これを書いたのは、7~8年前になります。
この頃、マスコミの報道被害の話を聞くことがあったんです。
「報道被害」というくらいだから、
もちろん、「報道」する側に、
どこかの方向に世論を引っ張っていこうとする「悪意」を、
マスコミに対して、感じたんです。
その、報道に携わる人が、
人間的に、良い人だったとしても、
渦中の人のこと、事件を
「ありのまま」に報道することは、
とっても難しいんだろうなぁ、と思ったわけです。
だって、渦中の人と、
その記事を書く人、その報道をする人は、別の人間であって、
「その出来事」がマスコミに渡ることで、
その出来事はすでに、マスコミに携わる人間の主観が入ってしまうんですよね。
たとえその「渦中の人」自身がその出来事を語ったとしても、
その出来事が、多面的に、ありのまま現されることは、
たぶん不可能に近いでしょうね。
そんな想いを込めて書いた作品です。
この頃、マスコミの報道被害の話を聞くことがあったんです。
「報道被害」というくらいだから、
もちろん、「報道」する側に、
どこかの方向に世論を引っ張っていこうとする「悪意」を、
マスコミに対して、感じたんです。
その、報道に携わる人が、
人間的に、良い人だったとしても、
渦中の人のこと、事件を
「ありのまま」に報道することは、
とっても難しいんだろうなぁ、と思ったわけです。
だって、渦中の人と、
その記事を書く人、その報道をする人は、別の人間であって、
「その出来事」がマスコミに渡ることで、
その出来事はすでに、マスコミに携わる人間の主観が入ってしまうんですよね。
たとえその「渦中の人」自身がその出来事を語ったとしても、
その出来事が、多面的に、ありのまま現されることは、
たぶん不可能に近いでしょうね。
そんな想いを込めて書いた作品です。