私は、自ら滅び行く今になって思うのだ。狂人アドルフ・ヒトラーですらその身を滅ぼすことになった悪を、いつの日か、“大善”の力を背負った人間の偉大な力が打ち破る時が、必ず来るだろう。
私は、死ぬことが恐いのではない。死ぬことを悔やんでいるのでもない。邪悪を滅ぼす未来がやって来るその時に、今宇宙の生命と融合せんとする私の生命が再び形を成さんとするその時に、かつてナチスとして生き、そして死んでいった過去の私の思いを背負うことができないということが、とてつもなく悔しいのだ。
かつて実験室の1つとして使用し、私がハーシェルを銃殺したあの部屋は、同じ収容所内ではあったが、このガス室からは一番遠い所にあった。あの部屋は、ハーシェルが死に、そして私が倒れた後しばらくして、部下たちの強い要望で閉鎖されたのだ。私が倒れた後、私がハーシェルを殺した直後から燻っていた私への不満がボルマンの下に殺到し、私に、同胞を殺した罪で極刑を与えよとの声が上がるようになった。ボルマンが私に怯えて返事を渋っていると今度は、ハーシェルの亡霊が、自分を死に追いやった人間を自分と同じ目に遭わせて殺してくれと夜な夜なあの部屋に死んだ時の姿で現れて懇願するのだ、と言い出す者まで出てきた。
ボルマンは、八方美人な性格が災いしたのか、部下たちの意見を捻じ伏せてしまうことも、私に刑を執行することもできなかった。あの部屋の閉鎖は、彼が悩んだ末に部下に選択させた結果だったのだ。私への極刑を望む者が、ボルマンや党の権限を使わず自らの手で私を暗殺すること、それが、ボルマンが掲げたもう片方の選択肢だった。彼らが私と対峙する覚悟が無いなら、ハーシェルのことは部屋ごと封印してしまうしかないということだったのだろう。
「どちらを選んでも私は構わん。ただし一言だけ言っておく。もし君たちがあの男を殺す方を選ぶとしたら、私は即刻、皆の棺桶を注文して自ら命を断つ。こんな内部のゴタゴタの中で万が一にもこの戦争に勝つことができたとしても、どっちみちあの男が君たちを死に追いやった後、私を殺すだろうからな。」
ボルマンは部下たちに、淡々とこう語ったらしい。部下たちは、ナチ党の党首であり今一番の総統の側近であるボルマンが、私の殺害か実験室の閉鎖かの二者択一を投げかけた直後に自分だけさっさとその選択を辞退してしまったのを見て、ほぼ全員が実験室の閉鎖の方を選び、今後一切ハーシェルの死について言及しないことを誓ったのだそうだ。
ボルマンは、ある日私の病室に来て、笑ってこう言っていた。
「暗殺ではなく正規の裁判をして君に極刑が下っても、君が死刑執行される前に、一体何人の優秀なナチスが君の手によって殺されるか。考えただけでも恐ろしいよ。」
今この暗闇の中で、その時のボルマンの声がどこからともなく聞こえてくるようだった。
(つづく)
私は、死ぬことが恐いのではない。死ぬことを悔やんでいるのでもない。邪悪を滅ぼす未来がやって来るその時に、今宇宙の生命と融合せんとする私の生命が再び形を成さんとするその時に、かつてナチスとして生き、そして死んでいった過去の私の思いを背負うことができないということが、とてつもなく悔しいのだ。
かつて実験室の1つとして使用し、私がハーシェルを銃殺したあの部屋は、同じ収容所内ではあったが、このガス室からは一番遠い所にあった。あの部屋は、ハーシェルが死に、そして私が倒れた後しばらくして、部下たちの強い要望で閉鎖されたのだ。私が倒れた後、私がハーシェルを殺した直後から燻っていた私への不満がボルマンの下に殺到し、私に、同胞を殺した罪で極刑を与えよとの声が上がるようになった。ボルマンが私に怯えて返事を渋っていると今度は、ハーシェルの亡霊が、自分を死に追いやった人間を自分と同じ目に遭わせて殺してくれと夜な夜なあの部屋に死んだ時の姿で現れて懇願するのだ、と言い出す者まで出てきた。
ボルマンは、八方美人な性格が災いしたのか、部下たちの意見を捻じ伏せてしまうことも、私に刑を執行することもできなかった。あの部屋の閉鎖は、彼が悩んだ末に部下に選択させた結果だったのだ。私への極刑を望む者が、ボルマンや党の権限を使わず自らの手で私を暗殺すること、それが、ボルマンが掲げたもう片方の選択肢だった。彼らが私と対峙する覚悟が無いなら、ハーシェルのことは部屋ごと封印してしまうしかないということだったのだろう。
「どちらを選んでも私は構わん。ただし一言だけ言っておく。もし君たちがあの男を殺す方を選ぶとしたら、私は即刻、皆の棺桶を注文して自ら命を断つ。こんな内部のゴタゴタの中で万が一にもこの戦争に勝つことができたとしても、どっちみちあの男が君たちを死に追いやった後、私を殺すだろうからな。」
ボルマンは部下たちに、淡々とこう語ったらしい。部下たちは、ナチ党の党首であり今一番の総統の側近であるボルマンが、私の殺害か実験室の閉鎖かの二者択一を投げかけた直後に自分だけさっさとその選択を辞退してしまったのを見て、ほぼ全員が実験室の閉鎖の方を選び、今後一切ハーシェルの死について言及しないことを誓ったのだそうだ。
ボルマンは、ある日私の病室に来て、笑ってこう言っていた。
「暗殺ではなく正規の裁判をして君に極刑が下っても、君が死刑執行される前に、一体何人の優秀なナチスが君の手によって殺されるか。考えただけでも恐ろしいよ。」
今この暗闇の中で、その時のボルマンの声がどこからともなく聞こえてくるようだった。
(つづく)