団塊シニアのひとりごと

定年退職して14年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

働いてた時の違和感もいい経験

2022年01月27日 | 会社

世の中には自分は正しいと思ってしらずしらずのうちに傲慢な

態度をとる人たちがいる、特に組織にいて立場がえらくなると

必ずそういう人がいるものだ。

 

本当は会社のなかで部長職、課長職といっても、ある限られた

社会のなかでえらいだけなのに上司という立場になるとなんと

なくその人間が大きく見えるから不思議なものだ、そして表面

的にはちやほやされる、そうなると本人も人間的に素晴らしい

と勘違いしてしまう。

 

人間的になんら通い合うあうものがない上司、社内の地位と能

力が明らかに比例しないのに服従しなければならない、それは

部下にとってはつらいけど報酬のためである、日常感じる違和

感、嫌悪する自分に気づきながらも我慢の連続、それがサラリ

ーマンの宿命と割り切るしかない、そんな勘違いする人たちに

進言する人もいないものだ、それでも振り返ると反面教師とし

てその後私が生きていくなかで、いい経験だったと思っている。


サラリーマン人生40年を振り返って

2019年12月08日 | 会社

企業の目標は利益の追求である、その目的のために十人十色の人間

が集まる集団、サラリーマンは生活のために働いてる、働くために

生活してるのではない、時間的に制約も多い、さらに人間的に通い

合うものがない上司に服従、いやな人間がいたとしても生活のため

と割り切り付き合うしかない場合もある。

 

やたら長い会議、さらに飲み会、サラリーマンは何よりも協調性と

忍耐が必要とされる、また実力の違いがなくても人脈によって運、

不運が左右される、人事は必ずしも公平ではない。

 

それでも仕事の達成感が支えになるときがある、生きがいなどと勘

違いしながらも、ただそれも退職までのこと、自分のやってきた仕

事とは自分じやなくてもできるものだということを実感するのも退

職後である、代わりはいくらでもいる。

 

今振り返ると40年は長いようで短く、短いようで長い、なにしろ

人生の半分である、そして退職後の収入源は年金、そういう意味で

は会社、そしてサラリーマン人生には感謝している。


会社に未練を残さない

2019年10月04日 | 会社

エッセイストの酒井順子さんが「職場の別れ」について言及して

る記事を興味深く読んだ、そこには定年退職した人が退職後も何

と会社に顔を出す人がいるものだが現役社員からみると、いか

にも過去の立場に恋々としてるという風に見えるもの、一度別れ

たら、いくら後ろ髪をひかれようが振り返らないのが企業戦士ら

しい引き際じゃないかという内容であった。

 

私の場合定年退職して8年の間に会社に顔を出したのは一度だけ

あるが基本的に酒井さんの意見に同感である、その理由は私がま

だ40代のころ、当時定年退職した先輩社員が、ある地方支店の

事務所に夕方になると顔を出し、麻雀や飲みに誘うため現役社員

が困ってるという話を聞いてたからだ、最初は先輩だし懐かしく

相手をしていたが頻繁なため、忙しいときは誰も相手にしてられ

ない、迷惑以外のなにものでもないという愚痴をよく聞いたもの

だ。

 

会社は居心地のよい仲間社会という気持ちも理解できないわけで

はないが定年退職すれば、ただの人で上司も部下もない、会社を

辞める側に必要なマナーは「未練を残さない」ということに尽き

ると思っている。


定年退職者にとって会社とは

2018年11月30日 | 会社

定年退職後も何かと以前勤務してた会社に顔を出す人間がいる、

そんな定年退職者の悲哀を描いたジャックニコルソン主演のア

メリカ映画「アバウト・シュミット」の主人公がまさにそうだ。

 

会社中心の生活リズムが染みついて退職した途端に喪失感から

脱皮できない、かつての同僚が歓迎してくれると思った会社に

立ち寄ったが職場の人間は忙しくて相手をしてくれない。

 

日本の会社でもよくあることだ、私が知ってる定年退職した先

輩が、かつての部下社員と麻雀をしたい、飲みに行きたいと退

社時間を見計らって顔を出す、会えばかつての自慢話、不遜な

態度、部下にとっては迷惑な話である。

 

自分のいまの立場そしてただの老人であることを忘れてる、過

去の立場に恋々としていることに気がついてない、やはり退職

したら、未練を残さない、後ろ髪をひかれようと振り返らない、

やはり引き際は大切だと思う。