すずりんの日記

動物好き&読書好き集まれ~!

小説「アジア人の怒り」⑮終

2005年03月16日 | 小説「アジア人の怒り」
 もう、目が覚めても、昼か、夜か、わからなくなっていた。というよりは、自分の所が、現実の洞穴なのか、それとも天国なのかが理解できなかった。山に入ってから何日経ったのか。宮本が死んでから何日経ったのか。食料が底をついてからどのくらい経ったのか。そして、・・・ジムが死んでから、どのくらいの時間が経っているのか。
 
 ・・・自殺だった。
 
 彼が死んだのを知った後、私は、火を焚くために、ジムのリュックの中から燃えそうな物を掻き出していた。その中に、ジムが使っていた小さな医学書はあった。挿んであるしおりを見つけて、私は、この中に私がジムから聞き出せなかった全てがあるのだ、と思った。ジムが死んだ今、もう何も、怖いものは無かった。私は、何のためらいも無く、そのページを開いた。
 大きな字で、「ASIATIC CHOLERA(真性コレラ)」と書いてあった。
 そうか、ジム。そうだったのか。あの伴天連は、ただ単に病魔に侵されていただけだったのか。「アジア人の怒り(ASIATIC CHOLER)」と一字違いの「真性コレラ(ASIATIC CHOLERA)」に。だから山を下りなかったのか。これ以上被害者を出さないために。何の鎧も着けていない私たちに感染した、このちっぽけで恐ろしい菌を麓の村に持ち込まないために。・・・ふふっ、ジム、私を褒めてくれよ。最期まで君に従順だった私を。・・・自殺するほど責任を感じていたのなら、私もその時殺してくれればよかったのに。リーダーとして唯一の失敗だったな。ふふふっ。ジム、私も、もう、長くはないんだ。食料は無いし、菌にも侵されているし、その上、肩の傷が化膿してきている。心臓が近いから、すぐにダメになるよ。
 ・・・ふふっ、アジア人の怒り、か。・・・昔の人はうまいことを言ったものだな。・・・なぁ、ジム。・・・ふふっ、ふふふっ、・・・ふふふふっ・・・

 
 ―――これは、警告である。これを読んだ誰かが、必ず山を下りられるとは限らない。だが、これは、間違いなく、・・・警告なのだ。
 私は、いや、ここで死んだ多くの人々は、この中で、この遺書を見つける者のいないことを、切に願っている。

 
 これで、私の務めは終わった。さぁ、眠るとするか。
 
 もう2度と、目覚めはしないだろう。 
 
 おやすみ、ジム。さよなら―――


 
 追伸:その頃、麓の村では、また新しい言い伝えが生まれていた。


(おわり)


・お詫び:文中では、コレラにかかり、体温は上がっていますが、正しくは、体温は下がります。
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小説「アジア人の怒り」⑭

2005年03月14日 | 小説「アジア人の怒り」
 私たちは火を囲んで、宮本が残してくれた食料をちびちびと口に運んでいた。もう、外は真っ暗になっているだろう。少し前に外で、銃の音がしていた。どうやら村人たちは、今日も山に入ったらしい。どうしてだ。私たちをここから動けなくするためか。もしそうだとしたら何の理由があるんだ。・・・わからない。しかし、もし、10年前も、そしてその前も、人々が“同じ理由で死んだとすれば”、いや、私のように、村人に撃たれた者があったとすれば、「山に入った者たちがどこに行ったかわからない」はずはない。少なくとも、野犬狩りと称して山に入る数人は、知っていたのだ。
 10年前のことだって、「山を下りた者は1人もいない」と言っていたが、原因不明のまま、宮本のように死んでいった者はともかく、生きて山を下りようとする者さえ、下りさせなかったに違いない。何か、―――そう、ここで何かわかったこと―――例えば、“アジア人の怒り”の正体とか―――を、村人に知らせるために山を下りようとした者がいた。しかし、助けに来てくれたと思っていた村人に、逆に、撃たれた。彼は、諦めてここに残り、そして最期に、壁に言葉を書き残した。
 私はジムに、自分が立てた仮説を聞いてもらおうと彼に目をやった。が、彼は既にいびきをかいて寝ていた。意味も無く、痛みにうずく肩に手をやりながら、私は、寂しさとも悲しさともつかない、何か、冷めた感情に浸っていた。友人を1人失ってしまったというよりは、私とジムと、次はどちらが先に逝ってしまうだろうという不安と、遅かれ早かれ、2人とも死んでしまうんだという悟りのようなものが、目の前を覆っていた。その冷めた感情を、アジア人の怒りが不安に駆り立てようとしていた。同じ死を目前にして、ジムがこんなふうに眠れるのは、きっと、その、私を眠らせようとしない正体不明の不安の種をも、彼が見切っているからだろう。彼はたぶん知っているのだ。何かを、知っているのだ。しかし、私は、彼からそれを聞き出そうとはしなかった。それを聞いて、今さら何になるというのだ。それほど私は、死を身近に感じていた。生への希望を考えれば考えるほど、私はその不安に近づいて行った。まるで宮本が、自らを狂気へと導いて行ったように。
 それにしても、ジムがあんなにも責任を感じているとは思わなかった。ジムは、1万分の1もの確率にかけて、私に山を下りるように言った。・・・それとも、私が山を下りないと言うことを知っていて、私を道連れにしたのか。そうも思ったが、なぜか私は、ジムが私を道連れに選んでくれたことを嬉しく感じていた。不思議なこともあるものだ。生前、私を慕ってくれていた宮本の死には涙1つこぼすこともできず、逆に、あんなに反発していたジムに親しみを感じるなんて。死という非常な状態を前にすると、人間はここまで変わるものなのだろうか。それとも、こういう時に現れる姿が、死に還っていく直前の、本当の姿なのだろうか。
 私が今恐れているのは、自分が死ぬということではなく、もしかしたら、ジムが先に死んで、自分が1人ぼっちになってしまうということかもしれない。私はそんなことを思い巡らしながら、いつしか眠りに就いていた。

