文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

文明のターンテーブルThe Turntable of Civilizationの人気記事 2024/1/9

2024年01月09日 22時39分27秒 | 全般

文明のターンテーブルThe Turntable of Civilizationの人気記事

  1. It was a top 50 searcher for the past week, 2024/1/8.
  2. Fue una excelente prueba de la exactitud de mi tesis de que las mujeres japonesas
  3. Docomo e Google non hanno modo di prevenire questo crimine dannoso?
  4. It is a popular page yesterday, 2024/1/8.
  5. Resend ! It is a popular page yesterday, 2024/1/8.
  6. 妹は「生まれ変わったら自分のためでなく他人のためにも苦しむ人間に生まれてきたい」と言って息を引き取った。
  7. それまでの政権は、経済政策と言えば財務省と日銀、あるいは経済産業省などに事実上、丸投げ状態だった。
  8. It was excellent proof of the correctness of my thesis that Japanese women are the happiest,
  9. If I am born again, I want to be born a person who suffers not only for myself but also for others,
  10. Chinese women who saw through the lies of the Nanjing Massacre

 

2024/1/9 in Kyoto


朝日は山上徹也の犯行が成功するようお膳立てしていたとしか思えない。  

2024年01月09日 21時35分53秒 | 全般

以下は2023/12/15に出版された高山正之の最新刊「変見自在 安倍晋三を葬ったのは誰か」からである。
本書は、週刊新潮の名物コラムを製本化したシリーズの最新刊だが、原文を推敲して一層読みやすくなっている。
私は、この1冊だけでも、彼こそがノーベル文学賞に値する作家であると断言する。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読である。

朝日がお膳立てした「安倍の葬式」
一昔半も前、「変見自在」シリーズの1冊の出版記念会を市ヶ谷でやった。 
仕切りは宮崎正弘。気が付いたら趣意書には発起人の総代表風に「安倍晋三」の名があしらわれていた。 
いくらなんでも飛ばし過ぎと言ったら「あいうえお順にしたらそうなった」という無責任な返事だった。 
それもあってか「ここをぶっ飛ばせば日本の保守論壇は全滅だわな」(政治評論家三宅久之)というほど多くの参集をいただいた。
そんな中、ホントに安倍元首相が登場した。
「変見自在」の愛読者と語り、こちらは素直に恐縮したものだ。 
安倍さんは当時、朝日新聞の執拗な嫌がらせで体調を崩し、第一次内閣をやめたばかりだった。 
常軌を逸した安倍攻撃を三宅久之が主筆の若宮啓文に糺したら「社是だから」(小川榮太郎『約東の日一安倍晋三試論』)と答えた。 
「安倍の葬式はウチで出す」という有名な件がその台詞に続く。 
両者の確執は古く、長い。 
安倍さんは日本の宰相としては異形だった。
ちびでも禿でもデブでもなかった。 
長身でスマートで英語もこなし、何より東大出でも官僚出でもなかった。 
並みの宰相なら官僚界のしがらみや学閥絡みで籠絡もできた。
言うことを聞かなければ紙面で脅しもかけられた。 
しかしそれが安倍さんには通用しなかった。 
おまけに両者の政治信条が全く逆だった。
朝日が美土路昌一以来、中国に媚び、北朝鮮にへつらって日本を貶めてきた。
安倍さんはその対極にあった。 
朝日が北朝鮮を「朝鮮民主主義人民共和国」と畏まって表記していたとき安倍宣房副長官は金正日に日本人拉致を認めさせた。 
朝日が田中均と組んで拉致被害者を北に送り帰そうとしたのも安倍さんが阻正した。 
一度は社是で安倍内閣を潰すのに成功した朝日が再び本気で「安倍の葬式」を出す気になったのは2012年、第二次安倍内閣の発足前の日本記者クラブ主催の党首討論会だった。 
主催者を代表して質問に立った星浩が慰安婦問題をどう処理する気かと横柄に糺した。
答えは「慰安婦問題は星さん、あなたの朝日新聞が吉田清治という詐欺師の話を事実みたいに広めたからでしょう」だった。 
全国生中継で朝日がいかに歪んだ性状と虚言癖の持ち主かをズバリ指摘した。 
星浩は絶句し、朝日は安倍晋三の反撃に激怒したが、日本を貶める嘘を30年続けた事実は覆い隠しようもなかった。 
社長の木村伊量はクビを差し出し、朝日の部数は面白いほど落ち込んで、記者にはもうタクシーチケットも出なくなった。 
その仇を今の論説主幹根本清樹が託された。 
根本は考えた。
例えば「安倍首相が森友学園に頼まれて国有地を8割引きにした」と報じたら嘘になる。
そんな事実はないからだ。 
しかし「首相か昭恵さんが財務省に忖度させたかも」と疑惑がある風に書けば虚偽報道にはならない。
これなら報道を装って何でも書ける。 
それで根本はモリカケ疑惑を書き立てさせた。 
せっかく衆参両院で3分の2を取りながら国会審議は疑惑報道で潰され、改憲は一歩も進まなかった。 
自衛隊を明記する加憲まで後退しても、新たな疑惑とかで空転したまま。
結局、山口二郎の「安倍を叩き斬ってやる」の罵声に追われて安倍さんは再度の引退に追い込まれた。 
それでも根本は手を緩めなかった。
気脈を通じた活動家が元首相を追いかけ、街頭演説を妨害すれば喜んで活字化した。 
活動家が警官に規制されたら、それを訴えさせて札幌地裁から「演説妨害は立派な表現の自由」という馬鹿な判決も引き出した。 
根本はそれを社説で「安倍元首相の街頭演説で警官は聴衆を規制するな」と警察を脅し、演説妨害をあおった。 
紙面で元首相を不実の人のように書き、山口二郎に「安倍を叩き斬る」と喧伝させ、警備陣には街頭演説の聴衆を規制させないよう牽制する。 
朝日は山上徹也の犯行が成功するようお膳立てしていたとしか思えない。 
根本は自分で謀った通りの展開をどんな感慨で見ていたのだろう。                              

(2022年7月21日号)

 

2024/1/9 in Kyoto


Top 10 real-time searches 2024/1/9, 20:55

2024年01月09日 20時55分43秒 | 全般

1

Top 10 real-time searches 2024/1/9, 16:16

2

日本国民全員が必視聴! 01/09 百田尚樹・有本香のニュース生放送 あさ8時! 第282回

3

トップページ

4

Isn't It a Pity (2014 Remaster) with my shots on 2024/1/8, in Kyoto

5

中国と同様に、日本の政・官・財・メディアで、親韓である人間たちの全てが…

6

以下は月刊誌WiLL2018/9月号に、「中国 原発で世界制覇の野望」と題して、海外電力調査会調査第一部長、松岡豊人氏が掲載している論文からである。

7

一方、中国では福島第一原発事故後に25基、2,598.7万kWが新たに運転を開始しており、

8

Nanjing Katliamı'nın yalanlarını anlayan Çinli kadınlar

9

Chinki, które przejrzały kłamstwa dotyczące masakry w Nanjing

10

Čínske ženy, ktoré videli klamstvá Nanjingského masakru

 

