すずりんの日記

動物好き&読書好き集まれ~!

小説「ある男の物語」2、老人の遺書Ⅰ①

2005年07月07日 | 小説「ある男の物語」
 城山は正方形のテーブルの上に、一升瓶とコップを置き、こたつの中に膝を突っ込んで正座した。そして、自分の左側の場所に目をやった。以前、一度だけ、その席に水谷が座って、一緒に日本酒を飲んだことがあった。城山の記事の影響により、水谷と同じ悩みで苦しんでいる人々が結束し、“考える会”が発足した日の夜だった。城山は、その日、祝杯をあげるために、初めて、自分がいつも飲んでいるウィスキー以外の酒を買い、水谷を自宅に誘った。2人とも、会の発足を大人数で騒いで喜ぶよりも、それまでの戦いを想い起こしながら、静かに飲みたかったのだ。
 しかし、2人とも、決して雄弁ではなかったため、その日水谷が、コップ一杯の日本酒を、2時間ほどかかってようやく飲み切り、帰って行ったことを覚えている。・・・その2時間、何を語るでもなかった水谷が、死んだ今になって、白い封筒の中に、10枚以上もの便箋に何かを雄弁に語っている。城山は、その日以来少しも減っていない日本酒をコップに注ぎ、一気に飲み干した。そしてもう一度、同じコップに酒を満たすと、今度は、かつて水谷が座った端に、コップを置いた。城山は、朝刊と一緒に床に放り投げてあった白い封筒の封を、切った。


「城山さん、私がこんなことになり、こんな形で全てを打ち明けることになったことを、あんたは驚いているだろう。あんたには、本当に世話になった。どれだけ礼を言っても、言い尽くせんくらいだ。それなのに、あんたに礼を言うどころか、私は、自ら命を絶とうとしている。・・・すまない、城山さん。私は、弱い人間だ。生きている間に、自分の口から、あんたに胸の内を見せることもできなかった。
 私は、このことを全て、誰かに話し、その後も行き続けていけるほど、強い人間ではないんだ。許してくれ。あんたを1人にして行く私を、許してくれ。全て私の責任だということは、これからの私の告白を読んでくれれば、明白なはずだ。


(つづく)
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小説「ある男の物語」1、老人の死⑤終

2005年06月29日 | 小説「ある男の物語」
 城山と川田は、いったん社に戻り、“会”との対応に追われた。川田は途中で、編集長から他の特集記事についての取材を命じられ、息つく間も無い電話の応対から逃げるように出かけて行った。・・・それもそのはずだ。川田にとって、その特集は、自分の名が紙面の中で独り立ちする、逃すわけにいかないチャンスなのだ。
 城山には、走り去って行く川田が、10年前の自分に見えた。だからこそ、普段は先輩風を吹かしている城山が、嫌な顔一つせず、その後の“会”との連絡を自分が代わり、しかも、後輩の後姿に「がんばってこい!」と、声をかけたのだ。
 がんばってこい、そして、おまえもチャンスをつかめ!と。

 城山は、夜中を過ぎてから、社を後にした。そんなに遅くまで、忙しさに追われていたわけではなかった。“会”の電話は、午後7時を過ぎた頃、留守番電話に切り替わるので、その前に、その後は明日出社してから連絡をする、と了解を取ったのだ。城山は、その後の数時間、ずっと1人で居た(いや、正確に言うと、別室に居た編集長が、午後9時頃に帰ってからの数時間だ)。ずっと1人で居れば、混乱する頭を整理できると思っていた。が、整理がつかないまま、酒が飲みたくなった。
 近くのコンビニでつまみを買い、安アパートに戻って、ドアに差し込まれたままの今日の朝刊を抜き取ると、足元で、カサッと、乾いた音がした。・・・封筒だ。真っ白い封筒に、見覚えのある字体で、城山の名前と住所が書いてあった。裏に書いてある差出人の名前を見るために、薄っぺらく見えたその封筒を手に取り、少なくとも十数枚の便箋の厚さを感じた時、コンビニの袋と朝刊が、城山の指先から離れ、いまだ、玄関先で脱ぐのを忘れている彼の擦り切れたスニーカーの上に落ちた。
 ―――水谷秀男。その名前の持ち主がかつてそうであったように、その名前もまた、四角い封筒の片隅で、申し訳無さそうに、何かを語り出そうとしていた。


