文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

かつての友人が思考停止に陥ってしまうのはショッキングだったでしょうね。

2017年10月18日 16時28分56秒 | 日記

以下は前章の続きである。

長谷川

お前は一緒に闘うのか闘わないのかどっちだと聞かれて、「理屈がわかるなら闘うけど、あなたの理屈はわからない」と返すと「ぶっ殺せ」と言われる。

古田 

かつての友人が思考停止に陥ってしまうのはショッキングだったでしょうね。

長谷川 

ほんと、ショックでした。

ただ、僅かな同志たちはなんとしてもストライキを解除しようと踏みとどまっていました。

でもわれわれは人数も少ないしお金もない。

オルグの電話を掛けるのも自腹を切っていました。 

転機は、代々木系が全共闘潰しに方向転換した後、我々と共闘しようと言ってきたことです。

不本意ではありましたが、共産党の協力もあってなんとか文学部のストライキ解除まで漕ぎ着けたんです。 

その後祝杯をあげたんですが、仲間と「共産党の“物量”つてすごいよな」つて言い合ってため息をつきました。

あの時のビールは不昧かったですね(笑)。


思考停止と言えば東大闘争を思い出します。リアルタイムで体験しましたが、あれは完全に思考停止以外の何物でもない。

2017年10月18日 16時25分23秒 | 日記

以下は前章の続きである。

長谷川 

思考停止と言えば東大闘争を思い出します。

リアルタイムで体験しましたが、あれは完全に思考停止以外の何物でもない。 

イギリス留学から帰ってくると、バリケード封鎖が行なわれていました。

「なんでこんなことをするのか」と聞くと、「我々の自己否定だ」と言われて理解不可能。

彼らはすっかり目つきが変わっちゃってましたよ。

それこそお祓いしたくなるような(笑)。

古田 

革命がいいことだと誰かに吹き込まれたんでしょうね。

革命が良いというのは「フランス革命万歳」と言っていたオールドリベラリストの考え方。 

ちょうどあの時期にフランスやアメリカでも同じような運動が行なわれていたので、マネをしていたんでしょうね。

後付けで言えば、旧い理念の再現実験かなあ。

この稿続く。


朝日新聞が抱いているのも、安倍さんに向けられた理不尽な「憎悪」の感情だと思います。

2017年10月18日 16時22分37秒 | 日記

以下は前章の続きである。

リベラルの思考停止

古田 

朝日新聞が抱いているのも、安倍さんに向けられた理不尽な「憎悪」の感情だと思います。 

慰安婦問題で安倍さんにやられたから、反省せずにただただ根に持ってるんでしょうね。

憎悪をぶつけてもしょうがない。

北朝鮮と同じでもう既に内部崩壊が始まっていると思います。

長谷川 

さっきのいじめの話を当てはめると、朝日の暴走に対して、決して目をそらすのではなく、ただ怒るのでもなく、『WILL』が朝日を「暗いところ」から「明るいところ」に引っ張ってあげるというイメージで対応すればいいんじゃないでしょうか(笑)。