(つづく)
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小説「アジア人の怒り」⑬

2005年03月13日 | 小説「アジア人の怒り」
 私は何もできずに、ただ、彼の体に涙声で叫び続けているジムを見つめていた。2人共、いや、宮本本人さえ予期していた当然の出来事だった。しかし、それがあまりにも早く、あまりにも突然に起きたことに対するショックが、私たちを動揺させていた。・・・どうして、こんなことに。そんな言葉が無意識のうちに口をついて出ていた。しかし、その言葉は、自分にも非はあったと認めた私の前言を全面的に否定し、あまりにも露骨に、ジムに対して責任を転嫁していた。
 ジムは、それを敏感に感じ取り、睨むように私を見た。頬を濡らしている涙も拭かずに、まるで何か意を決しているかのように黙っていた。私は、それに気づかない振りをして宮本を見ていた。しばらくしてジムは、ゆっくりと視線を落とし、埋めてやろう、と、ぼそっと言った。私は同意の返事を返す代わりに、立ち上がって宮本の足元に移動した。私たちは、あの“墓地”へ宮本を運び、そこに11人目の墓を立てた。ジムは、宮本のリュックから医療品と食料を出した後で、リュックをその杭に掛けて、5秒ほど手を合わせていた。私もジムに続いて、杭の正面に立って手を合わせた。私は正面の杭を見つめたまま、ジムに体調を尋ねた。ジムは、症状は良くならないが宮本みたいに急激に悪化することは無いだろう、と言った。ジムは、一息ついて、また話し出した。
 自分は責任を感じている。宮本がこんなふうになったのも自分が悪いんだ。しかし、自分が山を下りずにここに残ることにしたのは間違っているとは思わない。あの狂気の村人たちに撃ち殺されるくらいなら、ここに居た方が、同じ死ぬにしてもまだ長く生きられる、そう思ったからだ。自分の考えは間違ってはいない。そう思ってはいるが、・・・おまえが反対するなら、自分は、ここに引き止めはしない。山を下りるなら1人で下りろ。
 ―――“撃ち殺される”?ジムは、知っていたのか?“同じ死ぬにしても”?どういう意味だ?ジムは、薬で治らないことを知っていたのか?―――自分も同意見だ。従って、山を下りる気は無い。・・・私ははっきりと答えた。ジムは、うつむいた顔を上げて、火を焚こう、いつまでもここに居たら肩の傷に応えるぞ、と言って、私の右肩をポンと叩いた。

