朝日新聞を購読して来た人たちは、この論説の筆者である櫻井よしこさんを、右寄りの人だと思ってきたはずである。
だが、昨年8月に、朝日新聞社が従軍慰安婦問題についての、あの本当に耐え難い実態を白状して以来、戦後70年、日本を覆って来た幼稚であるがゆえの、朝日の悪辣さが、白日の下にさらされた。
当初からこの問題のおかしさに気づいていた産経新聞の阿比留記者は、見事に、新聞記者として為すべきことを成し遂げた。
彼が費やした歳月と業績は米国ならピュリツァー賞に値するものである。
日本では彼は無冠だが、産経新聞を、今、日本で最もまともな新聞に変貌させる事については、大きな業績があった。
以下は、友人が、教えてくれた、今日の産経新聞のフロントページからである。
民主党の矛盾と欺瞞 櫻井よしこ
安保法制は成立したが、民主党代表の岡田克也氏は、9月18日の衆議院本会議で言明したように、安保法制を廃案にすべきだと主張する。
氏は新法制を否定して日本の安全保障を一体どんな状況に引き戻そうというのか。
日本の安全保障体制の特徴は、国際情勢の変化に応じて自衛隊に一定の任務を担わせなくてはならなくなっている現実と、それを認めようとせず硬直した姿勢を貫くのがあたかも正義であるかのような欺瞞が横行してきたことだ。
与野党双方に当てはまる政治の無責任が戦後日本の国防体
制に幾つもの空白や法制の不備を残した。
それらを辛うじて補ってきたひとつの要素が自衛隊員の気概だった。
1999年に能登半島沖で北朝鮮の工作船に対処した海上自衛隊の自己犠牲の精神がその1例である。
イージス艦「みょうこう」の当時の航海長、伊藤祐靖氏が振り返った。
「北朝鮮工作員が強力な武器を持っているのは閧違いなく、乗り込めば銃撃戦になる。しかしわれわれには防弾チョッキもない。そこでせめてもの弾丸除けに船内の雑誌を腹に巻いて準備をしました」
偶然相手のエンジンが始動して彼らが逃走したため、乗り込むには至らなかった。
97年には鹿児島県下甑島に中国人密航者20人が不法上陸し逃走した。
航空自衛隊員30人は一切の武器を携行せず自己責任で、野外訓練名目で出動した。
中国人全員を拘束したが、彼らが武装していれば丸腰の自衛官が犠牲になった可能性もある。
いずれの事例も日本人の命や国土を守るために、自衛官が危険を承知で身命を賭して展開した点だ。
自衛隊の海外でのPKO活動も同様だ。
国の内外を問わず、自衛竣員の犠牲を前提にした国防や安全保障は根本的に間違っている。
その点に目をつぶった政治の無責任のもうひとつの顕著な事例が東日本大震災のときに起きた。
2011年3月17日、防衛相の北澤俊美氏が会見で、爆発した東京電力樗島第1原発3号機への自衛隊ヘリによる放水について、こう述べた。
一昨日、菅直人首相と話し合う中で『放水は今日が限度である』という結論に達した。首相と私の重い決断を(折木良一)統合幕僚長が判断し、統幕長の決断で実行した。
防衛相が命令を下さず、部下が忖度して決断したというのだ。
常々シビリアン・コントロールの重要性を強調してきた民主党が重要な局面のひとつでシビリアンである政治家の責務を放棄し、高い放射線量の危険が予想される原発上空に隊員を送り込む責任を、現場に丸投げしたまさに責任回避の事例だった。
同様の矛盾と欺瞞の精神を、集団的自衛権を頑迷に否定する民主党の主張に私は見てとるのである。