2024/1/9 in Kyoto


一方、中国では福島第一原発事故後に25基、2,598.7万kWが新たに運転を開始しており、

2024年01月09日 20時50分28秒 | 全般

彼らの悪というか反日ぶりは極まっている…現在の日本の総発電量11,000kWの内、3%を占めているだけの電源量である事は既述の通りだから尚更なのである
2019年09月24日
以下は月刊誌WiLL2018/9月号に、「中国 原発で世界制覇の野望」と題して、海外電力調査会調査第一部長、松岡豊人氏が掲載している論文からである。と題して2019-07-15に発信した章である。
この論文を読んだ読者は、朝日新聞やNHKの原発反対報道、原発再稼働反対報道は、中国を利するためでもあった、と言っても過言ではない事に気づくだろう。
更には、彼らがほめそやす太陽光発電、そのパネルのかなりの部分が中国製や韓国によって占められている事を思えば、彼らの悪というか反日ぶりは極まっている…
現在の日本の総発電量11,000kWの内、3%を占めているだけの電源量である事は、既述の通りだから尚更なのである。

見出し以外の文中強調は私。
政府主導の原発推進、多彩な次世代炉、充実の人材育成……日本と中国の差は開くばかり
原発をめぐる日中の格差
 
世界の原子力関係者は、今年6月、中国から次々に届くビッグニュースに驚きの声をあげた。 
6月6日には、フランス原子力大手のフラマトム(旧アレバ)とフランス電力(EDF)が中国広核集団公司(CGN)と建設した広東省・台山原子力発電所1号機が、原子炉での核分裂が持続的に進む臨界に達し、同29日に送電を開始。
最新鋭原発の一つに数えられる欧州加圧水型原子炉(EPR)が、世界で初めてとなる営業運転開始に向けて大きく前進した。 
同21日には、東芝傘下だった米ウエスチングハウス(WH)、原子力エンジニアリング会社の中国核電技術有限公司(SNPTC)が、中国核工業集団公司(CNNC)と建設中の浙江省・三門原発1号機も初臨界を達成、同30日から送電を開始した。
同原発には、WHが米原子力規制委員会から最終設計認可を得ているAP1000が採用されており、こちらも世界初の営業運転入りが視野に入った。
さらに、中国で2番目のAP1000建設プロジェクトとなる、山東省・海陽原発1号機も21日には原子炉に燃料集合体を入れる燃料装荷が許可され、近く初臨界となる見込みである。 
いずれの原発も、欧米ではプロジェクトの大幅な遅れが発生する中、中国が先行する形となった。
中国の原発開発だけが、着実に前進している現実を世界に印象付けたといえる。 
日本は長い間、米国、フランスに次ぐ世界第3位の原子力発電国であった。
1998年には国内総発電電力量に占める原発比率は36.4%に達し、2010年でも29.2%だった。
 
しかし、2011年3月の東日本大震災の津波被害による福島第一原発事故は、日本の原子力発電を取り巻く事業環境に大きな影響を与えた。
福島第1原発の原子炉6基だけでなく、全国各地の原発で2013年に施行された新規制基準に適合するための投資が多大になると見込まれ、投資回収や将来の予見性といった経済性などを理由に古い原子炉の廃止が次々に決定されていった。 
2018年6月末時点では、新規制基準に適合して再稼働した9基を含め、廃炉決定しておらず、今後、稼働に向かう可能性がある原子炉は39基、合計設備容量は3,856.6万kWとなった。
2011年3月の54基、4,884.7万kWから1,000万kW以上もの急激な減少である。 
『一方、中国では福島第一原発事故後に25基、2,598.7万kWが新たに運転を開始しており、総発電電力量に原発の占める比率は2017年には3.9%になった。 
2018年6月末現在、中国で営業運転中の原子炉は38基、設備容量は3,686.7万kWに達し、冒頭に紹介したEPRやAP1000の営業運転も見込まれる。
日本では福島第2原発4基の廃炉計画の発表もあり、中国が日本を今年中に追い越し、世界第3位の原子力発電国に躍進するのは確実だ。

2024/1/9 in Kyoto


At this time, the "transcendence" I mentioned earlier also came.

2024年01月09日 20時26分42秒 | 全般

As predicted, today was a sunny day.
In the morning, I headed to Arashiyama.
Then, I took my first picture of Kinkakuji Temple this year.
Strangely, there were many Korean tourists today.
There is a good buckwheat noodle restaurant where you must wait a long time to get in during the high season.
Today, as expected, we entered the restaurant smoothly and had a meal with almost no wait.
We were shown a table with a nice view, but there was space under the table for our luggage, so we asked to change seats.
At about the same time, two young Korean women were seated at the same table.
Their attire and atmosphere showed that they had grown up in affluent families in Korea.
I am not at all interested in Korean women.
It is only natural that I have no desire to talk to them as long as Korea continues its nazism in the name of bullshit and vicious anti-Japanese education.

From my seat, I can see the profile of a person seated with a good view, as it were.
When the woman turns toward the woman who is her friend, I can see her entire appearance.
I thought to myself, "What the heck?
The percentage of beautiful women is low on the Korean peninsula.
However, traditional Korean beauties are a given.
She had a Korean Peninsula-style beautiful face with no plastic surgery at all.
Their style was on par with today's young women in Japan.

At this time, "transcendence" came suddenly.
Just like in China, all the people in Japan who are pro-Korea in politics, government, business, and media are in a Korean honey trap, a money trap!

But my companion, a good friend, laughed at my "transcendence.
It's not that surprising," she said. It's been that way for a long time. That's obvious. Kisaeng tourism has long been a honey trap in itself. Historically, lounges and bars run by Koreans and employed by Korean women had a terrible reputation in Osaka."

In Arashiyama, the sun tends to be hidden by clouds.
Today, I wanted to reshoot the garden of Tenryu-ji Temple under clear skies, but clouds covered the sun.
So we took the Randen train to Kitano-Hakubaicho.
Then, we decided to take a bus to Kinkakuji Temple.

Lately, we have grown fond of single-car Randen trains.
I didn't like them in the past because I thought they were slow and took a long time.
Now, I like it very much.
Fortunately, we were able to sit down.

A family of four, a high school-aged woman and a college-aged man, stood before us.
At this time, the "transcendence" I mentioned earlier also came.
Many young Japanese women have become more and more beautiful in recent years.

She was as beautiful as a Japanese woman; she had not undergone any plastic surgery.
Those in politics, government, business, and the media making pro-Korean statements and actions are in a honey trap.

 

2024/1/9 in Kyoto


中国と同様に、日本の政・官・財・メディアで、親韓である人間たちの全てが…

2024年01月09日 19時09分38秒 | 全般

天気予報通り、今日は晴天だった。
午前中の内に、嵐山に向かった。
それから今年初めての金閣寺を撮影。
今日は妙に韓国人の観光客が多かった。
ハイシーズンには長い時間待たなければ入店できない美味しい蕎麦屋がある。
今日は予想通り、スムーズに入店でき、殆ど待つ事もなく食事も出来た。
案内された眺めの良い席は、荷物を置くスペースがテーブルの下だったので、席を変えてもらった。
ほぼ同時に、その席に若い韓国人の女性二人が着席した。
服装と雰囲気からして、韓国では裕福な家庭に育った事がありありだった。
私は韓国人の女性には全くと言って良いほど興味が無い。
韓国が、出鱈目で悪質な反日教育という名のナチズムを続けている間は、まともに喋る気も起きないのは当然だろう。

私の席からは、眺めの良い席に座った人間の横顔が、そのまま見える。
その女性が、友人の女性のほうを向くと容貌が全て見える。
私は、あれっ、と思った。
朝鮮半島では美人の比率は低い。
だが、伝統的な朝鮮半島の美人というのは、いて当たり前。
全く整形をしていない、朝鮮半島的な美人顔だった。
スタイルも、日本の昨今の若い女性と同等。

