歌舞伎座の舞台には、魔ものが棲んでいる!!
たとえば半蔵門にある国立劇場とか、京都南座、大阪松竹座であれ、四国金丸座でも、舞台の間口の大きさこそ違うが、今も歌舞伎が上演されている。
ところがどういうわけか、ほかの劇場で同じ役者、同じ演目を演っても、どことなく精彩がなく、面白くない。
それが歌舞伎座へ帰ってくると、「これが同じ役者なの?」とは思えないほど、目の覚めるような出来栄えで、見違えるほど立派になって、舞台の空間にピタリと納まる。
なぜこんなことがおこるのだろうか?
『オペラ座の怪人』の大ヒット以来、『歌舞伎座の怪人』という芝居も出来た。
歌舞伎座の舞台に魔性が棲むとすれば、ほかの劇場にない幻想性が歌舞伎座の舞台にある、と思えてならない。
まして歌舞伎のような様式的な演劇では、役者の身体と空間の関係が問われる。
歌舞伎座の舞台には、その摩訶不思議な”空間”がある。
それが、魔性の正体なのかもしれません。
さて、最近面白かったのが、渡辺 保著『私の「歌舞伎座」ものがたり』(←画像/左)です。
毎月通った劇評の第1人者が、戦後歌舞伎座名舞台ベスト5を挙げている。
わたしなど観劇歴も少なく、ましてや歌舞伎通でもありませんが、印象に残った 歌舞伎座舞台ベスト3 を挙げてみました。
① 初代尾上辰之助の『暗闇の丑松』
② 市川海老蔵襲名公演『助六由縁江戸桜(助六)』
③ 六代目中村歌右衛門の『京鹿子娘道成寺』
「劇場には顔と心がある」と言ったのは演劇評論家の戸板康二さん。
とすれば歌舞伎座は和風の顔をもっている。
玄関から入って階段を上がったロビーは「大間(おおま)」(←画像/上)といって、2階まで吹き抜けになっている。
その大間で役者の奥さんや著名人たちをよく見かける。
あれは海老蔵襲名興行の初日だった。
わたしは、この「大間」で、故 永山武臣松竹会長と挨拶を交わした事があります。
会長は両手でお扇子をもってご丁重に挨拶して下さいました。
永山会長といえば、「松竹の天皇」と呼ばれたおひと。
いま売り出しの片岡愛之助丈ですら、会ったった事もなければ、口もきいたことがないという。
歌舞伎座の売店は、さすが日本一の賑わいである。
わたしは歌舞伎グッズなどは買わないが、いつも買うのが”いろはきんつば”(←画像/右)。
土産に買ってかえるか、幕間に焼きたてのアツアツを買って客席でほうばったりする。
だってこの大きんつば美味しいンです。
まもなく現在の歌舞伎座は建て替えられる(←画像は老朽化した舞台裏)。
歌舞伎座の三つの破風に飾られた建築は、大正時代の和風モダンで、中途半端であった。
石原慎太郎東京都知事が銭湯みたいだといった建物である。
「歌舞伎座さよなら公演」は4月いっぱいで終了する(←「御名残4月大歌舞伎」のチケットは完売です)。
なんでも新しく出来る歌舞伎座の地下には、日比谷線「東銀座」駅が移転してくるとか。
いずれにせよ歌舞伎座は、60年の歴史をうつした大舞台であった。