すずしろ日誌

介護をテーマにした詩集(じいとんばあ)と、天然な母を題材にしたエッセイ(うちのキヨちゃん)です。ひとりごとも・・・。

心配事~キヨちゃんのお姉ちゃん~

2015-03-01 16:42:03 | うちのキヨちゃん
 キヨちゃんには4人のお姉さんと妹が一人、お兄さんが一人いたそうだ。お兄さんは確か戦争で亡くなったとかで、姉妹の内既に3人のお姉さんは亡くなっている。
 今一番付き合いのあるお姉さんは、今年米寿であるが、姉妹の中でも特に「しっかり者」のお姉さんである。とてもやり手の方なので、過去に(子供の頃)父が私を「修行に出す」と言いだして、泣いて思いとどまって貰った事がある。もしかしたら、そうしていたら家事やら何やらのエキスパートになっていたかもしれないので、ちょっと惜しい事をしたかな・・・と、今なら思う。
 さて、伯母は元々は高知県にいて、伯父が亡くなってからは福岡に移っている。昔は家の父だけでなく、祖父母とも面識があった。 
 その伯母は、何くれとなく私たち家族に良くしてくれるので、今回の旅行でもキヨちゃんに頼まれてお土産を送っている。そのお礼の電話や手紙で、介護百人一首の放送に触れて、
 「おじいちゃんの写真を見て懐かしかった~。」
とキヨちゃんにも語っていた。
 その叔母から、今朝贈り物が届いた。キヨちゃんにはいつも服など買ってくれるが、今回は私たち夫婦にも色々と送ってくれた。しかし、そのお礼の電話をかけた時、凍りつくような思いをすることになる。
 お礼の電話の時も、放送の話になり、その話の中で、
 「ごめんね。伯母ちゃん、おじいちゃんが亡くなったの知らなくて。○○(伯母の息子たち)にも聞いたけど、誰も知らなくて。家族葬だったの?」
と言ったのだ。
 絶句した。うちの祖父は明治22年生まれである。生きているはずもなく、亡くなったのは私が中学生の頃で、当然葬儀には来てくれているはずである。そうでないにしても、知らないはずがない。
 「待って、待って、伯母ちゃん。じいちゃんって、うちのじいちゃん?もう何十年も前の話で。」
慌てて説明しようとするも、
 「ように考えたんやけど、清さん(父)の葬儀の時にも見えなかったから、そうか出て来られんかったんじゃなって。」
・・・・!!!
 父が亡くなったのは2008年である。祖父のいない生活をどれほど過ごしたか分からない。説明しようにも耳も遠く、なかなか会話にならない。
 もしかしたら、耳が遠いだけで違う事を言いたかったのかも・・・とも思ったが、手紙にも同じような事が書いてあり、お彼岸に花を供えて・・・とお金まで包まれていた。
 しっかり者で独居である。県内に息子さんがいて時々覗いてくれている。年齢的に何かあってもおかしくはないが、今まで何も感じる事が無かったので、報告したらキヨちゃんも心臓がバクバクすると言い出した。
 とりあえず、長男さんに電話して報告。来週にでも見に行ってくれるとのこと。
 色々心配な事が出てくるものだ。とりあえず、キヨちゃんにも脳トレをしてもらう。




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コメント (4)
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