文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

Glenn Gould plays Bach - The Goldberg Variations, BMV 998 (Zenph re-performance)

2017年10月05日 22時51分08秒 | 日記

Glenn Gould plays Bach - The Goldberg Variations, BMV 998 (Zenph re-performance)

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Bach - Goldberg Variations: Aria (Glenn Gould)

2017年10月05日 22時50分02秒 | 日記

Bach - Goldberg Variations: Aria (Glenn Gould)

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Glenn Gould - Fugue in E Major from The Well Tempered Clavier Book 2 - BWV 878

2017年10月05日 22時48分40秒 | 日記

Glenn Gould - Fugue in E Major from The Well Tempered Clavier Book 2 - BWV 878

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The madness of genius Glenn Gould (3)

2017年10月05日 22時47分05秒 | 日記

The madness of genius Glenn Gould (3)

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Glenn Gould Hereafter FULL DOCUMENTARY

2017年10月05日 22時43分39秒 | 日記

Glenn Gould Hereafter FULL DOCUMENTARY

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Glenn Gould talks about J S Bach

2017年10月05日 22時42分08秒 | 日記

Glenn Gould talks about J S Bach

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Art of Piano -- Glenn Gould

2017年10月05日 22時39分38秒 | 日記

Art of Piano -- Glenn Gould

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At Home with Glenn Gould (1959) 1/9

2017年10月05日 22時37分12秒 | 日記

At Home with Glenn Gould (1959) 1/9

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Glenn Gould-Beethoven-32 Variations in C minor (HD)

2017年10月05日 22時34分04秒 | 日記

Glenn Gould-Beethoven-32 Variations in C minor (HD)

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Bob Dylan - Forever Young (Full Version) (Lyrics & Traducción al español) (English - Español)

2017年10月05日 22時28分26秒 | 日記

Bob Dylan - Forever Young (Full Version) (Lyrics & Traducción al español) (English - Español)

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BOB DYLAN I WANT YOU ESPAÑOL/INGLES VERSION RARE (10-11-1981 LIVE)

2017年10月05日 22時26分01秒 | 日記

BOB DYLAN I WANT YOU ESPAÑOL/INGLES VERSION RARE (10-11-1981 LIVE)

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岸井氏の他者に不寛容で独善的なコメントを聞き、私の講義を受講した学生が不思議な感想を書いていたことを思い出した。

2017年10月05日 14時46分02秒 | 日記

以下は前章の続きである。

岸井氏の他者に不寛容で独善的なコメントを聞き、私の講義を受講した学生が不思議な感想を書いていたことを思い出した。

「自分は集団的自衛権の行使容認を支持していたのですが、テレビを見ていると、自分のような意見が存在しなくて、僕はおかしい人で、政治的な発言はしてはいけない人間なんだと思い込んでいました。でも、多様性を擁護せよという先生の主張を聞き、自分も意見を言ってもいいのだと思いました」 

確かに、岸井氏のように、安保法案に反対することがマスメディアの使命であるかのように語られたら、賛成している自分がおかしな人間に思えてくるだろう。

昨今、テレビでも新聞でも、「ネット右翼」、「ネトウヨ」との侮蔑表現が多用されている。

私自身も「ネット右翼」と中傷されるが、まことに馬鹿馬鹿しいことだと思っている。

確かにネット空間の中には極端な意見、恐るべき人種差別的表現が使われているし、この人々を擁護するつもりも毛頭ない。

ただ、「ネトウヨ」と侮蔑されている人々の多くはテレビに抗い自分自身の意見を持とうとしている。

テレビの情報を鵜呑みにする「テレビ左翼」「テレサヨ」が、それを「ネトウヨ」と中傷するのは滑稽だ。

自分自身は中道だと認識しながら、テレビの左翼に使嗾され、愚かで滑稽な発言を繰り返す「テレビ左翼」「テレサヨ」は、まるで魯迅の描いた阿Qを思わせる。 

 

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単に安保法案を通そうということが「権力の暴走」だというのだ。 

