文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

Introduction - The crisis of the ‘defeat revolution’ that hit Japan after the defeat

2018年10月20日 20時39分36秒 | 日記

The following is from the latest publication of Mr. Ezaki Michio who graduated from Kyushu University and became a media figure, continuing research and verification to be done as a media figure and continuing to write real exertions.

All those who are willing to enroll at Kyushu University, active members, all graduates heading for the nearest bookstore right now, it is a genuine book to subscribe.

The occupation of Japan and the crisis of the ‘defeat revolution’

Introduction - The crisis of the ‘defeat revolution’ that hit Japan after the defeat

War is terrifying.

The same horrible thing as this war is communism.

And the threat of communism has not ended.

It is the recognition of President Donald Tramp in the United States that it is a progressive ‘threat’.

The Japanese press brushed aside, President Trump said on November 7, 2017, when he visited Korea, this day as ‘National Day for The Victims of Communism’ he issued the following statement.

Today, the National Day for The Victims of Communism, marks 100years since the Bolshevik Revolution took place in Russia. The Bolshevik Revolution gave rise to the Soviet Union and its dark decades of oppressive communism, a political philosophy incompatible with liberty, prosperity, and the dignity of human life.

Over the past century, communist totalitarian regimes around the world have killed more than 100 million people and subjected countless more to exploitation, violence and untold devastation.

These movements, under the false pretense of liberation, systematically robbed innocent people of their God-given rights of free worship, freedom of association, and countless other rights we hold sacrosanct. Citizens yearning for freedom were subjugated by the state through the use of coercion, violence, and fear. 

Today, we remember those who have died and all who continue to suffer under communism. In their memory and in honor of the indomitable spirit of those who have fought courageously to spread freedom and opportunity around the world, our Nation reaffirms its steadfast resolve to shine the light of liberty for all who yearn for a brighter, freer future.

This draft continues.


東西冷戦という共産主義の脅威との戦いは、ヨーロッパでは終結したかもしれないが、アジアでは未だに続いている。

2018年10月20日 19時35分59秒 | 日記

以下は前章の続きである。

ソ連・コミンテルンは、日米戦争に追い込んだ日本に対して敗戦革命を引き起こすつもりであったし、その準備を周到に進めていた。 

その準備は、どこで誰の手によってされていたのか。

ソ連を司令塔に仰ぎながら、アメリカと中国の二ヵ所で、日本の敗戦革命の計画立案と「革命の担い手」の養成が行なわれていたのである。

日本は敗戦後、アメリカを中心とするGHQによって憲法改正を含む全面的な占領改革を強制された。

その対日占領政策の形成過程についての研究は1980年代から急速に進んできた。

その研究を全面的にひっくり返す事件が1995年に起こった。

第二次世界大戦前から戦中にかけて在米のソ連スパイとソ連本国との秘密通信を傍受し、それを解読した機密文書、通称「ヴェノナ文書」が公開されたのだ。

1989年、東西冷戦のシンボルともいうべきドイツのベルリンの壁が崩壊し、東欧諸国は次々と共産主義国から自由主義国へと変わった。

ソ連も1991年に崩壊し、共産主義体制を放棄し、ロシアとなった。 

このソ連の崩壊に呼応するかのように、世界各国が第二次世界大戦当時の、いわゆる外交、特に秘密活動に関する「機密文書」を情報公開するようになったのだ。

「ヴェノナ文書」が公開されたのも、その一つであった。

この「ヴェノナ文書」の公開によって、アメリカのルーズヴェルト民主党政権内部に、ソ連・コミンテルンのスパイ、工作員たちが多数潜り込み、アメリカの対外政策に大きな影響を与えていたことが明らかになった。

これまでは「戦勝国のアメリカが、日本の民主化のために対日占領政策を立案した」といわれてきたが、ヴェノナ文書の公開とその研究の結果、「ルーズヴェルト民主党政権に潜り込んだコミンテルンの工作員たちが対日『敗戦革命』計画を立案していた」側面が明らかになりつつあるのだ。 

しかも、この対日「敗戦革命」計画に多大な影響を与えていたのが、第二次世界大戦中、延安を本拠地にしていた中国共産党と野坂参三であった。

本書では、中国共産党の対日心理戦争が現在に至る日中関係をいかに歪めてきたのか、ということについても触れている。

このようにしてアメリカと中国で対日「敗戦革命」の準備が周到に進められていたのに対して、日本政府と軍幹部は「右翼全体主義者」たちによって主導され、「国体護持」の名のもと、反米親ソ政策を推進し、進んでソ連の影響下に入ろうとしていた。

日本が終戦に際してこだわったのが「国体護持」であった。

驚くべきことに、彼ら「右翼全体主義者」にとって「国体護持」とは、「天皇制」のもとで、ソ連と友好関係を結ぶ社会主義政権を樹立することも許容範囲であったのだ。

それは、ソ連や中国共産党の「同盟国」になることを意味した(この恐るべき倒錯についても、本書で詳述する)。

一方、後に総理大臣となった吉田茂や重光葵ら「保守自由主義者」たちにとって「国体護持」とは、明治維新以来の国是である自由主義と立憲君主制を守ることであり、ソ連・コミンテルンの「敗戦革命」工作を阻止することであった。

それは、アメリカが主導する自由主義陣営に入ることであった。

要は「国体護持」の意味が、「右翼全体主義者」と「保守自由主義者」とでは、まったく異なっていたのである

だが、その違いを明確に理解している人が少なかったことが、終戦交渉をいたずらに混乱させることになった(残念ながら、今もこの違いを明確に理解している人は少ない)。

日本にとって幸いであったことは、昭和天皇がこの二つの違いを明確に理解されていたことであった。

昭和天皇は、保守自由主義者の主張する「国体護持」に賛同され、敗戦を決断された。

この決断によって日本は、ソ連が主導する共産主義陣営ではなく、アメリカが主導する白由主義陣営に属することができたのだ。

もし昭和天皇が終戦に際してソ連との連携の道を模索されていたならば、日本は間違いなく、北朝鮮と同じ道を歩むことになったであろう。

昭和天皇と保守自由主義者たちの奮闘によって、かろうじて「ポツダム宣言」受諾による終戦にこぎつけたものの、それで諦めるようなソ連・コミンテルンではなかった。

敗戦後、GHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちは日本で敗戦革命を引き起こすべく、日本の政治体制を弱体化するだけでなく、デフレ政策と生産能力の低下を強制することで意図的に経済的困窮へと日本国民を追い込み、社会不安を煽ったのだ。

敗戦後の窮乏、食糧危機は空襲によって生産施設が破壊されたからだと思っている人が多いが、実際は、日本は意図的に食糧危機に追い込まれていた。

しかも、こうした食糧危機を背景にGHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちが、中国から帰国した野坂参三らと連携して、敗戦革命工作を推進した。

この工作に呼応して「左翼全体主義者」たちも、労働組合を相次いで結成し、大規模な反政府グループを組織していく。

何しろ、戦勝国のソ連とGHQが、日本共産党を支援していた時代なのだ。

対する日本は、軍もまともな警察も、テロや内乱に対応する法律もなかった。

マスコミはGHQの検閲によって言論の自由を奪われ、有能な人材の多くは、公職を追放され、政治活動を禁じられていた。

まさに、敗戦直後の日本こそ最大の危機だった

このままだと、ゼネストから人民戦線内閣樹立、そして敗戦革命へと一気に事態は展開する可能性もあったが、こうした動きを「インテリジェンス」と「経済」の二つの分野で阻止しようとしたのが昭和天皇であり、吉田茂首相や石橋湛山蔵相ら保守自由主義者であった。 

敗戦後の日本は「軍事」と「外交」という二つの手段を奪われたが、「経済」と「インテリジェンス」を駆使して「敗戦革命」をなんとか阻止したといえる。

戦争に負けたら自動的に平和が訪れるというものではない。

「軍事」で敗北し、「外交」権限を奪われたとしても、「インテリジェンス」と「経済」の戦いは続くのだが、それを自覚している人は、当時の日本においても決して多くなかった。

むしろ時流に乗って戦時中に「徹底抗戦」を叫んだ政治家、軍人、高級官僚らエリートたちは未曾有の敗戦に直面したとき、うろたえ、逃げ回っただけでなく、その多くがGHQに迎合した。

もちろん、戦前のエリートたちがダメだったと非難したいのではない。

過去を糾弾することが本書の目的ではない。

近い将来、日本が戦争や内乱を仕掛けられるかもしれないと想定し、「外交」、「軍事」、「インテリジェンス」、「経済」などの分野で危機に対応できるよう法律、政治体制、予算、そして人材を整えるようにしておこうといっているのだ。

東西冷戦という共産主義の脅威との戦いは、ヨーロッパでは終結したかもしれないが、アジアでは未だに続いている。

本書を執筆している問も、中国は尖間諸島を含む南所諸島に車艦と戦闘機を派遣して地元住民の安全を脅かし、日本の土地と民間企業を買いまくっている。

北朝鮮も国際社会の非難を無視して、日本を射程に入れたミサイルと核開発を続けている。

アメリカのトランプ共和党政権は、北朝鮮の核開発を阻止し、中国の軍事的台頭を抑止しようとしているが、アメリカも一枚岩ではない。

アメリカには、中国共産党政府との友好を重視する政治家や官僚も多数存在するし、北朝鮮の核開発を阻止できるかどうかも不明だ。 戦争、占領、そして敗戦革命の危機が再び日本を襲わないと誰が保証できよう。

来るべき危機に備えるためにも、先人たちはどのように奮闘したのか、その苦闘の歴史を一人でも多くの人に知ってほしいと願っている。

なお、本文中での参考文献引用にあたって、旧字旧かな遣いを新字新かな遣いに改め、一部漢字をかなに置換するなど表記変更を行なった。適宜改行も施している。

本書の場合、戦前・戦中・戦後、実際にとのようなことが書かれ、論じられていたのかを知ることが最優先であるとの判断に基づき、現代の読者に読みやすくなるよう配慮したものである。

ご了解賜りたい。

本書の上梓にあたって、川上達史さん(PHP研究所)と山内智恵子さんには、一方ならぬご支援をいただいた。

特に山内さんには、「ヴェノナ文書」の研究をけじめとするアメリカの最新歴史研究に関する多くの著作や論文を邦訳していただいたおかけで、本書でもアメリカの最新の研究成果を紹介することができた。

最後に、中西輝政先生には、前著に引き続き、推薦の言葉をお寄せいただいた。

30年以上も前から「インテリジェンス・ヒストリー(情報史学)」という新たな学問を日本に構築しようと奮闘してこられた中西先生に、心からの敬意を表するとともに、この場をお借りして御礼を申しあげたい。

平成30年7月吉日                                   

江崎道朗


何しろ、戦勝国のソ連とGHQが、日本共産党を支援していた時代なのだ。対する日本は、軍もまともな警察も、テロや内乱に対応する法律もなかった

2018年10月20日 19時33分47秒 | 日記

以下は前章の続きである。

ソ連・コミンテルンは、日米戦争に追い込んだ日本に対して敗戦革命を引き起こすつもりであったし、その準備を周到に進めていた。 

その準備は、どこで誰の手によってされていたのか。

ソ連を司令塔に仰ぎながら、アメリカと中国の二ヵ所で、日本の敗戦革命の計画立案と「革命の担い手」の養成が行なわれていたのである。

日本は敗戦後、アメリカを中心とするGHQによって憲法改正を含む全面的な占領改革を強制された。

その対日占領政策の形成過程についての研究は1980年代から急速に進んできた。

その研究を全面的にひっくり返す事件が1995年に起こった。

第二次世界大戦前から戦中にかけて在米のソ連スパイとソ連本国との秘密通信を傍受し、それを解読した機密文書、通称「ヴェノナ文書」が公開されたのだ。

1989年、東西冷戦のシンボルともいうべきドイツのベルリンの壁が崩壊し、東欧諸国は次々と共産主義国から自由主義国へと変わった。

ソ連も1991年に崩壊し、共産主義体制を放棄し、ロシアとなった。 

このソ連の崩壊に呼応するかのように、世界各国が第二次世界大戦当時の、いわゆる外交、特に秘密活動に関する「機密文書」を情報公開するようになったのだ。

「ヴェノナ文書」が公開されたのも、その一つであった。

この「ヴェノナ文書」の公開によって、アメリカのルーズヴェルト民主党政権内部に、ソ連・コミンテルンのスパイ、工作員たちが多数潜り込み、アメリカの対外政策に大きな影響を与えていたことが明らかになった。

これまでは「戦勝国のアメリカが、日本の民主化のために対日占領政策を立案した」といわれてきたが、ヴェノナ文書の公開とその研究の結果、「ルーズヴェルト民主党政権に潜り込んだコミンテルンの工作員たちが対日『敗戦革命』計画を立案していた」側面が明らかになりつつあるのだ。 

しかも、この対日「敗戦革命」計画に多大な影響を与えていたのが、第二次世界大戦中、延安を本拠地にしていた中国共産党と野坂参三であった。

本書では、中国共産党の対日心理戦争が現在に至る日中関係をいかに歪めてきたのか、ということについても触れている。

このようにしてアメリカと中国で対日「敗戦革命」の準備が周到に進められていたのに対して、日本政府と軍幹部は「右翼全体主義者」たちによって主導され、「国体護持」の名のもと、反米親ソ政策を推進し、進んでソ連の影響下に入ろうとしていた。

日本が終戦に際してこだわったのが「国体護持」であった。

驚くべきことに、彼ら「右翼全体主義者」にとって「国体護持」とは、「天皇制」のもとで、ソ連と友好関係を結ぶ社会主義政権を樹立することも許容範囲であったのだ。

それは、ソ連や中国共産党の「同盟国」になることを意味した(この恐るべき倒錯についても、本書で詳述する)。

一方、後に総理大臣となった吉田茂や重光葵ら「保守自由主義者」たちにとって「国体護持」とは、明治維新以来の国是である自由主義と立憲君主制を守ることであり、ソ連・コミンテルンの「敗戦革命」工作を阻止することであった。

それは、アメリカが主導する自由主義陣営に入ることであった。

要は「国体護持」の意味が、「右翼全体主義者」と「保守自由主義者」とでは、まったく異なっていたのである

だが、その違いを明確に理解している人が少なかったことが、終戦交渉をいたずらに混乱させることになった(残念ながら、今もこの違いを明確に理解している人は少ない)。

日本にとって幸いであったことは、昭和天皇がこの二つの違いを明確に理解されていたことであった。

昭和天皇は、保守自由主義者の主張する「国体護持」に賛同され、敗戦を決断された。

この決断によって日本は、ソ連が主導する共産主義陣営ではなく、アメリカが主導する白由主義陣営に属することができたのだ。

もし昭和天皇が終戦に際してソ連との連携の道を模索されていたならば、日本は間違いなく、北朝鮮と同じ道を歩むことになったであろう。

昭和天皇と保守自由主義者たちの奮闘によって、かろうじて「ポツダム宣言」受諾による終戦にこぎつけたものの、それで諦めるようなソ連・コミンテルンではなかった。

敗戦後、GHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちは日本で敗戦革命を引き起こすべく、日本の政治体制を弱体化するだけでなく、デフレ政策と生産能力の低下を強制することで意図的に経済的困窮へと日本国民を追い込み、社会不安を煽ったのだ。

