Queen - You're My Best Friend (Official Video)
Queen - Friends Will Be Friends (Official Video)
Queen - Spread Your Wings (Official Video)
Queen - Hammer To Fall (Official Video)
Queen - Don't Stop Me Now (Official Video)
Queen - Another One Bites the Dust (Official Video)
Queen - Crazy Little Thing Called Love (Official Video)
Queen & David Bowie - Under Pressure (Classic Queen Mix)
Queen - Radio Ga Ga (Official Video)
Queen - I Was Born To Love You - 2004 Video
その土地を朝日新聞が交換取引に出したとは、「詐欺行為」に近い。と題して2017-11-29 に発信した章が、今、gooの検索数ベスト10に入っている。
以下は前章の続きである
築地の朝日「本社用地」は、1973(昭和48)年1月、大蔵省(現・財務省)との交換取引で朝日が払い下げを受けた「元・国有地」。
大蔵省との交換取引に朝日が差し出したのは、朝日新聞社有地の杉並区所在「朝日・浜田山グラウンド土地」。
杉並区の地元の人達からは通称「朝日農園」と呼ばれ、「遺跡」以外には、林の中にグラウンドがあるだけの土地だった。
一方、築地の元・国有地は、元はと言えば海上保安庁水路部跡地。
1万4680平方メートルもある広大かつ都心部でも有数の一等地。
現在の時価は、路線価から推定すると300億円程度。
あの「朝日農園」グラウンドの土地が「交換取引」で大化けした。
田中角栄総理と広岡知男朝日新聞社長の間で話が纏り、政府トップ田中角栄から指示を受けた大蔵省が「交換取引」に応じたと推測される。
しかし、広岡といえども一介の「サラーリマン社長」。
朝日新聞オーナーの村山と上野が背後で介在したことは当然想像される。
朝日は非上場で実質「個人商店」であり、肝心な交渉経緯は開示されていない。
大蔵省としては、浜田山のグラウンドに「公務員住宅」を建てる計画で「交換取引」に応じた。
しかし、32(昭和7)年から38(昭和13)年に亘って発掘調査が行われ、縄文時代中期の古跡「塚山遺跡」が発見されている土地だった。
この事実を大蔵省が知っていたら、文化財として保護義務があり、官舎用地としては「不適」だった。
建物の建設は不可となる。
その土地を朝日新聞が交換取引に出したとは、「詐欺行為」に近い。殆ど流通性の無い物件であり、グラウンドか公園程度の利用価値しかない。
この稿続く。
外国特派員協会の記者会見の場で、これ以上ないほどに侮辱した態様は、本当に許し難い。と題して2018-12-27にアメーバで発信した章が、今、検索数ベスト10に入っている。
私がイタリアを愛している事は、私の周囲の人達も、ご存知の通りである。
私は今、イタリアに言いたいことがある。
日本の外国特派員協会を支配しているがごとき活動をしているピオ・デミリア…この人物は多分、中国や朝鮮半島の反日国家の情報機関の工作下にある人物だろう…まともなジャーナリストではないはずである。
こんな醜悪にして最低レベルの人間が、
もしイタリア人の多くがカトリック教徒で歴史上、聖人と呼ばれた人たちに対して尊敬の念を持っているのなら尚更、
このイタリアの恥さらしを、即刻、本国に召還してくれ。
私が「文明のターンテーブル」を着想したのは、数十年前に、ローマで生活していた同級生にして親友だった男の家を訪問していた時だった。
2010年7月に、仕方なく、こうしてインターネットに登場し、書き出した。
4年前の8月から、特に、戦後の日本について、朝日新聞を購読していた時には全く知らなかった真実の数々を知り出した。
その中に、日本とは、言わば、敗戦国の側に付いた同盟国であったにも拘わらず日本の敗戦に乗じて日本から賠償金をせしめたと知った時には、私のイタリアに対する無限のエレジアは100円は安くなった。
上記のピオ・デミリア等と言うイタリア人が、
今の日本に存在する真の聖人であり、国民栄誉賞を受賞するに最も相応しい人間である櫻井よしこさんを、
外国特派員協会の記者会見の場で、これ以上ないほどに侮辱した態様は、本当に許し難い。
どれほど日本人の心証を害したかと言えば、私のイタリアに対する無限のエレジアは、イタリア経済崩壊に等しいほどに急降下したのである。
およそ、イタリア社会が不安定を続けているのは、こういう手合いに、あろうことか、日本を攻撃させ、貶めているからだと言っても過言ではないのである。
考えても見たまえ。
日本人の誰一人として、
あなたの国で、あなたの国の国民栄誉賞に値する様な聖人を、攻撃したり、貶めたりするような日本人は、イタリアには、ただの一人もいない事を!
文明のターンテーブルが回っている、とは、そういう事でもあるのだ。
戦後ずっと社会が不安定で、事あるごとに欧州のお荷物の状況に、何故、イタリアはあるのか?
こういう馬鹿者たちを、あろうことか、外国に放っている、そういう報いの結果であると言っても過言ではない。
特に、今は、文明のターンテーブルが回っている国である日本…(私が、その始まりを、まるでバイロンと一緒であるかのように…イタリアとした事は、読者はご存知の通り)・・・
日本で、こんな最低の人間に悪事を働かせているから、神様の罰があたるのである。
A Happy New Year!
