文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

日テレも同じです。料理をしている姿を撮りたいというのでお隣からいただいたタケノコをゆがこうとすると、『タケノコはちょっと……』と。

2018年11月11日 20時27分50秒 | 日記

以下は村中璃子さんが、医療を蝕む「専門家」の存在、と題して、月刊誌Voice今月号に掲載した論文からである。

朝日新聞が子宮頸がんワクチン騒動を、これまた政府攻撃に格好の材料として、ワクチン接種反対を主導して、終には、これを中止させた愚挙に対して、朝日などのメディから叩かれ続けても、彼らの間違いを指摘し続ける不屈の意志を発揮し続けた姿に、国際社会が最高の敬意を表して、日本人として初めてのジョン・マドック賞を与えた経緯については、高山正之が教えてくれたとおりである。

この箇所はマスメディアの報道、特に、テレビの報道は、どのように作られ(編集され)ているのかを日本国民全員が肝銘じて知るべき最も重要な事が書いてあると言っても過言ではない。

民主主義を壊しているのはマスメディア自身であることと、このようなマスメディを宣伝工作が国是である国々は利用する事の、これ以上ない実例だからである。

前文省略。

見出し以外の文中強調は私。

「正義心旺盛」なメディアが果たした役割

医療が国策となり、恩恵よりも弊害を顕わにしていく過程で無視できないのは、「弱者目線」の両論併記をモットーとし、社会人文系学部出身の記者で固められた正義心旺盛なメディアの役割だろう。 「高度成長期、企業は収益を重視して環境対策を怠り、行政も見逃した。その結果、公害によって大勢の人の龠や健康が奪われた」という一文で始まる2018年3月22日付の『朝日新聞』社説「公害病半世紀 患者の苦痛を忘れまい」に見るとおり、被害者目線と科学やテクノロジーがもたらした弊害に対する怒りは現在のメディアでも健在だ。

1950年代から60年代にかけて、水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそくといった四大公害病が顕在化するなか「共通したのは、汚染源を指摘されながら、加害企業が住民らの起こした訴訟で敗訴するまで責任を認めない構図だ」と振り返り、大企業や国家などエスタブリッシュメントを弾劾する。 

高度成長期を通じて、朝日新聞科学部は公害薬害問題を追及する数々の優れた仕事をした。

しかし、当時もいまも記者の大半は科学や医学に関わる個別の問題に自らが評価を下す能力や資格をもたない。

少々意地の悪い言い方をすれば、高度成長期には、体制に批判的であることがたまたま良質の仕事に繋がったということもできる。 

義憤と先人観にとらわれたメディアは、どこかで中立性を失い、運動に加担してしまうこともあるようだ。

ある医療関連の集団訴訟で原告団に加わった40代の女性によれば、弁護士とメディアの両方から「被害者の演出」を求められたという。

抗議行動を行なう被害者や裁判所に向かう原告の姿をメディアで目にすることがあるが、「ああいうとき、手に何も持たずに前で両手を組んでいる女性がいますよね。女性が何も持たずに外に出るなんて不自然だと思いませんか?事前にブランド物のバッグは回収されるんです」と苦笑する。

泣いて注目を集めた原告は、弁護士に「心を打たれた」「皆さんの訴えが国を動かす」などと褒められるうちにカメラを向けられれば自然と涙を流せるようになる。

メディアもそれと知りながら、泣く原告をマークしては平然と撮影し、報じるのだという。 

「NHKの下請けの番組制作会社が取材に来たときのことです。うちは大きな犬を飼っているんですが、幸せで裕福そうだからか犬を隠すよう言われました。また、家事をするところを撮りたいというので外で庭いじりしたら、台所にある上からカチッと引っ張る暗い蛍光灯の下のほうが顔色が悪く見えると、使ってもいない食器をそこで洗わされもしました。日テレも同じです。料理をしている姿を撮りたいというのでお隣からいただいたタケノコをゆがこうとすると、『タケノコはちょっと……』と。冷蔵庫を覗いたらぬか漬けのキュウリがあったので、結局これを切る羽目になりました」と語る。

この稿続く。


台所にある上からカチッと引っ張る暗い蛍光灯の下のほうが顔色が悪く見えると、使ってもいない食器をそこで洗わされもしました。

2018年11月11日 20時25分39秒 | 日記

以下は村中璃子さんが、医療を蝕む「専門家」の存在、と題して、月刊誌Voice今月号に掲載した論文からである。

朝日新聞が子宮頸がんワクチン騒動を、これまた政府攻撃に格好の材料として、ワクチン接種反対を主導して、終には、これを中止させた愚挙に対して、朝日などのメディから叩かれ続けても、彼らの間違いを指摘し続ける不屈の意志を発揮し続けた姿に、国際社会が最高の敬意を表して、日本人として初めてのジョン・マドック賞を与えた経緯については、高山正之が教えてくれたとおりである。

この箇所はマスメディアの報道、特に、テレビの報道は、どのように作られ(編集され)ているのかを日本国民全員が肝銘じて知るべき最も重要な事が書いてあると言っても過言ではない。

民主主義を壊しているのはマスメディア自身であることと、このようなマスメディを宣伝工作が国是である国々は利用する事の、これ以上ない実例だからである。

前文省略。

見出し以外の文中強調は私。

「正義心旺盛」なメディアが果たした役割

医療が国策となり、恩恵よりも弊害を顕わにしていく過程で無視できないのは、「弱者目線」の両論併記をモットーとし、社会人文系学部出身の記者で固められた正義心旺盛なメディアの役割だろう。 「高度成長期、企業は収益を重視して環境対策を怠り、行政も見逃した。その結果、公害によって大勢の人の龠や健康が奪われた」という一文で始まる2018年3月22日付の『朝日新聞』社説「公害病半世紀 患者の苦痛を忘れまい」に見るとおり、被害者目線と科学やテクノロジーがもたらした弊害に対する怒りは現在のメディアでも健在だ。

1950年代から60年代にかけて、水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそくといった四大公害病が顕在化するなか「共通したのは、汚染源を指摘されながら、加害企業が住民らの起こした訴訟で敗訴するまで責任を認めない構図だ」と振り返り、大企業や国家などエスタブリッシュメントを弾劾する。 