この時、いきなり「超越」が訪れた。
中国と同様に、日本の政・官・財・メディアで、親韓である人間たちの全てが、韓国のハニートラップ、マネートラップにかかっている!
だが、同行者である親友は、私の「超越」を一笑に付した。
「そんなの当たり前でしょう。昔から妓生観光が、そうだったわけだし。昔、大阪では韓国人が経営し韓国人女性が働いているキャバレーやバーはすこぶる評判が悪かった」

嵐山では太陽は雲に隠れやすい。
今日は、天龍寺の庭園を、晴天の下で撮り直したかったのだが、雲が太陽を覆ってしまった。
そこで、急遽、嵐電で北野白梅町~金閣寺に向かう事とした。

最近、私たちは一両編成の嵐電が好きになっている。
昔の私は、遅い・時間がかかる、と思い込んでいて、好きではなかったのだが。
今は、とても好きな電車なのである。
幸い、座ることも出来た。

私たちの目の前に、高校生ぐらいの女性と大学生ぐらいの男性の4人家族が立った。
この時にも、先ほどの「超越」が訪れた。
近年、日本の多くの若い女性が、愈々、ますます美しくなっている事は歴然たる事実である。

その日本人と変わらない…当然ながら整形はしていない(と思う)…美人だった。
親韓の言動を行っている政・官・財・メディアの人間たちは、間違いなくハニートラップにかかっているはずである。

2024/1/9 in Kyoto


Top 10 real-time searches 2024/1/9, 16:16

2024年01月09日 16時20分43秒 | 全般

1

99%の国民が知らない『沖縄「集団自決」の大ウソ』明日8月15日出版…江崎孝師匠

2

トップページ

3

Isn't It a Pity (2014 Remaster) with my shots on 2024/1/8, in Kyoto

4

Čínske ženy, ktoré videli klamstvá Nanjingského masakru

5

NHKが独自にインタビューして作ったオリジナル番組ほど、街頭インタビューと同様、都合の良い発言だけをつまみ食いした勧善懲悪の、お涙頂戴な番組が

6

Nanjing Katliamı'nın yalanlarını anlayan Çinli kadınlar

7

Chinki, które przejrzały kłamstwa dotyczące masakry w Nanjing

8

Ang mga babaeng Tsino na nakakita sa mga kasinungalingan ng Nanjing Massacre

9

Wanita Cina yang melihat melalui pembohongan Pembunuhan Beramai-ramai Nanjing

10

Femeile chineze care au văzut prin minciunile Masacrului de la Nanjing

 

2024/1/9 in  kyoto


Čínske ženy, ktoré videli klamstvá Nanjingského masakru

2024年01月09日 09時16分54秒 | 全般

Nasledujúci text je z najnovšej knihy Masayuki Takayama "Henkenjizai: Who Buried Shinzo Abe?"
Táto kniha je poslednou zo série zviazaných vydaní jeho slávnych stĺpcov v Shukan Shincho, ale pôvodný text bol vyleštený, aby sa dal ešte ľahšie čítať.
Už len za túto jednu knihu si zaslúži Nobelovu cenu za literatúru.
Túto knihu si musia prečítať nielen Japonci, ale aj ľudia na celom svete.
Čínske ženy, ktoré prezreli klamstvá masakry v Nankingu (s. 105)
Veľkú fikciu masakru v Nankingu údajne vymysleli Číňania.
To nie je pravda.
Číňania môžu byť dobrí v napodobňovaní vecí, ale potrebujú pomoc pri rozvíjaní takýchto myšlienok.
Nie, nie, nie, Čankajšek nechal Harolda Timpaliho, korešpondenta britských novín, písať o masakre v Nankingu.
Ani to nie je pravda.
Dlhý čas pracoval pre americký mienkotvorný časopis Asia.
Časopis vlastnil manžel Pearl Buck, Richard Walsh, pod záštitou amerického výboru pre verejné informácie (CPI), ktorý riadi protijaponskú propagandu.
CPI sa skladala z ministra zahraničných vecí, tajomníkov armády a námorníctva a predstaviteľov novinového priemyslu a využívala korešpondentov novín a misionárov USA vyslaných do Číny na vykonávanie protijaponskej propagandy.
William Donald z New York Herald, ktorý tam letel so Soong Mei-lingom v čase incidentu v Xi'ane, bol jedným z ľudí, ktorí sa Čang Xue-Liangovi vyhrážali a prinútili ho prepustiť Čankajška.
Hoci existujú len nepriame dôkazy, Donald vtedy povedal: "USA si vybrali Čankajška a dali Mandžusko a Mongolsko Číne. Porazte Japonsko, ako som sľúbil," povedal prezidentovi USA Franklinovi D. Rooseveltovi (FDR).
Čankajšek potom spôsobil incident na moste Marca Pola, zmasakroval 250 Japoncov v Tongzhou a nakoniec 60 000-členné elitné čínske sily zaútočili na japonskú koncesiu v Šanghaji.
Ako FDR dúfala, Japonsko bolo vtiahnuté do bahennej vojny s Čínou a rozšírilo svoje predné línie až po Nanking a Wu-Geography.
FDR nechala CPI spustiť propagandistickú kampaň „zlé Japonsko napádajúce dobrú Čínu“.
Ako materiál bol použitý aj pád Nankingu.
Všetci korešpondenti amerických novín uviedli: "Tí, ktorí boli zabití a ženy znásilnené."
Misionár, Minor Bates, Boží služobník, na Tokijských procesoch nepravdivo tvrdil, že „mnoho Číňanov bolo zabitých“.
Nezomrel by dobrou smrťou.
Avšak ani Číňania sa nezaujímali o americký príbeh o masakre v Nankingu, pretože si mysleli, že je príliš falošný.
Potom USA zhodili atómové bomby na Hirošimu a Nagasaki.
Po zabití 200 000 nevinných civilistov museli ako kompenzačné opatrenie znovu nastoliť Nankingský masaker.
Po prvé, Asahi Shimbun oznámil, ako povedal GHQ, že "20 000 ľudí bolo zabitých za štyri týždne v meste Nanking a kusy zohaveného mäsa boli rozptýlené" (8. decembra 1945).
Kameraman spoločnosti, ktorý bol v tom čase na mieste, fotil po boku japonských vojakov usmievavých civilistov a deti.
Ale 20 000 je príliš málo na kompenzáciu atómového bombardovania.
Takže v rozhodnutí Tokijského tribunálu sa počet zvýšil na 200 000, čo je rádovo vyššie.
Vyvážilo by to zabitie nebojujúcich dvoch A-bômb.
Zdravý učenec by pri jednocifernom zvýšení naklonil hlavu, ale mnohí to neurobili.
Akira Fujiwara z Hitotsubashi University a Tokushi Kasahara z Tsuru University aktívne podporili 200 000 ľudí.
Samozrejme, Fujiwara okomentoval fotografiu dymovej clony, ktorú priniesol Asahi, slovami: "Je to tak. Je to jedovatý plyn od japonskej armády," v štýle pripomínajúcom komika Kena Shimuru.
To odhalilo ležiaceho profesora.
Kasahara si tiež požičala fotografiu Asahi Graph, na ktorej sú ženy, ktoré idú domov chránené japonskou armádou, a napísala: „Ženy v Gangname unesené japonskou armádou“ a „znásilnené a zabité“.
Aj on je ochotný klamať.
Ale Jiang Zemin, ktorý chcel ODA, zvýšil počet na „300 000“ a na Nanjingský pamätník umiestnil slová „300 000“ a založil ho.
Je neuveriteľné, že Song Geng-il, učiteľka na Shanghai Zhendan Vocational Institute, to na nedávnej hodine spochybnila.
Povedala: "Neexistujú žiadne údaje, ktoré by podporovali 300 000 ľudí, a nemali by sme naďalej nenávidieť Japonsko."
Učila, že Nanjing a čísla sú fiktívne.
Keď to študentka skryte odfotila a zverejnila na internete, okamžite ju „prepustili“ (People's Daily).
Rozruch pokračuje.
Li Tian Tian, učiteľka v provincii Hunan znepokojená situáciou Song Geng Yi, navštívila stránky sociálnych sietí, aby vyjadrila svoju podporu svojmu tvrdeniu a požiadala, aby bola potrestaná študentka, ktorá jej to povedala.
Potom prileteli vládni úradníci, schmatli Li a „so súhlasom jej rodiny“ (Ymiuri) ju hodili na psychopatické oddelenie.
Je úžasné, že v Číne boli úctyhodné ženy.
Naproti tomu Asahi, ktorí šíria Nankingský masaker, nikdy nezverejnili žiadnu správu of tieto ženy.
Naopak, noviny znovu potvrdili svoj dlhoročný pohľad na masochistický pohľad na históriu uverejnením obľúbeného mladšieho priateľa Akiru Fujiwaru, Yutaka Yoshidu.
Nie je hanba nazývať sa novinami?
(14. apríla 2022)

