作曲家の遠藤実さんが亡くなり、追悼番組が放送された。決して演歌が好きなわけではないが、キヨちゃんと一緒に番組を見ながら、そのほとんどの曲を知っていて、歌えることに驚いた。いえ、キヨちゃんではなく私が歌えるのである。
それほど、有名で親しみやすい曲ということであろう。また、演歌だポップスだとあまり境界線がなく、歌謡曲全体が活気づいていた時代だった。だから、歌える。そして改めて聞くと、歌手が実力派揃いである。
中国に行ったままの友人に(以前書いた俳優)メールしたら、100人くらいしかいない村で、「北国の春」が流されたという。時期がちょうど亡くなった頃なので、中国でも追悼だったのだろうか。
番組内で森昌子さんが手紙を読むところでは、胸を打たれた。テレビを見ながら餅を食べていたキヨちゃんは、皿から口になが~く伸びた餅をくわえたまま、泣いていた。(っていうか、泣くか食べるかどっちかにしようや)
森昌子さんはもともとすごく歌唱力のある方だったが、正直カムバックしてきたばかりの時は、ブランクは厳しいと感じた。けれど、さすがはプロ。今日は「森昌子」に戻っていた。
昭和がどんどん遠くなる。昭和がどんどんあちら側に行ってしまう。さみしいなあ。
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それほど、有名で親しみやすい曲ということであろう。また、演歌だポップスだとあまり境界線がなく、歌謡曲全体が活気づいていた時代だった。だから、歌える。そして改めて聞くと、歌手が実力派揃いである。
中国に行ったままの友人に(以前書いた俳優)メールしたら、100人くらいしかいない村で、「北国の春」が流されたという。時期がちょうど亡くなった頃なので、中国でも追悼だったのだろうか。
番組内で森昌子さんが手紙を読むところでは、胸を打たれた。テレビを見ながら餅を食べていたキヨちゃんは、皿から口になが~く伸びた餅をくわえたまま、泣いていた。(っていうか、泣くか食べるかどっちかにしようや)
森昌子さんはもともとすごく歌唱力のある方だったが、正直カムバックしてきたばかりの時は、ブランクは厳しいと感じた。けれど、さすがはプロ。今日は「森昌子」に戻っていた。
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