高度成長期を通じて、朝日新聞科学部は公害薬害問題を追及する数々の優れた仕事をした。

しかし、当時もいまも記者の大半は科学や医学に関わる個別の問題に自らが評価を下す能力や資格をもたない。

少々意地の悪い言い方をすれば、高度成長期には、体制に批判的であることがたまたま良質の仕事に繋がったということもできる。 

義憤と先人観にとらわれたメディアは、どこかで中立性を失い、運動に加担してしまうこともあるようだ。

ある医療関連の集団訴訟で原告団に加わった40代の女性によれば、弁護士とメディアの両方から「被害者の演出」を求められたという。

抗議行動を行なう被害者や裁判所に向かう原告の姿をメディアで目にすることがあるが、「ああいうとき、手に何も持たずに前で両手を組んでいる女性がいますよね。女性が何も持たずに外に出るなんて不自然だと思いませんか?事前にブランド物のバッグは回収されるんです」と苦笑する。

泣いて注目を集めた原告は、弁護士に「心を打たれた」「皆さんの訴えが国を動かす」などと褒められるうちにカメラを向けられれば自然と涙を流せるようになる。

メディアもそれと知りながら、泣く原告をマークしては平然と撮影し、報じるのだという。 

「NHKの下請けの番組制作会社が取材に来たときのことです。うちは大きな犬を飼っているんですが、幸せで裕福そうだからか犬を隠すよう言われました。また、家事をするところを撮りたいというので外で庭いじりしたら、台所にある上からカチッと引っ張る暗い蛍光灯の下のほうが顔色が悪く見えると、使ってもいない食器をそこで洗わされもしました。日テレも同じです。料理をしている姿を撮りたいというのでお隣からいただいたタケノコをゆがこうとすると、『タケノコはちょっと……』と。冷蔵庫を覗いたらぬか漬けのキュウリがあったので、結局これを切る羽目になりました」と語る。

この稿続く。


NHKの下請けの番組制作会社が取材に来たときのことです。うちは大きな犬を飼っているんですが、幸せで裕福そうだからか犬を隠すよう言われました

2018年11月11日 19時24分30秒 | 日記

以下は村中璃子さんが、医療を蝕む「専門家」の存在、と題して、月刊誌Voice今月号に掲載した論文からである。

朝日新聞が子宮頸がんワクチン騒動を、これまた政府攻撃に格好の材料として、ワクチン接種反対を主導して、終には、これを中止させた愚挙に対して、朝日などのメディから叩かれ続けても、彼らの間違いを指摘し続ける不屈の意志を発揮し続けた姿に、国際社会が最高の敬意を表して、日本人として初めてのジョン・マドック賞を与えた経緯については、高山正之が教えてくれたとおりである。

この箇所はマスメディアの報道、特に、テレビの報道は、どのように作られ(編集され)ているのかを日本国民全員が肝銘じて知るべき最も重要な事が書いてあると言っても過言ではない。

民主主義を壊しているのはマスメディア自身であることと、このようなマスメディを宣伝工作が国是である国々は利用する事の、これ以上ない実例だからである。

前文省略。

見出し以外の文中強調は私。

「正義心旺盛」なメディアが果たした役割

医療が国策となり、恩恵よりも弊害を顕わにしていく過程で無視できないのは、「弱者目線」の両論併記をモットーとし、社会人文系学部出身の記者で固められた正義心旺盛なメディアの役割だろう。 「高度成長期、企業は収益を重視して環境対策を怠り、行政も見逃した。その結果、公害によって大勢の人の龠や健康が奪われた」という一文で始まる2018年3月22日付の『朝日新聞』社説「公害病半世紀 患者の苦痛を忘れまい」に見るとおり、被害者目線と科学やテクノロジーがもたらした弊害に対する怒りは現在のメディアでも健在だ。

1950年代から60年代にかけて、水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそくといった四大公害病が顕在化するなか「共通したのは、汚染源を指摘されながら、加害企業が住民らの起こした訴訟で敗訴するまで責任を認めない構図だ」と振り返り、大企業や国家などエスタブリッシュメントを弾劾する。 

高度成長期を通じて、朝日新聞科学部は公害薬害問題を追及する数々の優れた仕事をした。

しかし、当時もいまも記者の大半は科学や医学に関わる個別の問題に自らが評価を下す能力や資格をもたない。

少々意地の悪い言い方をすれば、高度成長期には、体制に批判的であることがたまたま良質の仕事に繋がったということもできる。 

義憤と先人観にとらわれたメディアは、どこかで中立性を失い、運動に加担してしまうこともあるようだ。

ある医療関連の集団訴訟で原告団に加わった40代の女性によれば、弁護士とメディアの両方から「被害者の演出」を求められたという。

抗議行動を行なう被害者や裁判所に向かう原告の姿をメディアで目にすることがあるが、「ああいうとき、手に何も持たずに前で両手を組んでいる女性がいますよね。女性が何も持たずに外に出るなんて不自然だと思いませんか?事前にブランド物のバッグは回収されるんです」と苦笑する。

泣いて注目を集めた原告は、弁護士に「心を打たれた」「皆さんの訴えが国を動かす」などと褒められるうちにカメラを向けられれば自然と涙を流せるようになる。

メディアもそれと知りながら、泣く原告をマークしては平然と撮影し、報じるのだという。 

「NHKの下請けの番組制作会社が取材に来たときのことです。うちは大きな犬を飼っているんですが、幸せで裕福そうだからか犬を隠すよう言われました。また、家事をするところを撮りたいというので外で庭いじりしたら、台所にある上からカチッと引っ張る暗い蛍光灯の下のほうが顔色が悪く見えると、使ってもいない食器をそこで洗わされもしました。日テレも同じです。料理をしている姿を撮りたいというのでお隣からいただいたタケノコをゆがこうとすると、『タケノコはちょっと……』と。冷蔵庫を覗いたらぬか漬けのキュウリがあったので、結局これを切る羽目になりました」と語る。

この稿続く。


メディアもそれと知りながら、泣く原告をマークしては平然と撮影し、報じるのだという。

2018年11月11日 19時22分44秒 | 日記

以下は村中璃子さんが、医療を蝕む「専門家」の存在、と題して、月刊誌Voice今月号に掲載した論文からである。

朝日新聞が子宮頸がんワクチン騒動を、これまた政府攻撃に格好の材料として、ワクチン接種反対を主導して、終には、これを中止させた愚挙に対して、朝日などのメディから叩かれ続けても、彼らの間違いを指摘し続ける不屈の意志を発揮し続けた姿に、国際社会が最高の敬意を表して、日本人として初めてのジョン・マドック賞を与えた経緯については、高山正之が教えてくれたとおりである。

