撮ろう、という。

 

JRで花園まで行った…妙心寺までは歩いて直ぐだから、4日前に行って、とても良いと思った退蔵院に寄ってから、タクシーで金閣寺に向かう事に。

 

退蔵院の受け付けのおばさんや、園内掃除のおじさんとは、すっかり、顔見知りの様なもの…ここでゆったり堪能してから、金閣寺に向かった。

 

昨日ほどではなかったが、それでも、金閣寺は大変な人出だった。

 

年始ですから景気の良い話が一番でしょう…この京都の大スターは、年間、一体、幾ら稼ぐのでしょうか…大スターに相応しいグレイトさであることは、間違いなし。

 

足利義満…足利 義満(あしかが よしみつ)は室町時代前期の室町幕府第3代将軍(在職1368 - 1394年)である。父は第2代将軍足利義詮、母は側室の紀良子。封号は日本国王。

南北朝の合一を果たし、有力守護大名の勢力を押さえて幕府権力を確立させ、鹿苑寺を建立して北山文化を開花させるなど室町時代の政治、経済、文化の最盛期を築いた。

義満が邸宅を北小路室町へ移したことにより、義満は「室町殿」とも呼ばれた。のちに足利将軍を指す呼称となり、政庁を兼ねた将軍邸は後に歴史用語として「室町幕府」と呼ばれることになった。

鹿苑院は義満のほかに、義満が相国寺塔頭(現在の同志社大学今出川校地)に置いた京都五山の統括役所を指す場合もある。…ウィキペディアより。

 

この、640年前に生きた足利義満は、実に偉大な男な訳です。640年後の、今もなおの燦然たる大スターを建立し、莫大なお金を稼ぎ続けているのですから、日本最大級の偉人と言っても過言ではないと芥川は思う。

昨日、今日と、どれだけの国の人たちが、金閣寺を訪れていたことか!

640年も昔に死して、今なお、日本国に寄与しているのですから、これほどの偉人は、そういないと言うべきでしょう。

 

金閣寺を見て、感嘆の声を上げない人はいないのですから…芥川は、彼は、類まれなる傑物として、再評価されるべきだと思う。銀閣寺を建立した義政もしかりなのですが。

この二人が、どれほどの傑物であったかは、左大文字は金閣寺の上にあり、右大文字は、銀閣寺の上にあるとにも示されています。

 

金閣寺ほどの大スターに与える称号は、不世出の、という言葉しかないでしょう。

芥川の入魂の写真を、これから、順次アップしていきたいと思っています。

それでは、その中の一枚を、どうぞ、ご覧ください。