介護保険の要支援1と2が介護保険の対象から外されるかもしれない。
要支援にしても要介護にしても、本来は「自立支援」が目的であるから、サービス提供が帰って自立を阻害していると言われれば、一理ある。
しかし、実情は膨れ上がる介護費用を何とか減らしたいというのが本音で、弱者の切捨てにも成りかねないと思う。
都会では色んな受け皿や、民間の利用できる物があるのかもしれないが、田舎はそうではない。
まず、介護認定を受けていない人たちの生き甲斐対策としてのデイサービスだが、これですら徐々に利用の枠が狭まっている。私が勤め始めた頃は、とりあえず65歳以上であれば誰でも申請して参加できた。仲のよい老夫婦が揃って来ていたものだ。
それが「独居」でなくてはならなくなった。老夫婦であっても、二人はNG。うちのキヨちゃんも、初めは参加出来ていて、父の介護で一旦止めている内に事情が変わって行けなくなった。後に「子供が仕事などに出て日中独居はOK」という事になって再開できたのだが。
結局、介護保険でのデイサービスに移行させたいというのがあったのではないかと思う。しかし、その介護保険での対応を狭められたら、何処へ行くというのだ。
介護申請のときに
「本人が希望しているのか。」
と聞かれた人がいる。認知症でサービスは必要だが、本人にはその自覚がない。無理矢理サービスを提供する事はできないが、そこをケアマネも家族もヘルパーもデイスタッフも、根気よくアプローチしているのだ。それを「使わないなら申請しなくていい。」と言えるのが信じられない。
住宅改修の相談の時、
「この状態の人が、家で暮らせるのか。」
と聞かれた。さらに
「施設に入ったほうがいいのじゃないか。」
ともいう。そうかもしれない。けれど、本人は家で暮らしたいと思っている。無茶苦茶な状態であれば私たちも考えるが、今現在何とか生活していれば、在宅生活を維持するために、それこそ「自立支援」をしてあげたい。
結局
「介護保険で改修して、すぐに住めなくなったら、お金がもったいない。」
というのが本音である。
しかし例えば入院中の方が、退院して家族と介護生活をスタートさせるために住宅改修する場合もある。それでも、頑張っても本人が体調を崩したり、家族が病気になったりで、それこそ施設に入る場合もある。それを見越して「勿体無いから」と拒否できるはずも無い。
何の世界でも、上手く利用して必要ない「公費」を使っている人も確かにいる。けれど、多くは弱者であり、支援を必要としている。もっと言えば、調理や掃除の名を借りて、「安否確認」や「ふれあい」が一番欲しいのだ。
何より、お年寄りが無駄なお金を浪費しているように聴こえるが、私達若いものも含め、みんな「介護保険料」を納めているのだ。
無駄の削減を訴える人ほど、うちの周りにもいるが、自分の懐は実に豊かである。
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要支援にしても要介護にしても、本来は「自立支援」が目的であるから、サービス提供が帰って自立を阻害していると言われれば、一理ある。
しかし、実情は膨れ上がる介護費用を何とか減らしたいというのが本音で、弱者の切捨てにも成りかねないと思う。
都会では色んな受け皿や、民間の利用できる物があるのかもしれないが、田舎はそうではない。
まず、介護認定を受けていない人たちの生き甲斐対策としてのデイサービスだが、これですら徐々に利用の枠が狭まっている。私が勤め始めた頃は、とりあえず65歳以上であれば誰でも申請して参加できた。仲のよい老夫婦が揃って来ていたものだ。
それが「独居」でなくてはならなくなった。老夫婦であっても、二人はNG。うちのキヨちゃんも、初めは参加出来ていて、父の介護で一旦止めている内に事情が変わって行けなくなった。後に「子供が仕事などに出て日中独居はOK」という事になって再開できたのだが。
結局、介護保険でのデイサービスに移行させたいというのがあったのではないかと思う。しかし、その介護保険での対応を狭められたら、何処へ行くというのだ。
介護申請のときに
「本人が希望しているのか。」
と聞かれた人がいる。認知症でサービスは必要だが、本人にはその自覚がない。無理矢理サービスを提供する事はできないが、そこをケアマネも家族もヘルパーもデイスタッフも、根気よくアプローチしているのだ。それを「使わないなら申請しなくていい。」と言えるのが信じられない。
住宅改修の相談の時、
「この状態の人が、家で暮らせるのか。」
と聞かれた。さらに
「施設に入ったほうがいいのじゃないか。」
ともいう。そうかもしれない。けれど、本人は家で暮らしたいと思っている。無茶苦茶な状態であれば私たちも考えるが、今現在何とか生活していれば、在宅生活を維持するために、それこそ「自立支援」をしてあげたい。
結局
「介護保険で改修して、すぐに住めなくなったら、お金がもったいない。」
というのが本音である。
しかし例えば入院中の方が、退院して家族と介護生活をスタートさせるために住宅改修する場合もある。それでも、頑張っても本人が体調を崩したり、家族が病気になったりで、それこそ施設に入る場合もある。それを見越して「勿体無いから」と拒否できるはずも無い。
何の世界でも、上手く利用して必要ない「公費」を使っている人も確かにいる。けれど、多くは弱者であり、支援を必要としている。もっと言えば、調理や掃除の名を借りて、「安否確認」や「ふれあい」が一番欲しいのだ。
何より、お年寄りが無駄なお金を浪費しているように聴こえるが、私達若いものも含め、みんな「介護保険料」を納めているのだ。
無駄の削減を訴える人ほど、うちの周りにもいるが、自分の懐は実に豊かである。
