団塊シニアのひとりごと

定年退職して14年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

死に目に会えなくても

2024年12月16日 | 

日本人は死に関して話したがらないというか話すだけで縁起が

悪いと感じる文化があることは確かである、それでも最近は齢

を取ったせいか同年代の人とは死について話す機会が多くなっ

た。

 

例えば世間では死に目にあうことが重要視されてる、私の場合、

離れて暮らしてたせいもあるが父の時も母の時も死に目にあう

ことはできなかった、ただ多くの場合臨終といえばもう話すこ

とができない状態である。

 

だからコミュニケーションが大事というなら、もう少し早い時

期に意思を伝えたほうがいいと経験上思ってる、見送る側のメ

ッセージは生きてるうちに、元気なうちに伝えたほうがいい、

人間が息を引き取る瞬間だけで家族が集まるより意味のあるこ

とのような気がする。

 

 


親の死の喪失感は人それぞれ違うもの

2024年12月13日 | 

婦人公論の特集「親ロス」の読者アンケートで親の死で喪失感を

覚えた人は89%、何かのきっかけで抜け出せる人がいる一方、

22%の人がまだ立ち直れていないと回答している。

 

親ロスの実態事例

■病院から「今、お父様の呼吸が止まりました」との知らせ、あ

わてて車を走らせたが間に合わなかった、病院に向かう車窓から

見えた東京タワー、その時から私にとって東京タワーは悲しみの

象徴となった。

(父70歳、私46歳の時/公務員62歳)

 

■先月亡くなったばかりなので、まだ実感がわかない、だが、携

帯電話に残された母の声を聞くと………。なんでも話せる母はも

ういない。

(母78歳、私54歳の時/会社員54歳)

 

死別の悲しみに特効薬はないのかもしれない、人それぞれ違うも

のである、私の父は13年前、母は4年前に亡くなった、両親と

も晩年レビー小体型認知症、末期がんで苦しんだ、それだけに悲

しみ、喪失感とともに安堵感と解放感があったことが強く心に残

ってる。

 


死について恐怖感はないけれど

2024年07月13日 | 

人間いつかは死ぬだろうけど、いつどんな死に方をするかはわ

からない、病気で苦しむかもしれない、災害にあうかもしれな

い、だから齢をとっても死をぼんやりとイメージできるが真剣

に考えることは正直少ない。

 

畳の上で死にたい、家族に見守られて死にたい、苦しまず眠る

ように死にたいという声をよく聞くが私の両親の場合、いずれ

にもあてはまらなかった、二人とも病院でひっそりと亡くなっ

た、せめて臨終に立ち会って一言声をかけることができたらと

悔やまれる。

 

私自身死について恐怖感はないけれどそれよりも死ぬ手前の期

間、認知症になったら、介護状態になったら、高齢者施設の入

居の手配、延命治療等自分が身体的に思いどうりにいかなくな

った時のことが一番気がかりだ。


自分の死を意識しますか?

2024年01月20日 | 

文芸春秋2月号で女優で歌手の小泉今日子さんとフリーアナ

ンサー有働由美子さんの対談は興味深いものがあった、そんな

二人の会話の一部を抜粋してみた。

 

有働 「ご自分の死を意識します?」

 

小泉 「小さい頃か死を考えることが大好きだったんです、

   死にたいわけではなです、ただ大事なことなんだと

   捉えてる感覚がずっとあるんすね」

 

有働 「大事なことですか?」

 

小泉「ええ、例えばアンデルセン童話の人魚姫って最後は

   の 泡になって消えますよね、パチンと弾けて終わるか

   ら、すごく美しい、死後の世界があると思うから怖い

   ではないでしょか、無になるのはむしろ気持ちいい

   じゃないかな」

 

有働「無が怖いです、まだ地獄へ行って針山を歩く方がいい」

 

小泉「こんなだから、小さい頃から、ちょっと変わってるね

  と言われて生きています」

 

 

死生観は人それぞれ違うものだ、死んだ後も人生は続く、死

の世界もあるという説、死んだら無になる、肉体がなくな

ればなにかもおしまいという説、いずれも生きている人たち

が言ってることで死んだあとのことは誰にもわからない、た

だ私自身は小泉さんと同じで死んだら本当になにもかもなく

なってしまい無になるのではと思っている。


人は必ず死ぬという事実を受け止めて

2023年12月08日 | 

「僕はもう、いつ死がきてもおかしくない年になりました、人

は生きている以上ずっと悩んでいい、ずっと迷っていい、でも

最後は人生は美しかったと僕はしめくくりたい、生きてる以上、

一生懸命でいようという思いで生きてます」

 

