団塊シニアのひとりごと

定年退職して14年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

89歳ひとり暮らし女性の年金生活

2024年06月30日 | シニア女性

ある雑誌に掲載された89歳女性の年金生活、年金収入は14

万円、夫が40年前49歳の若さで亡くなってから一人暮らし

である、当時の遺族年金は7万円、10万円で生活しようとい

う思いで不足分の3万円は洋裁の技術を生かして婦人服の仕立

てと洋裁指導で生計を立てた。

 

その後バブル景気とともに遺族年金も物価にスライドして上昇

して11万円、65歳から国民年金が支給され合計で14万円

の年金生活を送っている、2年前に大腿骨骨折で5ヵ月入院し

たこともあり年金生活のなかで大きな支出で医療関係費、介護

謝礼含め80万円もあった。

 

 

さらに退院後、郷里へ引っ越し、40万円と大きな出費があっ

たものの57年間家計簿をつけてたこともあり、何があっても

対処できる力を身に着けたというのが8ヵ月平均の家計簿にも

表れており、大きな支出は貯蓄の中からやりくりしてる、普段

は年金収入の14万円の範囲内で計画的に頑張って生活してい

る姿勢が感じられた。


父の延命治療から学んだこと

2024年06月29日 | 老後の生き方

多くの人が一生懸命に人事を尽くせば必ずよい結果が出るとい

う根拠のない幻想を抱いてるから延命治療に走るのかもしれな

い、実際家で看取ると決めていた家族でさえ容態が急変して患

者が苦しみ始めると慌てて救急車を呼ぶことが多いという現実。

 

1%でも命が助かる可能性があるなら相手が何歳であろうと最

後まで救命努力をするのが正しい、どんな命でも死より尊いと

医師は思っている、実際13年前に亡くなった父は86歳だっ

たが逡巡したすえ私と母は延命治療を選択した、一刻を争うな

かで医師の有無を言わせない説得に正直ノーと言えなかった。

 

ただ命が助かるという言葉は元どうりになる、元気になると同

じ意味に家族は理解している、一命はとりとめたが植物状態に

なったという結果など想定していないものだ、父はそれから半

年間家族と一度も言葉を交わすことなく亡くなった、それから

9年後、母が大腸がんの末期のときは延命治療を選択しなかっ

た、結局何かをすることでマイナスになることもあるというこ

とだ、そのマイナスを生まないためにには何もしないのが一番

ということもあることを延命治療から学んだ。


老後に悩むお金の問題

2024年06月28日 | 老後の生き方

老後にかかるお金はいくらか?定年退職後の人にとっては重要な

問題である、定年後の収入は働かない 限り大半の人は公的年金が

収入源である。

 

夫が65歳以上、妻60歳以上の夫婦二人の無職世帯では毎月の

支出が平均24万円、一方年金などの収入から税、社会保険料を

除いた可処分所得は平均で月約18万円、月6万円の赤字だと言

われてる、足りない分は預金を取り崩すしかない、ただ資産(預

貯金、有価証券)状況も影響してくるので人それぞれ違うかもし

れない。

 

また支出に関しては自宅が一軒家かマンションの場合で違ってく

る、マンションの場合は月々の管理費、修繕積立金、車があれば

駐車料金がかかる、賃貸や住宅ローンの返済を終えてないとさら

に家計を圧迫する。

 

そして65歳を過ぎると間違いなく医療費がかかる、これは金持

ちだろうが貧乏だろうが同じようにかかる、耐久消費財(自動車、

家電製品、家具)の交換、リフォーム等の出費も大きい、交際費

も現役時代みたいにはいかない、子供や孫にかかる費用も考えな

ければならない。

 

いずれにしても働いていたときと同じ生活レベルを維持するのは

厳しいので生活レベルを見直すことは必要だと思う、13年前退

職した当時、経済ジャーナリストといわれる人達の本を読んだが、

正直あまり参考にならなかった。

 