敗戦後の窮乏、食糧危機は空襲によって生産施設が破壊されたからだと思っている人が多いが、実際は、日本は意図的に食糧危機に追い込まれていた。

しかも、こうした食糧危機を背景にGHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちが、中国から帰国した野坂参三らと連携して、敗戦革命工作を推進した。

この工作に呼応して「左翼全体主義者」たちも、労働組合を相次いで結成し、大規模な反政府グループを組織していく。

何しろ、戦勝国のソ連とGHQが、日本共産党を支援していた時代なのだ。

対する日本は、軍もまともな警察も、テロや内乱に対応する法律もなかった。

マスコミはGHQの検閲によって言論の自由を奪われ、有能な人材の多くは、公職を追放され、政治活動を禁じられていた。

まさに、敗戦直後の日本こそ最大の危機だった

このままだと、ゼネストから人民戦線内閣樹立、そして敗戦革命へと一気に事態は展開する可能性もあったが、こうした動きを「インテリジェンス」と「経済」の二つの分野で阻止しようとしたのが昭和天皇であり、吉田茂首相や石橋湛山蔵相ら保守自由主義者であった。 

敗戦後の日本は「軍事」と「外交」という二つの手段を奪われたが、「経済」と「インテリジェンス」を駆使して「敗戦革命」をなんとか阻止したといえる。

戦争に負けたら自動的に平和が訪れるというものではない。

「軍事」で敗北し、「外交」権限を奪われたとしても、「インテリジェンス」と「経済」の戦いは続くのだが、それを自覚している人は、当時の日本においても決して多くなかった。

むしろ時流に乗って戦時中に「徹底抗戦」を叫んだ政治家、軍人、高級官僚らエリートたちは未曾有の敗戦に直面したとき、うろたえ、逃げ回っただけでなく、その多くがGHQに迎合した。

もちろん、戦前のエリートたちがダメだったと非難したいのではない。

過去を糾弾することが本書の目的ではない。

近い将来、日本が戦争や内乱を仕掛けられるかもしれないと想定し、「外交」、「軍事」、「インテリジェンス」、「経済」などの分野で危機に対応できるよう法律、政治体制、予算、そして人材を整えるようにしておこうといっているのだ。

東西冷戦という共産主義の脅威との戦いは、ヨーロッパでは終結したかもしれないが、アジアでは未だに続いている。

本書を執筆している問も、中国は尖間諸島を含む南所諸島に車艦と戦闘機を派遣して地元住民の安全を脅かし、日本の土地と民間企業を買いまくっている。

北朝鮮も国際社会の非難を無視して、日本を射程に入れたミサイルと核開発を続けている。

アメリカのトランプ共和党政権は、北朝鮮の核開発を阻止し、中国の軍事的台頭を抑止しようとしているが、アメリカも一枚岩ではない。

アメリカには、中国共産党政府との友好を重視する政治家や官僚も多数存在するし、北朝鮮の核開発を阻止できるかどうかも不明だ。 戦争、占領、そして敗戦革命の危機が再び日本を襲わないと誰が保証できよう。

来るべき危機に備えるためにも、先人たちはどのように奮闘したのか、その苦闘の歴史を一人でも多くの人に知ってほしいと願っている。

なお、本文中での参考文献引用にあたって、旧字旧かな遣いを新字新かな遣いに改め、一部漢字をかなに置換するなど表記変更を行なった。適宜改行も施している。

本書の場合、戦前・戦中・戦後、実際にとのようなことが書かれ、論じられていたのかを知ることが最優先であるとの判断に基づき、現代の読者に読みやすくなるよう配慮したものである。

ご了解賜りたい。

本書の上梓にあたって、川上達史さん(PHP研究所)と山内智恵子さんには、一方ならぬご支援をいただいた。

特に山内さんには、「ヴェノナ文書」の研究をけじめとするアメリカの最新歴史研究に関する多くの著作や論文を邦訳していただいたおかけで、本書でもアメリカの最新の研究成果を紹介することができた。

最後に、中西輝政先生には、前著に引き続き、推薦の言葉をお寄せいただいた。

30年以上も前から「インテリジェンス・ヒストリー(情報史学)」という新たな学問を日本に構築しようと奮闘してこられた中西先生に、心からの敬意を表するとともに、この場をお借りして御礼を申しあげたい。

平成30年7月吉日                                   

江崎道朗


この工作に呼応して「左翼全体主義者」たちも、労働組合を相次いで結成し、大規模な反政府グループを組織していく。

2018年10月20日 19時31分46秒 | 日記

以下は前章の続きである。

ソ連・コミンテルンは、日米戦争に追い込んだ日本に対して敗戦革命を引き起こすつもりであったし、その準備を周到に進めていた。 

その準備は、どこで誰の手によってされていたのか。

ソ連を司令塔に仰ぎながら、アメリカと中国の二ヵ所で、日本の敗戦革命の計画立案と「革命の担い手」の養成が行なわれていたのである。

日本は敗戦後、アメリカを中心とするGHQによって憲法改正を含む全面的な占領改革を強制された。

その対日占領政策の形成過程についての研究は1980年代から急速に進んできた。

その研究を全面的にひっくり返す事件が1995年に起こった。

第二次世界大戦前から戦中にかけて在米のソ連スパイとソ連本国との秘密通信を傍受し、それを解読した機密文書、通称「ヴェノナ文書」が公開されたのだ。

1989年、東西冷戦のシンボルともいうべきドイツのベルリンの壁が崩壊し、東欧諸国は次々と共産主義国から自由主義国へと変わった。

ソ連も1991年に崩壊し、共産主義体制を放棄し、ロシアとなった。 

このソ連の崩壊に呼応するかのように、世界各国が第二次世界大戦当時の、いわゆる外交、特に秘密活動に関する「機密文書」を情報公開するようになったのだ。

「ヴェノナ文書」が公開されたのも、その一つであった。

この「ヴェノナ文書」の公開によって、アメリカのルーズヴェルト民主党政権内部に、ソ連・コミンテルンのスパイ、工作員たちが多数潜り込み、アメリカの対外政策に大きな影響を与えていたことが明らかになった。

これまでは「戦勝国のアメリカが、日本の民主化のために対日占領政策を立案した」といわれてきたが、ヴェノナ文書の公開とその研究の結果、「ルーズヴェルト民主党政権に潜り込んだコミンテルンの工作員たちが対日『敗戦革命』計画を立案していた」側面が明らかになりつつあるのだ。 

しかも、この対日「敗戦革命」計画に多大な影響を与えていたのが、第二次世界大戦中、延安を本拠地にしていた中国共産党と野坂参三であった。

本書では、中国共産党の対日心理戦争が現在に至る日中関係をいかに歪めてきたのか、ということについても触れている。

このようにしてアメリカと中国で対日「敗戦革命」の準備が周到に進められていたのに対して、日本政府と軍幹部は「右翼全体主義者」たちによって主導され、「国体護持」の名のもと、反米親ソ政策を推進し、進んでソ連の影響下に入ろうとしていた。

日本が終戦に際してこだわったのが「国体護持」であった。

驚くべきことに、彼ら「右翼全体主義者」にとって「国体護持」とは、「天皇制」のもとで、ソ連と友好関係を結ぶ社会主義政権を樹立することも許容範囲であったのだ。

それは、ソ連や中国共産党の「同盟国」になることを意味した(この恐るべき倒錯についても、本書で詳述する)。

一方、後に総理大臣となった吉田茂や重光葵ら「保守自由主義者」たちにとって「国体護持」とは、明治維新以来の国是である自由主義と立憲君主制を守ることであり、ソ連・コミンテルンの「敗戦革命」工作を阻止することであった。

それは、アメリカが主導する自由主義陣営に入ることであった。

要は「国体護持」の意味が、「右翼全体主義者」と「保守自由主義者」とでは、まったく異なっていたのである

だが、その違いを明確に理解している人が少なかったことが、終戦交渉をいたずらに混乱させることになった(残念ながら、今もこの違いを明確に理解している人は少ない)。

日本にとって幸いであったことは、昭和天皇がこの二つの違いを明確に理解されていたことであった。

昭和天皇は、保守自由主義者の主張する「国体護持」に賛同され、敗戦を決断された。

この決断によって日本は、ソ連が主導する共産主義陣営ではなく、アメリカが主導する白由主義陣営に属することができたのだ。

もし昭和天皇が終戦に際してソ連との連携の道を模索されていたならば、日本は間違いなく、北朝鮮と同じ道を歩むことになったであろう。

昭和天皇と保守自由主義者たちの奮闘によって、かろうじて「ポツダム宣言」受諾による終戦にこぎつけたものの、それで諦めるようなソ連・コミンテルンではなかった。

敗戦後、GHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちは日本で敗戦革命を引き起こすべく、日本の政治体制を弱体化するだけでなく、デフレ政策と生産能力の低下を強制することで意図的に経済的困窮へと日本国民を追い込み、社会不安を煽ったのだ。

敗戦後の窮乏、食糧危機は空襲によって生産施設が破壊されたからだと思っている人が多いが、実際は、日本は意図的に食糧危機に追い込まれていた。

しかも、こうした食糧危機を背景にGHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちが、中国から帰国した野坂参三らと連携して、敗戦革命工作を推進した。

この工作に呼応して「左翼全体主義者」たちも、労働組合を相次いで結成し、大規模な反政府グループを組織していく。

何しろ、戦勝国のソ連とGHQが、日本共産党を支援していた時代なのだ。

対する日本は、軍もまともな警察も、テロや内乱に対応する法律もなかった。

マスコミはGHQの検閲によって言論の自由を奪われ、有能な人材の多くは、公職を追放され、政治活動を禁じられていた。

まさに、敗戦直後の日本こそ最大の危機だった

このままだと、ゼネストから人民戦線内閣樹立、そして敗戦革命へと一気に事態は展開する可能性もあったが、こうした動きを「インテリジェンス」と「経済」の二つの分野で阻止しようとしたのが昭和天皇であり、吉田茂首相や石橋湛山蔵相ら保守自由主義者であった。 

敗戦後の日本は「軍事」と「外交」という二つの手段を奪われたが、「経済」と「インテリジェンス」を駆使して「敗戦革命」をなんとか阻止したといえる。

戦争に負けたら自動的に平和が訪れるというものではない。

「軍事」で敗北し、「外交」権限を奪われたとしても、「インテリジェンス」と「経済」の戦いは続くのだが、それを自覚している人は、当時の日本においても決して多くなかった。

むしろ時流に乗って戦時中に「徹底抗戦」を叫んだ政治家、軍人、高級官僚らエリートたちは未曾有の敗戦に直面したとき、うろたえ、逃げ回っただけでなく、その多くがGHQに迎合した。

もちろん、戦前のエリートたちがダメだったと非難したいのではない。

過去を糾弾することが本書の目的ではない。

近い将来、日本が戦争や内乱を仕掛けられるかもしれないと想定し、「外交」、「軍事」、「インテリジェンス」、「経済」などの分野で危機に対応できるよう法律、政治体制、予算、そして人材を整えるようにしておこうといっているのだ。

東西冷戦という共産主義の脅威との戦いは、ヨーロッパでは終結したかもしれないが、アジアでは未だに続いている。

本書を執筆している問も、中国は尖間諸島を含む南所諸島に車艦と戦闘機を派遣して地元住民の安全を脅かし、日本の土地と民間企業を買いまくっている。

北朝鮮も国際社会の非難を無視して、日本を射程に入れたミサイルと核開発を続けている。

アメリカのトランプ共和党政権は、北朝鮮の核開発を阻止し、中国の軍事的台頭を抑止しようとしているが、アメリカも一枚岩ではない。

アメリカには、中国共産党政府との友好を重視する政治家や官僚も多数存在するし、北朝鮮の核開発を阻止できるかどうかも不明だ。 戦争、占領、そして敗戦革命の危機が再び日本を襲わないと誰が保証できよう。

来るべき危機に備えるためにも、先人たちはどのように奮闘したのか、その苦闘の歴史を一人でも多くの人に知ってほしいと願っている。

なお、本文中での参考文献引用にあたって、旧字旧かな遣いを新字新かな遣いに改め、一部漢字をかなに置換するなど表記変更を行なった。適宜改行も施している。

本書の場合、戦前・戦中・戦後、実際にとのようなことが書かれ、論じられていたのかを知ることが最優先であるとの判断に基づき、現代の読者に読みやすくなるよう配慮したものである。

ご了解賜りたい。

本書の上梓にあたって、川上達史さん(PHP研究所)と山内智恵子さんには、一方ならぬご支援をいただいた。

特に山内さんには、「ヴェノナ文書」の研究をけじめとするアメリカの最新歴史研究に関する多くの著作や論文を邦訳していただいたおかけで、本書でもアメリカの最新の研究成果を紹介することができた。

最後に、中西輝政先生には、前著に引き続き、推薦の言葉をお寄せいただいた。

30年以上も前から「インテリジェンス・ヒストリー(情報史学)」という新たな学問を日本に構築しようと奮闘してこられた中西先生に、心からの敬意を表するとともに、この場をお借りして御礼を申しあげたい。

平成30年7月吉日                                   

江崎道朗


こうした食糧危機を背景にGHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちが、中国から帰国した野坂参三らと連携して、敗戦革命工作を推進した

2018年10月20日 19時30分00秒 | 日記

以下は前章の続きである。

ソ連・コミンテルンは、日米戦争に追い込んだ日本に対して敗戦革命を引き起こすつもりであったし、その準備を周到に進めていた。 

その準備は、どこで誰の手によってされていたのか。

ソ連を司令塔に仰ぎながら、アメリカと中国の二ヵ所で、日本の敗戦革命の計画立案と「革命の担い手」の養成が行なわれていたのである。

日本は敗戦後、アメリカを中心とするGHQによって憲法改正を含む全面的な占領改革を強制された。

その対日占領政策の形成過程についての研究は1980年代から急速に進んできた。

その研究を全面的にひっくり返す事件が1995年に起こった。

第二次世界大戦前から戦中にかけて在米のソ連スパイとソ連本国との秘密通信を傍受し、それを解読した機密文書、通称「ヴェノナ文書」が公開されたのだ。

1989年、東西冷戦のシンボルともいうべきドイツのベルリンの壁が崩壊し、東欧諸国は次々と共産主義国から自由主義国へと変わった。

ソ連も1991年に崩壊し、共産主義体制を放棄し、ロシアとなった。 

このソ連の崩壊に呼応するかのように、世界各国が第二次世界大戦当時の、いわゆる外交、特に秘密活動に関する「機密文書」を情報公開するようになったのだ。

「ヴェノナ文書」が公開されたのも、その一つであった。

この「ヴェノナ文書」の公開によって、アメリカのルーズヴェルト民主党政権内部に、ソ連・コミンテルンのスパイ、工作員たちが多数潜り込み、アメリカの対外政策に大きな影響を与えていたことが明らかになった。