(つづく)
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小説「ある男の物語」1、老人の死④

2005年06月21日 | 小説「ある男の物語」
 川田は、警察に着いて、担当の刑事と会うまでの待ち時間に、“安楽死の未来を考える会”の事務所に電話をかけ、これからくわしい事情を聞くことを伝えた。冷静に電話を切った様子だった川田は、
「“会”の連中、かなり混乱しているようですよ。」
と言った。もしかして、このまま空中分解かな、という思いが、ため息と共に川田の口から出ようとした時、指を組んで、ずっと顔を伏せていた城山が、
「・・・そんなこと、させてたまるか。」
と、つぶやいた。
 自分とじいさんが歩いてきた10年を、こんなことで潰させるわけにはいかない。断じて。安楽死問題が、偏見にとらわれずに、人々の話題に上るようになってから自分の下で働くようになった川田には、わからんのだ。
「おれとじいさんはな、今日まで10年、1分1秒たりとも、気の休まる間も無く、戦ってきたんだ。たった2人でな。たった2人だけでだ。・・・このまま、反対派のエサになって潰されるわけにはいかないんだ!え?わかるか!」
わかるか?じいさん。・・・わかってて、・・・一体、何だって死んじまったんだ?
 そうだよな、・・・それは、先輩が一番身にしみて感じてることなんだ。川田は、ため息を飲み込んだ。

 担当の刑事の話は、30分足らずの的を得ないものだった。城山たちからの矢継ぎ早の質問を、全て、「まだ、はっきりとしたことは言えません。」の一言で片付け、水谷と城山がどんな関係だったか、水谷に変わった様子は無かったか、など、城山たちから、的確に情報を引き出して行った。
 結局、城山たちが仕入れたことといえば、水谷が、妻・和子と新婚旅行で訪れたある宿から、歩いて15分ほどの絶壁から落ちた、ということと、遺書も争そった跡も無いので、誤って転落したのではないか、ということだけだった。
 
 事故か・・・。しかし、誰かに呼び出され、証拠を隠滅された、ということもあり得る。・・・としたら、誰に?誰かと一緒だったのか?・・・答えろ!じいさん!!


(つづく)
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小説「ある男の物語」1、老人の死③

2005年06月15日 | 小説「ある男の物語」
 水谷がこの論争の矢面に立ったのは、その(彼の妻の)死の直後だった。彼の判断を、「非人道的」とし、これを、「殺人」であると、全てのメディアがうたい、そのメディアを通して彼のことを知った全ての人間が、彼に背を向けたのだ。
 彼は、満身創痍の中、城山からの取材を受けた。城山は、
「あなたの考え方が間違っていないということを、訴えるのです。私だけは、あなたの味方です!」
と、興奮気味に語ったが、水谷は、あまり興味を示さなかった。まだ20代後半の若さだった城山は、そんな弱々しい水谷の人となりを、特集記事として世に送り出した。そして、彼が、妻の安楽死を選ばざるを得なかった原因を、紙面の向こう側にいる人々に訴えた。他に身寄りの無い水谷夫妻に、憐れみの言葉を浴びせる人間は数多くいたが、彼らの悲壮感を揺り動かせる人間はいなかったのだ。
 城山は、記事に、あらゆることに金がかかり過ぎることと、老いた女の介護をする人間が年老いた夫、たった1人だけだったことを、主に大きく取り上げ、町内の人々から、病院、果ては日本国政府に至るまで、2人に手を差し伸べてこなかったものを、逆に叩き始めた。そして、この記事をして、この老人が自らの悲壮感を破り、胸を張って生きていくことができるようにすること、それが、自分が記者として、いや、人間として、この記事を書く、唯一の、そして最大の、目的だと思ったのだ。

 本当に、そう思っていただけだったのに、と城山は思った。そう信じて何度となく書いてきた記事で、自分は、雑誌記者などという野暮ったい肩書きを捨て、ジャーナリストと呼ばれるようになり、その、自分の名前の前に付くカタカナを否定する間も無いまま、テレビに出るようにもなった。そして水谷老人は、城山の記事によって、全国から応援と資金援助の手紙を、何十、何百と受け取って、次第に世間に受け入れられていった(しかも好意的に、だ)。

