以下は西野留美子つながりで知った人間をウキペディアで検索した結果である。
私と同様に、大半の日本人は、この人間の事も全く知らなかったはずである。
西野と同様に、こういう人間が、日本国と日本国民の名誉と信用を貶め傷つけるために、国連などを舞台にして暗躍していたのが、これまでの日本だったのである。
高橋 哲哉(たかはし てつや、1956年3月28日 - )は、日本の哲学者。東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授。
略歴
哲学者としての出発点
福島県生まれ。福島県立福島高等学校を経て、1978年に東京大学教養学部教養学科フランス分科卒業。1983年、東京大学大学院博士課程満期退学。1983年、南山大学講師。1986年、東京大学教養学部専任講師。1987年、総合文化研究科助教授。2003年、教授(超域文化科学・表象文化論)。
大学院時代は坂部恵の指導を受けた。当初はフッサールやメルロー=ポンティなどオーソドックスな現象学研究からスタートしたが、フランスの哲学者であるジャック・デリダに関心を寄せ、その現象学批判にとどまらず、政治・社会哲学にまつわる側面の紹介や解説を積極的に行っている。同時に表象文化論のコンテクストから、戦争やジェノサイド(ホロコーストなど)に関する歴史・記憶・責任等に関する表象と言説を研究対象ともしている。近年では、政治的な軸足を置いた知識人との対話や講演、執筆、市民活動にも力をいれている。
現代社会への問題提起
歴史修正主義や歴史認識論争、戦後責任論における左派の論者の一人である。1990年代半ばに中道派である加藤典洋『敗戦後論』を痛烈に批判して論争を繰り広げ、論壇においても有名になった。以降、自由主義史観研究会などへの批判を展開している。中国や北朝鮮による日本の歴史観に対する批判にも「歴史修正主義への批判」として条件付の賛意を示している。大小を問わずさまざまなメディアで投稿やインタビューに応じている。
高橋自身によると、学生時代はノンポリであり、実際に1990年代前半まで目立った政治的活動はほとんどしていない。論壇で名をなしてからは社会的活動も積極的に行い、辻元清美らが主宰するピースボートの水先案内人などを務める。2004年には、徐京植らとNPO「前夜」及び季刊の思想雑誌『前夜』を立ち上げたが、2007年に理事を辞任した。
「九条の会・さいたま」呼びかけ人を務めている。世界に先駆けて、日本が韓国や北朝鮮に謝罪と賠償をし、植民地支配を反省する世界的な流れをグローバルスタンダードにしようと呼びかけ、日韓併合条約は当初より不法無効であると主張する「『韓国併合』100年日韓知識人共同声明」に署名している。
*こういう人間を国立大学の教授として国民の税金で養っているような馬鹿な国は、世界には、日本以外に、ただの一国もありはしないだろう。*