これまでは「戦勝国のアメリカが、日本の民主化のために対日占領政策を立案した」といわれてきたが、ヴェノナ文書の公開とその研究の結果、「ルーズヴェルト民主党政権に潜り込んだコミンテルンの工作員たちが対日『敗戦革命』計画を立案していた」側面が明らかになりつつあるのだ。 

しかも、この対日「敗戦革命」計画に多大な影響を与えていたのが、第二次世界大戦中、延安を本拠地にしていた中国共産党と野坂参三であった。

本書では、中国共産党の対日心理戦争が現在に至る日中関係をいかに歪めてきたのか、ということについても触れている。

このようにしてアメリカと中国で対日「敗戦革命」の準備が周到に進められていたのに対して、日本政府と軍幹部は「右翼全体主義者」たちによって主導され、「国体護持」の名のもと、反米親ソ政策を推進し、進んでソ連の影響下に入ろうとしていた。

日本が終戦に際してこだわったのが「国体護持」であった。

驚くべきことに、彼ら「右翼全体主義者」にとって「国体護持」とは、「天皇制」のもとで、ソ連と友好関係を結ぶ社会主義政権を樹立することも許容範囲であったのだ。

それは、ソ連や中国共産党の「同盟国」になることを意味した(この恐るべき倒錯についても、本書で詳述する)。

一方、後に総理大臣となった吉田茂や重光葵ら「保守自由主義者」たちにとって「国体護持」とは、明治維新以来の国是である自由主義と立憲君主制を守ることであり、ソ連・コミンテルンの「敗戦革命」工作を阻止することであった。

それは、アメリカが主導する自由主義陣営に入ることであった。

要は「国体護持」の意味が、「右翼全体主義者」と「保守自由主義者」とでは、まったく異なっていたのである

だが、その違いを明確に理解している人が少なかったことが、終戦交渉をいたずらに混乱させることになった(残念ながら、今もこの違いを明確に理解している人は少ない)。

日本にとって幸いであったことは、昭和天皇がこの二つの違いを明確に理解されていたことであった。

昭和天皇は、保守自由主義者の主張する「国体護持」に賛同され、敗戦を決断された。

この決断によって日本は、ソ連が主導する共産主義陣営ではなく、アメリカが主導する白由主義陣営に属することができたのだ。

もし昭和天皇が終戦に際してソ連との連携の道を模索されていたならば、日本は間違いなく、北朝鮮と同じ道を歩むことになったであろう。

昭和天皇と保守自由主義者たちの奮闘によって、かろうじて「ポツダム宣言」受諾による終戦にこぎつけたものの、それで諦めるようなソ連・コミンテルンではなかった。

敗戦後、GHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちは日本で敗戦革命を引き起こすべく、日本の政治体制を弱体化するだけでなく、デフレ政策と生産能力の低下を強制することで意図的に経済的困窮へと日本国民を追い込み、社会不安を煽ったのだ。

敗戦後の窮乏、食糧危機は空襲によって生産施設が破壊されたからだと思っている人が多いが、実際は、日本は意図的に食糧危機に追い込まれていた。

しかも、こうした食糧危機を背景にGHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちが、中国から帰国した野坂参三らと連携して、敗戦革命工作を推進した。

この工作に呼応して「左翼全体主義者」たちも、労働組合を相次いで結成し、大規模な反政府グループを組織していく。

何しろ、戦勝国のソ連とGHQが、日本共産党を支援していた時代なのだ。

対する日本は、軍もまともな警察も、テロや内乱に対応する法律もなかった。

マスコミはGHQの検閲によって言論の自由を奪われ、有能な人材の多くは、公職を追放され、政治活動を禁じられていた。

まさに、敗戦直後の日本こそ最大の危機だった

このままだと、ゼネストから人民戦線内閣樹立、そして敗戦革命へと一気に事態は展開する可能性もあったが、こうした動きを「インテリジェンス」と「経済」の二つの分野で阻止しようとしたのが昭和天皇であり、吉田茂首相や石橋湛山蔵相ら保守自由主義者であった。 

敗戦後の日本は「軍事」と「外交」という二つの手段を奪われたが、「経済」と「インテリジェンス」を駆使して「敗戦革命」をなんとか阻止したといえる。

戦争に負けたら自動的に平和が訪れるというものではない。

「軍事」で敗北し、「外交」権限を奪われたとしても、「インテリジェンス」と「経済」の戦いは続くのだが、それを自覚している人は、当時の日本においても決して多くなかった。

むしろ時流に乗って戦時中に「徹底抗戦」を叫んだ政治家、軍人、高級官僚らエリートたちは未曾有の敗戦に直面したとき、うろたえ、逃げ回っただけでなく、その多くがGHQに迎合した。

もちろん、戦前のエリートたちがダメだったと非難したいのではない。

過去を糾弾することが本書の目的ではない。

近い将来、日本が戦争や内乱を仕掛けられるかもしれないと想定し、「外交」、「軍事」、「インテリジェンス」、「経済」などの分野で危機に対応できるよう法律、政治体制、予算、そして人材を整えるようにしておこうといっているのだ。

東西冷戦という共産主義の脅威との戦いは、ヨーロッパでは終結したかもしれないが、アジアでは未だに続いている。

本書を執筆している問も、中国は尖間諸島を含む南所諸島に車艦と戦闘機を派遣して地元住民の安全を脅かし、日本の土地と民間企業を買いまくっている。

北朝鮮も国際社会の非難を無視して、日本を射程に入れたミサイルと核開発を続けている。

アメリカのトランプ共和党政権は、北朝鮮の核開発を阻止し、中国の軍事的台頭を抑止しようとしているが、アメリカも一枚岩ではない。

アメリカには、中国共産党政府との友好を重視する政治家や官僚も多数存在するし、北朝鮮の核開発を阻止できるかどうかも不明だ。 戦争、占領、そして敗戦革命の危機が再び日本を襲わないと誰が保証できよう。

来るべき危機に備えるためにも、先人たちはどのように奮闘したのか、その苦闘の歴史を一人でも多くの人に知ってほしいと願っている。

なお、本文中での参考文献引用にあたって、旧字旧かな遣いを新字新かな遣いに改め、一部漢字をかなに置換するなど表記変更を行なった。適宜改行も施している。

本書の場合、戦前・戦中・戦後、実際にとのようなことが書かれ、論じられていたのかを知ることが最優先であるとの判断に基づき、現代の読者に読みやすくなるよう配慮したものである。

ご了解賜りたい。

本書の上梓にあたって、川上達史さん(PHP研究所)と山内智恵子さんには、一方ならぬご支援をいただいた。

特に山内さんには、「ヴェノナ文書」の研究をけじめとするアメリカの最新歴史研究に関する多くの著作や論文を邦訳していただいたおかけで、本書でもアメリカの最新の研究成果を紹介することができた。

最後に、中西輝政先生には、前著に引き続き、推薦の言葉をお寄せいただいた。

30年以上も前から「インテリジェンス・ヒストリー(情報史学)」という新たな学問を日本に構築しようと奮闘してこられた中西先生に、心からの敬意を表するとともに、この場をお借りして御礼を申しあげたい。

平成30年7月吉日                                   

江崎道朗


デフレ政策と生産能力の低下を強制することで意図的に経済的困窮へと日本国民を追い込み、社会不安を煽ったのだ。

2018年10月20日 19時27分44秒 | 日記

以下は前章の続きである。

ソ連・コミンテルンは、日米戦争に追い込んだ日本に対して敗戦革命を引き起こすつもりであったし、その準備を周到に進めていた。 

その準備は、どこで誰の手によってされていたのか。

ソ連を司令塔に仰ぎながら、アメリカと中国の二ヵ所で、日本の敗戦革命の計画立案と「革命の担い手」の養成が行なわれていたのである。

日本は敗戦後、アメリカを中心とするGHQによって憲法改正を含む全面的な占領改革を強制された。

その対日占領政策の形成過程についての研究は1980年代から急速に進んできた。

その研究を全面的にひっくり返す事件が1995年に起こった。

第二次世界大戦前から戦中にかけて在米のソ連スパイとソ連本国との秘密通信を傍受し、それを解読した機密文書、通称「ヴェノナ文書」が公開されたのだ。

1989年、東西冷戦のシンボルともいうべきドイツのベルリンの壁が崩壊し、東欧諸国は次々と共産主義国から自由主義国へと変わった。

ソ連も1991年に崩壊し、共産主義体制を放棄し、ロシアとなった。 

このソ連の崩壊に呼応するかのように、世界各国が第二次世界大戦当時の、いわゆる外交、特に秘密活動に関する「機密文書」を情報公開するようになったのだ。

「ヴェノナ文書」が公開されたのも、その一つであった。

この「ヴェノナ文書」の公開によって、アメリカのルーズヴェルト民主党政権内部に、ソ連・コミンテルンのスパイ、工作員たちが多数潜り込み、アメリカの対外政策に大きな影響を与えていたことが明らかになった。

これまでは「戦勝国のアメリカが、日本の民主化のために対日占領政策を立案した」といわれてきたが、ヴェノナ文書の公開とその研究の結果、「ルーズヴェルト民主党政権に潜り込んだコミンテルンの工作員たちが対日『敗戦革命』計画を立案していた」側面が明らかになりつつあるのだ。 

しかも、この対日「敗戦革命」計画に多大な影響を与えていたのが、第二次世界大戦中、延安を本拠地にしていた中国共産党と野坂参三であった。

本書では、中国共産党の対日心理戦争が現在に至る日中関係をいかに歪めてきたのか、ということについても触れている。

このようにしてアメリカと中国で対日「敗戦革命」の準備が周到に進められていたのに対して、日本政府と軍幹部は「右翼全体主義者」たちによって主導され、「国体護持」の名のもと、反米親ソ政策を推進し、進んでソ連の影響下に入ろうとしていた。

日本が終戦に際してこだわったのが「国体護持」であった。

驚くべきことに、彼ら「右翼全体主義者」にとって「国体護持」とは、「天皇制」のもとで、ソ連と友好関係を結ぶ社会主義政権を樹立することも許容範囲であったのだ。

それは、ソ連や中国共産党の「同盟国」になることを意味した(この恐るべき倒錯についても、本書で詳述する)。

一方、後に総理大臣となった吉田茂や重光葵ら「保守自由主義者」たちにとって「国体護持」とは、明治維新以来の国是である自由主義と立憲君主制を守ることであり、ソ連・コミンテルンの「敗戦革命」工作を阻止することであった。

それは、アメリカが主導する自由主義陣営に入ることであった。

要は「国体護持」の意味が、「右翼全体主義者」と「保守自由主義者」とでは、まったく異なっていたのである

だが、その違いを明確に理解している人が少なかったことが、終戦交渉をいたずらに混乱させることになった(残念ながら、今もこの違いを明確に理解している人は少ない)。

日本にとって幸いであったことは、昭和天皇がこの二つの違いを明確に理解されていたことであった。

昭和天皇は、保守自由主義者の主張する「国体護持」に賛同され、敗戦を決断された。

この決断によって日本は、ソ連が主導する共産主義陣営ではなく、アメリカが主導する白由主義陣営に属することができたのだ。

もし昭和天皇が終戦に際してソ連との連携の道を模索されていたならば、日本は間違いなく、北朝鮮と同じ道を歩むことになったであろう。

昭和天皇と保守自由主義者たちの奮闘によって、かろうじて「ポツダム宣言」受諾による終戦にこぎつけたものの、それで諦めるようなソ連・コミンテルンではなかった。

敗戦後、GHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちは日本で敗戦革命を引き起こすべく、日本の政治体制を弱体化するだけでなく、デフレ政策と生産能力の低下を強制することで意図的に経済的困窮へと日本国民を追い込み、社会不安を煽ったのだ。

敗戦後の窮乏、食糧危機は空襲によって生産施設が破壊されたからだと思っている人が多いが、実際は、日本は意図的に食糧危機に追い込まれていた。

しかも、こうした食糧危機を背景にGHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちが、中国から帰国した野坂参三らと連携して、敗戦革命工作を推進した。

この工作に呼応して「左翼全体主義者」たちも、労働組合を相次いで結成し、大規模な反政府グループを組織していく。

何しろ、戦勝国のソ連とGHQが、日本共産党を支援していた時代なのだ。

対する日本は、軍もまともな警察も、テロや内乱に対応する法律もなかった。

マスコミはGHQの検閲によって言論の自由を奪われ、有能な人材の多くは、公職を追放され、政治活動を禁じられていた。

まさに、敗戦直後の日本こそ最大の危機だった

このままだと、ゼネストから人民戦線内閣樹立、そして敗戦革命へと一気に事態は展開する可能性もあったが、こうした動きを「インテリジェンス」と「経済」の二つの分野で阻止しようとしたのが昭和天皇であり、吉田茂首相や石橋湛山蔵相ら保守自由主義者であった。 

敗戦後の日本は「軍事」と「外交」という二つの手段を奪われたが、「経済」と「インテリジェンス」を駆使して「敗戦革命」をなんとか阻止したといえる。

戦争に負けたら自動的に平和が訪れるというものではない。

「軍事」で敗北し、「外交」権限を奪われたとしても、「インテリジェンス」と「経済」の戦いは続くのだが、それを自覚している人は、当時の日本においても決して多くなかった。

むしろ時流に乗って戦時中に「徹底抗戦」を叫んだ政治家、軍人、高級官僚らエリートたちは未曾有の敗戦に直面したとき、うろたえ、逃げ回っただけでなく、その多くがGHQに迎合した。

もちろん、戦前のエリートたちがダメだったと非難したいのではない。

過去を糾弾することが本書の目的ではない。

近い将来、日本が戦争や内乱を仕掛けられるかもしれないと想定し、「外交」、「軍事」、「インテリジェンス」、「経済」などの分野で危機に対応できるよう法律、政治体制、予算、そして人材を整えるようにしておこうといっているのだ。