古田

朝日は、ネット社会になって、誰も話を聞いてくれないし尊敬もしてくれなくなった。

それでうろたえた元秀才たちがむかっ腹立てて、むかし習った理念や一般論を再現しようとしているように見えますね。

物が分からない、時が分からない、過ぎ去っていく時代を眺めることができない、それで思考停止。

この稿続く。


醜女軍団なんかもいて、おそろしい形相で追いかけてくる、日本の文化は決して綺麗な物だけ集めたわけじゃないということがわかります。

2017年10月18日 16時18分05秒 | 日記

以下は前章の続きである。

長谷川

確かに日本人は、見たくないものを見ない才能がありますね。

東京の空なんか電線でびっしり覆われているのに、「日本の街並みは美しい」と言っている人は、あの電線が目に入っていないのでしょうか。 

私の主人は電線が大嫌いだったので、「なんでアレを見ないでいられるんだろう」とぼやいていました。

醜い物を見ないで過ごすことができるのも、ある意昧日本人ならではなのかもしれません。

古田 

日本人は相反するものを抱えています。

日本人は伝統的に性善説なんだけれど、世界と渡り合うためには性悪説を持たなければならない。

どの人がどのように分業して担っていくかとなると、もう「国体論」を考えなければなりませんね。

長谷川 

『古事記』には美しいものと醜いもの、どちらも登場しますよね。

根の国に行くと死体には蛆がいっぱいたかっている。

醜女軍団なんかもいて、おそろしい形相で追いかけてくる、日本の文化は決して綺麗な物だけ集めたわけじゃないということがわかります。

古田 

ただそれを禊で洗い落とすことができるのも日本人の感覚です。

神道の根本は禊ですが、穢れだけじゃなくて、何でも全て祓っちゃう。

私の研究室に神棚があるんですけど、授業前は掌を叩かないようにしている。

何を喋ればいいか忘れちゃうから(笑)。

この稿続く。


組織が外部に対して理不尽な憎悪を向け出したら、その組織はもう終わりだと思っています。

2017年10月18日 16時14分14秒 | 日記

以下は前章の続きである。

古田

まず、何も良いことは望めないですよ。

国全体に「憎悪」が溢れているんです。

北は滅茶苦茶な状態ですし、南も半壊状態と言っていいでしょう。 

組織が外部に対して理不尽な憎悪を向け出したら、その組織はもう終わりだと思っています。

アメリカ、日本への憎悪によって思考停止状態に陥っているのが今の朝鮮半島です。

亡びるのは時間の問題でしょう。

長谷川

北朝鮮の場合、自ら亡びてくれるだけならいいんですが、核兵器を持っているので他国の巻き込み方が半端じゃない。 

自国民は死んでも死ななくてもどうでもいいという思考は「考えること」の放棄ですよね。

北朝鮮のような国に対して核の報復というのはほとんど効果がない。

古田 

じゃあ日本はそんな国とどう向き合っていけばいいのか、現実的な案を政治家は示してくれません。

本でも書いたのですが、日本人は自分にとって都合の悪いことから目をそらす傾向があるんです。

これも一種の思考停止と言えるのかもしれません。

この稿続く。


思考を阻む「憎悪」

2017年10月18日 16時10分43秒 | 日記

以下は前章の続きである。

思考を阻む「憎悪」

古田 

最近思うのは、「有り得べきこと」を考えることが一番効率よく思考力を養えるのではないかということです。 

例えば、『ガリア戦記』を読んでいて、ゲルマン人が森から出てきて攻撃するとき、車を並べています。

これは荷車か馬車かと考えた時、「ゲルマン人は森の民だから、馬車は枝や根に引っかかっちゃうな」と思いを巡らせ、「きっと荷車だ」と結論付ける。

このように、「有り得べきこと」を考えるのは我々でも簡単にできるんです。

長谷川

自分が相手だったらどうするかと考えてみるわけですね。

考えるためには当事者の視点も必要なのかもしれません。 

「戦略的思考」という言葉をよく耳にしますが、戦略的思考のコツはこのあたりにあるかもしれませんね。

古田

戦略の背後にあるのが、本来の「生活」である「兵站」です。

兵站から考えればよいのではないでしょうか。 

例えば、我々はどうしたら出世できるか、どうしたらいじめから逃げることができるかと思うことがありますが、これは自分の考えの幅を狭めてしまう恐れがあります。 

自分の置かれている状況は同じだったとしても、息子が誇りに思ってくれるにはどうすればいいか、いじめの兆候をどうしたら早くつかめるかと考えた方がいいんです。

多少そらぞらしくても、素でキレイならばOKです。

長谷川