この箇所はマスメディアの報道、特に、テレビの報道は、どのように作られ(編集され)ているのかを日本国民全員が肝銘じて知るべき最も重要な事が書いてあると言っても過言ではない。

民主主義を壊しているのはマスメディア自身であることと、このようなマスメディを宣伝工作が国是である国々は利用する事の、これ以上ない実例だからである。

前文省略。

見出し以外の文中強調は私。

「正義心旺盛」なメディアが果たした役割

医療が国策となり、恩恵よりも弊害を顕わにしていく過程で無視できないのは、「弱者目線」の両論併記をモットーとし、社会人文系学部出身の記者で固められた正義心旺盛なメディアの役割だろう。 「高度成長期、企業は収益を重視して環境対策を怠り、行政も見逃した。その結果、公害によって大勢の人の龠や健康が奪われた」という一文で始まる2018年3月22日付の『朝日新聞』社説「公害病半世紀 患者の苦痛を忘れまい」に見るとおり、被害者目線と科学やテクノロジーがもたらした弊害に対する怒りは現在のメディアでも健在だ。

1950年代から60年代にかけて、水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそくといった四大公害病が顕在化するなか「共通したのは、汚染源を指摘されながら、加害企業が住民らの起こした訴訟で敗訴するまで責任を認めない構図だ」と振り返り、大企業や国家などエスタブリッシュメントを弾劾する。 

高度成長期を通じて、朝日新聞科学部は公害薬害問題を追及する数々の優れた仕事をした。

しかし、当時もいまも記者の大半は科学や医学に関わる個別の問題に自らが評価を下す能力や資格をもたない。

少々意地の悪い言い方をすれば、高度成長期には、体制に批判的であることがたまたま良質の仕事に繋がったということもできる。 

義憤と先人観にとらわれたメディアは、どこかで中立性を失い、運動に加担してしまうこともあるようだ。

ある医療関連の集団訴訟で原告団に加わった40代の女性によれば、弁護士とメディアの両方から「被害者の演出」を求められたという。

抗議行動を行なう被害者や裁判所に向かう原告の姿をメディアで目にすることがあるが、「ああいうとき、手に何も持たずに前で両手を組んでいる女性がいますよね。女性が何も持たずに外に出るなんて不自然だと思いませんか?事前にブランド物のバッグは回収されるんです」と苦笑する。

泣いて注目を集めた原告は、弁護士に「心を打たれた」「皆さんの訴えが国を動かす」などと褒められるうちにカメラを向けられれば自然と涙を流せるようになる。

メディアもそれと知りながら、泣く原告をマークしては平然と撮影し、報じるのだという。 

「NHKの下請けの番組制作会社が取材に来たときのことです。うちは大きな犬を飼っているんですが、幸せで裕福そうだからか犬を隠すよう言われました。また、家事をするところを撮りたいというので外で庭いじりしたら、台所にある上からカチッと引っ張る暗い蛍光灯の下のほうが顔色が悪く見えると、使ってもいない食器をそこで洗わされもしました。日テレも同じです。料理をしている姿を撮りたいというのでお隣からいただいたタケノコをゆがこうとすると、『タケノコはちょっと……』と。冷蔵庫を覗いたらぬか漬けのキュウリがあったので、結局これを切る羽目になりました」と語る。

この稿続く。


泣いて注目を集めた原告は、弁護士に「心を打たれた」「皆さんの訴えが国を動かす」などと褒められるうちにカメラを向けられれば自然と涙を流せるように

2018年11月11日 19時19分25秒 | 日記

以下は村中璃子さんが、医療を蝕む「専門家」の存在、と題して、月刊誌Voice今月号に掲載した論文からである。

朝日新聞が子宮頸がんワクチン騒動を、これまた政府攻撃に格好の材料として、ワクチン接種反対を主導して、終には、これを中止させた愚挙に対して、朝日などのメディから叩かれ続けても、彼らの間違いを指摘し続ける不屈の意志を発揮し続けた姿に、国際社会が最高の敬意を表して、日本人として初めてのジョン・マドック賞を与えた経緯については、高山正之が教えてくれたとおりである。

この箇所はマスメディアの報道、特に、テレビの報道は、どのように作られ(編集され)ているのかを日本国民全員が肝銘じて知るべき最も重要な事が書いてあると言っても過言ではない。

民主主義を壊しているのはマスメディア自身であることと、このようなマスメディを宣伝工作が国是である国々は利用する事の、これ以上ない実例だからである。

前文省略。

見出し以外の文中強調は私。

「正義心旺盛」なメディアが果たした役割

医療が国策となり、恩恵よりも弊害を顕わにしていく過程で無視できないのは、「弱者目線」の両論併記をモットーとし、社会人文系学部出身の記者で固められた正義心旺盛なメディアの役割だろう。 「高度成長期、企業は収益を重視して環境対策を怠り、行政も見逃した。その結果、公害によって大勢の人の龠や健康が奪われた」という一文で始まる2018年3月22日付の『朝日新聞』社説「公害病半世紀 患者の苦痛を忘れまい」に見るとおり、被害者目線と科学やテクノロジーがもたらした弊害に対する怒りは現在のメディアでも健在だ。

1950年代から60年代にかけて、水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそくといった四大公害病が顕在化するなか「共通したのは、汚染源を指摘されながら、加害企業が住民らの起こした訴訟で敗訴するまで責任を認めない構図だ」と振り返り、大企業や国家などエスタブリッシュメントを弾劾する。 

高度成長期を通じて、朝日新聞科学部は公害薬害問題を追及する数々の優れた仕事をした。

しかし、当時もいまも記者の大半は科学や医学に関わる個別の問題に自らが評価を下す能力や資格をもたない。

少々意地の悪い言い方をすれば、高度成長期には、体制に批判的であることがたまたま良質の仕事に繋がったということもできる。 

義憤と先人観にとらわれたメディアは、どこかで中立性を失い、運動に加担してしまうこともあるようだ。

ある医療関連の集団訴訟で原告団に加わった40代の女性によれば、弁護士とメディアの両方から「被害者の演出」を求められたという。

抗議行動を行なう被害者や裁判所に向かう原告の姿をメディアで目にすることがあるが、「ああいうとき、手に何も持たずに前で両手を組んでいる女性がいますよね。女性が何も持たずに外に出るなんて不自然だと思いませんか?事前にブランド物のバッグは回収されるんです」と苦笑する。