東西冷戦という共産主義の脅威との戦いは、ヨーロッパでは終結したかもしれないが、アジアでは未だに続いている。

本書を執筆している問も、中国は尖間諸島を含む南所諸島に車艦と戦闘機を派遣して地元住民の安全を脅かし、日本の土地と民間企業を買いまくっている。

北朝鮮も国際社会の非難を無視して、日本を射程に入れたミサイルと核開発を続けている。

アメリカのトランプ共和党政権は、北朝鮮の核開発を阻止し、中国の軍事的台頭を抑止しようとしているが、アメリカも一枚岩ではない。

アメリカには、中国共産党政府との友好を重視する政治家や官僚も多数存在するし、北朝鮮の核開発を阻止できるかどうかも不明だ。 戦争、占領、そして敗戦革命の危機が再び日本を襲わないと誰が保証できよう。

来るべき危機に備えるためにも、先人たちはどのように奮闘したのか、その苦闘の歴史を一人でも多くの人に知ってほしいと願っている。

なお、本文中での参考文献引用にあたって、旧字旧かな遣いを新字新かな遣いに改め、一部漢字をかなに置換するなど表記変更を行なった。適宜改行も施している。

本書の場合、戦前・戦中・戦後、実際にとのようなことが書かれ、論じられていたのかを知ることが最優先であるとの判断に基づき、現代の読者に読みやすくなるよう配慮したものである。

ご了解賜りたい。

本書の上梓にあたって、川上達史さん(PHP研究所)と山内智恵子さんには、一方ならぬご支援をいただいた。

特に山内さんには、「ヴェノナ文書」の研究をけじめとするアメリカの最新歴史研究に関する多くの著作や論文を邦訳していただいたおかけで、本書でもアメリカの最新の研究成果を紹介することができた。

最後に、中西輝政先生には、前著に引き続き、推薦の言葉をお寄せいただいた。

30年以上も前から「インテリジェンス・ヒストリー(情報史学)」という新たな学問を日本に構築しようと奮闘してこられた中西先生に、心からの敬意を表するとともに、この場をお借りして御礼を申しあげたい。

平成30年7月吉日                                   

江崎道朗


敗戦後、GHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちは日本で敗戦革命を引き起こすべく、日本の政治体制を弱体化するだけでなく、

2018年10月20日 19時25分03秒 | 日記

以下は前章の続きである。

ソ連・コミンテルンは、日米戦争に追い込んだ日本に対して敗戦革命を引き起こすつもりであったし、その準備を周到に進めていた。 

その準備は、どこで誰の手によってされていたのか。

ソ連を司令塔に仰ぎながら、アメリカと中国の二ヵ所で、日本の敗戦革命の計画立案と「革命の担い手」の養成が行なわれていたのである。

日本は敗戦後、アメリカを中心とするGHQによって憲法改正を含む全面的な占領改革を強制された。

その対日占領政策の形成過程についての研究は1980年代から急速に進んできた。

その研究を全面的にひっくり返す事件が1995年に起こった。

第二次世界大戦前から戦中にかけて在米のソ連スパイとソ連本国との秘密通信を傍受し、それを解読した機密文書、通称「ヴェノナ文書」が公開されたのだ。

1989年、東西冷戦のシンボルともいうべきドイツのベルリンの壁が崩壊し、東欧諸国は次々と共産主義国から自由主義国へと変わった。

ソ連も1991年に崩壊し、共産主義体制を放棄し、ロシアとなった。 

このソ連の崩壊に呼応するかのように、世界各国が第二次世界大戦当時の、いわゆる外交、特に秘密活動に関する「機密文書」を情報公開するようになったのだ。

「ヴェノナ文書」が公開されたのも、その一つであった。

この「ヴェノナ文書」の公開によって、アメリカのルーズヴェルト民主党政権内部に、ソ連・コミンテルンのスパイ、工作員たちが多数潜り込み、アメリカの対外政策に大きな影響を与えていたことが明らかになった。

これまでは「戦勝国のアメリカが、日本の民主化のために対日占領政策を立案した」といわれてきたが、ヴェノナ文書の公開とその研究の結果、「ルーズヴェルト民主党政権に潜り込んだコミンテルンの工作員たちが対日『敗戦革命』計画を立案していた」側面が明らかになりつつあるのだ。 

しかも、この対日「敗戦革命」計画に多大な影響を与えていたのが、第二次世界大戦中、延安を本拠地にしていた中国共産党と野坂参三であった。

本書では、中国共産党の対日心理戦争が現在に至る日中関係をいかに歪めてきたのか、ということについても触れている。

このようにしてアメリカと中国で対日「敗戦革命」の準備が周到に進められていたのに対して、日本政府と軍幹部は「右翼全体主義者」たちによって主導され、「国体護持」の名のもと、反米親ソ政策を推進し、進んでソ連の影響下に入ろうとしていた。

日本が終戦に際してこだわったのが「国体護持」であった。

驚くべきことに、彼ら「右翼全体主義者」にとって「国体護持」とは、「天皇制」のもとで、ソ連と友好関係を結ぶ社会主義政権を樹立することも許容範囲であったのだ。

それは、ソ連や中国共産党の「同盟国」になることを意味した(この恐るべき倒錯についても、本書で詳述する)。

一方、後に総理大臣となった吉田茂や重光葵ら「保守自由主義者」たちにとって「国体護持」とは、明治維新以来の国是である自由主義と立憲君主制を守ることであり、ソ連・コミンテルンの「敗戦革命」工作を阻止することであった。

それは、アメリカが主導する自由主義陣営に入ることであった。

要は「国体護持」の意味が、「右翼全体主義者」と「保守自由主義者」とでは、まったく異なっていたのである

だが、その違いを明確に理解している人が少なかったことが、終戦交渉をいたずらに混乱させることになった(残念ながら、今もこの違いを明確に理解している人は少ない)。

日本にとって幸いであったことは、昭和天皇がこの二つの違いを明確に理解されていたことであった。

昭和天皇は、保守自由主義者の主張する「国体護持」に賛同され、敗戦を決断された。

この決断によって日本は、ソ連が主導する共産主義陣営ではなく、アメリカが主導する白由主義陣営に属することができたのだ。

もし昭和天皇が終戦に際してソ連との連携の道を模索されていたならば、日本は間違いなく、北朝鮮と同じ道を歩むことになったであろう。

昭和天皇と保守自由主義者たちの奮闘によって、かろうじて「ポツダム宣言」受諾による終戦にこぎつけたものの、それで諦めるようなソ連・コミンテルンではなかった。

敗戦後、GHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちは日本で敗戦革命を引き起こすべく、日本の政治体制を弱体化するだけでなく、デフレ政策と生産能力の低下を強制することで意図的に経済的困窮へと日本国民を追い込み、社会不安を煽ったのだ。

敗戦後の窮乏、食糧危機は空襲によって生産施設が破壊されたからだと思っている人が多いが、実際は、日本は意図的に食糧危機に追い込まれていた。

しかも、こうした食糧危機を背景にGHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちが、中国から帰国した野坂参三らと連携して、敗戦革命工作を推進した。

この工作に呼応して「左翼全体主義者」たちも、労働組合を相次いで結成し、大規模な反政府グループを組織していく。

何しろ、戦勝国のソ連とGHQが、日本共産党を支援していた時代なのだ。

対する日本は、軍もまともな警察も、テロや内乱に対応する法律もなかった。

マスコミはGHQの検閲によって言論の自由を奪われ、有能な人材の多くは、公職を追放され、政治活動を禁じられていた。

まさに、敗戦直後の日本こそ最大の危機だった

このままだと、ゼネストから人民戦線内閣樹立、そして敗戦革命へと一気に事態は展開する可能性もあったが、こうした動きを「インテリジェンス」と「経済」の二つの分野で阻止しようとしたのが昭和天皇であり、吉田茂首相や石橋湛山蔵相ら保守自由主義者であった。 

敗戦後の日本は「軍事」と「外交」という二つの手段を奪われたが、「経済」と「インテリジェンス」を駆使して「敗戦革命」をなんとか阻止したといえる。

戦争に負けたら自動的に平和が訪れるというものではない。

「軍事」で敗北し、「外交」権限を奪われたとしても、「インテリジェンス」と「経済」の戦いは続くのだが、それを自覚している人は、当時の日本においても決して多くなかった。

むしろ時流に乗って戦時中に「徹底抗戦」を叫んだ政治家、軍人、高級官僚らエリートたちは未曾有の敗戦に直面したとき、うろたえ、逃げ回っただけでなく、その多くがGHQに迎合した。

もちろん、戦前のエリートたちがダメだったと非難したいのではない。

過去を糾弾することが本書の目的ではない。

近い将来、日本が戦争や内乱を仕掛けられるかもしれないと想定し、「外交」、「軍事」、「インテリジェンス」、「経済」などの分野で危機に対応できるよう法律、政治体制、予算、そして人材を整えるようにしておこうといっているのだ。

東西冷戦という共産主義の脅威との戦いは、ヨーロッパでは終結したかもしれないが、アジアでは未だに続いている。

本書を執筆している問も、中国は尖間諸島を含む南所諸島に車艦と戦闘機を派遣して地元住民の安全を脅かし、日本の土地と民間企業を買いまくっている。

北朝鮮も国際社会の非難を無視して、日本を射程に入れたミサイルと核開発を続けている。

アメリカのトランプ共和党政権は、北朝鮮の核開発を阻止し、中国の軍事的台頭を抑止しようとしているが、アメリカも一枚岩ではない。

アメリカには、中国共産党政府との友好を重視する政治家や官僚も多数存在するし、北朝鮮の核開発を阻止できるかどうかも不明だ。 戦争、占領、そして敗戦革命の危機が再び日本を襲わないと誰が保証できよう。

来るべき危機に備えるためにも、先人たちはどのように奮闘したのか、その苦闘の歴史を一人でも多くの人に知ってほしいと願っている。

なお、本文中での参考文献引用にあたって、旧字旧かな遣いを新字新かな遣いに改め、一部漢字をかなに置換するなど表記変更を行なった。適宜改行も施している。

本書の場合、戦前・戦中・戦後、実際にとのようなことが書かれ、論じられていたのかを知ることが最優先であるとの判断に基づき、現代の読者に読みやすくなるよう配慮したものである。

ご了解賜りたい。

本書の上梓にあたって、川上達史さん(PHP研究所)と山内智恵子さんには、一方ならぬご支援をいただいた。

特に山内さんには、「ヴェノナ文書」の研究をけじめとするアメリカの最新歴史研究に関する多くの著作や論文を邦訳していただいたおかけで、本書でもアメリカの最新の研究成果を紹介することができた。

最後に、中西輝政先生には、前著に引き続き、推薦の言葉をお寄せいただいた。

30年以上も前から「インテリジェンス・ヒストリー(情報史学)」という新たな学問を日本に構築しようと奮闘してこられた中西先生に、心からの敬意を表するとともに、この場をお借りして御礼を申しあげたい。

平成30年7月吉日                                   

江崎道朗


「ルーズヴェルト民主党政権に潜り込んだコミンテルンの工作員たちが対日『敗戦革命』計画を立案していた」側面が明らかになりつつあるのだ

2018年10月20日 19時22分56秒 | 日記

以下は前章の続きである。

ソ連・コミンテルンは、日米戦争に追い込んだ日本に対して敗戦革命を引き起こすつもりであったし、その準備を周到に進めていた。 

その準備は、どこで誰の手によってされていたのか。

ソ連を司令塔に仰ぎながら、アメリカと中国の二ヵ所で、日本の敗戦革命の計画立案と「革命の担い手」の養成が行なわれていたのである。

日本は敗戦後、アメリカを中心とするGHQによって憲法改正を含む全面的な占領改革を強制された。

その対日占領政策の形成過程についての研究は1980年代から急速に進んできた。

その研究を全面的にひっくり返す事件が1995年に起こった。

第二次世界大戦前から戦中にかけて在米のソ連スパイとソ連本国との秘密通信を傍受し、それを解読した機密文書、通称「ヴェノナ文書」が公開されたのだ。

1989年、東西冷戦のシンボルともいうべきドイツのベルリンの壁が崩壊し、東欧諸国は次々と共産主義国から自由主義国へと変わった。

ソ連も1991年に崩壊し、共産主義体制を放棄し、ロシアとなった。 

このソ連の崩壊に呼応するかのように、世界各国が第二次世界大戦当時の、いわゆる外交、特に秘密活動に関する「機密文書」を情報公開するようになったのだ。

「ヴェノナ文書」が公開されたのも、その一つであった。

この「ヴェノナ文書」の公開によって、アメリカのルーズヴェルト民主党政権内部に、ソ連・コミンテルンのスパイ、工作員たちが多数潜り込み、アメリカの対外政策に大きな影響を与えていたことが明らかになった。

これまでは「戦勝国のアメリカが、日本の民主化のために対日占領政策を立案した」といわれてきたが、ヴェノナ文書の公開とその研究の結果、「ルーズヴェルト民主党政権に潜り込んだコミンテルンの工作員たちが対日『敗戦革命』計画を立案していた」側面が明らかになりつつあるのだ。 

しかも、この対日「敗戦革命」計画に多大な影響を与えていたのが、第二次世界大戦中、延安を本拠地にしていた中国共産党と野坂参三であった。

本書では、中国共産党の対日心理戦争が現在に至る日中関係をいかに歪めてきたのか、ということについても触れている。

このようにしてアメリカと中国で対日「敗戦革命」の準備が周到に進められていたのに対して、日本政府と軍幹部は「右翼全体主義者」たちによって主導され、「国体護持」の名のもと、反米親ソ政策を推進し、進んでソ連の影響下に入ろうとしていた。

日本が終戦に際してこだわったのが「国体護持」であった。

驚くべきことに、彼ら「右翼全体主義者」にとって「国体護持」とは、「天皇制」のもとで、ソ連と友好関係を結ぶ社会主義政権を樹立することも許容範囲であったのだ。

それは、ソ連や中国共産党の「同盟国」になることを意味した(この恐るべき倒錯についても、本書で詳述する)。

一方、後に総理大臣となった吉田茂や重光葵ら「保守自由主義者」たちにとって「国体護持」とは、明治維新以来の国是である自由主義と立憲君主制を守ることであり、ソ連・コミンテルンの「敗戦革命」工作を阻止することであった。

それは、アメリカが主導する自由主義陣営に入ることであった。

要は「国体護持」の意味が、「右翼全体主義者」と「保守自由主義者」とでは、まったく異なっていたのである

だが、その違いを明確に理解している人が少なかったことが、終戦交渉をいたずらに混乱させることになった(残念ながら、今もこの違いを明確に理解している人は少ない)。

日本にとって幸いであったことは、昭和天皇がこの二つの違いを明確に理解されていたことであった。

昭和天皇は、保守自由主義者の主張する「国体護持」に賛同され、敗戦を決断された。

この決断によって日本は、ソ連が主導する共産主義陣営ではなく、アメリカが主導する白由主義陣営に属することができたのだ。

もし昭和天皇が終戦に際してソ連との連携の道を模索されていたならば、日本は間違いなく、北朝鮮と同じ道を歩むことになったであろう。

昭和天皇と保守自由主義者たちの奮闘によって、かろうじて「ポツダム宣言」受諾による終戦にこぎつけたものの、それで諦めるようなソ連・コミンテルンではなかった。

敗戦後、GHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちは日本で敗戦革命を引き起こすべく、日本の政治体制を弱体化するだけでなく、デフレ政策と生産能力の低下を強制することで意図的に経済的困窮へと日本国民を追い込み、社会不安を煽ったのだ。

