すずしろ日誌

介護をテーマにした詩集(じいとんばあ)と、天然な母を題材にしたエッセイ(うちのキヨちゃん)です。ひとりごとも・・・。

歳寄るごとにわがままに

2015-12-30 21:35:17 | うちのキヨちゃん
 うちのキヨちゃんは、自分の信じる者の言う事しか耳に入らない。そして、自分が得た情報が一番である。だから、同じ事を私が言っても、他で納得いく話があって初めて、まるで今仕入れた情報のように歓喜する。
 そして、自分のタイミングで無いと我慢出来ない。いや、そうではなかったのだ。前はこちらのタイミングでも、
 「お前のいい時でいいぞ~。」
だったのだが、これが年々我慢できなくなる。
 以前書いた掃除にしても、今で無くても・・・と思っても、気になったら無理してするのを分かっているので、風や雨の後は先回りして掃除するのだが、それでも十分出来ない事が多い。
 今日は年末の30日。いわゆる小晦(こつもごり)。昨日の夜、
 「明日の朝、正月飾りをしたい。家の中は母ちゃんがぼつぼつするけど、お水元はサルやイノシシが怖いけん、一人ではよう行かん。一緒に行ってくれ。」
と言いだした。しかし、私もくりりんも仕事である。
 確かにキヨちゃんの言うように、早起きしてちょっと余裕を持てば出来ない事も無いのだが、31日の私の休みにすればいいじゃないかと説明した。
 今朝、自分は7時半まで寝ていたキヨちゃん。声をかけて起こして、朝ご飯を用意して私は出勤した。くりりんはリュウの散歩をしてくれ、自分の身支度をしてさあ出発だというタイミングで、
 「お水元行くぞ。」
と準備した餅などを見せたらしい。当然くりりんは行けるはずもなく、
 「お母さん、仕事にもう出ますから無理です。」
と断る。
 さて、これが気に入らなかったキヨちゃん。怖くて行けないはずのお水元(いや、実際足元も悪いので、行って欲しくないのだ)に、一人で行って、そこを最初に手の届かない神棚以外はみんなお供えしてしまった。
 休みに買い揃えられなかった正月の準備に、仕事が終わってから出掛ける私に、
 「こつもご(り)の夜に出掛ける人やおらん!ろくに食べもせんお節なんか作らんでええ。」
と怒った。カチンとくる。キヨちゃん食べなくて結構。そして買い物の半分はキヨちゃんの用事であるのにである。
 戻って食事していたが、キヨちゃんの「クゼツ」は終わらない。
 「お前らの代になったら家はつぶしてしまう。」
 「母ちゃんがこんな体で頑張っているのに、ねぎらいの言葉も無い。馬鹿にしとる。」
誰も馬鹿にはしていないし、ねぎらいの言葉をかけようにも、危ない事はするなと叱りたいところである。大体、明日私がするというのを、待てなかっただけではないか。
 「聞いたら、大晦日に正月飾りする家や1軒も無い。今日までにしてしまうもんじゃ。」
 誰にどういう聞き方をしたのだろう。
 「本当は今日せないかんのじゃけど、私は足が悪いし、子供らは仕事で。」
と聞けば、
 「仕方ないんでないで?」
とみんな言うだろう。絶対今日しろとは言わないはずだ。
 そして矛先はくりりんに向かう。くりりんが「バイト」であることも気に入らない。時間に余裕があるのに、キヨちゃんの希望通りの家の仕事をしない事も気に入らない。
 しかし、くりりんはくりりんなりによく手伝ってくれているのだ。早く帰れば洗濯物も畳んでくれる。もちろん、あればキヨちゃんのもだ。片づけだって何だってしてくれるのだが、ただ、キヨちゃんの役に立って無いのは事実だ。
 「あのな、母さんの息子をもらったんじゃない。私が夫を貰ったん。母さんの理想通りにはいかん。」
 そう言っても納得いかない。仕舞には、
 「母ちゃん死ぬの待っちょるんだろう。」
と絶対言ってはいけないキーワードを吐く。で、私がキレる。
 くりりんが間に入って止めるけれど、自分が言われるよりも腹が立つ。言葉が過ぎると分かっているが止められない。
 明日は大晦日。家出したい気分だ・・・。

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コメント (2)
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