泣いて注目を集めた原告は、弁護士に「心を打たれた」「皆さんの訴えが国を動かす」などと褒められるうちにカメラを向けられれば自然と涙を流せるようになる。

メディアもそれと知りながら、泣く原告をマークしては平然と撮影し、報じるのだという。 

「NHKの下請けの番組制作会社が取材に来たときのことです。うちは大きな犬を飼っているんですが、幸せで裕福そうだからか犬を隠すよう言われました。また、家事をするところを撮りたいというので外で庭いじりしたら、台所にある上からカチッと引っ張る暗い蛍光灯の下のほうが顔色が悪く見えると、使ってもいない食器をそこで洗わされもしました。日テレも同じです。料理をしている姿を撮りたいというのでお隣からいただいたタケノコをゆがこうとすると、『タケノコはちょっと……』と。冷蔵庫を覗いたらぬか漬けのキュウリがあったので、結局これを切る羽目になりました」と語る。

この稿続く。


抗議行動を行なう被害者や裁判所に向かう原告の姿をメディアで目にすることがあるが、「ああいうとき、手に何も持たずに前で両手を組んでいる女性が

2018年11月11日 19時17分47秒 | 日記

以下は村中璃子さんが、医療を蝕む「専門家」の存在、と題して、月刊誌Voice今月号に掲載した論文からである。

朝日新聞が子宮頸がんワクチン騒動を、これまた政府攻撃に格好の材料として、ワクチン接種反対を主導して、終には、これを中止させた愚挙に対して、朝日などのメディから叩かれ続けても、彼らの間違いを指摘し続ける不屈の意志を発揮し続けた姿に、国際社会が最高の敬意を表して、日本人として初めてのジョン・マドック賞を与えた経緯については、高山正之が教えてくれたとおりである。

この箇所はマスメディアの報道、特に、テレビの報道は、どのように作られ(編集され)ているのかを日本国民全員が肝銘じて知るべき最も重要な事が書いてあると言っても過言ではない。

民主主義を壊しているのはマスメディア自身であることと、このようなマスメディを宣伝工作が国是である国々は利用する事の、これ以上ない実例だからである。

前文省略。

見出し以外の文中強調は私。

「正義心旺盛」なメディアが果たした役割

医療が国策となり、恩恵よりも弊害を顕わにしていく過程で無視できないのは、「弱者目線」の両論併記をモットーとし、社会人文系学部出身の記者で固められた正義心旺盛なメディアの役割だろう。 「高度成長期、企業は収益を重視して環境対策を怠り、行政も見逃した。その結果、公害によって大勢の人の龠や健康が奪われた」という一文で始まる2018年3月22日付の『朝日新聞』社説「公害病半世紀 患者の苦痛を忘れまい」に見るとおり、被害者目線と科学やテクノロジーがもたらした弊害に対する怒りは現在のメディアでも健在だ。

1950年代から60年代にかけて、水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそくといった四大公害病が顕在化するなか「共通したのは、汚染源を指摘されながら、加害企業が住民らの起こした訴訟で敗訴するまで責任を認めない構図だ」と振り返り、大企業や国家などエスタブリッシュメントを弾劾する。 

高度成長期を通じて、朝日新聞科学部は公害薬害問題を追及する数々の優れた仕事をした。

しかし、当時もいまも記者の大半は科学や医学に関わる個別の問題に自らが評価を下す能力や資格をもたない。

少々意地の悪い言い方をすれば、高度成長期には、体制に批判的であることがたまたま良質の仕事に繋がったということもできる。 

義憤と先人観にとらわれたメディアは、どこかで中立性を失い、運動に加担してしまうこともあるようだ。

ある医療関連の集団訴訟で原告団に加わった40代の女性によれば、弁護士とメディアの両方から「被害者の演出」を求められたという。

抗議行動を行なう被害者や裁判所に向かう原告の姿をメディアで目にすることがあるが、「ああいうとき、手に何も持たずに前で両手を組んでいる女性がいますよね。女性が何も持たずに外に出るなんて不自然だと思いませんか?事前にブランド物のバッグは回収されるんです」と苦笑する。

泣いて注目を集めた原告は、弁護士に「心を打たれた」「皆さんの訴えが国を動かす」などと褒められるうちにカメラを向けられれば自然と涙を流せるようになる。

メディアもそれと知りながら、泣く原告をマークしては平然と撮影し、報じるのだという。 

「NHKの下請けの番組制作会社が取材に来たときのことです。うちは大きな犬を飼っているんですが、幸せで裕福そうだからか犬を隠すよう言われました。また、家事をするところを撮りたいというので外で庭いじりしたら、台所にある上からカチッと引っ張る暗い蛍光灯の下のほうが顔色が悪く見えると、使ってもいない食器をそこで洗わされもしました。日テレも同じです。料理をしている姿を撮りたいというのでお隣からいただいたタケノコをゆがこうとすると、『タケノコはちょっと……』と。冷蔵庫を覗いたらぬか漬けのキュウリがあったので、結局これを切る羽目になりました」と語る。

この稿続く。


ある医療関連の集団訴訟で原告団に加わった40代の女性によれば、弁護士とメディアの両方から「被害者の演出」を求められたという。

2018年11月11日 19時16分09秒 | 日記

以下は村中璃子さんが、医療を蝕む「専門家」の存在、と題して、月刊誌Voice今月号に掲載した論文からである。

朝日新聞が子宮頸がんワクチン騒動を、これまた政府攻撃に格好の材料として、ワクチン接種反対を主導して、終には、これを中止させた愚挙に対して、朝日などのメディから叩かれ続けても、彼らの間違いを指摘し続ける不屈の意志を発揮し続けた姿に、国際社会が最高の敬意を表して、日本人として初めてのジョン・マドック賞を与えた経緯については、高山正之が教えてくれたとおりである。

この箇所はマスメディアの報道、特に、テレビの報道は、どのように作られ(編集され)ているのかを日本国民全員が肝銘じて知るべき最も重要な事が書いてあると言っても過言ではない。

民主主義を壊しているのはマスメディア自身であることと、このようなマスメディを宣伝工作が国是である国々は利用する事の、これ以上ない実例だからである。

前文省略。

見出し以外の文中強調は私。

「正義心旺盛」なメディアが果たした役割

医療が国策となり、恩恵よりも弊害を顕わにしていく過程で無視できないのは、「弱者目線」の両論併記をモットーとし、社会人文系学部出身の記者で固められた正義心旺盛なメディアの役割だろう。 「高度成長期、企業は収益を重視して環境対策を怠り、行政も見逃した。その結果、公害によって大勢の人の龠や健康が奪われた」という一文で始まる2018年3月22日付の『朝日新聞』社説「公害病半世紀 患者の苦痛を忘れまい」に見るとおり、被害者目線と科学やテクノロジーがもたらした弊害に対する怒りは現在のメディアでも健在だ。