敗戦後の窮乏、食糧危機は空襲によって生産施設が破壊されたからだと思っている人が多いが、実際は、日本は意図的に食糧危機に追い込まれていた。

しかも、こうした食糧危機を背景にGHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちが、中国から帰国した野坂参三らと連携して、敗戦革命工作を推進した。

この工作に呼応して「左翼全体主義者」たちも、労働組合を相次いで結成し、大規模な反政府グループを組織していく。

何しろ、戦勝国のソ連とGHQが、日本共産党を支援していた時代なのだ。

対する日本は、軍もまともな警察も、テロや内乱に対応する法律もなかった。

マスコミはGHQの検閲によって言論の自由を奪われ、有能な人材の多くは、公職を追放され、政治活動を禁じられていた。

まさに、敗戦直後の日本こそ最大の危機だった

このままだと、ゼネストから人民戦線内閣樹立、そして敗戦革命へと一気に事態は展開する可能性もあったが、こうした動きを「インテリジェンス」と「経済」の二つの分野で阻止しようとしたのが昭和天皇であり、吉田茂首相や石橋湛山蔵相ら保守自由主義者であった。 

敗戦後の日本は「軍事」と「外交」という二つの手段を奪われたが、「経済」と「インテリジェンス」を駆使して「敗戦革命」をなんとか阻止したといえる。

戦争に負けたら自動的に平和が訪れるというものではない。

「軍事」で敗北し、「外交」権限を奪われたとしても、「インテリジェンス」と「経済」の戦いは続くのだが、それを自覚している人は、当時の日本においても決して多くなかった。

むしろ時流に乗って戦時中に「徹底抗戦」を叫んだ政治家、軍人、高級官僚らエリートたちは未曾有の敗戦に直面したとき、うろたえ、逃げ回っただけでなく、その多くがGHQに迎合した。

もちろん、戦前のエリートたちがダメだったと非難したいのではない。

過去を糾弾することが本書の目的ではない。

近い将来、日本が戦争や内乱を仕掛けられるかもしれないと想定し、「外交」、「軍事」、「インテリジェンス」、「経済」などの分野で危機に対応できるよう法律、政治体制、予算、そして人材を整えるようにしておこうといっているのだ。

東西冷戦という共産主義の脅威との戦いは、ヨーロッパでは終結したかもしれないが、アジアでは未だに続いている。

本書を執筆している問も、中国は尖間諸島を含む南所諸島に車艦と戦闘機を派遣して地元住民の安全を脅かし、日本の土地と民間企業を買いまくっている。

北朝鮮も国際社会の非難を無視して、日本を射程に入れたミサイルと核開発を続けている。

アメリカのトランプ共和党政権は、北朝鮮の核開発を阻止し、中国の軍事的台頭を抑止しようとしているが、アメリカも一枚岩ではない。

アメリカには、中国共産党政府との友好を重視する政治家や官僚も多数存在するし、北朝鮮の核開発を阻止できるかどうかも不明だ。 戦争、占領、そして敗戦革命の危機が再び日本を襲わないと誰が保証できよう。

来るべき危機に備えるためにも、先人たちはどのように奮闘したのか、その苦闘の歴史を一人でも多くの人に知ってほしいと願っている。

なお、本文中での参考文献引用にあたって、旧字旧かな遣いを新字新かな遣いに改め、一部漢字をかなに置換するなど表記変更を行なった。適宜改行も施している。

本書の場合、戦前・戦中・戦後、実際にとのようなことが書かれ、論じられていたのかを知ることが最優先であるとの判断に基づき、現代の読者に読みやすくなるよう配慮したものである。

ご了解賜りたい。

本書の上梓にあたって、川上達史さん(PHP研究所)と山内智恵子さんには、一方ならぬご支援をいただいた。

特に山内さんには、「ヴェノナ文書」の研究をけじめとするアメリカの最新歴史研究に関する多くの著作や論文を邦訳していただいたおかけで、本書でもアメリカの最新の研究成果を紹介することができた。

最後に、中西輝政先生には、前著に引き続き、推薦の言葉をお寄せいただいた。

30年以上も前から「インテリジェンス・ヒストリー(情報史学)」という新たな学問を日本に構築しようと奮闘してこられた中西先生に、心からの敬意を表するとともに、この場をお借りして御礼を申しあげたい。

平成30年7月吉日                                   

江崎道朗


これまでは「戦勝国のアメリカが、日本の民主化のために対日占領政策を立案した」といわれてきたが、ヴェノナ文書の公開とその研究の結果、

2018年10月20日 19時21分17秒 | 日記

以下は前章の続きである。

ソ連・コミンテルンは、日米戦争に追い込んだ日本に対して敗戦革命を引き起こすつもりであったし、その準備を周到に進めていた。 

その準備は、どこで誰の手によってされていたのか。

ソ連を司令塔に仰ぎながら、アメリカと中国の二ヵ所で、日本の敗戦革命の計画立案と「革命の担い手」の養成が行なわれていたのである。

日本は敗戦後、アメリカを中心とするGHQによって憲法改正を含む全面的な占領改革を強制された。

その対日占領政策の形成過程についての研究は1980年代から急速に進んできた。

その研究を全面的にひっくり返す事件が1995年に起こった。

第二次世界大戦前から戦中にかけて在米のソ連スパイとソ連本国との秘密通信を傍受し、それを解読した機密文書、通称「ヴェノナ文書」が公開されたのだ。

1989年、東西冷戦のシンボルともいうべきドイツのベルリンの壁が崩壊し、東欧諸国は次々と共産主義国から自由主義国へと変わった。

ソ連も1991年に崩壊し、共産主義体制を放棄し、ロシアとなった。 

このソ連の崩壊に呼応するかのように、世界各国が第二次世界大戦当時の、いわゆる外交、特に秘密活動に関する「機密文書」を情報公開するようになったのだ。

「ヴェノナ文書」が公開されたのも、その一つであった。

この「ヴェノナ文書」の公開によって、アメリカのルーズヴェルト民主党政権内部に、ソ連・コミンテルンのスパイ、工作員たちが多数潜り込み、アメリカの対外政策に大きな影響を与えていたことが明らかになった。

これまでは「戦勝国のアメリカが、日本の民主化のために対日占領政策を立案した」といわれてきたが、ヴェノナ文書の公開とその研究の結果、「ルーズヴェルト民主党政権に潜り込んだコミンテルンの工作員たちが対日『敗戦革命』計画を立案していた」側面が明らかになりつつあるのだ。 

しかも、この対日「敗戦革命」計画に多大な影響を与えていたのが、第二次世界大戦中、延安を本拠地にしていた中国共産党と野坂参三であった。

本書では、中国共産党の対日心理戦争が現在に至る日中関係をいかに歪めてきたのか、ということについても触れている。

このようにしてアメリカと中国で対日「敗戦革命」の準備が周到に進められていたのに対して、日本政府と軍幹部は「右翼全体主義者」たちによって主導され、「国体護持」の名のもと、反米親ソ政策を推進し、進んでソ連の影響下に入ろうとしていた。

日本が終戦に際してこだわったのが「国体護持」であった。

驚くべきことに、彼ら「右翼全体主義者」にとって「国体護持」とは、「天皇制」のもとで、ソ連と友好関係を結ぶ社会主義政権を樹立することも許容範囲であったのだ。

それは、ソ連や中国共産党の「同盟国」になることを意味した(この恐るべき倒錯についても、本書で詳述する)。

一方、後に総理大臣となった吉田茂や重光葵ら「保守自由主義者」たちにとって「国体護持」とは、明治維新以来の国是である自由主義と立憲君主制を守ることであり、ソ連・コミンテルンの「敗戦革命」工作を阻止することであった。

それは、アメリカが主導する自由主義陣営に入ることであった。

要は「国体護持」の意味が、「右翼全体主義者」と「保守自由主義者」とでは、まったく異なっていたのである

だが、その違いを明確に理解している人が少なかったことが、終戦交渉をいたずらに混乱させることになった(残念ながら、今もこの違いを明確に理解している人は少ない)。

日本にとって幸いであったことは、昭和天皇がこの二つの違いを明確に理解されていたことであった。

昭和天皇は、保守自由主義者の主張する「国体護持」に賛同され、敗戦を決断された。

この決断によって日本は、ソ連が主導する共産主義陣営ではなく、アメリカが主導する白由主義陣営に属することができたのだ。

もし昭和天皇が終戦に際してソ連との連携の道を模索されていたならば、日本は間違いなく、北朝鮮と同じ道を歩むことになったであろう。

昭和天皇と保守自由主義者たちの奮闘によって、かろうじて「ポツダム宣言」受諾による終戦にこぎつけたものの、それで諦めるようなソ連・コミンテルンではなかった。

敗戦後、GHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちは日本で敗戦革命を引き起こすべく、日本の政治体制を弱体化するだけでなく、デフレ政策と生産能力の低下を強制することで意図的に経済的困窮へと日本国民を追い込み、社会不安を煽ったのだ。

敗戦後の窮乏、食糧危機は空襲によって生産施設が破壊されたからだと思っている人が多いが、実際は、日本は意図的に食糧危機に追い込まれていた。

しかも、こうした食糧危機を背景にGHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちが、中国から帰国した野坂参三らと連携して、敗戦革命工作を推進した。

この工作に呼応して「左翼全体主義者」たちも、労働組合を相次いで結成し、大規模な反政府グループを組織していく。

何しろ、戦勝国のソ連とGHQが、日本共産党を支援していた時代なのだ。

対する日本は、軍もまともな警察も、テロや内乱に対応する法律もなかった。

マスコミはGHQの検閲によって言論の自由を奪われ、有能な人材の多くは、公職を追放され、政治活動を禁じられていた。

まさに、敗戦直後の日本こそ最大の危機たった

このままだと、ゼネストから人民戦線内閣樹立、そして敗戦革命へと一気に事態は展開する可能性もあったが、こうした動きを「インテリジェンス」と「経済」の二つの分野で阻止しようとしたのが昭和天皇であり、吉田茂首相や石橋湛山蔵相ら保守自由主義者であった。 

敗戦後の日本は「軍事」と「外交」という二つの手段を奪われたが、「経済」と「インテリジェンス」を駆使して「敗戦革命」をなんとか阻止したといえる。

戦争に負けたら自動的に平和が訪れるというものではない。

「軍事」で敗北し、「外交」権限を奪われたとしても、「インテリジェンス」と「経済」の戦いは続くのだが、それを自覚している人は、当時の日本においても決して多くなかった。

むしろ時流に乗って戦時中に「徹底抗戦」を叫んだ政治家、軍人、高級官僚らエリートたちは未曾有の敗戦に直面したとき、うろたえ、逃げ回っただけでなく、その多くがGHQに迎合した。

もちろん、戦前のエリートたちがダメだったと非難したいのではない。

過去を糾弾することが本書の目的ではない。

近い将来、日本が戦争や内乱を仕掛けられるかもしれないと想定し、「外交」、「軍事」、「インテリジェンス」、「経済」などの分野で危機に対応できるよう法律、政治体制、予算、そして人材を整えるようにしておこうといっているのだ。

東西冷戦という共産主義の脅威との戦いは、ヨーロッパでは終結したかもしれないが、アジアでは未だに続いている。

本書を執筆している問も、中国は尖間諸島を含む南所諸島に車艦と戦闘機を派遣して地元住民の安全を脅かし、日本の土地と民間企業を買いまくっている。

北朝鮮も国際社会の非難を無視して、日本を射程に入れたミサイルと核開発を続けている。

アメリカのトランプ共和党政権は、北朝鮮の核開発を阻止し、中国の軍事的台頭を抑止しようとしているが、アメリカも一枚岩ではない。

アメリカには、中国共産党政府との友好を重視する政治家や官僚も多数存在するし、北朝鮮の核開発を阻止できるかどうかも不明だ。 戦争、占領、そして敗戦革命の危機が再び日本を襲わないと誰が保証できよう。

来るべき危機に備えるためにも、先人たちはどのように奮闘したのか、その苦闘の歴史を一人でも多くの人に知ってほしいと願っている。

なお、本文中での参考文献引用にあたって、旧字旧かな遣いを新字新かな遣いに改め、一部漢字をかなに置換するなど表記変更を行なった。適宜改行も施している。

本書の場合、戦前・戦中・戦後、実際にとのようなことが書かれ、論じられていたのかを知ることが最優先であるとの判断に基づき、現代の読者に読みやすくなるよう配慮したものである。

ご了解賜りたい。

本書の上梓にあたって、川上達史さん(PHP研究所)と山内智恵子さんには、一方ならぬご支援をいただいた。

特に山内さんには、「ヴェノナ文書」の研究をけじめとするアメリカの最新歴史研究に関する多くの著作や論文を邦訳していただいたおかけで、本書でもアメリカの最新の研究成果を紹介することができた。

最後に、中西輝政先生には、前著に引き続き、推薦の言葉をお寄せいただいた。

30年以上も前から「インテリジェンス・ヒストリー(情報史学)」という新たな学問を日本に構築しようと奮闘してこられた中西先生に、心からの敬意を表するとともに、この場をお借りして御礼を申しあげたい。

平成30年7月吉日                                   

江崎道朗


第二次世界大戦前から戦中にかけて在米のソ連スパイとソ連本国との秘密通信を傍受し、それを解読した機密文書、通称「ヴェノナ文書」が公開されたのだ

2018年10月20日 19時17分20秒 | 日記

以下は前章の続きである。

ソ連・コミンテルンは、日米戦争に追い込んだ日本に対して敗戦革命を引き起こすつもりであったし、その準備を周到に進めていた。 

その準備は、どこで誰の手によってされていたのか。

ソ連を司令塔に仰ぎながら、アメリカと中国の二ヵ所で、日本の敗戦革命の計画立案と「革命の担い手」の養成が行なわれていたのである。

日本は敗戦後、アメリカを中心とするGHQによって憲法改正を含む全面的な占領改革を強制された。

その対日占領政策の形成過程についての研究は1980年代から急速に進んできた。

その研究を全面的にひっくり返す事件が1995年に起こった。

第二次世界大戦前から戦中にかけて在米のソ連スパイとソ連本国との秘密通信を傍受し、それを解読した機密文書、通称「ヴェノナ文書」が公開されたのだ。

1989年、東西冷戦のシンボルともいうべきドイツのベルリンの壁が崩壊し、東欧諸国は次々と共産主義国から自由主義国へと変わった。

ソ連も1991年に崩壊し、共産主義体制を放棄し、ロシアとなった。 

このソ連の崩壊に呼応するかのように、世界各国が第二次世界大戦当時の、いわゆる外交、特に秘密活動に関する「機密文書」を情報公開するようになったのだ。

「ヴェノナ文書」が公開されたのも、その一つであった。

この「ヴェノナ文書」の公開によって、アメリカのルーズヴェルト民主党政権内部に、ソ連・コミンテルンのスパイ、工作員たちが多数潜り込み、アメリカの対外政策に大きな影響を与えていたことが明らかになった。