(つづく)
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小説「アジア人の怒り」⑫

2005年03月12日 | 小説「アジア人の怒り」
 それからどの位の時間、考え事をしていただろうか。ジムに声をかけられて、私は我に返った。具合はどうだ、と聞くと、症状が宮本と同じだ、と言った。私とジムは、同時に宮本の方を見た。そして、自分もいずれこうなってしまうのか、と思った。たぶんジムも、同じことを考えていただろう。私はジムに、10年前に死んでいった人もこんなふうに苦しんでいったのかなぁ、と言った。ジムは、たぶんな、と短く答えた。宮本がこうなった原因は何だ、と聞くと、ジムは、外因が重なったのもあるが、根本的なものはたぶん10年前と変わっていないと思う、と簡単に説明してくれた。そうすると10年前に死んだ人たちはどうして死んだんだ、と聞くと、わからない、たぶんそれ以前にここで死んでいった外人たちと同じことで死んだんだろう、とジムは言った。・・・アジア人の怒りか、と私はつぶやくように聞いた。ジムは、何も言わなかった。ただじっと、宮本を見つめていた。
 私は、ジムの肩越しに、まるで静物画でも鑑賞するように宮本の顔を覗き込んだ。・・・“静物画のように”?なぜ私はそんなふうに感じたのだろう。・・・あぁ、そうだ。口から漏れる空気がひゅうひゅうと音を立てていないからだ。歯だってガタガタさせてないし。・・・・・・!まさか!!
宮本!と叫んだのはジムだった。私は、息が詰まって声にならなかった。ジムは、宮本の肩をつかんで何度も何度も揺すったが、もう2度と、彼の見開いた目が気味悪くぎょろぎょろと動くことはなかった。ただ、首の動きに合わせて、噛み合うことの無い両顎が、かくっかくっと力無く音を立てるだけだった。彼の名を強い口調で叫んでいたジムは、やがて諦めたように、宮本の肩から手を離した。

(つづく)
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小説「アジア人の怒り」⑪

2005年03月11日 | 小説「アジア人の怒り」
 私たち3人は、洞穴の中で、2度目の朝を迎えた。しかし、いつまで経っても、1人も起き上がろうとはしなかった。いや、できなかったのだ。私はまだ肩が重くて寝返りをうつこともできなかった。宮本は、まだ熱が下がらず、下痢も止まらない。食事も、山に入る前に村の人にごちそうしてもらった後、一度しか取っていなかった。痩せこけて死人のようにも見えたが、恐怖に大きく見開いた目と、殺される殺されると、ほとんど動かない口から発せられる言葉だけが、かすかに彼を生き長らえさせていた。体を包み込む寒さや、外から入り込む湿気までもが、下痢や発熱と一緒になって、宮本の体の隅々にまで悪影響を与えていた。それは、宮本の呼吸を時々困難にさせるまでになっていた。
 私は、傷を受けていない右の腕に全神経を集中させて、なるべく傷を受けた筋肉に力が入らないようにしながら、ようやく起き上がった。私は、死神を見るように、頭のてっぺんから足の先までゆっくりと宮本を凝視したが、宮本の瞳孔は、私を映していないようだった。ジムは、・・・ジムはまだ眠っていた。ジムが昨夜寝付いたのは、夜中を過ぎてからだった。私が肩の痛さで寝付けずにいると、ジムは何度も苦しそうに寝返りをうっていて、そのうち、むっくりと起き出して立ち上がった。どこに行くのか聞くと、用を足しに行くと言った。どうも熱があるらしい、とも言った。私はジムが戻って来ないうちに眠ってしまったが、ジムはその後もしばらく眠れなかったようだ。私は、ジムの腕に触ってみた。熱い。やっぱり、熱っぽいようだ。私は、ジムにやったのと全く違う気持ちで、・・・そう、まるで死人にでも触るように、恐る恐る宮本の体に手を伸ばした。宮本の体に手が触れて、一瞬、血の気が引いた。・・・本当に、死んでいるのかと思った。口元が、かすかに呼吸に震えているのを見て、私はほっとして、長いため息をついた。

(つづく)
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小説「アジア人の怒り」⑩

2005年03月08日 | 小説「アジア人の怒り」
 私が意識を取り戻した時、目の前にあったものは、あのまぶしい緑ではなく、冷たい石の天井だった。村人たちの姿が消えた代わりに、失望が私の目を覆った。ジムが横で、宮本を寝かしつけていた。私は、肩の傷の熱さと包帯のせいで起き上がることができないので、目を天井に向けたまま、ジムに声をかけた。
 ジムの話によると、私が気を失った後、村の人たちはすぐに帰ってしまったそうだ。ジムは宮本をちらっと見て、こいつはこいつで、死にたくないって叫びながら中に狂ったように走って行くし、大変だったんだ、と行っていた。ジムは、・・・気づいていない。あの銃口が、私を狙っていたということを。まるで、私たちを、山から出られないようにするかのように。まるで、はるか昔にかけられた“呪い”に生け贄を捧げるかのように。宮本は何と言っていたか、ジムに聞くと、彼は、自分たちはアジア人の怒りに触れてしまったんだ、おまえが撃たれたのは野犬狩りの流れ弾なんかじゃなくて、村人がおまえや自分たちに狙いをつけていたからだ、と言っていた、と言った。やっぱりそうだ。宮本は、気がついている。ジムは、宮本がノイローゼになっていると思い込んでいるのだ。
・・・もう、山を下りられない。下りたら殺される。私は、宮本の衰弱と自分の肩の怪我を理由に、山を下りるのを拒否した。ジムは、こいつまで気が狂ったかとでも言うように、まぁ落ち着け、わかったよ、と軽く生返事をしたきりだった。