1950年代から60年代にかけて、水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそくといった四大公害病が顕在化するなか「共通したのは、汚染源を指摘されながら、加害企業が住民らの起こした訴訟で敗訴するまで責任を認めない構図だ」と振り返り、大企業や国家などエスタブリッシュメントを弾劾する。 

高度成長期を通じて、朝日新聞科学部は公害薬害問題を追及する数々の優れた仕事をした。

しかし、当時もいまも記者の大半は科学や医学に関わる個別の問題に自らが評価を下す能力や資格をもたない。

少々意地の悪い言い方をすれば、高度成長期には、体制に批判的であることがたまたま良質の仕事に繋がったということもできる。 

義憤と先人観にとらわれたメディアは、どこかで中立性を失い、運動に加担してしまうこともあるようだ。

ある医療関連の集団訴訟で原告団に加わった40代の女性によれば、弁護士とメディアの両方から「被害者の演出」を求められたという。

抗議行動を行なう被害者や裁判所に向かう原告の姿をメディアで目にすることがあるが、「ああいうとき、手に何も持たずに前で両手を組んでいる女性がいますよね。女性が何も持たずに外に出るなんて不自然だと思いませんか?事前にブランド物のバッグは回収されるんです」と苦笑する。

泣いて注目を集めた原告は、弁護士に「心を打たれた」「皆さんの訴えが国を動かす」などと褒められるうちにカメラを向けられれば自然と涙を流せるようになる。

メディアもそれと知りながら、泣く原告をマークしては平然と撮影し、報じるのだという。 

「NHKの下請けの番組制作会社が取材に来たときのことです。うちは大きな犬を飼っているんですが、幸せで裕福そうだからか犬を隠すよう言われました。また、家事をするところを撮りたいというので外で庭いじりしたら、台所にある上からカチッと引っ張る暗い蛍光灯の下のほうが顔色が悪く見えると、使ってもいない食器をそこで洗わされもしました。日テレも同じです。料理をしている姿を撮りたいというのでお隣からいただいたタケノコをゆがこうとすると、『タケノコはちょっと……』と。冷蔵庫を覗いたらぬか漬けのキュウリがあったので、結局これを切る羽目になりました」と語る。

この稿続く。


少々意地の悪い言い方をすれば、高度成長期には、体制に批判的であることがたまたま良質の仕事に繋がったということもできる。 

2018年11月11日 19時14分28秒 | 日記

以下は村中璃子さんが、医療を蝕む「専門家」の存在、と題して、月刊誌Voice今月号に掲載した論文からである。

朝日新聞が子宮頸がんワクチン騒動を、これまた政府攻撃に格好の材料として、ワクチン接種反対を主導して、終には、これを中止させた愚挙に対して、朝日などのメディから叩かれ続けても、彼らの間違いを指摘し続ける不屈の意志を発揮し続けた姿に、国際社会が最高の敬意を表して、日本人として初めてのジョン・マドック賞を与えた経緯については、高山正之が教えてくれたとおりである。

この箇所はマスメディアの報道、特に、テレビの報道は、どのように作られ(編集され)ているのかを日本国民全員が肝銘じて知るべき最も重要な事が書いてあると言っても過言ではない。

民主主義を壊しているのはマスメディア自身であることと、このようなマスメディを宣伝工作が国是である国々は利用する事の、これ以上ない実例だからである。

前文省略。

見出し以外の文中強調は私。

「正義心旺盛」なメディアが果たした役割

医療が国策となり、恩恵よりも弊害を顕わにしていく過程で無視できないのは、「弱者目線」の両論併記をモットーとし、社会人文系学部出身の記者で固められた正義心旺盛なメディアの役割だろう。 「高度成長期、企業は収益を重視して環境対策を怠り、行政も見逃した。その結果、公害によって大勢の人の龠や健康が奪われた」という一文で始まる2018年3月22日付の『朝日新聞』社説「公害病半世紀 患者の苦痛を忘れまい」に見るとおり、被害者目線と科学やテクノロジーがもたらした弊害に対する怒りは現在のメディアでも健在だ。

1950年代から60年代にかけて、水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそくといった四大公害病が顕在化するなか「共通したのは、汚染源を指摘されながら、加害企業が住民らの起こした訴訟で敗訴するまで責任を認めない構図だ」と振り返り、大企業や国家などエスタブリッシュメントを弾劾する。 

高度成長期を通じて、朝日新聞科学部は公害薬害問題を追及する数々の優れた仕事をした。

しかし、当時もいまも記者の大半は科学や医学に関わる個別の問題に自らが評価を下す能力や資格をもたない。

少々意地の悪い言い方をすれば、高度成長期には、体制に批判的であることがたまたま良質の仕事に繋がったということもできる。 

義憤と先人観にとらわれたメディアは、どこかで中立性を失い、運動に加担してしまうこともあるようだ。

ある医療関連の集団訴訟で原告団に加わった40代の女性によれば、弁護士とメディアの両方から「被害者の演出」を求められたという。抗議行動を行なう被害者や裁判所に向かう原告の姿をメディアで目にすることがあるが、「ああいうとき、手に何も持たずに前で両手を組んでいる女性がいますよね。女性が何も持たずに外に出るなんて不自然だと思いませんか? 事前にブランド物のバッグは回収されるんです」と苦笑する。

泣いて注目を集めた原告は、弁護士に「心を打たれた」「皆さんの訴えが国を動かす」などと褒められるうちにカメラを向けられれば自然と涙を流せるようになる。

メディアもそれと知りながら、泣く原告をマークしては平然と撮影し、報じるのだという。 

「NHKの下請けの番組制作会社が取材に来たときのことです。うちは大きな犬を飼っているんですが、幸せで裕福そうだからか犬を隠すよう言われました。また、家事をするところを撮りたいというので外で庭いじりしたら、台所にある上からカチッと引っ張る暗い蛍光灯の下のほうが顔色が悪く見えると、使ってもいない食器をそこで洗わされもしました。日テレも同じです。料理をしている姿を撮りたいというのでお隣からいただいたタケノコをゆがこうとすると、『タケノコはちょっと……』と。冷蔵庫を覗いたらぬか漬けのキュウリがあったので、結局これを切る羽目になりました」と語る。

