他にも真の硬骨漢が、私の論説の正しさを証明する論文を掲載していた。
黒字強調は私。
明治43年(1910年)8月22日、大日本帝国と大韓帝国の間に「韓国併合ニ関スル条約」が結ばれました。いわゆる韓国併合。日韓合邦です。
この併合は日本帝国主義が武力によって行った強制だったというのは真っ赤なウソです。
韓国には一進会という韓国民衆のエネルギーを結集した知識人たちの政治団体があり、熱烈に日韓合邦を望んでいたのに対し、日本は巨大なお荷物を抱えることに躊躇していました。
当時は合邦国家というのは主流であり、オーストリア・ハンガリー帝国、チェコスロバキアなどがあります。
日韓合邦もなんらおかしな話ではなく、植民地の形態でもありません。
また日韓合邦をイギリス、アメリカ、ドイツ、フランスなどの列強がすべて賛成しています。
事大主義の韓国にあっちにつき、こっちにつき、されたのでは大陸が安定しません。
決定的なのはハーグ密使事件でしょう。
明治40年(1907年)に大韓帝国がオランダのハーグで開催されていた第2回万国平和会議に密使を送り、自国の外交権保護を訴えるも国際社会から完全に拒絶されています。
アメリカの著名な外交史家タイラー・デンネット、「韓国人は、その最近の歴史も駐米外交官達も、ルーズベルト大統領の尊厳や賞賛の念をひき起こすことができなかった。大統領にとって長い間海上に遺棄され、航海に脅威を与える船にも似た韓国が、今や綱をつけて港に引き入れられ、しっかりと固定されなければならないことは明らかだったように見える」
アメリカは日韓合邦を肯定しており、日露戦争が終わったときさっさと韓国から在来公館を全部引き揚げてしまいました。
ルーズベルト大統領は、「もはや朝鮮は国家の体をなしていない」と発言し、小村寿太郎外相に、「将来の禍根を根絶させるためには保護化あるのみだ。それが韓国の安寧と東洋平和にとって最良の策である」、と語っています。
イギリスの外相ランズダウンも、独り立ちできない韓国が日本の保護下に置かれることは当然だ、と語っています。
第二次日英同盟では、「グレートブリテンは日本が利益を増進するため、正当かつ必要と認める指導、監理および保護の措置を韓国において執る権利を承認する」、と記されています。
清もロシアも何の異議も唱えず何の抗議声明も行っていません。
韓国の国家財政は完全に破綻しており、列強からの借金は莫大な額になり、返済のあては全くなく、帝国主義の時代にあって、政治、経済、社会、文化、教育、衛生、すべての分野においてどうしようもないところまで陥っていたのです。
日本が韓国を植民地支配したというなら収奪の対象になる財貨、物産がなければなりません。
しかし、韓国には道路はない、鉄道はない、港湾はない、橋はない、破壊されたハゲ山、堤防のない河川、野放しの農地、破壊された自然しかなく、これらを回復させるために何十年と日本国民の血税を充てなければならず、逆に日本が収奪されていったのです。
参考文献
扶桑社「日本の植民地の真実」黄文雄(著)
朱鳥社「日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋(著)
展転社「大東亜戦争への道」中村粲(著)
ワック出版「歴史通」2010.7『奴隷のいた国、いない国』高山正之
参考サイト
WikiPedia「ハーグ密使事件」
添付画像
李朝時代の西大門1900年(PD)