キヨちゃんはとても働き者で、その昔は、家事の他にパートと内職もしていた。だから朝はとても早く、五時には洗濯物を干し終えていた。
しかもキヨちゃんは洗濯機が嫌いだった。とても水がもったいない気がするらしいのだ。だから、真冬の凍てつく日でも、湧き水をたらいにとってバシャバシャとやるのである。しかし困ったことに、私が洗濯機を使うことも嫌がるので、こっそりと使っていた。
キヨちゃんの偉いところは男の子を産まなかったことだ。朝五時に湧き水で洗濯、しかも手洗いする家に、誰が嫁に来るというのだ・・・と常々私は思っていた。
しかし、さすがのキヨちゃんも寄る年波にはかなわず、今では朝もすっかり弱くなった。洗濯機は勿論使うし、水が流しっ放しになっていても
「かんまん(かまわない)、水は山ほどある。」
と言うのである。
そうである。考えてみれば、家の水はすべて山の水であり、たらいで洗おうが洗濯機で洗おうが同じ水なのである。
一体キヨちゃんが何故たらいにこだわっていたのか、今もって謎である。
しかもキヨちゃんは洗濯機が嫌いだった。とても水がもったいない気がするらしいのだ。だから、真冬の凍てつく日でも、湧き水をたらいにとってバシャバシャとやるのである。しかし困ったことに、私が洗濯機を使うことも嫌がるので、こっそりと使っていた。
キヨちゃんの偉いところは男の子を産まなかったことだ。朝五時に湧き水で洗濯、しかも手洗いする家に、誰が嫁に来るというのだ・・・と常々私は思っていた。
しかし、さすがのキヨちゃんも寄る年波にはかなわず、今では朝もすっかり弱くなった。洗濯機は勿論使うし、水が流しっ放しになっていても
「かんまん(かまわない)、水は山ほどある。」
と言うのである。
そうである。考えてみれば、家の水はすべて山の水であり、たらいで洗おうが洗濯機で洗おうが同じ水なのである。
一体キヨちゃんが何故たらいにこだわっていたのか、今もって謎である。