2016-04-29に発信した章を再掲載し、再英訳する。
以下は前章の続きである。
東ティモールは中立国ポルトガルの植民地で住民と日本軍とのトラブルは皆無だったが、ここで日本軍が島民を掠奪し五万人を殺したと早大教授後藤乾一が朝日新聞に書いた。
朝日は日本の悪口ならどんな嘘でも歓迎した。
この話は米タイム誌の年鑑『TimeAlmanac2006』に「日本軍の占領期間に五万人の島民が死んだ」と転載された。日本はやっぱり残虐だったと。
しかし島民はポルトガルの圧政下でふんどし一丁の暮らしをしていた。
鋸も鎌も反抗の武器になるからと所持も禁止されていた。
日本軍が彼らから掠奪するとしていったい何を奪ったというのか。
この話は後藤乾一がオーストラリア人外交官ジェームス・ダンに「戦後、島民の人口が減っている」といわれ、それで創作したことがやがて判明する。
しかし宗主国のポルトガルですら人口調査をやっていない。いい加減な豪外交官の言葉に何の根拠もない。
むしろ日本人と島民は友好的で、侵入してくる豪軍間諜を日本軍と島民が「協力して捕え、彼らの暗号を使って偽情報を出し続けた」(兵卒として進駐していた山下信二元昭和女子大教授)という証言すらある。
日本の悪口なら何でも大歓迎の『タイム』誌もさすがに後藤論文が全くの虚構と知って2007年版ではボツにしている。
『ニューヨークータイムズ』は「東南アジアで日本軍は残虐な行為をした」と半世紀、日本の枕詞にしてきたと前に述べた。
ただ枕詞に使うだけで具体的な実例はない。
結局、朝日新聞記者や朝日のお雇い学者がそれらしい話を捏造するのを待って、それを米国側が利用してきたという構図が浮き出てくる。
なぜそこまでして「殺戮と掠奪と強姦をほしいままにする」支那人みたいな日本人像を描きたがるのか。
この稿続く。