 


Femeile chineze care au văzut prin minciunile Masacrului de la Nanjing

2024年01月09日 09時15分59秒 | 全般

Următorul este din cea mai recentă carte a lui Masayuki Takayama, „Henkenjizai: Who Buried Shinzo Abe?”
Această carte este cea mai recentă dintr-o serie de ediții legate ale celebrelor sale coloane din Shukan Shincho, dar textul original a fost șlefuit pentru a-l face și mai ușor de citit.
El merită Premiul Nobel pentru literatură numai pentru această carte.
Această carte este o citire obligatorie nu numai pentru poporul japonez, ci și pentru oamenii din întreaga lume.
Femeile chineze care au văzut prin minciunile Masacrului de la Nanjing (p. 105)
Se spune că marea ficțiune a Masacrului de la Nanjing a fost concepută de chinezi.
Nu este adevarat.
Chinezii pot fi buni la imitarea lucrurilor, dar au nevoie de ajutor pentru a dezvolta astfel de idei.
Nu, nu, nu, Chiang Kai-shek l-a pus pe Harold Timpali, corespondent pentru un ziar britanic, să scrie despre masacrul de la Nanking.
Nici asta nu este adevărat.
A petrecut mult timp lucrând pentru revista de opinie din SUA Asia.
Revista era deținută de soțul lui Pearl Buck, Richard Walsh, sub umbrela Comitetului pentru Informații Publice (CPI) al SUA, care conduce propaganda anti-japoneză.
CPI era format din secretarul de stat, secretarii armatei și marinei și reprezentanți ai industriei ziarelor și a folosit corespondenți ai ziarelor americane și misionari trimiși în China pentru a desfășura propagandă antijaponeză.
William Donald de la New York Herald, care a zburat acolo cu Soong Mei-ling în momentul incidentului de la Xi'an, a fost unul dintre oamenii care l-au amenințat pe Zhang Xue-Liang și l-au forțat să-l elibereze pe Chiang Kai-shek.
Deși există doar dovezi circumstanțiale, Donald a spus la acea vreme: „SUA au ales Chiang Kai-shek și au dat Manciuria și Mongolia Chinei. Învinge Japonia așa cum a promis”, i-a spus el președintelui SUA Franklin D. Roosevelt (FDR).
Chiang Kai-shek a provocat apoi incidentul Podului Marco Polo, a masacrat 250 de japonezi în Tongzhou și, în cele din urmă, a avut o forță chineză de elită de 60.000 de oameni să atace concesiunea japoneză din Shanghai.
După cum sperase FDR, Japonia a fost atrasă în războiul de mlaștină cu China, extinzându-și linia frontului până la Nanking și Wu-Geography.
FDR a pus CPI să desfășoare o campanie de propagandă „Japonia rea invadând China bună”.
Căderea Nanking a fost folosită și ca material.
Toți corespondenții ziarelor din SUA au raportat: „Cei care au fost uciși și femeile violate”.
Misionarul, Minor Bates, un slujitor al lui Dumnezeu, a susținut în mod fals la Procesele de la Tokyo că „Mulți chinezi au fost uciși”.
Nu ar fi murit de o moarte bună.
Cu toate acestea, nici măcar chinezii nu erau interesați de povestea făcută de SUA despre masacrul de la Nanking, deoarece credeau că este prea falsă.
Apoi, SUA au aruncat bombe atomice asupra Hiroshima și Nagasaki.
După ce au ucis 200.000 de civili nevinovați, au fost nevoiți să aducă din nou în discuție Masacrul de la Nanking ca măsură compensatorie.
În primul rând, Asahi Shimbun a raportat, după cum a spus GHQ, că „20.000 de oameni au fost uciși în patru săptămâni în orașul Nanking și bucăți de carne mutilată au fost împrăștiate” (8 decembrie 1945).
Cameramanul companiei, care se afla la fața locului în acel moment, făcea fotografii cu civili și copii zâmbind alături de soldați japonezi.
Dar 20.000 este prea puțin pentru a compensa bombardamentul atomic.
Deci, în decizia Tribunalului de la Tokyo, numărul a fost ridicat la 200.000, cu un ordin de mărime mai mare.
Ar compensa uciderile necombatanților de la cele două bombe A.
Un savant sănătos și-ar fi înclinat capul la creșterea de o cifră, dar mulți nu au făcut-o.
Akira Fujiwara de la Universitatea Hitotsubashi și Tokushi Kasahara de la Universitatea Tsuru au susținut activ 200.000 de oameni.
Desigur, Fujiwara a comentat fotografia cu ecran de fum adusă de Asahi, spunând: „Așa este. Este gaz otrăvitor de la armata japoneză”, într-un stil care amintește de comediantul Ken Shimura.
Asta l-a demascat pe profesorul mincinos.
Kasahara a împrumutat și o fotografie Asahi Graph cu femei plecând acasă protejate de armata japoneză și a scris: „Femei din Gangnam răpite de armata japoneză” și „violate și ucise”.
Și el este dispus să mintă.
Dar Jiang Zemin, dorind AOD, a crescut numărul la „300.000” și a pus cuvintele „300.000” pe Memorialul Nanjing și l-a înființat.
În mod incredibil, Song Geng-il, o profesoară la Institutul Vocațional Zhendan din Shanghai, a pus la îndoială acest lucru într-o clasă recentă.
Ea a spus: „Nu există date care să sprijine 300.000 de oameni și nu ar trebui să continuăm să urâm Japonia”.
Ea a învățat că Nanjing și numerele sunt fictive.
Când o studentă i-a făcut o poză ascunsă și a postat-o online, a fost imediat „demisă” (People's Daily).
Furia continuă.
Li Tian Tian, o profesoară din provincia Hunan, îngrijorată de situația lui Song Geng Yi, a apelat la rețelele de socializare pentru a-și exprima sprijinul pentru afirmația ei și a cere ca elevul care i-a spus să fie pedepsit.
Apoi oficialii guvernamentali au zburat, au luat-o pe Li și „cu aprobarea familiei ei” (Ymiuri), au aruncat-o într-o secție de psihopati.
În mod uimitor, în China erau femei respectabile.
În schimb, Asahi, care a propagat Masacrul de la Nanking, nu a publicat niciodată vreo relataref aceste femei.
Dimpotrivă, ziarul și-a reafirmat viziunea de lungă durată despre viziunea masochistă asupra istoriei prin publicarea prietenului mai tânăr preferat al lui Akira Fujiwara, Yutaka Yoshida.
Nu este păcat să te numești ziar?
(14 aprilie 2022)