これはシンガーソングライター小椋佳氏の言葉である、現在7

9歳、56歳の時に胃がんで胃を3/4切除、68歳のときに劇

症肝炎で生死をさまよった、それでもいまだに創作活動に意欲を

示してる姿勢には同世代として共感できる。

 

健康だから長生きするとは限らない、生きてる限りすべての人は

必ず死ぬ、しかしその死ぬとはどういうことなのか生きている者

にはわからない、だからこそ人は必ず死ぬという事実を受け止め

てしっかり生きて生きたい。


73歳男性の悲劇にやりきれない思い

2023年11月09日 | 

静岡3人死亡「妻入院で悲観、殺害か」という新聞記事に注

目した、73歳男性が入院してる73歳の妻と40歳の娘を

刃物で刺した後自殺を図ったという悲しい事件だった。

 

娘さんは20年間入院しており意識がなく寝たきり状態、長

年夫婦で頻繁に長女の看病に訪れていたという、しかし今年

3月に妻が脳梗塞で入院したことで家にこもるようになった、

今まで支えあってた妻の入院でひとりぼっちになった。

 

73歳という年齢は決して若くはない、娘さんとは20年以

上、妻とも意思疎通が困難、これから体力的に看病に行くの

も難しくなるだろう、将来を悲観しての殺害、そして自殺、

誰が責めることができるだろうか?同世代としてやりきれな

い思いで新聞を読んだ。

 


死について思うこと

2023年08月11日 | 

人間の死には自殺、他殺、病死、事故死(災害含)の4つが、

あるけれど自分で選べるのが自殺、あとは自分の意志ではな

い、それでも自殺する人が幸福な人だったとは誰も思わない。

 

死を認識するのは他人の死を見た時である、自分が死んだ時

は自分はもういないから自分の死を知ることはできない、そ

う考えると私たちは生きることしか知らない、当たり前のこ

とだけど死んでしまった人から死について話を聞くことはで

きない。

 

多くの人は死んだあとは墓の下にいると思っている、そうい

う人は少なくとも死後があると思っているが、私は死んだら

本当になにもかもなくなってしまい無になるのではと思って

いる、だからこそ生きることには意味がある、今を大切に生

きるしかない。


死の話をすると嫌がる人が多い

2023年06月21日 | 

いつか死ぬことは理解していても、いつ死ぬか誰もがわからな

い、闘病して余命少ない人でも明日は生きていると信じている

ものだ。

 

それぞれの寿命の長さは、まちまちである、誰もがどこまで続

くのか、わからない道をそれほど気にせず歩き続けてる、私自

身もそうだ。

 

死は遠いものと、ほとんどの人が思ってるような気がする、人

間の心はそんなふうにできてるのかもしれない、だから死の話

をすると嫌がる人が多いのもたしかである「そんなことを考え

るなんて縁起でもない」


いずれ人は死ぬ、必ず死ぬけれど

2023年06月08日 | 

年齢を重ねればどこかしら不具合はでてくるもの、若い頃出来

ことができなくなるのは当たり前、また心身の衰えもある、

記憶力、思考力、想像力、柔軟性も当然衰える、老いは孤独と

わせ、輝かしい人生を送った人ほど落差が大きく、軟着

陸がいといわれてる。

 

また他人の介護を受けざるを得ない老人と日常生活をなんとか

る老人との差は大きい、しかし、この先どうなるかは誰に

もわからない、不安の種を挙げたらキリがない、それよりも老

いをネガティブにとらえないで老いを受け入れるしかない。

 

いくつになっても好奇心と向上心を失わないで精一杯生きたあ

自然の力に身をゆだねる、延命治療はしない、いずれ人は

死ぬず死ぬ、その時に「生まれてきてよかった、生きてきて

よかったと思いながら死ぬこと」それこそ大往生、そんな思い

で死ねたら最高だと私は思っている。

 


安楽死を認めて欲しいという声はあるけれど

2023年01月21日 | 

日本では安楽死は認められていない、一方オランダ、スイス、

スペインなど安楽死を容認している国々では終末期でない高齢

者が医療の力を借り死期を早める行為が増加している、スイス

では高齢に基づく複合疾患(がん等)も自殺幇助を受けること

が出来る病のひとつに含めてる。

 

欧米と日本の違いについてノンフィクション作家の宮下洋一氏

はこう述べている、欧米は個が尊重される社会であり宗教的に

も死んだら終わりと考えてると同時に個人が選択する死が憚ら

れることも少ないという、しかし日本では死んでも生き続ける

という観念や願いがあり、死を自己決定することが難しい。

 

しかし心の痛みを抱える人や孤独に苦しむ高齢者、介護を受け

てる高齢者で迷惑を掛けたくないという人が大勢いることも事

実である、筋違いかもしれないが、そんな弱者を救済するため

にも安楽死を認めてもいいのではないかという声があることも

確かである。