(つづく)
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小説「アジア人の怒り」⑨

2005年03月07日 | 小説「アジア人の怒り」
 外の景色が近づくにつれて、何か騒がしい物音が聞こえてきた。何だ?人の話し声が聞こえる。5、6人はいるらしい。きっと村の人が・・・。きっとそうだ。村の人が心配して来てくれているんだ!
 私は洞穴の中を走って、―――全速力で走っていた。ジムは相変わらず、分厚い本のページを忙しそうにめくっていた。宮本は、落ち着いたらしく、ぐっすり眠っていた。私は、ページをめくるジムの指を遮るようにいきなりジムに顔を近づけた。ジムの怪訝そうな顔をよそに、私は、一気に、外で見聞きしてきたことを話した。ジムは見る見るうちに表情を変えていった。
 外に走り出そうとしているジムを必死で止めながら、私は宮本を揺すり起こし、さっきと同じことをしゃべり出した。宮本は興奮して目を見開き、ふらふらと立ち上がった。私は宮本に肩を貸しながら外に向かった。ジムは、私たちを心配そうに振り返りながら、一足先に走って行った。
 しばらくして、おーい!と叫ぶジムの声が聞こえてきた。私たちも、後から追い着き、一緒に、おーい!!と叫んだ。何度も何度も叫んだ。手も振った。帽子も振った。ぴょんぴょんと飛び跳ねてもみた。しかし誰も気がつかない。ジムと宮本は、疲れ果てて諦めようとしたが、私はそれでも叫び続けた。村の人たちの姿が、小さく、木々の中を見え隠れしてきたので、雨で足場がかなりぬかるんでいたのもそっちのけで、私は走り出した。その時だ。後ろで、気がついたみたいだぞ!と叫ぶジムの声を聞いたのは。
 ――― 一瞬の出来事だった。その声を聞いて立ち止まった時、私は、村人の1人が銃を所持しているのを見つけた。私の足はすくみ、目は銃に釘付けになった。野犬狩りに銃はつき物だが、私は、またもやあの不安を感じたのだ。ゆっくりゆっくり、ゆっくりゆっくり、ゆっくりゆっくり、銃口が、・・・野犬の影に、ではなく、私の方向に向いた。まさか、・・・まさか私たちを、・・・いや、私だ!その時、激しい爆発音と衝撃が私を襲った。倒れたまま私は、ぬかるみの中で、ジムと宮本が必死で私に声をかけるのを聞いた。肩の辺りの燃えるような熱さと、目の前のまぶしいほどの木々の緑に目が回り、私は意識を無くしてしまった。


(つづく)
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小説「アジア人の怒り」⑧

2005年03月06日 | 小説「アジア人の怒り」
 ジムは、小型の医学書をリュックから取り出し、必死で治療法を探していた。私は、それを冷たく見つめていた。そして、熱でのぼせ上がっている宮本に水を飲ませた。宮本は、私の腕をつかみ、村の人はまだ来ないのですか、と聞いた。私が、彼に手を離させて、そんなに心配しなくても来たらちゃんと教えるよ、と言うと、宮本は、僕も怒りに触れてしまったんでしょうか、とすがるように聞いた。私はその時、例え嘘でも、そんなことはあるはずは無い、と彼に言うことはできなかった。宮本の目は真剣というよりも、それを通り越して、まさしく今これから死に直面しようとしている目だった。彼は瞬きもせずに、死にたくない、絶対に山を下りるぞ、と震える声でつぶやいた。しかし宮本は、そう自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、ゆっくりと、そして確実に、“呪い”という名の暗示に掛けられていった。
 ジムは、そんな私たちのやり取りには一切耳を貸さずに黙々と医学的な治療法を探していた。いや、探していたというよりは、その治療法の中から自分たちにもできるものを選び出し、それを順序立てていたという方が適切かもしれない。ジムは、ノイローゼ気味になっている宮本を見ても、その、彼が恐れている妄想に対しては何の関心も見せなかった。そのジムの態度は、私たちには、頼りがいのある、いかにもリーダーらしいものではあったが、ある意味では、“呪い”などという非常識なものやそれを信じる者をばかにするような冷たいものでもあった。私はジムを信頼してはいたが、それは友情というよりも、むしろ、服従心に近いものであった。私はこの対照的な2人の真ん中に立たされてしまっている。私個人としては、超自然的な力を信じられるだけの柔軟な心を持ち合わせているつもりだし、他の諸の意味でも宮本の方に対して強く同情していたが、リーダーと共に責任を任されている立場上、ジム1人を孤立させる訳にはいかなかった。私は、自分の気持ちが動揺しているのを2人に悟られないように、外の様子を見てくる、と言い捨ててその場を去った。
 私は、ただただ、早く山を下りたいと思った。このまま3人で行動するのは、体力的にだけでなく、精神的にも無理だろう。あぁ、早く帰りたい。帰ったら、ぐっすり眠って、疲れを取って、・・・そして、しばらく、登山は止めよう。しばらく、あの2人と顔を会わせずにいよう。そうすれば、2人の登山仲間を失わずに済む。このまま、嫌な思いを抱いたままお互いに会ったりしたら、いつかきっと、相手を嫌いになることだけに時間を費やすことになるだろうから・・・。友人を、一時の感情で失ってしまうなんてバカなことはしたくはない。・・・そう、そうならないためにも、早く、山を下りよう。アジア人の怒りが、私たちをここに閉じ込めてしまわないうちに―――。