これまでは「戦勝国のアメリカが、日本の民主化のために対日占領政策を立案した」といわれてきたが、ヴェノナ文書の公開とその研究の結果、「ルーズヴェルト民主党政権に潜り込んだコミンテルンの工作員たちが対日『敗戦革命』計画を立案していた」側面が明らかになりつつあるのだ。 

しかも、この対日「敗戦革命」計画に多大な影響を与えていたのが、第二次世界大戦中、延安を本拠地にしていた中国共産党と野坂参三であった。

本書では、中国共産党の対日心理戦争が現在に至る日中関係をいかに歪めてきたのか、ということについても触れている。

このようにしてアメリカと中国で対日「敗戦革命」の準備が周到に進められていたのに対して、日本政府と軍幹部は「右翼全体主義者」たちによって主導され、「国体護持」の名のもと、反米親ソ政策を推進し、進んでソ連の影響下に入ろうとしていた。

日本が終戦に際してこだわったのが「国体護持」であった。

驚くべきことに、彼ら「右翼全体主義者」にとって「国体護持」とは、「天皇制」のもとで、ソ連と友好関係を結ぶ社会主義政権を樹立することも許容範囲であったのだ。

それは、ソ連や中国共産党の「同盟国」になることを意味した(この恐るべき倒錯についても、本書で詳述する)。

一方、後に総理大臣となった吉田茂や重光葵ら「保守自由主義者」たちにとって「国体護持」とは、明治維新以来の国是である自由主義と立憲君主制を守ることであり、ソ連・コミンテルンの「敗戦革命」工作を阻止することであった。

それは、アメリカが主導する自由主義陣営に入ることであった。

要は「国体護持」の意味が、「右翼全体主義者」と「保守自由主義者」とでは、まったく異なっていたのである

だが、その違いを明確に理解している人が少なかったことが、終戦交渉をいたずらに混乱させることになった(残念ながら、今もこの違いを明確に理解している人は少ない)。

日本にとって幸いであったことは、昭和天皇がこの二つの違いを明確に理解されていたことであった。

昭和天皇は、保守自由主義者の主張する「国体護持」に賛同され、敗戦を決断された。

この決断によって日本は、ソ連が主導する共産主義陣営ではなく、アメリカが主導する白由主義陣営に属することができたのだ。

もし昭和天皇が終戦に際してソ連との連携の道を模索されていたならば、日本は間違いなく、北朝鮮と同じ道を歩むことになったであろう。

昭和天皇と保守自由主義者たちの奮闘によって、かろうじて「ポツダム宣言」受諾による終戦にこぎつけたものの、それで諦めるようなソ連・コミンテルンではなかった。

敗戦後、GHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちは日本で敗戦革命を引き起こすべく、日本の政治体制を弱体化するだけでなく、デフレ政策と生産能力の低下を強制することで意図的に経済的困窮へと日本国民を追い込み、社会不安を煽ったのだ。

敗戦後の窮乏、食糧危機は空襲によって生産施設が破壊されたからだと思っている人が多いが、実際は、日本は意図的に食糧危機に追い込まれていた。

しかも、こうした食糧危機を背景にGHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちが、中国から帰国した野坂参三らと連携して、敗戦革命工作を推進した。

この工作に呼応して「左翼全体主義者」たちも、労働組合を相次いで結成し、大規模な反政府グループを組織していく。

何しろ、戦勝国のソ連とGHQが、日本共産党を支援していた時代なのだ。

対する日本は、軍もまともな警察も、テロや内乱に対応する法律もなかった。

マスコミはGHQの検閲によって言論の自由を奪われ、有能な人材の多くは、公職を追放され、政治活動を禁じられていた。

まさに、敗戦直後の日本こそ最大の危機たった

このままだと、ゼネストから人民戦線内閣樹立、そして敗戦革命へと一気に事態は展開する可能性もあったが、こうした動きを「インテリジェンス」と「経済」の二つの分野で阻止しようとしたのが昭和天皇であり、吉田茂首相や石橋湛山蔵相ら保守自由主義者であった。 

敗戦後の日本は「軍事」と「外交」という二つの手段を奪われたが、「経済」と「インテリジェンス」を駆使して「敗戦革命」をなんとか阻止したといえる。

戦争に負けたら自動的に平和が訪れるというものではない。

「軍事」で敗北し、「外交」権限を奪われたとしても、「インテリジェンス」と「経済」の戦いは続くのだが、それを自覚している人は、当時の日本においても決して多くなかった。

むしろ時流に乗って戦時中に「徹底抗戦」を叫んだ政治家、軍人、高級官僚らエリートたちは未曾有の敗戦に直面したとき、うろたえ、逃げ回っただけでなく、その多くがGHQに迎合した。

もちろん、戦前のエリートたちがダメだったと非難したいのではない。

過去を糾弾することが本書の目的ではない。

近い将来、日本が戦争や内乱を仕掛けられるかもしれないと想定し、「外交」、「軍事」、「インテリジェンス」、「経済」などの分野で危機に対応できるよう法律、政治体制、予算、そして人材を整えるようにしておこうといっているのだ。

東西冷戦という共産主義の脅威との戦いは、ヨーロッパでは終結したかもしれないが、アジアでは未だに続いている。

本書を執筆している問も、中国は尖間諸島を含む南所諸島に車艦と戦闘機を派遣して地元住民の安全を脅かし、日本の土地と民間企業を買いまくっている。

北朝鮮も国際社会の非難を無視して、日本を射程に入れたミサイルと核開発を続けている。

アメリカのトランプ共和党政権は、北朝鮮の核開発を阻止し、中国の軍事的台頭を抑止しようとしているが、アメリカも一枚岩ではない。

アメリカには、中国共産党政府との友好を重視する政治家や官僚も多数存在するし、北朝鮮の核開発を阻止できるかどうかも不明だ。 戦争、占領、そして敗戦革命の危機が再び日本を襲わないと誰が保証できよう。

来るべき危機に備えるためにも、先人たちはどのように奮闘したのか、その苦闘の歴史を一人でも多くの人に知ってほしいと願っている。

なお、本文中での参考文献引用にあたって、旧字旧かな遣いを新字新かな遣いに改め、一部漢字をかなに置換するなど表記変更を行なった。適宜改行も施している。

本書の場合、戦前・戦中・戦後、実際にとのようなことが書かれ、論じられていたのかを知ることが最優先であるとの判断に基づき、現代の読者に読みやすくなるよう配慮したものである。

ご了解賜りたい。

本書の上梓にあたって、川上達史さん(PHP研究所)と山内智恵子さんには、一方ならぬご支援をいただいた。

特に山内さんには、「ヴェノナ文書」の研究をけじめとするアメリカの最新歴史研究に関する多くの著作や論文を邦訳していただいたおかけで、本書でもアメリカの最新の研究成果を紹介することができた。

最後に、中西輝政先生には、前著に引き続き、推薦の言葉をお寄せいただいた。

30年以上も前から「インテリジェンス・ヒストリー(情報史学)」という新たな学問を日本に構築しようと奮闘してこられた中西先生に、心からの敬意を表するとともに、この場をお借りして御礼を申しあげたい。

平成30年7月吉日                                   

江崎道朗


ソ連を司令塔に仰ぎながら、アメリカと中国の二ヵ所で、日本の敗戦革命の計画立案と「革命の担い手」の養成が行なわれていたのである。

2018年10月20日 19時14分33秒 | 日記

以下は前章の続きである。

ソ連・コミンテルンは、日米戦争に追い込んだ日本に対して敗戦革命を引き起こすつもりであったし、その準備を周到に進めていた。 

その準備は、どこで誰の手によってされていたのか。

ソ連を司令塔に仰ぎながら、アメリカと中国の二ヵ所で、日本の敗戦革命の計画立案と「革命の担い手」の養成が行なわれていたのである。

日本は敗戦後、アメリカを中心とするGHQによって憲法改正を含む全面的な占領改革を強制された。

その対日占領政策の形成過程についての研究は1980年代から急速に進んできた。

その研究を全面的にひっくり返す事件が1995年に起こった。

第二次世界大戦前から戦中にかけて在米のソ連スパイとソ連本国との秘密通信を傍受し、それを解読した機密文書、通称「ヴェノナ文書」が公開されたのだ。

1989年、東西冷戦のシンボルともいうべきドイツのベルリンの壁が崩壊し、東欧諸国は次々と共産主義国から自由主義国へと変わった。

ソ連も1991年に崩壊し、共産主義体制を放棄し、ロシアとなった。 このツ連の崩壊に呼応するかのように、世界各国が第二次世界大戦当時の、いわゆる外交、特に秘密活動に関する「機密文書」を情報公開するようになったのだ。

「ヴェノナ文書」が公開されたのも、その一つであった。

この「ヴェノナ文書」の公開によって、アメリカのルーズヴェルト民主党政権内部に、ソ連・コミンテルンのスパイ、工作員たちが多数潜り込み、アメリカの対外政策に大きな影響を与えていたことが明らかになった。

これまでは「戦勝国のアメリカが、日本の民主化のために対日占領政策を立案した」といわれてきたが、ヴェノナ文書の公開とその研究の結果、「ルーズヴェルト民主党政権に潜り込んだコミンテルンの工作員たちが対日『敗戦革命』計画を立案していた」側面が明らかになりつつあるのだ。 

しかも、この対日「敗戦革命」計画に多大な影響を与えていたのが、第二次世界大戦中、延安を本拠地にしていた中国共産党と野坂参三であった。

本書では、中国共産党の対日心理戦争が現在に至る日中関係をいかに歪めてきたのか、ということについても触れている。

このようにしてアメリカと中国で対日「敗戦革命」の準備が周到に進められていたのに対して、日本政府と軍幹部は「右翼全体主義者」たちによって主導され、「国体護持」の名のもと、反米親ソ政策を推進し、進んでソ連の影響下に入ろうとしていた。

日本が終戦に際してこだわったのが「国体護持」であった。

驚くべきことに、彼ら「右翼全体主義者」にとって「国体護持」とは、「天皇制」のもとで、ソ連と友好関係を結ぶ社会主義政権を樹立することも許容範囲であったのだ。

それは、ソ連や中国共産党の「同盟国」になることを意味した(この恐るべき倒錯についても、本書で詳述する)。

一方、後に総理大臣となった吉田茂や重光葵ら「保守自由主義者」たちにとって「国体護持」とは、明治維新以来の国是である自由主義と立憲君主制を守ることであり、ソ連・コミンテルンの「敗戦革命」工作を阻止することであった。

それは、アメリカが主導する自由主義陣営に入ることであった。

要は「国体護持」の意味が、「右翼全体主義者」と「保守自由主義者」とでは、まったく異なっていたのである

だが、その違いを明確に理解している人が少なかったことが、終戦交渉をいたずらに混乱させることになった(残念ながら、今もこの違いを明確に理解している人は少ない)。

日本にとって幸いであったことは、昭和天皇がこの二つの違いを明確に理解されていたことであった。

昭和天皇は、保守自由主義者の主張する「国体護持」に賛同され、敗戦を決断された。

この決断によって日本は、ソ連が主導する共産主義陣営ではなく、アメリカが主導する白由主義陣営に属することができたのだ。

もし昭和天皇が終戦に際してソ連との連携の道を模索されていたならば、日本は間違いなく、北朝鮮と同じ道を歩むことになったであろう。

昭和天皇と保守自由主義者たちの奮闘によって、かろうじて「ポツダム宣言」受諾による終戦にこぎつけたものの、それで諦めるようなソ連・コミンテルンではなかった。

敗戦後、GHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちは日本で敗戦革命を引き起こすべく、日本の政治体制を弱体化するだけでなく、デフレ政策と生産能力の低下を強制することで意図的に経済的困窮へと日本国民を追い込み、社会不安を煽ったのだ。

敗戦後の窮乏、食糧危機は空襲によって生産施設が破壊されたからだと思っている人が多いが、実際は、日本は意図的に食糧危機に追い込まれていた。

しかも、こうした食糧危機を背景にGHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちが、中国から帰国した野坂参三らと連携して、敗戦革命工作を推進した。

この工作に呼応して「左翼全体主義者」たちも、労働組合を相次いで結成し、大規模な反政府グループを組織していく。

何しろ、戦勝国のソ連とGHQが、日本共産党を支援していた時代なのだ。

対する日本は、軍もまともな警察も、テロや内乱に対応する法律もなかった。

マスコミはGHQの検閲によって言論の自由を奪われ、有能な人材の多くは、公職を追放され、政治活動を禁じられていた。

まさに、敗戦直後の日本こそ最大の危機たった

このままだと、ゼネストから人民戦線内閣樹立、そして敗戦革命へと一気に事態は展開する可能性もあったが、こうした動きを「インテリジェンス」と「経済」の二つの分野で阻止しようとしたのが昭和天皇であり、吉田茂首相や石橋湛山蔵相ら保守自由主義者であった。 

敗戦後の日本は「軍事」と「外交」という二つの手段を奪われたが、「経済」と「インテリジェンス」を駆使して「敗戦革命」をなんとか阻止したといえる。

戦争に負けたら自動的に平和が訪れるというものではない。

「軍事」で敗北し、「外交」権限を奪われたとしても、「インテリジェンス」と「経済」の戦いは続くのだが、それを自覚している人は、当時の日本においても決して多くなかった。

むしろ時流に乗って戦時中に「徹底抗戦」を叫んだ政治家、軍人、高級官僚らエリートたちは未曾有の敗戦に直面したとき、うろたえ、逃げ回っただけでなく、その多くがGHQに迎合した。

もちろん、戦前のエリートたちがダメだったと非難したいのではない。

過去を糾弾することが本書の目的ではない。

近い将来、日本が戦争や内乱を仕掛けられるかもしれないと想定し、「外交」、「軍事」、「インテリジェンス」、「経済」などの分野で危機に対応できるよう法律、政治体制、予算、そして人材を整えるようにしておこうといっているのだ。