 


Chinki, które przejrzały kłamstwa dotyczące masakry w Nanjing

2024年01月09日 09時14分37秒 | 全般

Poniższy tekst pochodzi z najnowszej książki Masayuki Takayamy „Henkenjizai: Who Buried Shinzo Abe?”
Niniejsza książka jest najnowszą z serii oprawionych wydań jego słynnych felietonów w Shukan Shincho, ale oryginalny tekst został dopracowany, aby jeszcze bardziej ułatwić jej czytanie.
Za tę jedną książkę należy mu się Literacka Nagroda Nobla.
Ta książka jest obowiązkową lekturą nie tylko dla Japończyków, ale dla ludzi na całym świecie.
Chinki, które przejrzały kłamstwa dotyczące masakry w Nanjing (s. 105)
Mówi się, że wielką fikcję o masakrze w Nanjing wymyślili Chińczycy.
To nie jest prawda.
Chińczycy mogą być dobrzy w naśladowaniu, ale potrzebują pomocy, aby rozwinąć takie pomysły.
Nie, nie, nie, Czang Kaj-szek kazał Haroldowi Timpali, korespondentowi brytyjskiej gazety, napisać o masakrze w Nankinie.
To też nie jest prawdą.
Przez długi czas pracował dla amerykańskiego magazynu opinii Asia.
Magazyn był własnością męża Pearl Buck, Richarda Walsha, i podlegał Amerykańskiej Komisji Informacji Publicznej (CPI), która kieruje antyjapońską propagandą.
CPI składała się z Sekretarza Stanu, Sekretarzy Armii i Marynarki Wojennej oraz przedstawicieli przemysłu prasowego i wykorzystywała korespondentów gazet amerykańskich i misjonarzy wysyłanych do Chin do prowadzenia antyjapońskiej propagandy.
William Donald z „New York Herald”, który przyleciał tam z Soong Mei-ling w czasie incydentu w Xi'an, był jedną z osób, które groziły Zhangowi Xue-Liangowi i zmusiły go do uwolnienia Czang Kaj-szeka.
Chociaż istnieją jedynie poszlaki, Donald powiedział wówczas: „Stany Zjednoczone wybrały Czang Kaj-szeka i oddały Chinom Mandżurię i Mongolię. Pokonajcie Japonię zgodnie z obietnicą” – powiedział prezydentowi USA Franklinowi D. Rooseveltowi (FDR).
Następnie Czang Kaj-szek spowodował incydent na moście Marco Polo, dokonał masakry 250 Japończyków w Tongzhou i ostatecznie zmusił 60-tysięczne elitarne siły chińskie do ataku na japońską koncesję w Szanghaju.
Tak jak miał nadzieję FDR, Japonia została wciągnięta w bagnistą wojnę z Chinami, rozszerzając swoje linie frontu do Nanking i Wu-Geography.
FDR zlecił CPI prowadzenie kampanii propagandowej „zła Japonia najeżdża dobre Chiny”.
Jako materiał wykorzystano także upadek Nankinu.
Wszyscy korespondenci amerykańskich gazet donosili: „Ci, którzy zostali zabici, a kobiety zgwałcone”.
Misjonarz Minor Bates, sługa Boży, podczas procesów w Tokio fałszywie twierdził, że „zabito wielu Chińczyków”.
Nie umarłby dobrą śmiercią.
Jednak nawet Chińczycy nie byli zainteresowani wymyśloną przez USA historią masakry w Nankinie, uznając ją za zbyt fałszywą.
Następnie USA zrzuciły bomby atomowe na Hiroszimę i Nagasaki.
Po zabiciu 200 000 niewinnych cywilów musieli ponownie poruszyć kwestię masakry w Nankinie jako środka wyrównawczego.
Po pierwsze, „Asahi Shimbun” doniósł, jak poinformowało GHQ, że „w mieście Nanking w ciągu czterech tygodni zabito 20 000 ludzi, a porozrzucano kawałki okaleczonego mięsa” (8 grudnia 1945 r.).
Operator firmy, który był wówczas na miejscu zdarzenia, robił zdjęcia uśmiechniętym cywilom i dzieciom obok japońskich żołnierzy.
Ale 20 000 to za mało, aby zrównoważyć bombardowanie atomowe.
Zatem decyzją Trybunału w Tokio liczbę tę podniesiono do 200 000, czyli o rząd wielkości więcej.
Zrównoważyłoby to zabójstwa niewalczące spowodowane dwiema bombami atomowymi.
Rozsądny uczony pochyliłby głowę, gdyby zauważył jednocyfrowy wzrost, ale wielu tak nie zrobiło.
Akira Fujiwara z Uniwersytetu Hitotsubashi i Tokushi Kasahara z Uniwersytetu Tsuru aktywnie wsparły 200 000 osób.
Oczywiście Fujiwara skomentował zdjęcie zasłony dymnej przyniesione przez Asahiego, mówiąc: „Zgadza się. To trujący gaz wyprodukowany przez japońskie wojsko” w stylu przypominającym komika Kena Shimurę.
To zdemaskowało kłamliwego profesora.
Kasahara pożyczyła także zdjęcie Asahi Graph przedstawiające kobiety wracające do domu chronione przez armię japońską i napisała: „Kobiety w Gangnam porwane przez armię japońską” oraz „zgwałcone i zabite”.
On też jest skłonny kłamać.
Jednak Jiang Zemin, chcąc ODA, zwiększył tę liczbę do „300 000”, umieścił napis „300 000” na Pomniku w Nanjing i ustanowił go.
To niewiarygodne, że Song Geng-il, nauczycielka w Szanghajskim Instytucie Zawodowym Zhendan, kwestionowała to podczas niedawnych zajęć.
Powiedziała: „Nie ma danych, które pozwalałyby na wsparcie 300 000 ludzi i nie powinniśmy w dalszym ciągu nienawidzić Japonii”.
Uczyła, że Nanjing i liczby są fikcyjne.
Kiedy studentka zrobiła ukryte zdjęcie i umieściła je w Internecie, natychmiast została „zwolniona” (People's Daily).
Furia trwa.
Li Tian Tian, nauczycielka z prowincji Hunan, zaniepokojona sytuacją Song Geng Yi, na portalach społecznościowych wyraziła swoje poparcie dla swoich twierdzeń i zażądała ukarania ucznia, który jej to powiedział.
Następnie przylecieli urzędnicy rządowi, porwali Li i „za zgodą jej rodziny” (Ymiuri) wrzucili ją na oddział dla psychiatrów.
O dziwo, w Chinach były szanowane kobiety.
Natomiast Asahi, która propagowała masakrę w Nankinie, nigdy nie opublikowała żadnej relacji o tym wydarzeniuf te kobiety.
Wręcz przeciwnie, gazeta potwierdziła swój wieloletni pogląd na masochistyczny pogląd na historię, publikując ulubionego młodszego przyjaciela Akiry Fujiwary, Yutakę Yoshidę.
Czy to nie wstyd nazywać się gazetą?
(14 kwietnia 2022 r.)

