団塊シニアのひとりごと

定年退職して14年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

コロナ自粛は自分と向きあう時間

2020年04月24日 | 新型コロナ

コロナ禍に翻弄され誰もが外出を制限されてる毎日、特に土曜

日曜はデパート、映画館等休業で自宅で過ごす時間が多くなっ

てる、このような状況だと孤独をいかに楽しいものにできるか

大切な気がする。

 

今は便利な世の中でパソコンやTVなどのひとりで楽しめる機器

が発達してるので無理して他人と接しなくてもそれなりに楽し

過ごすことができる、私自身定年後はひとりになって自由に

過ごすことが日常で人に会うことが非日常というライフスタイ

が身についてしまった。

 

だから新型コロナウイルスに不安と恐怖は感じるものの特段生

スタイルは変わってない、こういうときこそ自分と向きあう

時間を大切にしようと前向きに捉えたいと思っている。


今こそリーダーの真価が問われる

2020年04月20日 | 新型コロナ

新型コロナウイルスが流行して2か月、ますます猛威を振るい

終息の気配すら感じられない、TVでは朝から晩までコロナ一色、

専門家といわれる人のなかには連日出てる人もいる。

 

さらに政府、知事、市長と感染者が増えるたびに会見を開く、

こんなに全国の首長の映像が流れることは今までなかったこ

とである。

 

そして私が注目するのはこの有事のときのリーダーの対応こ

そ政治家の本当の器が出ると思う、リーダーには決断力、実

行力、伝達力、そしてスピード感が絶対必要である、平時の

ときは弱点が見えなかったけど、このぎりぎりの修羅場では

リーダーの真価が問われる。

 

国民はよく見てる、政府や都道府県のリーダーがどれだけ熱

をもって誠実に取り組んでるか、決してごまかしはきかな

い、自分の言葉で発信し国民と一緒に悩む姿勢を見せること

こそ信頼に結びつくはずである。


病院の待合室で人間観察

2020年04月18日 | 病院

病院の待合室の光景を眺めていと、なんて多くの病人が世の中

にいることに驚く、特に総合病院での待ち時間は長い、診察まで

の時間、会計の時間、調剤薬局での待ち時間、終わると正直疲労

感のなかに安堵感を覚える。

 

 

病院は健やかな人間にとっては無縁の場所、誰だって、できたら

わりたくない、そして病院では色んな人間を垣間見ることがで

きる、そこには子供もいれば老人もいる。

 

 

目をつぶりじっと順番を待ってる人、イライラして看護師に文句

言ってる人、遠方から来て時計を見ながら電車の時間を気にし

てる人、毎月違った光景に遭遇する。

 

 

日常でありながらどこか非日常的な病院という空間、そんな病院

待合室はちょとした人間観察ができる場所である。


私が応援したくなる人

2020年04月17日 | 人間関係

素晴らしい仕事や業績を残すこと、社会的な名声、経済力を得て

周囲の人から愛され尊敬されること、よき妻とよき子供に恵まれ

て幸せな家庭を築くこと、人のために尽くすこと、知識や教養を

身につけ自分を磨くこと、理想的な人生というものを挙げていけ

ばキリがない。

 

実際これがいい生き方、豊かな生き方というモデルなどない、あ

るとすればそれは一人一人の心のなかにあるのかもしれない、し

かし評価されるのはアクティブなこと、何をしたかという行動実

績が評価される世の中である。

 

本当は悩んでる人の話に、じっと耳を傾けただ横にいるだけで他

人の力になれる人もいる、そんな人が評価される社会ではないか

もしれない、しかし本当の豊かさとは優しさ、温かさ、自立心、

そして精神の自由さ、ひたむきな生きる姿勢、そんな人を見ると

なぜか応援したくなる。


人が人に会ってはいけない世の中

2020年04月16日 | 新型コロナ

新型コロナウイルスが猛威をふるい、みんな先の見えない不安

に怯えながら生活している毎日、スポーツを観戦したり、コン

サートに行ったり、観光地に出向いたりという、今まであた

まえだと思ってたことがあたりまえでなくなくなった、ささや

かな楽しみや自由が奪われようとしている。

 

人が人に会ってはいけない世の中、今まで群れであることが強み

だったのに、ウイルスが相手となると危険で弱みであることが連

日の報道から誰もが理解できたことは間違いない。

 

今までは人間関係では協調性が大切といわれたのに人との接触を

避けなければこの難局を乗り越えることはできない、つくづく人

間のきる意味を考えさせられ、そして我慢を強いられる今日こ

の頃である。

 


失敗から人生を学んだ

2020年04月11日 | 生き方

失敗のない人生はない、誰もが痛い思いをする、仕事上の失敗

人間関係での失敗、振り返ると小さな失敗から大きな失まで

その時は必死だったけどうまくいかなかったことを覚えてる。

 

