団塊シニアのひとりごと

定年退職して14年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

悲しい葬儀でこぼれた笑みのエピソード

2017年11月29日 | 

誰もが人生で通る「親の死」大きな悲しみに耐えきれず苦しむ人

は多い、そんな悲しい葬儀、今わの際でこぼれた笑みのエピソー

を婦人公論の特集「親ロス」から集めてみた。

 

■母の火葬の後のお骨上げの時のこと、お箸を渡された兄の孫が

お骨を箸でつかみ食べようとするではないか、みんなであわてて

止めた。

(母96歳、私67歳の時/無職69歳)

 

■死に際まで耳が聞こえていた父、臨終間際「おじいちゃん」と

呼び続けたら「うるさい!」と言われた。

(父74歳、私54歳の時/主婦67歳)

 

■父は毎年欠かさず健康診断を受けていました、旅先で急死し、

葬儀も終了後、診断結果が送られて来ました、結果は「異常な

し」なのに死んじゃったんだねーと家族で笑った。

(父72歳、私43歳の時/パート60歳)

 

■遺影を探していたら、25年前の写真に母の字で「これを使

って」とメモが、詐欺でしょ(笑)

(母77歳、私44歳/会社員54歳)


妻の目標は痛みに耐えリハビリを続けること

2017年11月27日 | 夫婦

人はなにかを失いかけて初めてその価値が心に刻まれるもの、例

えば健康、病気の人を見たら自分が健康であることをありがたく

思うものである。

 

今、私の妻は五十肩と膝の痛みに悩まされてる、腕は上がらない、

歩くと痛い、私ができることは重いものを持ったり、風呂の掃除を

したり、買い物、整形外科の順番とりと送迎、それでも妻の心は晴

れない。

 

痛いのがつらい、気持ちがそこから離れない、痛みさえなくなれば、

健康だと心に余裕がでるのに思いどうりにならないものだ、妻の現

在の目標は痛みに耐え、リハビリを続け回復に望みを託すことか

しれない。


定年後の生きがい

2017年11月26日 | 生きがい

定年退職してもうすぐ7年、最初のころはなかなか会社勤めとは

異なる生活に馴染めないものである、働いているときは特定の時

に特定の場所にいることを要求されている、組織はある程度個

を守ってくれるが当然であるが忠誠をつくさなくてはならない、

個人としてかなり自由が制限されていた。

 

定年退職すると自由である、しかし自分で選択する必要がある、

にをしてもいい自由、なにもしなくてもいい自由がある、

ななかで不安なのは老後の資金、健康、そしてこれから何をする

かということだと思う、いわゆる生きがいである。

 

しかし老後は無理に生きがいを求める必要はないと思う、それ

りも世の中の出来事に好奇心を持つこと、一日ひとつずつ知

いことを知る、ちょっとした愉しみ、夢中になれるものがある、

それで十分、散でも食べ歩きでもいい、世間の常識にとらわれ

る必要はないと思っている。