 


Nanjing Katliamı'nın yalanlarını anlayan Çinli kadınlar

2024年01月09日 09時14分20秒 | 全般

Aşağıdakiler Masayuki Takayama'nın son kitabı "Henkenjizai: Shinzo Abe'yi Kim Gömdü?"
Bu kitap, Shukan Shincho'daki ünlü yazılarının ciltli baskı serisinin sonuncusudur, ancak orijinal metin, okumayı daha da kolaylaştırmak için cilalanmıştır.
Sadece bu kitabıyla Nobel Edebiyat Ödülü'nü hak ediyor.
Bu kitap sadece Japonların değil, dünya çapındaki insanların mutlaka okuması gereken bir kitap.
Nanjing Katliamı'nın yalanlarını anlayan Çinli kadınlar (s. 105)
Nanjing Katliamı'nın büyük kurgusunun Çinliler tarafından tasarlandığı söyleniyor.
Bu doğru değil.
Çinliler bir şeyleri taklit etme konusunda iyi olabilirler ama bu tür fikirleri geliştirmek için yardıma ihtiyaçları var.
Hayır, hayır, hayır, Çan Kay-şek, bir İngiliz gazetesi muhabiri olan Harold Timpali'ye Nanking Katliamı hakkında yazmasını sağladı.
Bu da doğru değil.
Uzun süre ABD'nin fikir dergisi Asia'da çalıştı.
Derginin sahibi, Japon karşıtı propagandayı yönlendiren ABD Kamu Bilgilendirme Komitesi (CPI) şemsiyesi altında Pearl Buck'ın kocası Richard Walsh'a aitti.
CPI, Dışişleri Bakanı, Ordu ve Deniz Kuvvetleri Sekreterleri ve gazete endüstrisinin temsilcilerinden oluşuyordu ve Japonya karşıtı propaganda yürütmek için Çin'e gönderilen ABD gazete muhabirlerini ve misyonerlerini kullanıyordu.
Xi'an Olayı sırasında Soong Mei-ling'le birlikte oraya uçan New York Herald'dan William Donald, Zhang Xue-Liang'ı tehdit eden ve onu Çan Kay-şek'i serbest bırakmaya zorlayan kişilerden biriydi.
Donald, yalnızca ikinci dereceden kanıt bulunmasına rağmen o dönemde ABD Başkanı Franklin D. Roosevelt'e (FDR) "ABD, Çan Kay-şek'i seçti ve Mançurya ile Moğolistan'ı Çin'e verdi. Söz verildiği gibi Japonya'yı yendi" demişti.
Çan Kay-şek daha sonra Marco Polo Köprüsü Olayına neden oldu, Tongzhou'da 250 Japon'u katletti ve sonunda 60.000 kişilik seçkin bir Çin kuvvetinin Şanghay'daki Japon imtiyazına saldırmasını sağladı.
Roosevelt'in umduğu gibi Japonya, ön hatlarını Nanking ve Wu-Geography'ye kadar genişleterek Çin'le olan bataklık savaşının içine çekildi.
FDR, CPI'ya "kötü Japonya'nın iyi Çin'i işgal etmesi" propaganda kampanyası yürütmesini sağladı.
Nanking'in düşüşü de materyal olarak kullanıldı.
ABD gazetelerinin muhabirlerinin hepsi "Öldürülenler ve kadınlara tecavüz edilenler" şeklinde haber yaptı.
Tanrı'nın bir hizmetkarı olan misyoner Minor Bates, Tokyo Duruşmalarında yalan yere "Birçok Çinlinin öldürüldüğünü" iddia etti.
İyi bir ölümle ölmezdi.
Ancak Çinliler bile ABD yapımı Nanking Katliamı hikayesiyle ilgilenmediler çünkü bunun çok yanlış olduğunu düşünüyorlardı.
Daha sonra ABD Hiroşima ve Nagazaki'ye atom bombası attı.
200.000 masum sivili öldürdükten sonra, telafi edici bir önlem olarak Nanking Katliamı'nı yeniden gündeme getirmek zorunda kaldılar.
İlk olarak, GHQ'nun söylediği gibi Asahi Shimbun, "Nanking şehrinde dört hafta içinde 20.000 kişinin öldürüldüğünü ve parçalanmış et parçalarının etrafa saçıldığını" bildirdi (8 Aralık 1945).
O sırada olay yerinde bulunan şirketin kameramanı, Japon askerlerinin yanında gülümseyen sivillerin ve çocukların fotoğraflarını çekiyordu.
Ama 20.000 atom bombasını dengelemek için çok az.
Böylece Tokyo Mahkemesi kararında bu sayı çok daha yüksek bir rakam olan 200.000'e çıkarıldı.
Bu, iki atom bombasının savaş dışı ölümlerini telafi edecek.
Aklı başında bir akademisyen tek haneli artış karşısında başını eğerdi ama pek çoğu bunu yapmadı.
Hitotsubashi Üniversitesi'nden Akira Fujiwara ve Tsuru Üniversitesi'nden Tokushi Kasahara, 200.000 kişiyi aktif olarak destekledi.
Elbette Fujiwara, Asahi'nin getirdiği sis perdesi fotoğrafına komedyen Ken Shimura'yı anımsatan bir üslupla "Doğru. Japon ordusunun zehirli gazıdır" diyerek yorum yaptı.
Bu, yalancı profesörü açığa çıkardı.
Kasahara ayrıca Japon ordusu tarafından korunarak evlerine dönen kadınların Asahi Graph fotoğrafını da ödünç aldı ve şöyle yazdı: "Gangnam'daki kadınlar Japon ordusu tarafından kaçırıldı" ve "tecavüze uğradı ve öldürüldü."
O da yalan söylemeye hazır.
Ancak ODA'yı isteyen Jiang Zemin, sayıyı "300.000"e çıkararak Nanjing Anıtı'nın üzerine "300.000" yazısını koydu ve onu kurdu.
İnanılmaz bir şekilde, Şangay Zhendan Meslek Enstitüsü'nde kadın öğretmen olan Song Geng-il, yakın zamanda yapılan bir derste bunu sorguladı.
"300.000 kişiyi destekleyecek veri yok ve Japonya'dan nefret etmeye devam etmemeliyiz" dedi.
Nanjing'in ve sayıların uydurma olduğunu öğretti.
Bir öğrenci onun gizli fotoğrafını çekip internette yayınladığında, hemen "işten çıkarıldı" (People's Daily).
Korku devam ediyor.
Hunan Eyaletindeki kadın öğretmen Song Geng Yi'nin durumundan endişe duyan Li Tian Tian, sosyal paylaşım sitelerinde iddiasına desteğini dile getirdi ve kendisine söyleyen öğrencinin cezalandırılmasını talep etti.
Daha sonra hükümet yetkilileri içeri girdi, Li'yi yakaladı ve "ailesinin (Ymiuri) onayıyla" onu bir psikopat koğuşuna attı.
Şaşırtıcı bir şekilde Çin'de saygın kadınlar vardı.
Buna karşılık, Nanking Katliamı'nın propagandasını yapan Asahi, bu olayla ilgili herhangi bir açıklamayı hiçbir zaman yayınlamadı.f bu kadınlar.
Tam tersine gazete, Akira Fujiwara'nın en sevdiği genç arkadaşı Yutaka Yoshida'yı yayınlayarak mazoşist tarih görüşüne ilişkin uzun süredir devam eden görüşünü yeniden doğruladı.
Kendinize gazete demek ayıp değil mi?
(14 Nisan 2022)

 