なぜかというと老後の生活を経験してない人の言葉には現実の生

活と乖離があることに気づいたからだ、結局経験が一番だという

ことを痛感した、そして老後にかかるお金はいつまで生きるかわ

からないだけに難しい問題である。

 


老後に友人と呼べる人は

2024年06月27日 | 老後の生き方

ある雑誌の「シニアの生活意識調査」によると友人の数の平均

は60代で15人、70代で18人、会社時代の同僚との付き

合いは激減したかわりに地域に友人ができたという声が多かっ

た。

 

どれだけ実態を反映してるかは定かではないが、私からみると、

予想以上に数が多いのに驚いた、地域に友人ができたというけ

れど、現実問題として簡単なことではない。

 

友人はいたほうがいい、かといっていなくても生きていける、

心理的負担になるような友人ならいらない、日々人間関係は変

化するものだし永続的に保証された友人関係はないものだと私

は思っている。

 

さらに今はネットの時代、わからないことがあればネットで検

索、情報源にアプローチでき解決することが多い、逆にネット

がなかったら、きっと友人を求めもっと濃密な交流ができたの

かもしれない。

 

確かにリアルな世界でのふれあいも大切であるが今は便利な世

の中、ひとりで楽しめるものが多い、だからこそ煩わしい交流

であれば、あえて友人にこだわる必要などないというのが76

歳の実感である。

 


夫がストレスというシニア女性の声

2024年06月26日 | シニア女性の悩み

結婚生活は決して綺麗ごとだけではすまない、生い立ち、育ち、

環境が違った二人の人間が一緒に暮らすわけだからいいことば

かりがあるわけではない、長い結婚生活のなかでお互い不満が

でて当然かもしれない、また夫婦の悩みも人それぞれ違うもの、

そこで夫がストレスというシニア女性の声を集めてみた。

 

■夫に対して常に不満を抱いてしまう、週に数日の出勤日以外、

夫はすべてが自由時間、私は365日、24時間主婦として拘

束されていて不公平だと思う、しかも言動に一切の思いやりが

感じられない(70歳)

 

■再婚相手が認知症になった実子でない娘と孫に対して嫌悪感

を示す(75歳)

 

■脳梗塞になった夫が怒りやすくなり、それが毎日とても怖い

(65歳)

 

■8年前同居していた義母の死をきっかけに夫から卒婚といわ

れリビングや台所にいることを拒否された、子供たちの助言に

より2階に小さな台所を作り、一軒の家のなかで同居している、

私もそれなりに働いて家計を支えてきたつもりなのに、本当に

夫がストレス(65歳)


65歳男性にとって屈辱的な出来事

2024年06月25日 | 老後の生き方

新聞の投稿欄に掲載された65歳男性の記事に注目した、3年

前に定年退職になり会社のOB会に参加したときのことである、

初めて参加したOB会、自己紹介と近況報告で「今は妻のアッ

シーで買い物、家事も手伝いますがいつも怒られてます、今

では妻が私の上司です」といったところ、かつての上司が

「情けない男だな、昔とちっとも変わらないな、家事なんか

女房に任せとけばいいんだ」と見下すようなことを満座の前

でいわれ悔しい思いをしたことが書かれてた、そしてその上

司がOB会を仕切る人だっただけにその後退会したという。

 

すでにリタイヤしてるのに日本の縦社会の悪いところである、

かつての上司が元部下にえらそうにしてる、本来ならば仕事

上の序列にすぎないものがなぜか人間そのものの序列になっ

ている、中には人との関係が上下しかありえないと思ってい

るランク主義者がいる現実、会社を辞めてまで不愉快な思い

をすることはない、彼が退会したことは正解だったと思う。

 

なかには楽しいOB会もあるだろう、近況、情報交換、しか

し定年後も序列を構築しようとする人がいることも確かで

ある、人間としてあくまで対等で互いに認め合っている、

それこそが本来の姿だろう、だから私は最初からOB会に

は参加しなかった。


迷ったらいやなことはしない

2024年06月24日 | 生き方

今まで素晴らしいと思ってたことが色褪せてみえたり、これまで

大切だと思ってたことが、別にどうでもいいと思ったり、齢を重

ねると過去を見る自分の眼に変化が生まれることがある。

 