この稿続く。


しかし、当時もいまも記者の大半は科学や医学に関わる個別の問題に自らが評価を下す能力や資格をもたない。

2018年11月11日 19時13分05秒 | 日記

以下は村中璃子さんが、医療を蝕む「専門家」の存在、と題して、月刊誌Voice今月号に掲載した論文からである。

朝日新聞が子宮頸がんワクチン騒動を、これまた政府攻撃に格好の材料として、ワクチン接種反対を主導して、終には、これを中止させた愚挙に対して、朝日などのメディから叩かれ続けても、彼らの間違いを指摘し続ける不屈の意志を発揮し続けた姿に、国際社会が最高の敬意を表して、日本人として初めてのジョン・マドック賞を与えた経緯については、高山正之が教えてくれたとおりである。

この箇所はマスメディアの報道、特に、テレビの報道は、どのように作られ(編集され)ているのかを日本国民全員が肝銘じて知るべき最も重要な事が書いてあると言っても過言ではない。

民主主義を壊しているのはマスメディア自身であることと、このようなマスメディを宣伝工作が国是である国々は利用する事の、これ以上ない実例だからである。

前文省略。

見出し以外の文中強調は私。

「正義心旺盛」なメディアが果たした役割

医療が国策となり、恩恵よりも弊害を顕わにしていく過程で無視できないのは、「弱者目線」の両論併記をモットーとし、社会人文系学部出身の記者で固められた正義心旺盛なメディアの役割だろう。 「高度成長期、企業は収益を重視して環境対策を怠り、行政も見逃した。その結果、公害によって大勢の人の龠や健康が奪われた」という一文で始まる2018年3月22日付の『朝日新聞』社説「公害病半世紀 患者の苦痛を忘れまい」に見るとおり、被害者目線と科学やテクノロジーがもたらした弊害に対する怒りは現在のメディアでも健在だ。

1950年代から60年代にかけて、水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそくといった四大公害病が顕在化するなか「共通したのは、汚染源を指摘されながら、加害企業が住民らの起こした訴訟で敗訴するまで責任を認めない構図だ」と振り返り、大企業や国家などエスタブリッシュメントを弾劾する。 

高度成長期を通じて、朝日新聞科学部は公害薬害問題を追及する数々の優れた仕事をした。

しかし、当時もいまも記者の大半は科学や医学に関わる個別の問題に自らが評価を下す能力や資格をもたない。

少々意地の悪い言い方をすれば、高度成長期には、体制に批判的であることがたまたま良質の仕事に繋がったということもできる。 

義憤と先人観にとらわれたメディアは、どこかで中立性を失い、運動に加担してしまうこともあるようだ。

ある医療関連の集団訴訟で原告団に加わった40代の女性によれば、弁護士とメディアの両方から「被害者の演出」を求められたという。抗議行動を行なう被害者や裁判所に向かう原告の姿をメディアで目にすることがあるが、「ああいうとき、手に何も持たずに前で両手を組んでいる女性がいますよね。女性が何も持たずに外に出るなんて不自然だと思いませんか? 事前にブランド物のバッグは回収されるんです」と苦笑する。

泣いて注目を集めた原告は、弁護士に「心を打たれた」「皆さんの訴えが国を動かす」などと褒められるうちにカメラを向けられれば自然と涙を流せるようになる。

メディアもそれと知りながら、泣く原告をマークしては平然と撮影し、報じるのだという。 

「NHKの下請けの番組制作会社が取材に来たときのことです。うちは大きな犬を飼っているんですが、幸せで裕福そうだからか犬を隠すよう言われました。また、家事をするところを撮りたいというので外で庭いじりしたら、台所にある上からカチッと引っ張る暗い蛍光灯の下のほうが顔色が悪く見えると、使ってもいない食器をそこで洗わされもしました。日テレも同じです。料理をしている姿を撮りたいというのでお隣からいただいたタケノコをゆがこうとすると、『タケノコはちょっと……』と。冷蔵庫を覗いたらぬか漬けのキュウリがあったので、結局これを切る羽目になりました」と語る。

この稿続く。


マスメディアの報道、特に、テレビの報道は、どのように作られ(編集され)ているのかを日本国民全員が肝銘じて知るべき最も重要な事が書いてある

2018年11月11日 19時10分16秒 | 日記

以下は村中璃子さんが、医療を蝕む「専門家」の存在、と題して、月刊誌Voice今月号に掲載した論文からである。

朝日新聞が子宮頸がんワクチン騒動を、これまた政府攻撃に格好の材料として、ワクチン接種反対を主導して、終には、これを中止させた愚挙に対して、朝日などのメディから叩かれ続けても、彼らの間違いを指摘し続ける不屈の意志を発揮し続けた姿に、国際社会が最高の敬意を表して、日本人として初めてのジョン・マドック賞を与えた経緯については、高山正之が教えてくれたとおりである。

この箇所はマスメディアの報道、特に、テレビの報道は、どのように作られ(編集され)ているのかを日本国民全員が肝銘じて知るべき最も重要な事が書いてあると言っても過言ではない。

民主主義を壊しているのはマスメディア自身であることと、このようなマスメディを宣伝工作が国是である国々は利用する事の、これ以上ない実例だからである。

前文省略。

見出し以外の文中強調は私。

「正義心旺盛」なメディアが果たした役割

医療が国策となり、恩恵よりも弊害を顕わにしていく過程で無視できないのは、「弱者目線」の両論併記をモットーとし、社会人文系学部出身の記者で固められた正義心旺盛なメディアの役割だろう。 「高度成長期、企業は収益を重視して環境対策を怠り、行政も見逃した。その結果、公害によって大勢の人の龠や健康が奪われた」という一文で始まる2018年3月22日付の『朝日新聞』社説「公害病半世紀 患者の苦痛を忘れまい」に見るとおり、被害者目線と科学やテクノロジーがもたらした弊害に対する怒りは現在のメディアでも健在だ。

1950年代から60年代にかけて、水俣病、新潟水俣病、四日市ぜんそくといった四大公害病が顕在化するなか「共通したのは、汚染源を指摘されながら、加害企業が住民らの起こした訴訟で敗訴するまで責任を認めない構図だ」と振り返り、大企業や国家などエスタブリッシュメントを弾劾する。 