2017年10月05日 14時44分19秒 | 日記

以下は前章の続きである。

自分たちだけが正義

そして、ここでも岸井氏の断定が凄まじい。

少し長いが引用する。 

「先ほどVTRの最後のキング牧師の『沈黙は罪だ』 つてあの言葉は非常に重いと思うんですね。今回の問題は民意とはなにかで、そしてその民意は国政に反映されているかどうか。その乖離っていうか、そのずれを皆敏感に感じていると思うんですよね。だからそういう中で私は改めてメディアの責任って今正念場だなって。この安保法制は中身もそうですけど、強引なやりかたもそうですが、紛れもなく権力の暴走なんですよ。これをどうやって止めるかが一番大事な問題でメディアの非常に大きな使命でもあると思っているんですよね。これはもうね、戦前の正に反省なんですよ。その教訓をどう生かすかなんですよ。あの無謀な戦争を止められなかった。沈黙して。あるいは場合によっては煽っちゃった。そういう責任があると思いますね」 

戦前のマスメディアが酷かったという批判に関しては同意するが、その発言はあまりに極端だ。

単に安保法案を通そうということが「権力の暴走」だというのだ。 

ここで用いられているのは、自分たちだけが正義であり、自分たちに逆らうものはすべて悪であるという単純な二分法である。

これは極めて危険だ。

古今東西の恐怖政治の本質は、この単純なる善悪の二元論にある。

如何なる意見であれ、完璧な正しき意見とは断定できないし、その逆も然りである。

どこかに相手を許容する余裕がなければ、人々は極めて敵対者に残酷になる。

この稿続く。

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事実、安保法案は可決され、新しい安全保障体制に移行したが、日本ではテロなど起きていないし、人々の生活が「根底から覆される」こともな

2017年10月05日 14時42分09秒 | 日記

以下は前章の続きである。 

こうした番組を見ていたら、安保法案が恐ろしい法案に思えてくるのも、安倍政権に憎悪の念が湧き上がってくるのもやむを得ないが、本当は、それはあまりに極端な見解に過ぎないのだ。

事実、安保法案は可決され、新しい安全保障体制に移行したが、日本ではテロなど起きていないし、人々の生活が「根底から覆される」こともなかった。

むしろ、人々の生活を根底から覆そうとするのは、北朝鮮のミサイルであり、こうした独裁国家の暴挙に如何に対峙するかが重要な問題となっている。

この稿続く。

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テレビ番組を見ていて、極めて問題だと感じたのが、テロップの使い方だ。

2017年10月05日 14時37分16秒 | 日記

以下は前章の続きである。

テロップで印象を変える 

テレビ番組を見ていて、極めて問題だと感じたのが、テロップの使い方だ。

平成2796日の「サンデーモーニング」の「風をよむ」とのコーナーでは『声を上げはしめた人々』と題して、安保法案に反対した人々の特集が組まれていたが、この際、政治学者の五野井郁夫氏が次のような発言をする。 

「安保法案というものに対して人々が感じている危機感に他ならないわけです。安保法案というものがいま通ってしまったら自分たちの生活が根底から覆されてしまうんじゃないだろうか。これから日本の形がどんどん変わっていってしまう。テロも起きてしまうかもしれないし。そういった感情っていうものがですね、沸々と湧き上がってきて危機感を感じている人が非常に多いと思うんですね。皮膚感覚っていうものが人々を突き動かしている。だからこそやむにやまれず、今人々が参加している」 

五野井氏が語る際にテロップが流れるのだが、このテロップが凄まじい。

例えば、「生活が根底から覆されてしまう」「日本の形がどんどん変わっていってしまう」「テロも起きてしまう」。

五野井氏もさすがに安保法案が通って「生活が根底から覆されてしまう」「テロも起きてしまう」と断言は出来ず、「だろうか」「かもしれない」といった表現で胡麻化しているのだが、テロップは断定調なのだ。

そして、この断定調のテロップが、「テロも起きてしまう」と大衆を思い込ませる役割を果たすのである。

冷静に分析すれば、安保法案とテロとは無関係のはずなのに、あたかも関係があるかのように思わせる。 

この稿続く。

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