(つづく)
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小説「アジア人の怒り」⑦

2005年03月04日 | 小説「アジア人の怒り」
 朝、目を覚ますと、宮本が嫌味ったらしく、おはようございます、よく眠れましたか、と言った。苦しそうにしていたのでどうしたのか聞くと、宮本は、か細い声で腹痛を訴えた。ジムが横から、下痢が止まらないらしい、と付け加えて、宮本に横になっているように指示した。楽になってからゆっくり下山すればいいんだ、と私は宮本に言い聞かせて、ジムと2人で、外の空気を吸いに行った。
 外に出ると、もう雨は上がっていた。今まで寒い所に居たせいか、深呼吸して吸った空気が妙に生暖かかった。
 私の気のせいだろうか。ジムはさっきから何か言いたそうだったが、一言も口を聞かなかった。宮本のやつ、ほんとに体力無いよな、とわざと明るく話しかけたが、彼は私の方を振り向いただけで、何も言わなかった。たまりかねて私は、何か言いたいことでもあるのか、とつぶやくように言った。ジムは、しばらく黙りこくっていたが、急に私の方に振り向いて、宮本があんなふうになったのは自分がこんな所に連れて来たせいだ、と言った。そして、・・・悪かった、と一言、私に向かって頭を下げた。私は、もうこうなってしまった以上は、彼1人に責任を押し付けるつもりは毛頭無かった。私は、今さら言っても遅いよ、と憎まれ口をたたいた。そしてジムの肩をポンとたたいて、宮本の様子を見に戻って行った。
 宮本は、熱にうなされていた。嘔吐もしたらしい。完全な脱水状態だ。人の手を借りずにこの山を下りるのはとても無理だ。野犬狩りの人たちを待つ他にはないと、私とジムは互いに無言で合図した。私は、狩りの人たちを待つ間、宮本の看病をジムと交代で行っていた。―――「アジア人の怒り」・・・その、当時の村人の“呪い”がまだ生きているなら、いや、その“呪い”が、まだ生きて10年前に起こった不幸を今再び私たちに浴びせかける力があるなら、横で苦しんでいる宮本を、ただ単に医学的な知識だけで治すというのは、最初から無理なことなのかもしれない。遠い昔、どこからともなく現れたという基督。その、村人を鬼の行為から救い鬼を残らず死に至らしめたというその基督が、今、今度は、何の身に覚えの無い“呪い”のために苦しんでいる私たちを救うために、ここに、どこからか現れてはくれないのだろうか。
 鬼が死に、伴天連が死に、怒りを生んだ村人たちも死んで、・・・そして、怒りだけが、長い時間を越えて今も残っている。この洞穴に、その時代錯誤の一切が凝縮されて、そこここに漂っているのがわかる。この洞穴の中では、生きているもの全てが、いや、生きるということ自体が、呪われているのだ。
                                          