高度成長期を通じて、朝日新聞科学部は公害薬害問題を追及する数々の優れた仕事をした。

しかし、当時もいまも記者の大半は科学や医学に関わる個別の問題に自らが評価を下す能力や資格をもたない。

少々意地の悪い言い方をすれば、高度成長期には、体制に批判的であることがたまたま良質の仕事に繋がったということもできる。 

義憤と先人観にとらわれたメディアは、どこかで中立性を失い、運動に加担してしまうこともあるようだ。

ある医療関連の集団訴訟で原告団に加わった40代の女性によれば、弁護士とメディアの両方から「被害者の演出」を求められたという。抗議行動を行なう被害者や裁判所に向かう原告の姿をメディアで目にすることがあるが、「ああいうとき、手に何も持たずに前で両手を組んでいる女性がいますよね。女性が何も持たずに外に出るなんて不自然だと思いませんか? 事前にブランド物のバッグは回収されるんです」と苦笑する。

泣いて注目を集めた原告は、弁護士に「心を打たれた」「皆さんの訴えが国を動かす」などと褒められるうちにカメラを向けられれば自然と涙を流せるようになる。

メディアもそれと知りながら、泣く原告をマークしては平然と撮影し、報じるのだという。 

「NHKの下請けの番組制作会社が取材に来たときのことです。うちは大きな犬を飼っているんですが、幸せで裕福そうだからか犬を隠すよう言われました。また、家事をするところを撮りたいというので外で庭いじりしたら、台所にある上からカチッと引っ張る暗い蛍光灯の下のほうが顔色が悪く見えると、使ってもいない食器をそこで洗わされもしました。日テレも同じです。料理をしている姿を撮りたいというのでお隣からいただいたタケノコをゆがこうとすると、『タケノコはちょっと……』と。冷蔵庫を覗いたらぬか漬けのキュウリがあったので、結局これを切る羽目になりました」と語る。

この稿続く。


対米世論分断工作や選挙介入を断定的に非難する根拠も、ひょっとすると孟が提供した情報によるのではないか、と中国側は疑心を持っているようだ

2018年11月11日 10時03分05秒 | 日記

以下は前章の続きである。

習政権の疑心暗鬼

習近平政権が始まって以降、中国はICPOへの分担金を増やして根回しをしたおかげで、ICPO副総裁だった孟宏偉を総裁ポストに押し込むことに成功した。

初の中国人総裁である。

これは中国にとっての長年の夢であった。

ICPO総裁は国際的な犯罪情報に接することができ、総裁を通して中国もその情報を得ることができる。

習近平政権が反腐敗キャンペーンの一環として推進する「キッネ狩り行動」、つまり国外に逃亡した中国汚職官僚の摘発に必要な国際指名手配書をがんがん発行もできる。

こうして、習近平政権としては金も積んで苦労してようやく得た初の中国人総裁なのに、なぜ任期二年を残して、それを突然、拘束せねばならなかったのか。

各方面の消息筋の情報を総合すると、孟宏偉が米国への亡命を画策していたという説が、いまのところもっとも有力そうだ。

ICPO総裁にして中国公安次官が握る情報量は、たしかに半端ではない。

そのなかには、習近平ら現政権幹部やそのファミリーが海外に持つ不正蓄財資産情報なども含まれているかもしれない。

また、海南航空集団会長の王健が七月に南フランスの観光地で”事故死”しているが、この事件に中国当局がどのように関与しているか、といった情報も習近平政権のアキレス腱になりうるかもしれない。    

こうした情報は、米トランプ政権のような対中強硬姿勢を鮮明にしている政権にとっては、亡命とバーターできる絶好の手土産となることだろう。

トランプ政権が、中国のGE航空部門の企業機密を窃取していた江蘇省安全庁幹部のスパイ・徐彦君を逮捕することも、米副大統領ペンスがハドソン・インステイチュートで行った演説のなかで、中国が米国で行っている数々の対米世論分断工作や選挙介入を断定的に非難する根拠も、ひょっとすると孟が提供した情報によるのではないか、と中国側は疑心を持っているようだ。

ICPOが今年二月に世界ウイグル会議総裁のドルクン・エイサに対するテロリスト認定の指名手配を撤回したのも、米国が急に新疆問題に対して人権問題として興味を持ち始めたのも孟宏偉がかかわっているのではないか、と習近平は疑っているとか。

この稿続く。


習近平政権としては金も積んで苦労してようやく得た初の中国人総裁なのに、なぜ任期二年を残して、それを突然、拘束せねばならなかったのか

2018年11月11日 10時01分13秒 | 日記

以下は前章の続きである。

習政権の疑心暗鬼

習近平政権が始まって以降、中国はICPOへの分担金を増やして根回しをしたおかげで、ICPO副総裁だった孟宏偉を総裁ポストに押し込むことに成功した。

初の中国人総裁である。

これは中国にとっての長年の夢であった。

ICPO総裁は国際的な犯罪情報に接することができ、総裁を通して中国もその情報を得ることができる。

習近平政権が反腐敗キャンペーンの一環として推進する「キッネ狩り行動」、つまり国外に逃亡した中国汚職官僚の摘発に必要な国際指名手配書をがんがん発行もできる。

こうして、習近平政権としては金も積んで苦労してようやく得た初の中国人総裁なのに、なぜ任期二年を残して、それを突然、拘束せねばならなかったのか。

各方面の消息筋の情報を総合すると、孟宏偉が米国への亡命を画策していたという説が、いまのところもっとも有力そうだ。

ICPO総裁にして中国公安次官が握る情報量は、たしかに半端ではない。

そのなかには、習近平ら現政権幹部やそのファミリーが海外に持つ不正蓄財資産情報なども含まれているかもしれない。

また、海南航空集団会長の王健が七月に南フランスの観光地で。事故死”しているが、この事件に中国当局がどのように関与しているか、といった情報も習近平政権のアキレス腱になりうるかもしれない。    

こうした情報は、米トランプ政権のような対中強硬姿勢を鮮明にしている政権にとっては、亡命とバーターできる絶好の手土産となることだろう。

トランプ政権が、中国のGE航空部門の企業機密を窃取していた江蘇省安全庁幹部のスパイ・徐彦君を逮捕することも、米副大統領ペンスがハドソン・インステイチュートで行った演説のなかで、中国が米国で行っている数々の対米世論分断工作や選挙介入を断定的に非難する根拠も、ひょっとすると孟が提供した情報によるのではないか、と中国側は疑心を持っているようだ。