 そうだ。こうなることを信じてここまで来たのだ。
これが信じた道だった。・・・これで良かったのだ。
そう、・・・信じていた。1人の老人の死を聞くまでは。

 自分は、この論争と心中するつもりでいた。しかし、老人は、1人で先に死んでしまった。この論争と自分の2つを道連れにすることなしに。・・・ということは、彼の死は、城山を始めとして、彼の味方となった多くの人たちだけでなく、水谷本人にとっても、予期することのできなかった突然の死だということだ。問題は、これが、事故か、事件に巻き込まれた死だったのか。それによって、自分が水谷の死を、記事としてどう扱うかも変わってくる。が、どちらにしても、その大きな見出しの下に載るであろう、それと同等、あるいはそれ以上の大きさの城山の名前が、記事の内容よりも先に、読み手の興味を引くのに間違いは無い。


(つづく)
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小説「ある男の物語」1、老人の死②

2005年06月07日 | 小説「ある男の物語」
 安楽死論争の中核の1つであった水谷秀男の死は、間違いなく、明朝のトップニュースだ。このことが、その後、どれほどの影響を世間に与えるかは、計り知れなかった。
 水谷の死は、始め、城山の頭の中を一杯にしたが、その原因を警察で聴かなければ、どんな思考も回転を始めないとわかると、次に城山の頭を満たしたのは、老人の死の影響力、そして、論争の一端を、水谷と共に走り続けてきた自分への風当たりの強さだった。雑誌記者の城山と、妻を亡くしたばかりの水谷が知り合ってから10年。・・・この10年というもの、城山は、水谷のスポークスマンとして働き、自ら記者としての地位を築いてきた。が、それも、水谷老人が死んだ今となっては、安楽死反対派からのバッシングのネタにしかならない。
 城山と水谷老人は、ある目的のために共に走り続けて来た戦友と言ってよかった。だからこそ、親と子ほど年が離れ、先に死ぬのが自然である年に達した水谷が死んだと聞いた時、「なぜ」という疑問符の後に、「1人で、先に死んでしまったのか」という言葉が浮かんできたのだ。
 
 水谷はよく言っていた。
「私は妻のような延命だけは御免です。」と。
病院のベッドの上で、うつろに天井の隅を見つめたまま人口呼吸をしていたのは、よく笑い、よく泣き、よく怒る、私の妻・和子ではなかった、と彼は、その妻(おんな)の人口呼吸器の動きが医師の手によって停止されたその日のことを、時々、思い返していた。
 
 そして、言うのだ。
「あの瞬間、私は、心から、安堵できたのです。」と。


(つづく)
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小説「ある男の物語」1、老人の死①

2005年06月02日 | 小説「ある男の物語」
 電話を受けた後輩の川田が、城山に向かって、叫んだ。
「先輩!水谷さんが!亡くなったそうです!」
「なにぃっ!水谷のじいさんが、死んだ?」
フロア内の、何台もの電話のベル、怒号とともに飛び交う情報の嵐が、一瞬、消えた。
 城山は、手で丸めた雑誌のページに載っている老人の写真に、目を落とした。

 「水谷秀男が、死んだ、だと?」

 電話を切った川田が、こちらに近づいて来ると、一瞬の沈黙が崩れ、そこは再び、騒音に囲まれた。
「崖っぷちから海へ落ちたそうです。遺書が無いので、事故と事件の両方で、警察が動いているそうです。」
「今の電話、どこからだったんだ?」
「“会”からです。身内がいないので、警察から“会”に連絡があったそうです。」
「よし、川田、警察に行くぞ。すぐ車を出してくれ。」

 城山は、車が警察に向かう途中で、水谷老人がどこで転落したのか聞いていなかったことを、川田に尋ねたが、自分も肝心なことを聞くのを忘れてました、と、彼は言った。城山は、ちっ、と短く舌打ちをしただけで、警察に着くまで、一度も口を開かなかった。


(つづく)
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