東西冷戦という共産主義の脅威との戦いは、ヨーロッパでは終結したかもしれないが、アジアでは未だに続いている。

本書を執筆している問も、中国は尖間諸島を含む南所諸島に車艦と戦闘機を派遣して地元住民の安全を脅かし、日本の土地と民間企業を買いまくっている。

北朝鮮も国際社会の非難を無視して、日本を射程に入れたミサイルと核開発を続けている。

アメリカのトランプ共和党政権は、北朝鮮の核開発を阻止し、中国の軍事的台頭を抑止しようとしているが、アメリカも一枚岩ではない。

アメリカには、中国共産党政府との友好を重視する政治家や官僚も多数存在するし、北朝鮮の核開発を阻止できるかどうかも不明だ。 戦争、占領、そして敗戦革命の危機が再び日本を襲わないと誰が保証できよう。

来るべき危機に備えるためにも、先人たちはどのように奮闘したのか、その苦闘の歴史を一人でも多くの人に知ってほしいと願っている。

なお、本文中での参考文献引用にあたって、旧字旧かな遣いを新字新かな遣いに改め、一部漢字をかなに置換するなど表記変更を行なった。適宜改行も施している。

本書の場合、戦前・戦中・戦後、実際にとのようなことが書かれ、論じられていたのかを知ることが最優先であるとの判断に基づき、現代の読者に読みやすくなるよう配慮したものである。

ご了解賜りたい。

本書の上梓にあたって、川上達史さん(PHP研究所)と山内智恵子さんには、一方ならぬご支援をいただいた。

特に山内さんには、「ヴェノナ文書」の研究をけじめとするアメリカの最新歴史研究に関する多くの著作や論文を邦訳していただいたおかけで、本書でもアメリカの最新の研究成果を紹介することができた。

最後に、中西輝政先生には、前著に引き続き、推薦の言葉をお寄せいただいた。

30年以上も前から「インテリジェンス・ヒストリー(情報史学)」という新たな学問を日本に構築しようと奮闘してこられた中西先生に、心からの敬意を表するとともに、この場をお借りして御礼を申しあげたい。

平成30年7月吉日                                   

江崎道朗


ソ連・コミンテルンは、日米戦争に追い込んだ日本に対して敗戦革命を引き起こすつもりであったし、その準備を周到に進めていた。 

2018年10月20日 19時13分22秒 | 日記

以下は前章の続きである。

ソ連・コミンテルンは、日米戦争に追い込んだ日本に対して敗戦革命を引き起こすつもりであったし、その準備を周到に進めていた。 

その準備は、どこで誰の手によってされていたのか。

ソ連を司令塔に仰ぎながら、アメリカと中国の二ヵ所で、日本の敗戦革命の計画立案と「革命の担い手」の養成が行なわれていたのである。

日本は敗戦後、アメリカを中心とするGHQによって憲法改正を含む全面的な占領改革を強制された。

その対日占領政策の形成過程についての研究は1980年代から急速に進んできた。

その研究を全面的にひっくり返す事件が1995年に起こった。

第二次世界大戦前から戦中にかけて在米のソ連スパイとソ連本国との秘密通信を傍受し、それを解読した機密文書、通称「ヴェノナ文書」が公開されたのだ。

1989年、東西冷戦のシンボルともいうべきドイツのベルリンの壁が崩壊し、東欧諸国は次々と共産主義国から自由主義国へと変わった。

ソ連も1991年に崩壊し、共産主義体制を放棄し、ロシアとなった。 このツ連の崩壊に呼応するかのように、世界各国が第二次世界大戦当時の、いわゆる外交、特に秘密活動に関する「機密文書」を情報公開するようになったのだ。

「ヴェノナ文書」が公開されたのも、その一つであった。

この「ヴェノナ文書」の公開によって、アメリカのルーズヴェルト民主党政権内部に、ソ連・コミンテルンのスパイ、工作員たちが多数潜り込み、アメリカの対外政策に大きな影響を与えていたことが明らかになった。

これまでは「戦勝国のアメリカが、日本の民主化のために対日占領政策を立案した」といわれてきたが、ヴェノナ文書の公開とその研究の結果、「ルーズヴェルト民主党政権に潜り込んだコミンテルンの工作員たちが対日『敗戦革命』計画を立案していた」側面が明らかになりつつあるのだ。 

しかも、この対日「敗戦革命」計画に多大な影響を与えていたのが、第二次世界大戦中、延安を本拠地にしていた中国共産党と野坂参三であった。

本書では、中国共産党の対日心理戦争が現在に至る日中関係をいかに歪めてきたのか、ということについても触れている。

このようにしてアメリカと中国で対日「敗戦革命」の準備が周到に進められていたのに対して、日本政府と軍幹部は「右翼全体主義者」たちによって主導され、「国体護持」の名のもと、反米親ソ政策を推進し、進んでソ連の影響下に入ろうとしていた。

日本が終戦に際してこだわったのが「国体護持」であった。

驚くべきことに、彼ら「右翼全体主義者」にとって「国体護持」とは、「天皇制」のもとで、ソ連と友好関係を結ぶ社会主義政権を樹立することも許容範囲であったのだ。

それは、ソ連や中国共産党の「同盟国」になることを意味した(この恐るべき倒錯についても、本書で詳述する)。

一方、後に総理大臣となった吉田茂や重光葵ら「保守自由主義者」たちにとって「国体護持」とは、明治維新以来の国是である自由主義と立憲君主制を守ることであり、ソ連・コミンテルンの「敗戦革命」工作を阻止することであった。

それは、アメリカが主導する自由主義陣営に入ることであった。

要は「国体護持」の意味が、「右翼全体主義者」と「保守自由主義者」とでは、まったく異なっていたのである

だが、その違いを明確に理解している人が少なかったことが、終戦交渉をいたずらに混乱させることになった(残念ながら、今もこの違いを明確に理解している人は少ない)。

日本にとって幸いであったことは、昭和天皇がこの二つの違いを明確に理解されていたことであった。

昭和天皇は、保守自由主義者の主張する「国体護持」に賛同され、敗戦を決断された。

この決断によって日本は、ソ連が主導する共産主義陣営ではなく、アメリカが主導する白由主義陣営に属することができたのだ。

もし昭和天皇が終戦に際してソ連との連携の道を模索されていたならば、日本は間違いなく、北朝鮮と同じ道を歩むことになったであろう。

昭和天皇と保守自由主義者たちの奮闘によって、かろうじて「ポツダム宣言」受諾による終戦にこぎつけたものの、それで諦めるようなソ連・コミンテルンではなかった。

敗戦後、GHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちは日本で敗戦革命を引き起こすべく、日本の政治体制を弱体化するだけでなく、デフレ政策と生産能力の低下を強制することで意図的に経済的困窮へと日本国民を追い込み、社会不安を煽ったのだ。

敗戦後の窮乏、食糧危機は空襲によって生産施設が破壊されたからだと思っている人が多いが、実際は、日本は意図的に食糧危機に追い込まれていた。

しかも、こうした食糧危機を背景にGHQに潜り込んだソ連・コミンテルンの工作員たちが、中国から帰国した野坂参三らと連携して、敗戦革命工作を推進した。

この工作に呼応して「左翼全体主義者」たちも、労働組合を相次いで結成し、大規模な反政府グループを組織していく。

何しろ、戦勝国のソ連とGHQが、日本共産党を支援していた時代なのだ。

対する日本は、軍もまともな警察も、テロや内乱に対応する法律もなかった。

マスコミはGHQの検閲によって言論の自由を奪われ、有能な人材の多くは、公職を追放され、政治活動を禁じられていた。

まさに、敗戦直後の日本こそ最大の危機たった

このままだと、ゼネストから人民戦線内閣樹立、そして敗戦革命へと一気に事態は展開する可能性もあったが、こうした動きを「インテリジェンス」と「経済」の二つの分野で阻止しようとしたのが昭和天皇であり、吉田茂首相や石橋湛山蔵相ら保守自由主義者であった。 

敗戦後の日本は「軍事」と「外交」という二つの手段を奪われたが、「経済」と「インテリジェンス」を駆使して「敗戦革命」をなんとか阻止したといえる。

戦争に負けたら自動的に平和が訪れるというものではない。

「軍事」で敗北し、「外交」権限を奪われたとしても、「インテリジェンス」と「経済」の戦いは続くのだが、それを自覚している人は、当時の日本においても決して多くなかった。

むしろ時流に乗って戦時中に「徹底抗戦」を叫んだ政治家、軍人、高級官僚らエリートたちは未曾有の敗戦に直面したとき、うろたえ、逃げ回っただけでなく、その多くがGHQに迎合した。

もちろん、戦前のエリートたちがダメだったと非難したいのではない。

過去を糾弾することが本書の目的ではない。

近い将来、日本が戦争や内乱を仕掛けられるかもしれないと想定し、「外交」、「軍事」、「インテリジェンス」、「経済」などの分野で危機に対応できるよう法律、政治体制、予算、そして人材を整えるようにしておこうといっているのだ。

東西冷戦という共産主義の脅威との戦いは、ヨーロッパでは終結したかもしれないが、アジアでは未だに続いている。

本書を執筆している問も、中国は尖間諸島を含む南所諸島に車艦と戦闘機を派遣して地元住民の安全を脅かし、日本の土地と民間企業を買いまくっている。

北朝鮮も国際社会の非難を無視して、日本を射程に入れたミサイルと核開発を続けている。

アメリカのトランプ共和党政権は、北朝鮮の核開発を阻止し、中国の軍事的台頭を抑止しようとしているが、アメリカも一枚岩ではない。

アメリカには、中国共産党政府との友好を重視する政治家や官僚も多数存在するし、北朝鮮の核開発を阻止できるかどうかも不明だ。 戦争、占領、そして敗戦革命の危機が再び日本を襲わないと誰が保証できよう。

来るべき危機に備えるためにも、先人たちはどのように奮闘したのか、その苦闘の歴史を一人でも多くの人に知ってほしいと願っている。

なお、本文中での参考文献引用にあたって、旧字旧かな遣いを新字新かな遣いに改め、一部漢字をかなに置換するなど表記変更を行なった。適宜改行も施している。

本書の場合、戦前・戦中・戦後、実際にとのようなことが書かれ、論じられていたのかを知ることが最優先であるとの判断に基づき、現代の読者に読みやすくなるよう配慮したものである。

ご了解賜りたい。

本書の上梓にあたって、川上達史さん(PHP研究所)と山内智恵子さんには、一方ならぬご支援をいただいた。

特に山内さんには、「ヴェノナ文書」の研究をけじめとするアメリカの最新歴史研究に関する多くの著作や論文を邦訳していただいたおかけで、本書でもアメリカの最新の研究成果を紹介することができた。

最後に、中西輝政先生には、前著に引き続き、推薦の言葉をお寄せいただいた。

30年以上も前から「インテリジェンス・ヒストリー(情報史学)」という新たな学問を日本に構築しようと奮闘してこられた中西先生に、心からの敬意を表するとともに、この場をお借りして御礼を申しあげたい。

平成30年7月吉日                                   

江崎道朗


前世紀から、世界の共産主義者による全体主義政権は一億人以上の人を殺害し、それ以上の数多くの人々を搾取、暴力、そして甚大な惨状に哂しました

2018年10月20日 19時09分58秒 | 日記

以下は九州大学を卒業して言論人となり、言論人として為すべき研究と検証を続けて本物の労作を著し続けている江崎道朗氏の最新刊からである。

九州大学への入学を志している者、現役、卒業生の全員が今すぐに最寄りの書店に向かって購読すべき本物の書籍である。

日本占領と「敗戦革命」の危機

はじめに―敗戦後の日本を襲った「敗戦革命」という危機

戦争は恐ろしい。

実はこの戦争と同じくらい恐ろしいのが、共産主義だ。

そして、共産主義の脅威は終わっていない。

現在進行形の「脅威」なのだというのが、アメリカのドナルド・トランプ大統領の認識だ。 

日本のマスコミは黙殺したが、トランプ大統領は韓国を訪問した2017年11月7日、この日を「共産主義犠牲者の国民的記念日(National Day for The Victims of Communism)」とするとして、次のような声明を出した。

《本日の共産主義犠牲者の国民的記念日は、ロシアで起きたボルシェビキ革命から百周年を記念するものです。

ボルシェビキ革命は、ソビエト連邦と数十年にわたる圧政的な共産主義の暗黒の時代を生み出しました。

共産主義は、自由、繁栄、人間の命の尊厳とは相容れない政治思想です。

前世紀から、世界の共産主義者による全体主義政権は一億人以上の人を殺害し、それ以上の数多くの人々を搾取、暴力、そして甚大な惨状に哂しました。

このような活動は、偽の見せかけだけの自由の下で、罪のない人々から神が与えた自由な信仰の権利、結社の自由、そして極めて神聖な他の多くの権利を組織的に奪いました。

自由を切望する市民は、抑圧、暴力、そして恐怖を用いて支配下に置かれたのです。

今日、私たちは亡くなった方々のことを偲び、今も共産主義の下で苦しむすべての人々に思いを寄せます。

彼らのことを思い起こし、そして世界中で自由と機会を広めるために戦った人々の不屈の精神を称え、私たちの国は、より明るく自由な未来を切望するすべての人のために、自由の光を輝かせようという固い決意を再確認します》(原文英文は「ホワイトウス報道資料」

https://www.whitehouse.gov/briefings-statements/national-day-victims-communism/邦訳は「ドナルド・トランプNEWS」https://www.trumpnewsjapan.info/2017/11/09/national-day-for-the-victims-of-communism/

この声明のポイントは、四つある。

第一に、ロシア革命百周年に際して、改めて共産主義の問題点を強調したことだ。

その背景には、アメリカで現在、共産主義に共鳴し、自由主義、民主主義を敵視する風潮が左翼リベラル側のあいだで強まっていることがある。

第二に、(世界の共産主義者による全体主義政権は一億人以上の人を殺害し、それ以上の数多くの人々を搾取、暴力、そして甚大な惨状に哂しました)として、二十世紀において最大の犠牲者を生んだのは戦争ではなく、共産主義であったことを指摘したことだ。 

第三に、《私たちは亡くなった方々のことを偲び、今も共産主義の下で苦しむすべての人々に思いを寄せます》として、共産主義の脅威は現在進行形であることを指摘したことだ。 

日本では、東西冷戦の終了とともにイデオロギー対立の時代は終わったかのような「誤解」が振りまかれた。

だがトランプ大統領は、共産主義とその変形である全体主義の脅威が北朝鮮、そして中国において現在進行形であることを理解している、極めて珍しい指導者なのだ

このことを理解していないから、日本のトランプ報道は頓珍漢なものが多いのだ。

ちなみにこの声明を出した翌日、トランプ大統領は中国を訪問した。

アジア太平洋の平和と経済的利益のため中国共産党政府と取引するが、だからといって《今も共産主義の下で苦しむすべての人々)を忘れるつもりはないとの基本哲学を示したわけだ。

