5月に入ると節分草やカタクリなどのスプリング・エフェメラル(春の妖精)と呼ばれる大きな
花たちが休眠し、代わって小さな花たちが主役に躍り出てきます。老夫婦宅に奥さんの妹さんが
京都から遊びに来ました。彼女は街中に住んでおり、普段の生活の中では里山歩きや山野草に関
心を持つことはないそうです。
夫: 今日は私たちが歩いている里山の散歩道を一緒に歩こう。きっと可憐な花たちが待ってい
るよ。
妻: 今日は午後から雷雨の予想が出ているから、天気が良い午前中には戻って来ましょう。
妹: 確かに、里山歩きはしないから、どんな春の野草たちが咲いているのかについては知識が
ないな~。デジカメでしっかり記録を残しておくわ。楽しみにしている。
三人は園芸種の花で彩られた各家庭の庭先を通り抜け、中学校脇の坂道を下って、水張りが始ま
った広い田んぼにやってきました。
夫: 広い田んぼだろう。ここは関東でも米どころなんだよ。里山とは田んぼに隣接した森林など
の人の手で管理されたエリアを指すと思うけど、その散歩道には季節ごとに多様な野草た
ちがこの環境を好んで咲いている。先ず「キンラン」だ。そこの傾斜面の林の中で咲いて
いる。黄色い花が黄金色だというわけだ。見つけたよ。可憐な花だろう。
妻: この場所は毎年群生して咲いてくれるのよ。地域によっては絶滅危惧種に指定されているら
しいけど、ここでは毎年咲いてくれるわ。後で見つかると思うけど、白い花の「ギンラン」
というのもあるのよ。
妹: キンラン、ギンランの名前を初めて知ったわ。本当に可愛い花ね。園芸店に置いたら売れそ
うだから、盗掘が心配じゃないの?
夫: キンランもギンランも地中の菌類から栄養を取っているから、採掘して庭に植えても育たな
いんだ。だから園芸店でも売っていないよ。でも盗掘は常に心配だね。
妻: ここはまだ背丈が低くて花の数も少ないものが多いけど、別の場所に行ったらもっと大きい
のが生えている群生地があるのよ。
妹: あら、今、鳥のような声がしたけど何かしら?
夫: キジの声だ。見てごらん。遠いけど、あの田んぼのあぜにオスがいるよ。
妹: 本当にキジがいる。初めて見たわ。あっ、羽ばたいた!
妻: この時期に散歩していると、この辺りではよく見かけるのよ。
妹: こんなのどかな散歩道を歩いているなんて羨ましいわ。
三人は横綱稀勢の里が少年野球をしていた野球グランドの脇を通り、池のほとりに出ました。運が
良ければカワセミに逢えるのですが、残念ながらいませんでした。三人は咲き始めたアヤメを鑑賞
しカエルの鳴き声に耳を傾け、草陰から急に飛び出してきたカルガモのペアを見つめた後、更に先
方にある沼地へ通じる遊歩道を歩き始めました。
妻: 貴女に教えたい花を見つけたわ。この青い花が「春リンドウ」よ。これも群生して咲いてい
るから、周りを見回してね。ほら、そこにも咲いている。
妹: これがリンドウ。歌にも出てくるから名前は知っているけど初めて見るわ。可愛い花ね。なん
だか私、花の名前を何も知らなくて恥ずかしいわね。
夫: この辺りに咲いているのは春リンドウだ。よく似たものに標高が少し高いところで咲く筆リン
ドウそして小ぶりな苔リンドウがある。春リンドウはキンランと違って種から育てられるから、
山野草店などでも売っているようだ。
妹: 見回してみると春リンドウって、濃い青から薄い青まで色の濃さに違いがあるのね。
夫: そうなんだよ。ちょっと来て。ここにピンク色を見つけた。僕も滅多に見ていないから嬉しいな。
僕たちはまだ見たことがないけど、白色の春リンドウもあるんだよ。
妻: 見て、あそこにギンランを見つけたわ。あの白い花がギンランよ。これでキンラン、ギンランの
そろい踏みね。
妹: ギンランはキンランより少し小さいのね。でも可愛いわ。
夫: あそこにはナルコユリが群生している。実は近縁種にアマドコロというのがあってとても似てい
るんだ。だから本当はどちらが正しいのかわからないんだけどね。
妹: 春の花たちはキンランのように花を上に向けるもの、ナルコユリのように下に向けて咲くものな
どがあるのね。こうして現物を見て認識を新たにしたわ。
夫: この散歩道には春蘭、二輪草、浦島草、ホタルブクロなどこれからどんどん咲いてくる。それを
楽しみにしながら歩いているんだ。ところでブロックの脇で群生しているこれは何だかわかるかな?
妹: 初めて見る。名前は分からないわ。花じゃないみたい。
夫: これは小判草だ。外来種で今では雑草として嫌われ者だ。でも形を見ると名前が納得できるだろう。
妹: 私には上の方のハート型が気になって小判には見えなかったわ。でも言われてみれば納得のネーミ
ングね。それにしても花の名前は聞いているだけで想像が膨らんで楽しいわね。
老夫婦にとって見慣れた花たちも、義妹にとってはすべてが新鮮でした。実はこの先も散歩道は続くの
ですが、ちょうどその時ゴロゴロと雷の音が遠くに聞こえてきました。そして急速に黒い雲がこちらに
近づいてくるようです。今日の散歩はここまで、続きは来年として、大手スーパーの建物の中に逃げ込む
ことにしました。