団塊シニアのひとりごと

定年退職して14年目になりました、定年後の生活で
日々感じたことを伝えたいと思ってます。

変わったのは相手でなく自分の見る目が変わった

2024年11月30日 | 人間関係

そばにいても疲れない空気のような存在、話さなくても間がも

てる人、私にとって大切な友人だった、思い出すのは断片的な

ことで映画のワンシーンのような、そこだけスローモーション

のように静止画になってる。

 

その当時の顔の表情や口にした言葉、他愛のない内容だったが

なぜかその場面だけ印象に残ってる、それから30年後再会し

たが話してると温度差を感じるようになった、お互いそう思っ

たのかもしれない、その後会うこともなく連絡は途絶えた。

 

人は変わらないし変われないもの、変わったのは相手でなく自

分の見る目が変わったのかもしれない、それは相手も私に対し

てそう思ったのかもしれない、それでも人は本質的に変わらな

いし、変われないものと思いたい。


いじめ問題について思うこと

2024年11月09日 | 人間関係

いじめは昔からあってなにも今に始まったことではない、ただい

じめの質がSNSの普及で変わってきたことは確かである、実際人

間社会にはさまざまな力関係が張り巡らせており、集団になると

必ず力関係が働き上下関係が生じる。

 

さらにどんな人間にも心の奥底には無意識のうちに無抵抗なもの

をいじめることに楽しさを感じる快楽本能があると言われてる、

子供だけではない、大人になってその本能を刺激する状況におか

れると噴出する、だからパワハラがあとを絶たない。

 

みんな仲良くという規範意識だけではいじめはなくならない、こ

の社会は苦しいこと、つらいことが多い、辛抱がいろんな場面で

要求される、だから自分を守るにはやはり耐える力をつけること

も必要かもしれない、そして相談できる人を見つけること、それ

でも耐えられないときは一度その群れから離れること、逃げるこ

とは決して恥ずかしいことではないと言いたい。


私が思う生涯つきあえる友人とは

2024年10月19日 | 人間関係

昔の友情が何十年も続くケースはなかなかないものだ、友達と

いうのは環境と状況によってできるもの、それが変われば別れ

たり離れたりするのは仕方のないこと、私の場合一生を通じて

友達づき合いするのは、せいぜい数人のような気がする。

 

 

 疎遠になる理由の一つは共通であった関心事が違ってくること

そして自分が何もしてないのに相手が離れる、逆に相手が何も

してないのに自分が離れる、そう考えると人間関係において自

分がどうにかできる範囲が50%、あとの50%は相手次第と

もいえる。

 

 

それでは私にとって生涯つきあえる友人とは相手の人生に過度

に立ち入らず、相手が言いたくなさそうなことは聞かない等、

節度と抑制の利いたほどよい関係、知っていても知らぬふり、

知らぬふりして相手を全力でねぎらう、友人であるならそんな

ことができる人間でいたい、その思いは昔も今も変わらない。


理屈ではない好き嫌いの感情

2024年10月05日 | 人間関係

好きな人、嫌いな人というのは第一印象はあまりあてにならな

い、生理的に嫌いというのもあるけれど人間の考え方や性格と

いうのは実際に話してみないとわからないものだ。

 

好きな人、嫌いな人との判定はなかなか難しい、ある視点から

えば嫌いだけど違う視点から見ると好きだとそういう面を人

は必ず持っている、一方で同じ行動をしても好きな人であれ

許せる、嫌いな人は許せない、極端な話が一度嫌われると本

はいくら努力しても好かれるということがないということが

る。

 

誰もが嫌われるよりは好かれたい、それは老若男女変わらない、

それが人の世の原理である、それでも誰にも嫌われない人など

一人もいないはず、全員に好かれようとしなければ気が楽なは

ずだ、実際人間にとって好き嫌いの感情は理屈ではないと私は

思っている。


老年期は一期一会のつもりで

2024年09月30日 | 人間関係

齢を重ねるとなぜか人に対しての懐かしさが希薄になる感じが

する、会えば懐かしいかもしれないがその当時の輝きが色褪せ

てしまうことだってある、かえって会わないで思い出の宝を大

切にしたほうがよかったと後悔することがあったからだ。

 

本当はコロナ禍であってもワクチンを接種して、マスクをして、

手洗い、うがいを励行して感染対策さえしっかりしたら問題は

なかったはずだ、それでも会おうとしなかったのは、そこまで

して会う気がお互いなかったからかもしれない。

 

疎遠になった理由はコロナ禍も一因であるが、環境が変わった

ことや長い間会ってなかったことや共通であった関心事が違っ

てきたことである、私自身人間は好きだけど嫌いでもある、そ

んな矛盾を抱えながら老年期を生きている、だから今は一期一

会のつもりで会った人とは今日が最期と思いその瞬間を大切に

するよう心掛けてる。


子供から老人まで誰もが嫉妬する

2024年09月16日 | 人間関係

なんであの人が自分より評価されるのか、自分のほうが優れて

るのになぜ?いわゆる嫉妬心、人間誰でも嫉妬する、子供から

老人までみんな嫉妬する、嫉妬心を少しも持たず、友人の成功

を喜ぶ強い性格の持ち主は皆無かもしれない。

 