編纂には本木の他、通詞の馬場貞歴、末永祥守、楢林高美、吉雄永保らが当たった。と題して2018-12-29 にアメーバで発信した章が、今、公式ハッシュタグランキング:日産52位に入っている。
週刊新潮新年特大号に掲載された高山正之のコラムも、彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。
購読者は心地よい大笑いや感嘆の念を感じながら読んだはずである。
だが慧眼の士は皆、この論文の重さを忘れる事はできない。
日本に彼が存在していた事に感謝するはずだ。
日英同盟に謝す
日英の最初の出会いは19世紀初め、フェートン号が長崎港に殴り込みをかけた事件だった。
日本人は何と乱暴な国があるものかと大いに驚いた。
で、対処の方法を考えるためまず英和辞典「諳厄利亜(あんげりあ)語林大成」を作った。注1.
後に同じ言葉を話し、もっと凶暴な米国人がきたときにそれは大いに役立った。
これはやや反面教師的だけれど英国は実際、いいこともしてくれた。
幕末、ロシア艦ポサドニックが対馬に来て村々を荒らしたうえ港の租借と遊女の差し出しを要求してきた。
幕府が下手に対応すれば対馬占領もあり得た。
実際、明治8年、同じようにロシア艦が樺太にやってきて同じような脅しをかけてきた。
日本は独力では抗しきれずロシアは樺太を手に入れている。
対馬もあわや、というときに英公使オールコックが軍艦2隻を派遣して露艦を追っ払ってくれた。
感謝してもし切れないいい結末だった。そのロシアと朝鮮を挟んで再び対決したとき英国が軍事同盟を結んでくれた。
日本はロシアと戦うだけでよかった。
日本嫌いの独仏がもしロシアを助けたりすれば英国は直ちに参戦し独仏を倒す約束だった。
だれも世界最強の英国と戦いたくはなかった。
バルチック艦隊は日本海に入る前、仏印カムラン湾で休養を取れるはずだったが、仏政府は日英同盟を恐れて艦隊の入港を認めなかった。
将兵は地球を半周する長い航海の疲れも取れないまま聯合艦隊と対馬沖でぶつかった。
ロシア艦隊全滅という大勝利の2割くらいは英国のおかげだった。その日英同盟は米国の狡猾と幣原喜重郎の間抜けのせいで消滅する。
それもあって先の戦争が起きて日本は負けた。
戦後の日本は米国の壟断に振り回されたが、そんなときも英国はごく普通の対応をしてくれた。
米国は日本が白人国家に二度と立ち向かえないよう航空機産業を徹底的に潰した。
航空機の運航も製造も航空力学の講座も禁じた。自動車工業も同じ。製造も研究も禁じ、戦前までやっていたフォードやGMの現地生産もやめさせた。
重工業も同じく完全解体のはずだったが、南北朝鮮が実にいいタイミングで戦争を始めてくれた。
日本は米軍の後方基地としてその工業力を生き残らせることができた。
こんなとき英国が日本自動車産業の救世主になった。オースチンが日産と、ヒルマンがいすゞとノックダウン契約を結んで戦後の空白を埋められた。
先の戦争は米国が石油を絶ったことで始まった。戦後の日本のエネルギー事情も何ら改善はなかった。
政府は原発の導入を考えたが、米国は断固拒絶した。日本が核を持てばいつか広島長崎の仇を取られると彼らは考えているからだ。
そんなときまた英国が手を差し伸べた。日本は英国製黒鉛減速型の原子炉を手に入れて稼働させた。燃料は安い天然ウランでいい。
これに驚いたのが米国だった。黒鉛原子炉は燃せば核爆弾になるプルトニウムが得られる。
日本はすぐにも核兵器を持てる。
米国は慌てて方針を変えた。黒鉛原子炉を廃棄させる代わりに軽水炉を与えることにした。この炉なら核兵器になるプルトニウムはできないからだ。
それで日本はエネルギー自給体制をある程度まで実現することができた。
原発についてもノウハウを身につけ、今や日立が英国に恩返しの軽水炉を輸出するところまできている。EU離脱で苦しむ英国は大助かりだろう。
ただ輸出するには出資金が足りない、断念せざるを得ないと日立は言う。
政府は反原発の旗を振る朝日新聞の嫌がらせを恐れてか援助を躊躇う。
かつてあの朝鮮如きに国家予算の2割を36年間も無駄に投入してきた。
その36分の1でも英国向けに回したらどうか。
歴史に刻まれた恩義の何分の1かは返せる。
朝鮮と違ってきっと意味あるものになるはずだ。
*私は高山正之の、この見事な論文を再読していて、何度か落涙を禁じえなかった。彼の様な人間を真の国士というのである。
大江健三郎や村上春樹に代表されるような人間達を売国奴、或いは国賊というのである。
彼らは日本史の中でも稀有な最低日本人たちである。
大江健三郎は加藤周一との交友をひけらかすように、愚かな井上ひさしとの対談で、加藤が日本史上に天才は二人しかいない、空海と菅原道真だと言っていると得意げに吹聴していたが、大江や村上以上に空海や菅原道真から軽蔑される人間はいない事に日本人が気づくべき時が決定的に訪れたのが4年前の8月なのである。*
注1.諳厄利亜語林大成(あんげりあごりんたいせい)は、本木庄左衛門(正栄)が中心になって編纂した日本初の英和辞典。文化11年(1814年)に完成した。
文化5年(1808年)のフェートン号事件に衝撃を受けた幕府はイギリス研究の必要性を痛感し、オランダ語通詞らに英語習得を命じ、編纂させた。
イギリス駐在経験のあるオランダ人ヤン・コック・ブロンホフの指導を受け、約6,000語が収録され、発音がカタカナで記されていた。
初の英和辞典が編纂されたという功績は重大だが、その発音はオランダ語訛りが強いなど、不十分な点があった。
編纂には本木の他、通詞の馬場貞歴、末永祥守、楢林高美、吉雄永保らが当たった。