いじめから逃げるのではなく、それが始まる一歩手前で先に手を打つということですね。

それができずに「逃げる」立場になると、恨みと怒りが出てくる。

そうすると「考える」ことができなくなってしまう。

悪循環に陥りますね。 

ところで、古田先生は最近『韓国・韓国人の品性』(ワック)というご著書を出されましたが、朝鮮半島の「有り得べきシナリオ」はどんなものでしようか。

この稿続く。


現行日本国憲法は、日本人の生活の中で生まれたどころではありません。日本が戦争に敗れて、日本を占領した米国人たちが自分たちの占領方針に従って作った憲法

2017年10月18日 16時07分14秒 | 日記

以下は前章の続きである。

長谷川

本当にそうですね。

それと今おっしゃった、生活がそのまま知恵になるという話ですが、これってイギリス憲法の考え方に近いんじやないかと思います。 

イギリス憲法は憲法典を持たない不文法ですよね。

誰も思い起こせないほどの昔からずっと守り続けられてきたということが、コモンローとして通用するための大切な条件の一つなんです。 

つまり、これまでイギリスの地で過ごしてきた人々が、そのコモンローの下でそこそこうまく生活してきたという事実自体が憲法の支えとなっている。

古田

日本人にとって「憲法」といえば成文の日本国憲法のこと。

文字として書かれている憲法に縛られているから、この考え方は日本人にはすごくわかりにくい。 

本来、日本の憲法とは、日本人が日本と言う国土の上で培ってきた文化や伝統を含んだ「生活」を反映すべきものだと思うんですが、それが全くなされていない。

長谷川

現行日本国憲法は、日本人の生活の中で生まれたどころではありません。

日本が戦争に敗れて、日本を占領した米国人たちが自分たちの占領方針に従って作った憲法ですからね。 

九条二項なんて近代成文憲法の基本に照らしても完全にアウトです。

国家主権を実質ゼロにするという規定ですから。

日本国憲法はそれ自体が“憲法違反゛といえるのかもしれません。

この稿続く。


憲法違反の日本国憲法

2017年10月18日 16時03分02秒 | 日記

以下は前章の続きである。

憲法違反の日本国憲法

古田 

今、先見哲学の本を書いているんですが、筆を進めていくと、ついつい私小説みたいになってしまうんです。

そこで思ったのが、「考えること」を脳や体から生活に広げていくと、自然に私小説になっちゃう。

卜イレとかキッチンとか、俗っぽい生活風景の中で、自分の体内時間のありかたを考えたりしています。 

『源氏物語』も私小説と理解しているのですが、作品の中に登場人物の思いや考えが心の中で生まれていく瞬間、つまり「内省」が生活の隅々にちりばめられている。

だから今でも読み続けられているんだと考えています。

長谷川 

『源氏物語』がすごいのは、今の日本人でも読むことができるという点です。 

例えば、千年前のイギリスの文学作品を今のイギリス人は読めませんよね。

日本語の場合、古文が苦手な人も、朗読の上手な人に読んでもらうと内容がなんとなく理解できるんです。

これは日本語の“奇跡”だと思っています。

海外の奇跡は安っぽいじゃないですか。

「キリストが海の上を歩いた」と言われても、水の上を走るトカゲ、バジリスクじゃあるまいし、どこが偉いんだよと言いたくなる(笑)。

カトリックでは今でも聖人に列せられる条件として科学的に証明された奇跡をおこしてないといけないと聞いたことがあります

古田 

科学的に立証された奇跡って一体何なんだろう。

日本語の源氏物語が今でも読めるという方がよっぽど奇跡ですよ。

僕のいう「奇跡」は、思わず泣いてしまうような「僥倖」のことです。

源氏は“こころ”で泣けますよ。

この稿続く。


人間を世間や家族から切り離して「個人」としてとらえる思想は、近代西洋の生み出した異常な人間観であって、違和感を持って当然なのです

2017年10月18日 16時00分08秒 | 日記

以下は前章の続きである。

先人たちの葛藤

長谷川 

ただ、明治の先人たちは、学ぶだけじゃなく考えることもしていたと思います。 

実は、「日本人は学ぶより考えよう」という題名を見て最初に思い浮かべたのは、明治の先人たちのことだったんです。 

幕末から明治にかけて大量の洋書が日本に入ってきて、英語もドイツもフランス語も習得する必要がありました。

語学を必死に学んでいた人たちは、それを通じて思想の格闘をしていたと言っていいのではないかと思います。

単に受動的に「学ぶ」だけじゃなくて、「これは一体何なんだ」と自分から問いかけながら「考え」たと思うんです。 

その成果が今も残っているのが、翻訳語です。