そのうえで第四に、アメリカ・ファーストを掲げ、国益を第一に考えるが、《世界中で自由と機会を広めるために戦った人々の不屈の精神を称え、私たちの国は、より明るく白由な未来を切望するすべての人のために、自由の光を輝かせようという固い決意を再確認します》として、共産主義・全体主義と戦う同盟国と連携し、「世界の」自由を守る方針を貫くと表明したのだ。

この「反共」声明をより具体化させたのが、その翌日の11月8日、韓国の国会においてトランプ大統領が行なった演説だ(全文は、2017年11月9日付『読売新聞』を参照のこと)。

この演説で目を引くのは、金正恩体制のもとで苦しむ北朝鮮人民の苦境について詳しく述べていることだ。 

《韓国の奇跡は、1953年に自由な国々の軍隊が進撃した地点―ソウルから北へちょうど24マイルの地点までしか届いていない。

そこで終わり。すべてが止まった。行き止まりだ。繁栄はそこで止まり、残念ながらそこからは監獄国家、北朝鮮が始まる》

では「監獄国家」とはどういうことか。

(北朝鮮の労働者たちは、耐え難い状況下で、へとへとになりながら何時間もほぼ無給で働いている。最近、すべての労働者が70日間連続での労働を命じられた。休みたいなら金を払わなければならない。

北朝鮮の家族は、給排水もない家に暮らし、電気が來ている家は半分にも満たない。親たちは、息子や娘が強制労働に送られるのを免除してもらおうと教師に賄賂を贈る。1990年代には100万人以上が餓死した。今日も飢えによる死者が続いている。5歳未満の子供たちの約30%は、栄養失調による発育不良に苦しんでいる。北朝鮮政権は2012、13年に、その独裁者たちをとだえる記念碑や塔、像をこれまで以上に建造し、それに費やした費用は約2億ドルに上ったと見積もられる。これは、国民の生活改善に充てた予算の約半分に及ぶ》

日本でも、ブラック企業が問題になっているが、北朝鮮は、そんな生易しいものではない。

一党独裁の朝鮮労働党の幹部たちだけが豪華な暮らしをする一方で、一般の家庭の多くは未だに水道もなく、電気も通っていない。

当然、クーラーなどもない。満足に食糧もなく、百万人以上が餓死したが、こうした状況を批判すれば、強制収容所に送られ、拷問・レイプのうえ、殺されるのだ。

共産主義体制とは一部の特権階級のもとで、多くの庶民が弾圧され、いくら働いても満足な食事もできず、風呂にも入れず、不満をいえば殺される政治制度なのだ。

その恐ろしい体制が日本のすぐ隣に存在している。 

では、なぜ北朝鮮は、こうした残酷な共産主義体制になってしまったのか。

北朝鮮の悲劇は、ソ連・コミンテルンの工作と、先の大戦および日本の敗戦の結果、生まれたのだ。

そもそも共産主義体制が人類の歴史に姿を現したのが、1917年に起きたロシア革命によってであった。

世界初の共産主義国家となったソ連は厄介なことに、コミンテルンという世界の共産主義者ネットワークを構築し、世界「共産」革命を目指して、各国に対する工作を仕掛けた。

具体的には、世界各国のマスコミ、労働組合、政府、軍のなかに「工作員」を送り込み、秘密裏にその国の世論に影響を与え、対象国の政治を操ろうとした。

その目的は、資本主義国同士をいがみ合わせ、戦争を引き起こし、敗戦に追い込むことで、その混乱に乗じて一気に権力を奪取し、共産党政権を樹立しようというものであった。「敗戦革命」と呼ばれる。

このコミンテルンの対日工作の実態は、2017年に発刊した拙著『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』(PHP新書)において詳述したが、コミンテルンの工作に振り回された日本の課題を明らかにするため、明治維新から説き起こしている。

詳しくは拙著を読んでほしいが、明治以降、日本は「庶民の日本」と「エリートの日本」の二つの世界があり、断絶していた。

庶民たちと異なり、エリートたちの多くは、日本の伝統を軽んじることを教えられ、精神的な空洞のなかに追い込まれていた。

しかも、「祖国・伝統喪失」状況に置かれた「エリート」たちは大正時代以降、主として次の三つのグループに細分化していた。

第一は、世界恐慌を背景に「資本主義はもうダメだ」という不信感に棊づいて、社会主義にのめりこんだ「左翼全体主義」のグループだ。昭和初期以降、このグループに属する学者、ジャーナリスト、官僚、軍人たちがソ連・コミンテルンの「秘密工作」に同調し、日本を英米との戦争へと誘導していった。

その代表的な人物が、近衛文麿首相のブレーンを務めた朝日新聞の尾崎秀実だ。

第二は、皇室を尊重し、教育勅語を重視する一方で、資本主義を掲げたアメリカやイギリスを敵視し、内心では社会主義に共感しながらも、「左翼」を弾圧し、「官僚独裁」政治にすることが戦争遂行のために必要であり、「国体」を守ることだと信じた「右翼全体主義」のグループだ。

いわゆる5.15事件から2.26事件、そして大政翼賛会に至る動きを主導したのがこのグループだ。

第三は、聖徳太子以来の政治的伝統を独学で懸命に学ぶなかで、議会制民主主義を尊重し、統制経済に反対し、コミンテルンの「対日工作」に警戒心を抱き、「皇室のもとで秩序ある自由」を守ろうとした「保守自由主義」のグループだ。

「右翼全体主義者」と「保守自由主義者」は、皇室を仰ぎ、伝統を尊重することでは一致していたものの、言論の自由、議会制民主主義、経済政策などの面では、まったく異なっていた。

そのため、美濃部達吉博士のような「保守自由主義者」は、政権と軍部を主導した「右翼全体主義者」たちによって弾圧され、日本は「反米親ソ」、「統制経済から全休主義」へと進み、日米開戦、そして敗戦へと追い込まれた。

この敗戦の結果、日本の支配下にあった北朝鮮地域は、ソ連軍によって占領され、ソ連の軍事力を背景に金日成たち共産党勢力(朝鮮労働党)が1948年9月、朝鮮民主主義人民共和国の建国を宣言した。 コミンテルンの対日・対米工作、日米戦争の勃発、日本の敗戦、ソ連軍が日本支配下匚あった北朝鮮地域を占領、ソ連の支援を受けた朝鮮労働党が権力を掌握、共産主義政権の樹立という流れだ。

北朝鮮は、ソ連・コミンテルンによる対日「敗戦革命」工作の結果、生まれたのだ。

こうした基本認識が、現在の日本には決定的に欠落している。

北朝鮮を襲った「敗戦革命」は、日本もターゲットにしていた。

大半の人たちは気づいていないが、日本もまた北朝鮮のようにソ連の影響下で共産主義体制になっていたかもしれなかったのだ。

これが本書の主題である。

この稿続く。

 


以下は昨日の検索数ベスト50である。

2018年10月20日 09時22分31秒 | 日記

順位

ページ名

1

中国は経済大国になっても一党独裁をやめず、民主化もしない国だと、歴史的経緯を辿りながら告発している。

2

they earn their living by CERD must read this report first and foremost

3

The United States came in such a place, this country studied Japan

4

中国は北朝鮮と並ぶ弾圧国家で、南アフリカのアパルトヘイトさながらの人種差別国家であると激しく非難した。

5

「常に政治犯について言及せよ」、「米中2国間協議では必ず人権を議題に加えよ」、「相互主義を強調せよ」などと17項目にわたって、中国との戦い方を詳述

6

中国の製品はおよそ全て、日本やアメリカなどから奪った技術により製造されており、中国は経済的に行き詰まる。 

7

The new Cold War of the United States and China is deepening.

8

In addition, the circumstances surrounding the human rights under the Xi Jinping president

9

China is an oppressive state alongside North Korea, a racist country as South Africa apartheid

10

a senior official of the Ministry of National Security, China's intelligence agency

11

以下は昨日の検索数ベスト50である。

12

こうした矢継早の措置を10月4日のペンス副大統領の厳しい演説に重ねると、米国が中国に対してどれほど強い警戒心を抱いているか、明白に

13

右の三要素によって中国は輸出製品を安く製造し、アメリカをはじめ世界の強豪と競っているが、これこそ途方もなく不公正、不公平だと、トランプ大統領は

14

同盟国の日本が米国と同一歩調を取るべき場面である。他方、中国は日本に的を絞って微笑外交を展開中だ。天安門事件の当時を想い出す。

15

The international community does not allow such treatment.

16

①為替操作の禁止、 ②アメリカを含む諸外国の情報や技術の窃盗の禁止、③労働者を安い賃金で働かせる奴隷労働の禁止である

17

中国は日本を利用して世界の制裁を打ち破り、その後、尖閣諸島を中国領とする法律を作るなど、今日の横暴な中国の正体を見せ始めた。

18

to the United States by serving transportation fees and staying expenses.

19

米国が引き渡し条約を結んでいる国では、今後、中国は諜報活動ができなくなるわけです。中国は極めて深刻にとらえていると思います

20

日本ではあまり報じられなかったが、この事件は米中関係を大きく変えるものとして専門家の間で注目された。

21

He escaped from China, acquired German citizenship, and currently lives in Germany

22

航空エンジン・部品、アルミニウム精錬、石油化学、ナノテクノロジーなど、情報通信や軍事などの27産業にわたって米企業を保護する内容だ。

23

世界から経済制裁を受け、追い詰められた中国は、「制裁の環の最も弱い部分」が日本だと見定めて微笑外交を展開、日本はまっ先に制裁を解除し

24

ルビオ氏らは習近平政権によるウイグル人らイスラム教徒弾圧を、「人道に対する罪」ととらえて糾弾を続けている。

25

シユ氏は2013年12月頃からGEアビエーションなどに狙いを定め、技術者らを費用丸抱えで中国に招き、最新技術の窃盗につなげようとした

26

彼らに迎合しているかのような週刊誌の記事を題材にして、国会審議を、またもやストップさせる腹積もりなのである。

27

紛れもない天才、彼の裸婦は、絵の中で生きている…一瞬、動いたと思わされた絵もあった。

28

あれらの絵をかくに至った経緯においても、非難されなければならない事など、彼には何一つ無い!

29

米国、否、自由主義陣営は、中国の共産党一党独裁が覇権を目指している事を、明瞭に拒否し始めたという歴史的な転換を迎えている時に

30

私が藤田嗣治を真剣に観ようとして来なかったのは、4年前の8月まで、長い間、朝日新聞を購読していたからである。

31

それらの日本のために為すべき事は一切為さず週刊誌が取り上げた記事を元に、片山さつき議員のスキャンダルとやらを国会で追及するのが

33

その結果として消費税増税10%を決定事項としたのが民主党政権であり、これを後押ししたのが朝日、日経などのメディアや学者達だったのも歴然たる事実

34

そして今また…米中の偽りだった蜜月関係は終わり、二度と(政権交代等には関係なく)オバマの初期の様な関係には、米中は、ならない。

35

絶対的に悪税である消費税増税10%…そもそも、無能力の極みだった民主党政権が財務省丸投げ政権だった事は歴然たる事実である…。

36

そもそも、野党の政治屋たちなどが言ってきた「ドイツに学べ」を実行するならば、この政党は、即刻非合法化しなければならないのである。

37

Put simply, the Chiang Kai-shek army was a US mercenary who aimed at crushing Japan

38

野党の政治屋たちに対して、日本国民が年収4,500万以上の最高給を支払っているのは朝鮮半島レベルの漫画であり

39

but it is because there was a above all big tribute.

40

トップページ

41

and aimed at driving Japan into predicament economically.

42

辻元清美の両親の国籍は韓国なんでしょうか? 国籍が韓国である噂は多かったので、 帰化の噂の真相を調べてみますと、

43

Above all, I want to recover the honor of Japan stained by that Stimson statement

44

この小泉が、松沢病院に入院歴があるということについては、小泉家の極秘事項になっている。

45

Hirata Sueharu with the Spratly Islands had registered in Kaohsiung City.

46

Much less Spratly Islands possession etc., which belongs to Kaohsiung is not worth arguing

47

日本は敗戦で台湾を放棄した。南沙諸島を持つ平田末治は高雄市にその登記をしていた。

48

Trump put the brakes on Chinese egocentric.What Stimson said is a temporary expedient.

49

当のイアン・ブレマーが最後に言及した日本に対する提言は、NHKの愚かさを、いみじくも言い当てていたのである。

50

Beijing's Taiwanese ownership declaration ‘One China’ based on it is not admitted.

 


日本の過去の過ちを認め、朝鮮民族の南北分断の悲しみを自分のものとして、その解決のために私たちも努力する」といった内容を含む数項目の趣旨文に

2018年10月20日 09時19分30秒 | 日記

9月20日に発信した章を再掲載する。

以下はネットに掲載されている浮世風呂さんの記事からの抜粋である。

ピースボートが北朝鮮に渡航したクルーズは過去に5回ある。

1991年 第12回 「コリア」クルーズ

1996年 第19回 「ピョンヤン」クルーズ

2000年 第29回 「アジア未来航海」クルーズ

2001年 第34回 「南北コリア」クルーズ

2002年 第38回 「南北コリア・サハリン・国後島」クルーズ

2003年 第42回 「ヒロシマから南北コリア」クルーズ → 成立せず

6回目は失敗である。すでに北朝鮮が拉致を公式に認めており、クルーズを発表しても行くのは身内とシンパだけで成立するはずがない。
ボランティアの中には、この6回目の失敗を「ゴロの悪さで欠番になった」と信じている輩がいる。

ピースボートには2種類のクルーズがある。
1つは金さえ払えば、基本的に誰でも自由に参加できるクルーズ。
もう1つは「趣旨文への同意書」にサインしなければ参加できないクルーズ。
2001年「南北コリア」クルーズは後者に属する。

この「同意書」では何に同意しなければいけないのかというと、
「日本の過去の過ちを認め、朝鮮民族の南北分断の悲しみを自分のものとして、その解決のために私たちも努力する」といった内容を含む数項目の趣旨文に対する同意である。

●ピースボート時代、カンボジアでのPKO活動を視察した際、道路工事などの復興活動でヘトヘトの自衛官に向かって
「あんた!!そこ(胸ポケットを指差し)に(売春した時に必要な)コン○ーム持ってるでしょう!!」 と発言。
(宮嶋茂樹氏の著書 「ああ、堂々の自衛隊」より)

●平成21年5月ソマリア沖・アデン湾を航行する日本関係船舶7隻を日本の自衛艦が護衛。

うち1隻がピースボートの船旅の旅客船だった。

ピースボートは市民団体による海自派遣反対の共同声明にも名を連ねている。

事務局の担当者は「海上保安庁ではなく海自が派遣されているのは残念だが、主張とは別に参加者の安全が第一。(企画・実施会社が)護衛を依頼した判断を尊重する」と話している。

「反対だけど守って欲しい」