(つづく)
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小説「アジア人の怒り」⑥

2005年03月03日 | 小説「アジア人の怒り」
 静かだ。この寒さを音に表したような静けさだ。炎が薪を包むパチパチというかすかな音さえ、寒さにかき消されようとしていた。私たちは火を囲んで、各自持って来た食料を口に運んでいた。ジムはいつものように、半分残しておけよ、と少し威張ったように言い捨てた。私と宮本は無言で返事をしたが、ジムはそれに反抗したようにわざとらしい程の明るさでしゃべり始めた。・・・しかし、たまにはこういう山登りも良いもんだなぁ。いつもいつもコース通りで、危険の“き”の字も無いような登山ばかりだもんな。まぁ、俺たちの行く山自体が危険のかけらも無い所ばかりだからな。今日はここで眠って、明日、村に下りたら、村の人にここで見たことをみんな話してやろうぜ。この洞穴に入ったことを知ったら、みんなびっくりするだろうな。
 宮本は、えぇとか、そうですねとか、小さな声で相づちを打っていたが、ジムが大きな声でさも愉快そうに笑い出すと、逆に閉口してしまった。ジムのせいでまた元の静けさが戻ってしまったようだ。ジムは、責任を感じて、というよりは、この陰気な雰囲気に耐え切れないように、しきりに話し出すタイミングをうかがっていた。しかし、その必要は無かった。私が、2人が背中を向けている壁に、あるものを見つけたのだ。
 おい、それ、何だ?と私は2人の間を指差して聞いた。2人は同時に、指差した方向に振り向いて、その一点をなぞってみせた。アルファベットみたいだけど、と宮本は、ジムに助けを求めた。ジムはその後を続けて、A、S、I、A、T、I、C、C、H、O、L、E、R、・・・あぁ、アジア、・・・アジアティック・・・コリア?・・・たぶん、この最後の字は、Rだろうな。アジアティックコリアだって、と答えた。私が、どういう意味だ、と聞くと、ジムは、アジア人の怒りという意味だ、と言った。私とジムはその時、ハッとした。―――遠い異国の者に村中をめちゃくちゃにされた村人たち。その村人たちの“呪い”で次々と死に至った外人たち。きっとその外人たちが、死に際に書き残したものなのだろう、と、そう私は思った。・・・しかし、私は、その時ジムが、違う発想に浸っているとは思いもよらなかった。私は、まだ知らなかったのだ。その、アルファベットが残っていた場所に、“10人目の彼”が、ついさっきまで横たわっていたということを。私は、2人が眠りに就いた後も、何か、目に見えない何かが、自分たちに襲い掛かって来るのではないかという不安で、目を閉じることができなかった。
                                         

(つづく)
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小説「アジア人の怒り」⑤

2005年03月02日 | 小説「アジア人の怒り」
 ジムは、初めて動揺の色を見せた。
 道の右側を指したジムの指の先を、暗闇の中、目を凝らして見てみると、少しずつ何かがぼんやりと浮かんできた。・・・杭だ。杭が、地面に真っ直ぐに刺してある。こちら側にもありますよ、と宮本が、同じように左側を、おどおどと指さした。ただ単に、柵の代わりに刺してあるだけじゃないか、という気もしたが、何か変だ。ある一定の幅ごとに刺してあるが、数メートル先で途切れている。こんな短い距離だけの柵が、はたして、柵としての役目を果たしていたのだろうか。第一、右側の杭の方が1本多いじゃないか。・・・1、2、3、4、5、6、7、8、9、・・・9本。・・・9本?―――何か、何か、嫌な予感がした。私は、とっさに、その杭の前に走り寄り、ひざまづいた。
 その杭には、うっすらと、日付と人の名前らしきものが彫られてあった。これは、・・・柵ではない。・・・私は静かに、―――なるべく2人を動揺させないように―――口を開いた。これは、・・・「墓」だ。・・・宮本は、今さらながらに、ジムに付いてここまで来たことを後悔し出した(しかし、その時は既に遅すぎたのだ)。そして、震える声で、墓って一体誰のですか、と質問した。ジムは、無理に落ち着こうとしているかのように、日付は10年前のだ、と言った。
 10年前、・・・10年前にここに来た10人。何かを確かめるために、進んでここに来た10人。・・・そして、その10人と、おそらく同じ思いでここに来た私たち。私たちがここで見つけた墓。・・・9つの墓。9人分しかない墓。私は、寒さで頭が割れそうなほど痛くなった。寒さで震えている宮本と、頭を抱えて座り込んでいる私を心配したらしく、ジムは、9本目の杭の向こう側に歩いて行き、すぐそこに休める場所があることを知らせてくれた。ジムは、先にそこに行き、火を焚き始めた。

