以下は村中璃子さんが、医療を蝕む「専門家」の存在、と題して、月刊誌Voice今月号に掲載した論文からである。
朝日新聞が子宮頸がんワクチン騒動を、これまた政府攻撃に格好の材料として、ワクチン接種反対を主導して、終には、これを中止させた愚挙に対して、朝日などのメディから叩かれ続けても、彼らの間違いを指摘し続ける不屈の意志を発揮し続けた姿に、国際社会が最高の敬意を表して、日本人として初めてのジョン・マドック賞を与えた経緯については、高山正之が教えてくれたとおりである。
この箇所はマスメディアの報道、特に、テレビの報道は、どのように作られ(編集され)ているのかを日本国民全員が肝銘じて知るべき最も重要な事が書いてあると言っても過言ではない。
民主主義を壊しているのはマスメディア自身であることと、このようなマスメディを宣伝工作が国是である国々は利用する事の、これ以上ない実例だからである。
前文省略。
見出し以外の文中強調は私。
「正義心旺盛」なメディアが果たした役割
医療が国策となり、恩恵よりも弊害を顕わにしていく過程で無視できないのは、「弱者目線」の両論併記をモットーとし、社会人文系学部出身の記者で固められた正義心旺盛なメディアの役割だろう。 「高度成長期、企業は収益を重視して環境対策を怠り、行政も見逃した。その結果、公害によって大勢の人の龠や健康が奪われた」という一文で始まる2018年3月22日付の『朝日新聞』社説「公害病半世紀 患者の苦痛を忘れまい」に見るとおり、被害者目線と科学やテクノロジーがもたらした弊害に対する怒りは現在のメディアでも健在だ。
1950年代から60年代にかけて、水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそくといった四大公害病が顕在化するなか「共通したのは、汚染源を指摘されながら、加害企業が住民らの起こした訴訟で敗訴するまで責任を認めない構図だ」と振り返り、大企業や国家などエスタブリッシュメントを弾劾する。
高度成長期を通じて、朝日新聞科学部は公害薬害問題を追及する数々の優れた仕事をした。
しかし、当時もいまも記者の大半は科学や医学に関わる個別の問題に自らが評価を下す能力や資格をもたない。
少々意地の悪い言い方をすれば、高度成長期には、体制に批判的であることがたまたま良質の仕事に繋がったということもできる。
義憤と先人観にとらわれたメディアは、どこかで中立性を失い、運動に加担してしまうこともあるようだ。
ある医療関連の集団訴訟で原告団に加わった40代の女性によれば、弁護士とメディアの両方から「被害者の演出」を求められたという。
抗議行動を行なう被害者や裁判所に向かう原告の姿をメディアで目にすることがあるが、「ああいうとき、手に何も持たずに前で両手を組んでいる女性がいますよね。女性が何も持たずに外に出るなんて不自然だと思いませんか?事前にブランド物のバッグは回収されるんです」と苦笑する。
泣いて注目を集めた原告は、弁護士に「心を打たれた」「皆さんの訴えが国を動かす」などと褒められるうちにカメラを向けられれば自然と涙を流せるようになる。
メディアもそれと知りながら、泣く原告をマークしては平然と撮影し、報じるのだという。
「NHKの下請けの番組制作会社が取材に来たときのことです。うちは大きな犬を飼っているんですが、幸せで裕福そうだからか犬を隠すよう言われました。また、家事をするところを撮りたいというので外で庭いじりしたら、台所にある上からカチッと引っ張る暗い蛍光灯の下のほうが顔色が悪く見えると、使ってもいない食器をそこで洗わされもしました。日テレも同じです。料理をしている姿を撮りたいというのでお隣からいただいたタケノコをゆがこうとすると、『タケノコはちょっと……』と。冷蔵庫を覗いたらぬか漬けのキュウリがあったので、結局これを切る羽目になりました」と語る。
この稿続く。