それは人であったり、物であったり過去の思い出だったりするけ

どある意味冷静に自分を客観視できるのが老年期のような気がす

る、他人の評価を気にしていた若い頃、必要以上によく思われよ

うと無理してた自分、本音の自分と違って少なからず自己嫌悪に

陥ったこともあったものだ。

 

今はそんな必要もなくなった、自分の心の声を聞き自分がどうあ

りたいかで判断する、迷ったらいやなことはしない、そのことが

大切だと思っている。


年金生活80代シニア女性の絶望感

2024年06月23日 | シニア女性の悩み

80代一人暮らしの女性、国民年金と遺族年金で8万円、支出

は家賃1万円(都営団地)、生活費7万円、医療介護費用3万

円、月3万円の赤字、貯金は40万円。

 

自営で夫婦で工務店を営んでいた、老後の収入は夫婦で年金1

3万円、ぜいたくはできないが、なんとかやりくりして生活で

きてたがその暮らしが一変したのは3年前の夫の死、夫の年金

収入がなくなり経済的に苦しくなった。

 

さらに女性はリウマチで足が不自由で要介護2で日常生活も不

自由な状態、ヘルパーが来て家事全般をやってもらってる、部

屋の窓から外を眺めるのが唯一の楽しみだという、貯金は近い

うちに底をつく、生活保護を受けたら収入は13万円前後にな

るし医療費は無料、解決の道はそれしかないと思う。


あるミュージュシャンの死から24年

2024年06月22日 | 音楽

学園天国、TAXI、ボヘミアン、2億4千万の瞳、BLUESKY、ラ

ナウエイ、めぐみの人、ブルー・シャトウ、これは世代を超え

馴染のある楽曲であるが作曲したのが誰かというと意外と名前

でてこない人が多いかもしれない。

 

井上大輔、ジャッキー吉川とブルーコメッツの一員でヴォーカル、

作曲、サックス、そして数多くのヒット曲を放ったが24年前5

8歳でこの世を去った、病気がちの妻の看病疲れや本人の網膜剥

離の術後の経過が思わしくないことを苦に自宅で自殺、さらに不

幸なことは遺された妻も1年後に自殺したことだった。

 

音楽界で不動の地位を築いたのに絶望感で生きることをあきらめ

た井上氏、妻を遺しての自殺、逡巡しなかったのだろうか?人間

の運命は変わるもので途中で生を投げ出したら変わるはずの運命

と出会うことができないのでは?と言っても厭世的になった気持

ちは抑えることは無理だったのかもしれない、今だに歌われてる

くの曲を聴くたびにブルーコメッツ時代の井上氏を思い出す。


母の終の棲家は介護付き有料老人ホームだった

2024年06月21日 | 老後の生き方

認知症になった母が介護付き有料老人ホームに入居したのは亡

くなる2年前、スタッフは慣れたもので母にやさしく幼児に接

するように言葉をかけてくれてた、私は新幹線で仙台から盛岡

へ毎月2回昼食前に訪問し、スタッフから健康状態や迷惑をか

けてないか、不足してるものがないかの確認だけは怠らないよ

うに努めた。

 

食事の時は20人ほどの入居者はほとんど無言で気力を失って

るように見えた、だから帰り際に挨拶しても誰も反応しなかっ

た、施設ではクイズを出したり、童謡を歌ったり、週に3回遊

びを提供、参加してない人もいたが晩年の母はこのイベントだ

けが日常生活で唯一の楽しみだった。

 

2年間だったが遺族年金と貯金を取り崩しながら、介護状態の

母の世話をしてもらった、食事、入浴、排せつ、薬の管理、買

物代行、病院への付き添い、これが自宅で介護となったら、大

変な労力で正直無理だった、やはり助けを求めてプロに任せて

よかったと痛感している、だから晩年は母にとって施設のスタ

ッフは近所の人より、友人よりもかけがえのない人となったこ

とは間違いない。