今、新聞や雑誌で使われている日本語の半分以上が翻訳語と言われていますが、これを生み出したのは日本人の思考力だと思っています。 

例えば、英語の「individual」は「個人」と訳しますが、よく考えてみると「個人」というのも何だかへんてこな漢語です。

ラブレターに「私個人としてはあなたが好きです」と書いたら、すごく違和感がありますよね(笑)。

今も違和感があるくらいですから、当時はさらに違和感があったでしょうね。

そして現に、人間を世間や家族から切り離して「個人」としてとらえる思想は、近代西洋の生み出した異常な人間観であって、違和感を持って当然なのです。 

この奇妙な翻訳語は明治の先人が「学ぶ」と同時に「考えること」をしていた証拠です。

今の我々は明治の先人たちの主体的な取り入れに学ぶべきでしょう。

この稿続く。


弟子の書いた論文の参考文献を見ると、まるで墓碑銘みたい(笑)。

2017年10月18日 15時58分13秒 | 日記

以下は前章の続きである。

古田 

私はかつて、弟子に「なるべく多くの文献をあたって調べろ」と言って、調査力の養成ばかりしていました。

ただ、弟子が研究者になると“調査力の暴走”が起きてくるんですよ。

調べすぎて、自分でも何が何だか分からなくなるというようなことがある。 

弟子の書いた論文の参考文献を見ると、まるで墓碑銘みたい(笑)。

過ぎたるは及ばざるかごとし。

調べるということは知識を蓄えるということですが、調べすぎてもよくないと学びました。

調べながら同時に考えていくことをしないと良いものができない。

長谷川 

ほんと! それは哲学でもあります。

私が今頼りにして使っている、こんな分厚いパルメニデスの研究書があるんですが、その本の参考文献を数えたら八百以上の文献が列記されている。

これだけ調べてたら「考える」暇はないだろうな、と思いました。 

でも確かに、調べものをしていると“調査ハイ”みたいな感じになるんですよね。

調べてるうちに新しい資料をみつけて、「こんなのもあった、またこんなのも」というように、芋づる式にどんどん新しい資料が出てくる。古田

直観が決まると、自然にそうなりますね。

長谷川 

もちろん、ひたすら調べてくださる篤学者は絶対に必要なんですが、それだけではねえ。

古田 

日本はかつて後進国だったんで、「考えること」よりもまず「学ぶこと」のほうが大事だったのかもしれませんね。

それで今こまってる。

この稿続く。


ただ、学ぶ以外のことを覚えさせたいと思っているので、答えを教えないで思考を誘発するようにしています。

2017年10月18日 15時53分32秒 | 日記

以下は前章の続きである。

古田 

学生同士での議論にはなかなか発展しないでしょう。

日本人には無理なんじゃないかな。

ただ、学ぶ以外のことを覚えさせたいと思っているので、答えを教えないで思考を誘発するようにしています。

苦肉の策ですね。

長谷川

三十三年間大学で教えていて感じるのは、波があるんですよね。

つまり、センスの良い学生が集まる年があるんです。 

三十三年間のうち四、五回くらい「豊作」の波がありましたね。

「先生、自主ゼミをやってるんで見に来てください」と言われることもあって。

そんな時は学生全体の考える力が上がるんですよ。 

埼玉大学は偏差値だけ見れば筑波大学よりは下に位置付けられていますが、哲学科の学生は素直で優秀な子が多かったですよ。

古田

考えることと知識は別ですね。

筑波大学の学生は受験で鍛えられているので知識を蓄えることは得意なんですが、自分で物事を考えるという機会がないまま大学に入ってきた子がほとんど。

長谷川 

なるほど。

学生だけでなくて、学者の世界でも「考えること」が不足しているというのはどんな時に感じますか。

この稿続く。


大学生諸君のみならず日本国民全員が購読すべき記事である。

2017年10月18日 15時50分21秒 | 日記

以下は月刊誌WiLL今月号に掲載されている埼玉大学名誉教授長谷川三千子さんと筑波大学教授古田博司さんの、

北朝鮮危機、半島問題は性悪説で考えようと題した対談特集記事からである。

大学生諸君のみならず日本国民全員が購読すべき記事である。

見出し以外の文中強調は私。

憎悪に溢れた朝鮮半島、朝日新聞。内部崩壊は時間の問題……

「考えること」は教えられな

長谷川 

産経新聞の『正論』欄に、古田先生が「日本人は学ぶより考えよう」という論考を寄せられたのを見て今の日本の言論状況、思想状況が絶望的だという思いを滾らせていた中、「あ、これだ!」という衝撃を受けました。

