東京・品川にある六行会ホールという小さな劇場で、久保田万太郎
の「町の音」「釣堀にて」のみつわ会公演を見てきました。
みつわ会は、新劇、新派の俳優が集まって、久保田万太郎の戯曲を
上演する会らしく、今年で12回目。私が同会の公演を観るのは、はじ
めてなら、会場の六行会ホールもはじめてでした。
品川で京浜急行に乗り換えて新馬場駅で下車する。新馬場駅の北口
を出れば六行会ホールはすぐだと教えてもらったが、けっこう歩く破目
になった。後日調べてみると、なんでも新馬場駅は、北馬場駅と南馬場
駅のふたつが統合してつくられた駅で、だから端から端まで長いらしい。
もともと久保田万太郎の芝居は、どちらかといえば台詞劇。つまりは
会話の妙、心の襞に主眼がおかれた戯曲なんです。ましてや役者が
ヘタだと間がもちません。致命症です。
久保田万太郎は「日本のチエホフ」だといわれたことがあります。
私はそうは思いません。
日本独特の「間」の芸術を創りだした作家だと思うんです。
久保田万太郎の舞台は、きまって東京の下町、それも浅草周辺が描かれ
ています。
浮き雲のような影を落とした市井の人々のすがたを、澄んだ眼差しでみ
つめたのが、今回上演の「町の音」「釣堀にて」です。
納戸からつづら(←箱形に編まれたカゴに和紙を張った通気性に優れた
収納ボックス。江戸家具の一種。)を取り出し、昔の恋人からの大切な
手紙を読む心持で、私はこの2作品を観ました。
さて「釣堀にて」は、老人(梅野泰靖)と少年(宇宙)が釣りをしている。
青年は老人に気を許し、母親とひと悶着あって家を出たことなどを語る。
二場では、この青年の母親(前田真理衣)が彼を連れ戻すべく、友だちで
同業の芸妓(片岡静香)とともに、息子を実父と対面させようとするが失敗する
という場である。
これによって釣堀の老人と青年こそがその親子だと察するが、ふたりはお互いに
それと知らぬままに釣りを続ける・・・・・。
感心したのは、万太郎戯曲の生命線である、間のとりかたのうまいこと、台詞
の明晰さ、充実した舞台でした。
上出来だったのが、芸妓春次の片岡静香。下町の粋筋のシャキシャキ台詞を緩急自在。
ショールの扱い方など新派の役者さん顔負けである。
それでいて江戸前の芸妓をきっちり見せている。初演は杉村春子が同役で演じたそうです。
この場だけの幇間の江幡高志。ことさら台詞はないが、いい味をだした。
釣堀の小をんなは中村繭古。どうしても新派の当り狂言『鶴八鶴次郎』大詰の居酒屋での
小をんなを連想してしまう。
私は釣りはしません。ですから釣堀など行ったこともありません。
昭和初期の東京下町には、熱燗付のそばだの天どんを、小をんなが運んで来るような
釣堀があったんですね。
のんびりした、よき時代だったんだ・・・つくづくそう思います。