私たちが経験する嫉妬心は不特定多数の他者でなく身近な人間

に対してである、学生であれば同級生、サークルの人間、サラ

リーマンであれば同僚、同期、主婦であればママ友などである。

 

嫉妬は感情であり、自然に湧き上がってくるものなので頭でや

めようと考えても抑えられないのが嫉妬、なぜ嫉妬するかとい

うと他人と比較するから、人と比較するのをやめると生きるの

が楽になるといわれるけどそう簡単なことではない。

 

もし誰かに嫉妬したらその場を離れる、その人とできるだけ離

れる、離れることができなくてもいずれ時間が解決してくれる

ことは間違いないと思っている。


私にとって忘れられないパワハラ

2024年09月07日 | 人間関係

今から40年前私が30代のころ転勤先での職場の同僚、と

いっても4歳上の先輩との不愉快な出来事を今でも思い出す、

苦手意識はあったものの、同僚として特に問題もなく1年が

経過したが人事考課での評価が私より低かったことで、普段

とは違う彼の裏の本性がでた、職場の飲み会で自分のほうが

上だと上司がいる前で激高、あげくに翌日から私が挨拶して

も完全無視、目も合わせない、今思えばパワハラである、約

1ヵ月続いた。

 

全く低次元の幼稚な行動に憤りより情けなさを感じたものだ、

本来は彼と同期にライバル意識を持つべきなのに、後輩に嫉

妬、悔しさ、妬みの感情から嫌がらせに出たわけだ、それも

1ヵ月、何とも粘着質な行動にうんざり、さらに評価をした

上司がダンマリを決め込んだことにも人間不信と失望感に陥

ったことを今でも鮮明に覚えている。

 

その時思ったのは世の中には色んな人間がいて当たり前、そ

して人は変わらない、相手の行動は相手の問題、自分に非が

なければそれ以上考えない、そして2年後に彼は転勤になり

その後リストラで退職したけど、この経験は私のサラリーマ

ン人生で今だに忘れられない不愉快な出来事である。

 


人間関係で仕事が嫌になった時

2024年07月06日 | 人間関係

仕事がいやになり会社を辞めたいと思う理由の一番は人間関係だ

と言われてる、会社の人間関係を思うと相性が悪いことだってあ

る、人間なんてそれぞれ違う、みんな同じタイプで気持ちが通じ

合って仲良くなれると思ったら大間違いである。

 

人間関係は努力してもどうにもならないことだってある、そんな

時は仕事におけるモチベ―ションは第一に賃金を得ることだと割

り切るしかない、そして仕事をしっかりすることである。

 

さらに仕事をしているから自分の好きなことができる、これを我

慢すればあれも買える、旅行にも行ける等楽しいことを考えるこ

とが大切、仕事のために人生があるんじゃなくて人生を楽しむた

めに仕事があるのだという気持ちはリタイヤして13年経った今

も私自身間違ってなかったと思っている。

 

 


友人がいない老後もひとつの生きかた

2024年05月16日 | 人間関係

2022年度版「高齢社会白書」60歳以上への内閣府意識調査

で家族以外で相談や世話をしあう親しい友人がいるかと尋ねたと

ころ「いない」と回答した人が3人に1人という結果だった。

 

仕事をやめれば友人がいなくなるというのは自然の流れ、「60

歳すぎたら友人もいらない」という漫画家の弘兼憲史氏、著書の

なかで友人が多いほうが豊かな人生だと思ってる人が多いことも

事実であるが老後は信頼できる一握りの友人がいればいいという

持論を展開してる。

 

友人がいない老後は不幸だというのは世間の思い込みで本当は3

割よりもっと多いかもしれない、それでも友人がいないことは決

して恥ずかしいことではない、友人がいない老後もひとつの生き

かた、定年退職後14年、私の実感である。

 


言葉のうらみは恐ろしい

2024年04月29日 | 人間関係

人間関係というのは言葉を通しての関係であり人間関係をむすび

つけるための工夫である、反面言葉のうらみは恐ろしい、昔言わ

れた言葉に傷ついて、ずっと続くと思えた友情が一瞬でこわれる

こともある。

 

人間は自分の言ったことを覚えてないが、言われたことは覚えて

いるものだ、例えば私の妻が40年以上前に私の母に何気なく言

われたひと言を不快に思い、いまだに鮮明に覚えていること、そ

れだけ人の口から発せられた言葉は力があることは間違いないと

いうことである。

 

言葉のうらみは恐ろしい、逆に人を救う言葉だってある、だから

こそ自分が使う言葉の重みをいつも心の隅で自覚することこそ大

切なのかもしれない。