それで私も「『考える』ことを取り戻すには」という題名で同欄に寄稿したわけです。 

古田先生は、本来考えることが仕事であるはずの学者の中に、「考えること」をしない人間が多いという点を指摘しておられましたね。

古田

そうなんですよね……。

大学の教員でも自ら物事を考えていない人がいます。

彼らの専門分野においてもそうだとは思いますが、授業のやり方を考えていない教員ばかりです。 

私は学生に思考力を付けてもらいたいと思っているので、授業のやり方を少し工夫しています。 

一年くらい前から、「考えること」を教えるにはどうすればいいかということを考えていました。

最近分かったのは、「考えること」は教えることができないということ。

結局自分で考えるしかないんですよ。

だから授業では思考を誘発することを心掛けることにしました。 大学のゼミでは、あえて学生に無茶な問題を出すんです。

例えば、「記憶と記録はどう違うか」とか、「古代エジプトに歴史書が一冊もないのはなぜか」とか、「能と歌舞伎の間に連続性はあるか」とか、私も答えを知らないような問題。 

思考を誘発するには、知識では解けないような無茶な問題を出せばいいんです(笑)。

最初は不思議そうにしていた学生も、徐々に色んなことを言うようになる。

長谷川 

面白い試みですね。

哲学のゼミは、まさにその「思考の誘発」が主目的ですから、私もいろいろ工夫しました。

理想を言えば、学生の間でやり取りが始まることだと思っているのですが、そう簡単にはいかないですね。 

うまくいくのは、一学期に十五回授業があって、そのうち二、三回くらいでしょうか。

この稿続く。


Même s'il dit avoir droit au retrait du FMI, la réalité n'est que la facture d'un jouet

2017年10月18日 13時10分46秒 | 日記

Ce qui suit est dans la célèbre chronique sérialisée sur la dernière étape du Weekly Shincho de Masayuki Takayama, le seul et unique journaliste du monde de l'après-guerre.

L'emphase dans les phrases autres que les titres, c'est moi.

Femme et Révolution

Le directeur du bureau de Beijing de l'Asahi Shimbun a encerclé une femme en achetant un appartement à Dalian.

En ce qui concerne le gouvernement du gouvernement de Pékin, il semble que vous puissiez le faire.

J'entends que les journalistes du Sankei Shimbun qui ne sont pas tellement difficiles à vivre.

Il est récemment revenu de Pékin, Yaita Akio, le journaliste écrivait quelque part qu'il ne pouvait pas retirer de l'argent déposé à la banque locale.

Dépôt est juste un million de yens dans un excédent de salaire et de bonus pour 8 ans.

Bien qu'il soit bon de se retirer avec le yuan, mais ce n'est pas bon dans le yen japonais des devises étrangères.

A vrai dire, la Chine n'a pas de réserves de change dominantes.

La moitié des réserves de change ont été apportées à l'étranger par Wen Jiabao et des hauts fonctionnaires.

Le reste ne peut pas le perdre parce qu'il achète et soutient le faible renminbi sur le marché des changes.

On dit donc qu'il n'y a pas de raison de mettre au moins une monnaie étrangère à la moindre somme d'argent.

En outre, un milliard d'unités et de milliards d'unités d'argent gagnées par Toyota et Panasonic en Chine ne peuvent être libérées en devises étrangères.

On dit que c'est le fait de le laisser là.

Même s'il dit avoir droit au retrait du FMI, la réalité n'est que la facture d'un jouet.

J'ai rencontré un propriétaire d'une petite entreprise appelée "I, une nouvelle usine a été mise" à un tel Chinois.

Même si vous gagnez, vous ne pouvez pas sortir de Chine.

J'étais coincé dans les mots quant à ce que je pourrais dire aux Japonais qui travaillent dur dans un tel endroit.

Ce projet continue.


Incluso si dice que tiene derecho

2017年10月18日 13時10分06秒 | 日記

Lo siguiente está en la famosa columna serializada en la etapa final del Weekly Shincho por Masayuki Takayama, el único periodista en el mundo de posguerra.