Những phụ nữ Trung Quốc đã nhìn thấu sự dối trá của vụ thảm sát Nam Kinh

2024年01月09日 09時13分36秒 | 全般

Sau đây là từ cuốn sách mới nhất của Masayuki Takayama, "Henkenjizai: Who Bured Shinzo Abe?"
Cuốn sách này là cuốn sách mới nhất trong loạt ấn bản đóng bìa của các chuyên mục nổi tiếng của ông ở Shukan Shincho, nhưng văn bản gốc đã được trau chuốt để dễ đọc hơn.
Ông xứng đáng nhận giải Nobel Văn học chỉ nhờ cuốn sách này.
Đây là cuốn sách phải đọc không chỉ đối với người dân Nhật Bản mà còn đối với mọi người trên toàn thế giới.
Những phụ nữ Trung Quốc đã nhìn thấu sự dối trá của vụ thảm sát Nam Kinh (tr. 105)
Người ta cho rằng câu chuyện hư cấu lớn về vụ thảm sát Nam Kinh là do người Trung Quốc nghĩ ra.
Điều đó không đúng.
Người Trung Quốc có thể giỏi bắt chước mọi thứ, nhưng họ cần được giúp đỡ để phát triển những ý tưởng đó.
Không, không, không, Tưởng Giới Thạch đã nhờ Harold Timpali, phóng viên của một tờ báo Anh, viết về vụ thảm sát Nam Kinh.
Điều đó cũng không đúng.
Ông đã có thời gian dài làm việc cho tạp chí Asia của Mỹ.
Tạp chí này thuộc sở hữu của chồng Pearl Buck, Richard Walsh, dưới sự bảo trợ của Ủy ban Thông tin Công cộng Hoa Kỳ (CPI), cơ quan chỉ đạo tuyên truyền chống Nhật Bản.
CPI bao gồm Bộ trưởng Ngoại giao, Bộ trưởng Quân đội và Hải quân, và đại diện của ngành báo chí, đồng thời sử dụng các phóng viên báo chí Hoa Kỳ và các nhà truyền giáo được phái đến Trung Quốc để thực hiện tuyên truyền chống Nhật Bản.
William Donald của tờ New York Herald, người đã bay tới đó cùng Tống Mỹ Linh vào thời điểm xảy ra Sự cố Tây An, là một trong những người đã đe dọa Zhang Xue-Liang và buộc ông ta phải thả Tưởng Giới Thạch.
Mặc dù chỉ có bằng chứng gián tiếp nhưng vào thời điểm đó, Donald nói: "Mỹ đã chọn Tưởng Giới Thạch và trao Mãn Châu và Mông Cổ cho Trung Quốc. Hãy đánh bại Nhật Bản như đã hứa", ông nói với Tổng thống Mỹ Franklin D. Roosevelt (FDR).
Tưởng Giới Thạch sau đó đã gây ra Sự cố cầu Marco Polo, tàn sát 250 người Nhật ở Thông Châu, và cuối cùng điều một lực lượng tinh nhuệ gồm 60.000 người Trung Quốc tấn công tô giới Nhật Bản ở Thượng Hải.
Đúng như FDR đã hy vọng, Nhật Bản bị lôi kéo vào cuộc chiến đầm lầy với Trung Quốc, mở rộng chiến tuyến tới Nam Kinh và Wu-Geography.
FDR đã yêu cầu CPI thực hiện chiến dịch tuyên truyền "Nhật Bản xấu xâm lược Trung Quốc tốt".
Sự thất thủ của Nam Kinh cũng được dùng làm vật liệu.
Các phóng viên báo chí Mỹ đều đưa tin: “Những kẻ bị giết và hãm hiếp phụ nữ”.
Nhà truyền giáo, Minor Bates, một người hầu của Chúa, đã khai man tại Phiên tòa Tokyo rằng "Nhiều người Trung Quốc đã bị giết."
Anh ta sẽ không chết một cái chết tốt đẹp.
Tuy nhiên, ngay cả người Trung Quốc cũng không quan tâm đến câu chuyện về vụ thảm sát Nam Kinh do Mỹ dựng lên, vì họ cho rằng nó quá sai sự thật.
Sau đó Mỹ ném bom nguyên tử xuống Hiroshima và Nagasaki.
Sau khi giết chết 200.000 thường dân vô tội, họ lại phải khơi lại vụ thảm sát Nam Kinh như một biện pháp đối kháng.
Đầu tiên, tờ Asahi Shimbun đưa tin, như GHQ kể lại, rằng “20.000 người đã bị giết trong vòng 4 tuần ở thành phố Nam Kinh, và những mảnh thịt bị cắt xẻo vương vãi khắp nơi” (ngày 8 tháng 12 năm 1945).
Người quay phim của công ty, người có mặt tại hiện trường vào thời điểm đó, đang chụp ảnh những thường dân và trẻ em đang tươi cười bên cạnh những người lính Nhật.
Nhưng 20.000 là quá ít để bù đắp cho vụ đánh bom nguyên tử.
Vì vậy, trong phán quyết của Tòa án Tokyo, con số đã được nâng lên 200.000, một mức độ cao hơn rất nhiều.
Nó sẽ bù đắp cho số người không tham chiến từ hai quả bom chữ A.
Một học giả tỉnh táo hẳn sẽ nghiêng đầu trước mức tăng một chữ số, nhưng nhiều người thì không.
Akira Fujiwara của Đại học Hitotsubashi và Tokushi Kasahara của Đại học Tsuru đã tích cực hỗ trợ 200.000 người.
Tất nhiên, Fujiwara đã bình luận về bức ảnh màn khói do Asahi mang đến rằng: "Đúng vậy. Đó là khí độc của quân đội Nhật Bản", theo phong cách gợi nhớ đến diễn viên hài Ken Shimura.
Điều đó đã vạch trần vị giáo sư nói dối.
Kasahara cũng mượn một bức ảnh Asahi Graph chụp những người phụ nữ về nhà được quân đội Nhật bảo vệ và viết: "Phụ nữ ở Gangnam bị quân đội Nhật bắt cóc" và "hãm hiếp và giết chết".
Anh cũng sẵn sàng nói dối.
Nhưng Giang Trạch Dân vì muốn có ODA nên đã tăng con số lên "300.000" và ghi dòng chữ "300.000" trên Đài tưởng niệm Nam Kinh và thành lập nó.
Thật đáng kinh ngạc, Song Geng-il, một nữ giáo viên tại Học viện dạy nghề Zhendan Thượng Hải, đã đặt câu hỏi về điều này trong một lớp học gần đây.
Cô nói: "Không có dữ liệu nào hỗ trợ 300.000 người và chúng ta không nên tiếp tục ghét Nhật Bản".
Cô dạy rằng Nam Kinh và những con số đều là hư cấu.
Khi một nữ sinh chụp lén rồi đăng lên mạng, cô này lập tức bị “cho thôi việc” (Nhân dân Nhật báo).
Sự giận dữ vẫn tiếp tục.
Li Tian Tian, ​​một nữ giáo viên ở tỉnh Hồ Nam lo ngại về hoàn cảnh của Song Geng Yi, đã lên các trang mạng xã hội để lên tiếng ủng hộ yêu sách của mình và yêu cầu học sinh nói với cô phải bị trừng phạt.
Sau đó, các quan chức chính phủ bay đến, tóm lấy Li và “với sự đồng ý của gia đình cô” (Ymiuri), ném cô vào khu điều trị tâm thần.
Thật ngạc nhiên là ở Trung Quốc lại có những người phụ nữ được kính trọng.
Ngược lại, tờ Asahi, tờ báo tuyên truyền về vụ thảm sát Nam Kinh, chưa bao giờ công bố bất kỳ tài liệu nào về vụ thảm sát Nam Kinh.f những người phụ nữ này.
Ngược lại, tờ báo tái khẳng định quan điểm lâu đời của mình về quan điểm khổ dâm trong lịch sử bằng cách đăng bài về người bạn trẻ yêu thích của Akira Fujiwara, Yutaka Yoshida.
Tự gọi mình là một tờ báo chẳng phải là xấu hổ sao?
(14 tháng 4 năm 2022)