ICPOが今年二月に世界ウイグル会議総裁のドルクン・エイサに対するテロリスト認定の指名手配を撤回したのも、米国が急に新疆問題に対して人権問題として興味を持ち始めたのも孟宏偉がかかわっているのではないか、と習近平は疑っているとか。

この稿続く。


習近平はその後も、公安内部の周永康残党の存配に神経をとがらせている。幹部人事を自分の子飼いの部下にいくら挿げ替えても、なかなか安心できない

2018年11月11日 09時59分57秒 | 日記

以下は月刊誌HANADAに有数の中国通である福島香織が現代中国残酷物語と題して連載している連載コラムからである。

福島香織は大阪大学卒業である。

大阪大学の現役の学生諸君とOBの人たちは、彼女が同窓生である事を大いに誇りに思わなければならない。

初の中国人ICPO総裁の突然の拘束事件は、ある種のピカレスク小説だ

周永康が流した害毒

初の中国人ICPO総裁で現役の公安副部長(次官)であった孟宏偉(64)が9月25日以降、北京空港で忽然と消息を絶った。

その若き妻は夫から「電話を待て」というSNSのメッセージとナイフの絵文字を受け取ったので、夫の身に危険が迫っているというサインではないか、と思ったという。

そこで地元警察に相談、フランスの警察当局とICPOが中国当局に孟宏偉の消息を問い合わせたが、すぐには返答がなかった。

一方で、一部香港紙は孟宏偉が汚職容疑で中国当局によって取調べを受けていると報じた。

10月7日、孟の妻がリヨンでAPら欧米メディア相手に「真相と正義を追求してほしい」と訴えると、その直後に中国側は孟を違法行為で取調べ中と発表、正式に副部長職も解任された。

同時に、ICPOは中国当局が出した孟宏偉の総裁職の辞表を、文句も言わずに受理したのだった。

翌日の8日、臨宏偉の捕まった理由が収賄容疑であり、周永康が流した害毒を排除することだ、と中国公安部は発表している。

孟宏偉は2012年暮れに失脚し、2015年に汚職で無期懲役判決を受けた周永康の残党として摘発されたということだ。

周永康失脚は汚職そのものより、習近平を権力の座から引きずり降ろそうと画策したクーデター未遂の疑いのほうが大きな理由だろう。 

習近平はその後も、公安内部の周永康残党の存配に神経をとがらせている。幹部人事を自分の子飼いの部下にいくら挿げ替えても、なかなか安心できないでいた。

孟宏偉は、周永康が公安部長時代に次官に取り立てられ、ICPO中国センター長に任じられるなど、周永康の下で出世したという意味で周の腹心である。

だが、周永康失脚の際には連座せずに、むしろ出世した。

この理由はいろいろ考えられるが、この時点で孟は習近平に対して忠誠を誓い、周永康の取り調べに協力する形での情報提供もしていたのではないか、とみられる。

孟宏偉は有能な公安官僚であり、2004年以来、ICPOでの仕事ぶりも評価されていた。

彼の仕事の範囲は広く、アンチテロ、新彊地域のコントロール、麻薬密輸入や海洋警察局、国際協力分野で実績をあげている。

また、政治家・官僚の暗殺といった汚れ仕事にも従事した、という噂もある。

1989年にチベット自治区ラサでパンチェンラマ十世が不審死した件や、台湾の陳水庸暗殺未遂事件とのかかわりを疑う人もいる。 

習近平は、当初はその能力を買っていたらしい。

たしかにICPO総裁という重要ポストに送り込む中国人としては、彼以外の人材はなかなか見つからない。

この稿続く。


It is literally the intention to stand on the stance of pro-North Korea, pro-China, to wish to

2018年11月11日 09時27分56秒 | 日記

The following is from a series of articles published on page 11 of today's Sankei newspaper.

This article is a must read for all Japanese citizens and people all over the world.

The reason will be described later.

Who did fabricate 'Korean people forcibly taken', this lie first?

Words made into tools of Japanese bashing

I wrote it before that the word, 'Korean people forcibly taken away' did not exist for a while after the war in addition to the prewar days - during the war. (Serialization 42)

Who on earth may have begun to say the word What is it like the 'in symbol of the villainy in Japan' despite the untruth?

It is difficult to identify, but critic / poet Fujishima Udai (1924 - 97) was used in the magazine 'World' published by Iwanami Shoten in the September issue of Showa 35 (1960), there are many views that it may be the first.

Chung Daekyun (70), professor emeritus at the Tokyo Metropolitan University, pointed out in his book ‘Myths of Koreans living in Japan · compulsory entrainment’ that before the 1960's there was no example that this word was mostly used, ‘probably it was thought that it was obtained from ‘Chinese entrainment’ (which was used previously since the mid-1950s)’.

This Fujishima's ‘world’ thesis is titled ‘Koreans and Japanese - Tension in the Far East and Japan-US imperialism’.

It is literally the intention to stand on the stance of pro-North Korea, pro-China, to wish to oppose the confronting Japan and the United States as ‘imperialism’ and Korea as ‘intensive bad government.’

This draft continues.


This article is a must read for all Japanese citizens and people all over the world.

2018年11月11日 09時26分38秒 | 日記

The following is from a series of articles published on page 11 of today's Sankei newspaper.

This article is a must read for all Japanese citizens and people all over the world.

The reason will be described later.

Who did fabricate 'Korean people forcibly taken', this lie first?

Words made into tools of Japanese bashing

I wrote it before that the word, 'Korean people forcibly taken away' did not exist for a while after the war in addition to the prewar days - during the war. (Serialization 42)

Who on earth may have begun to say the word What is it like the 'in symbol of the villainy in Japan' despite the untruth?

It is difficult to identify, but critic / poet Fujishima Udai (1924 - 97) was used in the magazine 'World' published by Iwanami Shoten in the September issue of Showa 35 (1960), there are many views that it may be the first.

Chung Daekyun (70), professor emeritus at the Tokyo Metropolitan University, pointed out in his book ‘Myths of Koreans living in Japan · compulsory entrainment’ that before the 1960's there was no example that this word was mostly used, ‘probably it was thought that it was obtained from ‘Chinese entrainment’ (which was used previously since the mid-1950s)’.

This Fujishima's ‘world’ thesis is titled ‘Koreans and Japanese - Tension in the Far East and Japan-US imperialism’.

It is literally the intention to stand on the stance of pro-North Korea, pro-China, to wish to oppose the confronting Japan and the United States as ‘imperialism’ and Korea as ‘intensive bad government.’

This draft continues.