以下は、私が中国を批判する理由、産経新聞外信部次長矢板明夫…中国に生まれ育った産経新聞“名物”記者が、記者半生を振り返る。3、中国当局の取材監視を出し抜け!と題して月刊誌正論今月号に掲載された労作からである。
中国はいうまでもなく共産党による一党独裁国家です
これは権力にとってメディアは敵だということを意味します。
国内の“官製メディア‘は政府の宣伝しかやりませんから、彼らが敵だというわけでは決してありませんが、中国で、広告を自社で取って取材した記事を掲載する業態の都市報―日本の新聞に近いです―などは正に国家の敵と位置づけられる場合があります。
取材しようにも記者は嫌われていますし、正攻法の取材で情報を得るのは難しい。
まして私たちのような海外メディアなど論外で外国人記者などは基本スパイ同然に見られてしまいます。
以前、私は中国の田舎の地方都市を取材する機会がありました。
役場の町長室を訪ねると、部屋には貼り紙があって「防火、防盗、防記者」と掲げられていました。
「火の用心」と「盗み」はわかりますが、それと記者は同列視されている。
そんなスローガンが役場に掲げられているのです。
記者の取材を災禍と捉えるような認識が基本的に社会に浸透しているのですから、取材はとにかく大変です。
そこで普段の取材や情報収集でまず私が重視したのは食事会でした。
中国人は食事会がとても大好きです。
メインテーブルに偉いゲストが招かれ、ゲストを囲む宴が盛んに行われます。
ただ、こうした宴では囲む側に誰が来ようが、あまり気にしません。名刺を交換する習慣もほとんどありません。
私は食事会に連れていってくれる人をたくさん増やすことに努めました。
その人が「友達を一人連れて来てもいいですか?」となって「いいよ」となれば、私も参加できるわけです。
メインゲストが毛沢東の孫だったりしたこともありました。
とても有り難いのは、主役以外に誰が来ているのか、あまり皆さん、関心を持っていませんから、宴が始まると誰かが「あの件はどうなんですか?」などと質問し、それに主役が答え、それを一生懸命聞いて覚えるといった時間を過ごせます。
食事会に積極的に参加するようにしたおかげで薄煕来失脚などのスクープの端緒を得たりもしました。
地方都市に突然、行って取材する場合も苦労の連続でした。
情報収集に役立ったのは床屋と宝くじ売り場でした。
中国では日本と違って役所や警察に詰めていれば、情報が出てくる仕組みなどまずありません。
地道に情報を集めるしかないのです。
レストランなどでは一言二言会話はできても長くは続かない。
ところが不特定多数の人間が和やかに談笑できる宝くじ売り場なら情報も集まる魅力的な場となりますし、床屋だったら、座ってしまえばレストランと違って私と話すしかない状況ができます。
私か質問攻めにしても答えるしかないわけで、そこで一時間ぐらいいろんな話ができるわけです。
情報通やおしゃべりな人もいます。
床屋が地域の情報の収集基地だったりするわけです。
そうした店を見極めたうえで「髪を切ってくれ」と店に飛び込むわけです。
以前、北朝鮮産のマツタケが中国産に偽装されている、といった特ダネも実は床屋で得た情報がなければ、手を染めた中国の業者を割り出すことなどできませんでした。
何をしようにも当局に筒抜け
中国の取材で何より大変なことは取材に中国の当局側の監視がついてくることでした。
内モンゴル自治区で、少数民族のモンゴル民族による暴動が起きたさいも私か現地に出向くと、外事弁公室と地元の国家安全局の当局者が監視役として待っていました。
どうして私の動きがわかるのか、といえば、飛行機も電車の切符も、中国では全部実名を明かして買うからです。
切符を購入した時点で私の名前はもちろん、行き先や到着時刻まですべて警察に伝わる仕組みになっているのです。
高速道路も同じです。
中国では携帯電話が完全に盗聴され、私がどこにいるか、という情報も常時簡単に把握されています。
チベット取材ではこんなことがありました。
チベット仏教の寺院で、中国当局の弾圧に抗議した僧侶が焼身自殺を図ったというので、私はホテルを出て、タクシーをチャーターし運転手には最終目的地を言わずに「高速に乗ってくれ」とだけ告げ、車を走らせました。
ところがインターチェンジを降りたところにはパトカーが約十台待ち構えている。
「これ以上は立ち入り禁止だ」とブロックされて事情聴取をみっちり受け、元のホテルへと送り帰されました。
これなど携帯電話で私がどこに行こうとしているか、当局が把握しているからだと考えざるをえません。
携帯電話もメールも気をつけて
「矢板さん、わかっていると思うけれど、当局側は貴方が持っている携帯電話と同じものを持っていると考えたほうがいいですよ」
中国人からこのような注意を受けたことは一度や二度ではありません。
そう考えて身を処したほうがいいよというわけです。
携帯電話による会話は当局に筒抜けで、私がメールを書けば、その内容と同じ画面を当局が見ているし、私が動けば、その動きを当局はつかんでいる。
私が携帯電話で写真を保存すれば、当局側も同じ写真を保存しているし、インターネットでどんな画面を見たか、もすべて当局側は把握しているという意味です。
恐ろしい監視社会ですが、中国にいる以上、そのくらいは当然のこととして覚悟しなければならない、気を付けなければいけないよ、という忠告でした。
この稿続く。