 


Wanita Cina yang melihat melalui pembohongan Pembunuhan Beramai-ramai Nanjing

2024年01月09日 09時11分58秒 | 全般

Berikut adalah daripada buku terbaru Masayuki Takayama, "Henkenjizai: Siapa yang Menguburkan Shinzo Abe?"
Buku ini adalah yang terbaru dalam siri edisi terikat lajur terkenalnya di Shukan Shincho, tetapi teks asal telah digilap untuk menjadikannya lebih mudah dibaca.
Dia layak menerima Hadiah Nobel untuk Sastera untuk buku yang satu ini sahaja.
Buku ini mesti dibaca bukan sahaja untuk orang Jepun tetapi untuk orang di seluruh dunia.
Wanita Cina yang melihat melalui pembohongan Pembunuhan Beramai-ramai Nanjing (ms 105)
Fiksyen besar Pembunuhan Beramai-ramai Nanjing dikatakan telah diilhamkan oleh orang Cina.
Itu tidak benar.
Orang Cina mungkin pandai meniru sesuatu, tetapi mereka memerlukan bantuan untuk mengembangkan idea tersebut.
Tidak, tidak, tidak, Chiang Kai-shek menyuruh Harold Timpali, wartawan sebuah akhbar British, menulis tentang Pembunuhan Beramai-ramai Nanking.
Itu tidak benar juga.
Dia menghabiskan masa yang lama bekerja untuk majalah pendapat A.S. Asia.
Majalah itu dimiliki oleh suami Pearl Buck, Richard Walsh, di bawah payung Jawatankuasa Maklumat Awam (CPI) A.S., yang mengarahkan propaganda anti-Jepun.
CPI terdiri daripada Setiausaha Negara, Setiausaha Tentera dan Tentera Laut, dan wakil industri akhbar, dan ia menggunakan wartawan dan mubaligh A.S. yang dihantar ke China untuk menjalankan propaganda anti-Jepun.
William Donald dari New York Herald, yang terbang ke sana bersama Soong Mei-ling pada masa Insiden Xi'an, adalah salah seorang yang mengancam Zhang Xue-Liang dan memaksanya melepaskan Chiang Kai-shek.
Walaupun hanya bukti mengikut keadaan yang wujud, Donald berkata pada masa itu, "AS memilih Chiang Kai-shek dan memberikan Manchuria dan Mongolia kepada China. Mengalahkan Jepun seperti yang dijanjikan," katanya kepada Presiden AS Franklin D. Roosevelt (FDR).
Chiang Kai-shek kemudian menyebabkan Insiden Jambatan Marco Polo, membunuh 250 orang Jepun di Tongzhou, dan akhirnya mempunyai 60,000 pasukan elit China yang kuat menyerang konsesi Jepun di Shanghai.
Seperti yang diharapkan oleh FDR, Jepun telah ditarik ke dalam perang rawan dengan China, meluaskan barisan hadapannya ke Nanking dan Wu-Geografi.
FDR menyuruh CPI menjalankan kempen propaganda "Jepun yang buruk menyerang China yang baik".
Kejatuhan Nanking juga digunakan sebagai bahan.
Koresponden akhbar A.S. semuanya melaporkan, "Mereka yang dibunuh dan wanita dirogol."
Mubaligh, Minor Bates, seorang hamba Tuhan, secara palsu mendakwa di Perbicaraan Tokyo bahawa "Ramai orang Cina terbunuh."
Dia tidak akan mati dengan baik.
Walau bagaimanapun, walaupun orang Cina tidak berminat dengan cerita Pembunuhan Nanking buatan A.S., kerana mereka menganggap ia terlalu palsu.
Kemudian, A.S. menggugurkan bom atom di Hiroshima dan Nagasaki.
Selepas membunuh 200,000 orang awam yang tidak bersalah, mereka terpaksa membangkitkan Pembunuhan Nanking sekali lagi sebagai langkah balas.
Pertama, Asahi Shimbun melaporkan, seperti yang diberitahu oleh GHQ, bahawa "20,000 orang terbunuh dalam empat minggu di bandar Nanking, dan kepingan daging yang dicacatkan tersebar" (8 Disember 1945).
Jurukamera syarikat itu, yang berada di tempat kejadian pada masa itu, sedang mengambil gambar orang awam dan kanak-kanak yang sedang tersenyum bersama tentera Jepun.
Tetapi 20,000 terlalu sedikit untuk mengimbangi pengeboman atom.
Jadi, dalam keputusan Tribunal Tokyo, jumlah itu dinaikkan kepada 200,000, satu susunan magnitud yang lebih tinggi.
Ia akan mengimbangi pembunuhan bukan pejuang daripada dua bom A.
Seorang ulama yang waras akan memiringkan kepalanya pada kenaikan satu angka, tetapi ramai yang tidak.
Akira Fujiwara dari Universiti Hitotsubashi dan Tokushi Kasahara dari Universiti Tsuru secara aktif menyokong 200,000 orang.
Sudah tentu, Fujiwara mengulas mengenai gambar skrin asap yang dibawa oleh Asahi, berkata, "Betul. Ia adalah gas beracun daripada tentera Jepun,'' dalam gaya yang mengingatkan pelawak Ken Shimura.
Itu mendedahkan profesor pembohong.
Kasahara juga meminjam gambar Asahi Graf wanita pulang ke rumah dilindungi oleh tentera Jepun dan menulis, "Wanita di Gangnam diculik oleh tentera Jepun" dan "dirogol dan dibunuh."
Dia juga sanggup berbohong.
Tetapi Jiang Zemin, yang mahukan ODA, meningkatkan bilangannya kepada "300,000" dan meletakkan perkataan "300,000" pada Memorial Nanjing dan menubuhkannya.
Hebatnya, Song Geng-il, seorang guru wanita di Institut Vokasional Shanghai Zhendan, mempersoalkan perkara ini dalam kelas baru-baru ini.
Dia berkata, "Tiada data untuk menyokong 300,000 orang, dan kita tidak seharusnya terus membenci Jepun."
Dia mengajar bahawa Nanjing dan nombornya adalah rekaan.
Apabila seorang pelajar mengambil gambar tersembunyi dan menyiarkannya dalam talian, dia serta-merta "dibuang kerja" (People's Daily).
Kegeraman berterusan.
Li Tian Tian, seorang guru wanita di Wilayah Hunan yang mengambil berat tentang situasi Song Geng Yi, turun ke laman rangkaian sosial untuk menyuarakan sokongannya terhadap dakwaannya dan menuntut pelajar yang memberitahunya harus dihukum.
Kemudian pegawai kerajaan terbang masuk, menangkap Li, dan "dengan persetujuan keluarganya" (Ymiuri), melemparkannya ke wad psikopat.
Hebatnya, terdapat wanita yang dihormati di China.
Sebaliknya, Asahi, yang telah menyebarkan Pembunuhan Nanking, tidak pernah menerbitkan sebarang akaun of wanita ini.
Sebaliknya, kertas itu mengesahkan pandangan lamanya tentang pandangan masokistik sejarah dengan menerbitkan rakan muda kegemaran Akira Fujiwara, Yutaka Yoshida.
Tidakkah memalukan untuk memanggil diri anda sebagai akhbar?
(14 April 2022)