その時だ。いきなりジムの叫び声が聞こえたのは。私たちはびっくりしてジムの所に駆け寄り、ジムの目線を追った。私は、―――目を見張った。そして、さっきの、1つ足りない墓の理由が、この時わかった。
 そう。もう1つの墓に入るべき人物の無残な姿をここに見たのだ。死に歪んだ顔も、手も足も、炎に照らされて不気味さを増していた。この寒さで、腐敗はほとんど無いようだ。―――この人が、最後に死んでしまったのだ。かわいそうに・・・。
 ちゃんと墓に入れてやろうよ、と宮本が口を開いた。私もジムも、反対する理由は無かった。先程の墓地まで3人でそれを運び、土に埋め、杭を立てた。そして、その、10本の杭の中の一番新しい日付に手を合わせながら、私は先程この9本の杭に遭遇した時のあの不安を思い出し、改めて身震いをした。それは、墓が9つしか無いという謎めいた理由が解決したという安心感を確かめているようだった。しかし、ジムが新しい不安を提供した。でもなぜ、彼らは死んだんだろうなぁ・・・そう彼がつぶやくと、気のせいか、空気が張り詰めたような気がした。10人が10人とも死んでしまったという事実が、もしかしたら自分たちも同じ運命に遭うのではないかという思いを暗示しているような感じがしたからだ。―――そう。この、ジムが口にした不安こそ、私たちが山に入った時から、いや、あの不気味な話を村人から聞いた時から、私の心の隅にまとわりついていた影、・・・そう、そうだったのだ。
きっと、寒さと飢えで死んだんだろうなぁ、とジムは、自分の質問に答えていた。続いて宮本が、自分たちは死ぬ訳は無いと言うかのように、さぁ戻っておにぎりでも食べましょう、と言った。私はさっきの不安が忘れられず、1人黙って2人の後に続いた。戻って炎の熱さを感じた時、初めて私は自分の体がこんなにも冷え切っていたことを知った。まるで、死人のような冷たさだった。


(つづく)
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小説「アジア人の怒り」④

2005年02月28日 | 小説「アジア人の怒り」
 私たち3人は、数十分、いや、1時間近く歩いただろうか。洞穴の中は、異常なほど寒く、宮本は早速ばて始めていた。行き止まりや回り道なども結構歩いたので、実質的に費やしたのは30分ほどだろうか。外は、先程から雨が降り出しているようだ。あるいはこの寒さも雨のせいかもしれない。この雨では、野犬狩りは明日に延期だなぁ、とジムは呟いた。が、その反響音の大きさとその言葉の意外さに、私は、とてつもない不安を感じた。ここで一夜を過ごすつもりか、と私は詰問した。ジムは、意外なほど落ち着いて、今山を下りればここでじっとしているよりも“何か起こる”という確率は高くなるんじゃないか、と言った。まるで微笑でも浮かべているような口調だ。私は、この洞穴に対してではなく、ジムの、リーダーとしてのポリシーに、より強い不安を感じ始めていた。
 しかしこの場合、彼の意見がもっともであるということは、わざわざ彼の口から言われなくてもわかり切っていた。宮本は、こんな所で仲間割れをしないでほしいと言わんばかりに、心配そうに私たちを見つめ、そして、明日までここにいるつもりならそんなに急がないでどこかで休みましょう、と弱々しい声で、しかし思い切ったように言った。ジムは黙っていた。声や足音が反響する大きさで、いずれ一休みできる開けた場所に遭遇できるということを、ジムも私も、なんとなく感じていたからである。

 おいっ!あれは何だ!そう叫んだのは、ジムであった。

(つづく)
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小説「アジア人の怒り」③

2005年02月27日 | 小説「アジア人の怒り」
 “何があっても”なんて、まるで必ず何かあると決めてかかっているみたいだ、と、宮本は言った。その宮本の怪訝そうな顔とは裏腹に、ジムの目は好奇心で一杯だった。10年前に山に入って行った人たちも、きっとこんな目をしていたんだろうなと、私は思った。その人々は、その好奇心によって命を落とした。あるいは、ジムもまた・・・。しかし、ジムはそれっきり洞穴のことは口にしなかった。立ち上がって、一言、さあ行こう、と言って、また私たちの先頭に立った。私は内心、ほっとしていた。が、―――あぁ、あの時私が、ジムの歩く方向が次第にコースから離れて行っているということに気づいてさえいれば、こんな恐ろしいことにはならなかったのだ。
 コースの説明は聞いていたものの、実際はまるっきりジムに任せっきりだった私は次第にジムへの不信を募らせていった。ジムが道の上を、ではなく、道でない所を歩き始めていたからだ。しかし、リーダーであるジムにそんな初歩的なことで声をかければ、必ずこの場の空気を乱すことになるだろう。・・・だが私は、さっきのジムの目を思い出した。あの、好奇心で満ちた生き生きとした目。・・・何か、嫌な予感がする。
 ジム、と、私が彼の肩に手を掛ける前に、ジムの方が口を開いた。ほら、ここさ、とジムは、(私たちに、というよりは)宮本の方を見て言った。リーダーとして、宮本に、自分が少しは山に慣れているということを自慢したかったのだろう。何の他意も無い様子で、何のためらいも無く、彼は洞穴の入り口を覗きこんで、私たちに、中に入って一休みしてみようと言った。私が反対の意を表すと、どうせ後5、6時間すれば村の人も山に入って来るんだ、それまでに何か起こるなんてことは有りはしない、と言い切って、さっきから黙りこくっている宮本に対して同意を求めた。宮本は、黙りこくってはいたが、ジムへの同意と洞穴への好奇心が体から滲み出るようだった。これから起こることに、いかにも期待しているというような目で宮本に見つめられた時、私は既に2人を説得することを諦めていた。