 

それでも失敗の数だけ人は失敗しにくくなるし判断に迷わなく

なることは間違いない、例えば私自身バブル崩壊時に株で大損

した経験があり、それ以来株とは無縁の状態になった、今にな

って思えば失敗が心に痛いほど学習効果が大きかったと言える。

 

環境に恵まれ失敗のない人生を歩めればベストだろうが、現実

問題として失敗のない人生なんてないし、かといって失敗を避

けていては人生は先に進まない、私自身今までの失敗はすべて

必要なもの、そんな失敗から人生を学んだと思っている。


ブログで自分を表現することは素敵なこと

2020年04月08日 | ブログ

ブログは自分の思うことをそのまま素直に表現できる、誰にも

遠慮せず、気遣いもしないで思うがままに書けるところがブロ

グの魅力である。

 

リアルな私を知っている人で私のブログを読んでる人はいない、

そのことが書き手である自分の精神に与える安定剤の役割は正直

大きい、誰かに読まれることを意識して内容が変わることが一切

ないからである。

 

ブログを始めた当初はテーマも定まらず誰も読んでくれなかった、

ましてや不定期な更新ではアクセスも増えず、過疎ブログのまま

終わるのかなと思ったものである。

 

それが書きたいテーマが見つかり現在のGOOブログ、日本ブロ

グ村との出会いから読者が増えアクセスも増えたことは確かであ

る、更新を続ければ必ず誰かが読んでくれる、自分を表現するこ

とは素敵な事だと思っている。


コロナ禍に翻弄される日々

2020年04月06日 | 新型コロナ

努力は裏切らないというけれど個人の努力ではどうしようもな

いことが人生には多い、予想外の事故や災害や病気などにおそ

われてつらい気持ちになることがある、今起きてる新型コロナ

ウイルスはまさにそうだ、終息の気配どころか益々勢いを増し

てる。

 

飲食店、ホテル、運輸、イベント業などのダメージは大きい、

休業が続けば雇用だって守れない、活気があるのはスーパーと

ドラッストアだけ、不要不急の外出を控えることで自宅で過

ごす時も多い、東日本大震災のときは外食したいけど店が閉

まって、今回は店は開いてるけど客がいかない、老若男女ス

トレス抱えてる毎日である。

 

新型ウイルスとのリアルな闘い、何をやってもコロナに結び付

悲しさ、いつまで続くかわからない不安感が日に日に増して

くる気がする。


「みんなが言ってますよ!」とはどれだけの人数?

2020年04月03日 | 言葉

私たちが知り合いの人数をあげろと言われたらどれだけいるだ

ろうか?せいぜい50人を超えることはないような気がする、

家族、学生時代の仲間、職場の仲間、近所、取引先、それでも

定年退職すると間違いなく激減してしまう。

 

そして私たちの日常のなかで「みんな」という言葉、誰もが聞

いたことのあるフレーズ「みんなが言ってますよ!」果たして

どれだけの人数だろうか?学生時代、会社員時代、近所等、そ

れぞれの場面での「みんな」はクラスのほんの一部、職場のほ

んの数人、近所の数人、その程度である、それでも「みんなが

言ってますよ!」という。

 

中には「みんなが言ってますよ!」の正体を探って見ると言っ

た本人一人だけだったということだってよくあることだ、いず

れにしても私たちが言ってる「みんな」は大した人数でないだ

けにその言葉に振り回されないことが大切だと思う。


「伴侶を見送って」の事例から

2020年04月02日 | 夫婦

夫婦は空気のようなもの、常にそこにあるのが当たり前、ある日

突然いなくなったら、きっと衝撃をうけるだろう、伴侶の死とは

間の生き方を考えさせるものだと痛感した、そんななかで二つ

の事例を紹介したいと思います。

 

 

《思いではカラオケとともに》

彼がいてくれるだけで、まだまだ幸せだったあの日が、たまらな

ほど懐かしく切ない、夫が逝ってからも折にふれ、拍手を送っ

てくれたあの光景が鮮やかによみがえってくる。

 

 《涙の味》

私は40数年の過去の思い出を口寄せして語った酸素マスクの中

から私の目をみつめウンウンとうなずき手を握り返してくれた彼

女、モニターの波長が弱まり脈拍が50を切ったとき彼女の眼尻

から涙がほとばしり、頬を伝って流れた、私も娘も泣いた、号泣

た、暖かみのあるうちにと私は彼女の涙をすすった、二人の涙

がまじりあってうすい塩味がした。

 

 

それでも悲しみの淵から立ち上がり、再び歩き始めようとしてる

姿に打たれるものがあります。