Énfasis en las oraciones que no sean títulos soy yo.

Mujer y revolución

El director de la oficina de Beijing, Asahi Shimbun, rodeaba a una mujer al comprar un apartamento en Dalian.

Cuando se trata del favorito del gobierno de Beijing, parece que puedes hacerlo.

Escucho que los reporteros del Sankei Shimbun que no son tanto son difíciles de vivir.

Recientemente regresó de Beijing, Yaita Akio, el reportero estaba escribiendo en alguna parte que no podía retirar dinero depositado en el banco local.

El depósito es de solo un millón de yenes en un excedente de sueldo y bonificación por 8 años.

Aunque es bueno retirarse con el yuan, pero no es bueno en el yen japonés de moneda extranjera.

A decir verdad, China no tiene reservas dominantes de divisas.

La mitad de las reservas de divisas fueron llevadas al extranjero por Wen Jiabao y altos funcionarios.

El resto no puede desperdiciarlo porque compra y apoya al débil renminbi en el mercado cambiario.

Por lo tanto, se dice que no hay razón para apagar al menos la moneda extranjera a cualquier pequeña suma de dinero.

Además, mil millones de unidades y trillones de unidades de dinero que Toyota y Panasonic ganaron en China no pueden sacarse en divisas.

Se dice que es el hecho de dejarlo allí.

Incluso si dice tener derecho de retiro del FMI, la realidad es solo una cuenta de juguetes.

Conocí a un propietario de un pequeño negocio llamado "Yo, una nueva fábrica fue apagada" para un chino así.

Incluso si gana, no puede salir de China.

Me quedé atrapado en las palabras sobre lo que podría decirle a los japoneses que trabajan duro en un lugar así.

Este borrador continúa.


Selbst wenn es heißt, ein Widerrufsrecht

2017年10月18日 13時09分04秒 | 日記

Das folgende ist in der berühmten Kolumne, die in der letzten Phase des Weekly Shincho von Masayuki Takayama, dem einzigen Journalisten der Nachkriegszeit, serialisiert wurde.

Hervorhebung in anderen Sätzen als Titeln ist ich.

Frau und Revolution

Peking Bureau Direktor der Asahi Shimbun umgeben eine Frau durch den Kauf einer Wohnung in Dalian.

Wenn es um den Liebling der Regierung in Peking geht, scheint es, dass Sie das tun können.

Ich höre, dass Reporter der Sankei Shimbun, die nicht so viel sind, schwer zu leben sind.

Er kam kürzlich aus Peking zurück, Yaita Akio, der Reporter schrieb irgendwo, dass er bei der örtlichen Bank hinterlegtes Geld nicht abheben konnte.

Die Einzahlung beträgt nur eine Million Yen in einem Überschuss von Gehalt und Bonus für 8 Jahre.

Obwohl es gut ist, mit dem Yuan zurückzuziehen, aber es ist nicht gut im japanischen Yen der ausländischen Währung.

Um ehrlich zu sein, China hat keine dominanten Devisenreserven.

Die Hälfte der Devisenreserven wurden von Wen Jiabao und leitenden Beamten nach Übersee gebracht.

Der Rest kann es nicht verschwenden, weil es den schwachen Renminbi am Devisenmarkt kauft und unterstützt.

So heißt es, dass es keinen Grund gibt, Fremdwährungen zumindest mit geringem Geldbetrag zu lockern.

Außerdem können Milliarden Einheiten und Billionen von Geldeinheiten, die Toyota und Panasonic in China verdient haben, nicht in Fremdwährungen gebracht werden.

Es wird gesagt, dass es die Tatsache ist, dass es dort liegen bleibt.

Selbst wenn es heißt, ein Widerrufsrecht des IWF zu haben, ist die Realität nur eine Rechnung eines Spielzeugs.

Ich traf einen Besitzer eines kleinen Unternehmens namens "Ich, eine neue Fabrik wurde" für einen solchen Chinesen ausgeliefert.

Selbst wenn Sie verdienen, können Sie nicht aus China herauskommen.

Ich steckte in Worten fest, was ich den Japanern sagen könnte, die an einem solchen Ort hart arbeiten.

Dieser Entwurf geht weiter.