(つづく)
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小説「アジア人の怒り」②

2005年02月26日 | 小説「アジア人の怒り」
 「昔、まだ鎖国が解禁になったばかりの頃、黒船が相次いで接岸する中で、嵐に飲まれてこの村までたどり着いた外人の一行がいた。その一行は、この村に着き、村人に多くの食料を恵んでもらい、やがて、家を建ててここに住み着くことに決めた。そしてだんだん村に馴染んでいくにつれて、我こそこの村の長とばかりに我が物顔で歩くようになった。その一行の仕業ときたら、盗む、脅す、たかる、若い娘をはらませる、・・・ひどいものだった。人間のすることじゃあない。“鬼”だった。村人たちはこの一行を恨んだ。決して悪い村人たちではないのだが、さすがにこの時だけは、一行が死んでくれるのを願ったという。『誰か、鬼どもを殺してくれる奴はおらんか』と。
 しばらく後で、邪宗の神父様がどこからかやって来て、村人の悩みを聞いてくれた。伴天連に何ができる、となじった奴もいたが、皆、わらをも掴む思いだった。『私に任せなさい』と言って神父様は、一人、一行の住む家に行き、そこに泊まった。一行は、彼が自分たちと同じ毛色をしていたので安心したらしく、快く仲間に入れたようだった。
 その後、基督様の御力か、その一行の中から死人が出始めた。1人死に、2人死に、やがて5、6人が動かなくなってしまった頃、神父様は、村人に何も告げず、一行と死体を連れて山に登って行ってしまった。その後、彼らがどこに行ったか、知る者はいないが、あの、山の頂上近くにある洞穴で、皆、死んでしまった、という噂が残っている。
―――10年ほど前、その噂を確かめようと、若い者が10人ほど連れ立って意気込んで山を登って行ったが、山を下りた者は1人もいない。2、3人の男衆が年1回、野犬狩りで山に入るが、彼らは決して洞穴の中には入らずに帰って来る。洞穴に入らなければ必ず助かるんだ。幸い、今日はあんたたちが行った後、夕方から野犬狩りをするらしい。・・・まぁ、何かあっても、その連中がちゃんと助けてくれるよ。」
―――と、まぁ、こんな感じだ、とジムは言葉を切った。


(つづく)
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小説「アジア人の怒り」①

2005年02月24日 | 小説「アジア人の怒り」
 これは、警告である。私は、ここで死ぬのを待つばかりだが、死ぬ前に、重要なことを書き残さなければならない。――――無駄かもしれない。例え私がここで何かを書き残して死んでも、この遺書が誰かの手に渡るには、・・・その誰かは、その時既に死を待つだけになっているかもしれない。そう、この私のように。
 そして、その誰かがこのことに何かを感じ、遺書を書き残して死に、また違う誰かが、死ぬためにその遺書を手にする。・・・もう、時間が無い。―――これは、警告である。

 私はこの山麓に、大学時代の仲間と来た。リーダー格の留学生、ジムと、登山は初めての宮本と、私の3人である。ジムと私は、登山歴は長いものの、この山麓に来たのは初めてで、特に注意を払って、麓の村人とコースをよく検討した。そしてその結果、今進んでいる道が一番安全であるということになったのだ。ただし、ただ1ヵ所を除いては、だが・・・。
 ジムは、山の中腹まで来て、いきなり口を開いた。そして、すぐ後ろを歩いていた私に、さっき村の人が言っていた“洞穴”の話は本当だろうか、と言った。ジムは普段、英語をろくに話せない私たちのために日本語で会話をするので、私も、さぁ、と一言、日本語で答えた。私の後ろを、息を切らせながらついて来ていた宮本は、先程のコース選びの打ち合わせに加わっていなかったので、私たちに、その“洞穴”について詳しく話すように急かした。ジムは、リーダーらしく、私たちの足を止めて、足元の岩場に腰を下ろすように言った。そして、村人の話を、ジムが語り始めた。

(つづく)
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