Part1のつづき 英文はギルバートさんのブログで。
今回、米国の公文書によって初めてその存在が明らかになった、サイゴンの「韓国軍慰安所」とは、一体どのように運営されていたのか。
すぐにでもホーチミンに飛んで現地取材したかったが、ワシントン支局長という立場上長期間アメリカを離れる事は難しい。そこで私は、アメリカにトルコ風呂の実態やこの施設について知っている人物がいないか、改めてリサーチを開始した。
まず、当時の米軍関係者とベトナム系アメリカ人に照準を絞って、アメリカにおけるベトナム関連のネットワークを探した。関連のフォーラムに出席したり、米政府の退役軍人省のデータベースを調べたりして、連絡先の判明した関係者に虱つぶしに手紙やEメールを送った。また、サイゴンに駐在経験のある人物の証言を得る為、ワシントン郊外バージニア州のベトナム人集住地区の新聞に情報提供を求める広告を出した。すると、ほどなくして広告を見たアメリカ人からEメールが来た。
ハンス・イケス氏(70)。60年代後半にアメリカの通信インフラ会社からサイゴンに派遣され、その後数年間にわたってベトナムとアメリカを往復したというイケス氏は、今はバージニア州東部で年金生活を送っているが、若くして訪れたサイゴンは印象が強烈だったという事で、当時の街の様子を饒舌に語ってくれた。しかし、トルコ風呂について質問が及ぶと、周りを憚るように声を潜めた。
「『トルコ風呂』は、当時サイゴンにいた人の間では、『射精パーラー』(Steam and Cream Parlor)と呼ばれていました。若いベトナム人女性から性的サービスを受けることが出来たからです」
トルコ風呂の実態については徐々に明らかになってきたが、韓国軍の慰安所の存在を確実に知っている人物にはなかなか辿り着けなかった。
作業を続けて半年程経った頃、ベトナム戦争を戦った経験のある米軍OBからEメールが送られてきた。
アンドリュー・フィンライソン氏(71)。米海兵隊の歩兵部隊長として67年から2年8カ月に渡ってベトナム戦争を戦い、サイゴンをはじめ南ベトナム各地を転戦。退役後は紛争地域の軍事顧問団として活躍し、ベトナム戦争に関する著作も発表している研究者だ。早速インタビューを申し込むと、快く応じてくれた。
「休息と回復期間」の兵士
朝晩の冷え込みが厳しくなってきた昨年初冬、アメリカ東海岸バージニア州の小さなホテルに現れたフィンライソン氏は、黒いタートルにジャケットを着た、温厚な容貌の紳士だった。だが、衣服越しにも明らかな分厚い胸板と鋭い眼光が、元海兵隊幹部という肩書きを裏付けていた。
その体躯とはうらはらに、フィンライソン氏の語り口は、研究者だけあってあくまで知的で静かだった。
「韓国軍の慰安所は、確かにサイゴンにありました。よく知っています」
南ベトナム各地の農村の偵察部隊の責任者として、韓国軍との連絡調整に従事した経験があり、韓国軍の実情に詳しかった。
「米軍司令官が指摘している韓国の慰安所とは、韓国軍の兵士に奉仕するための大きな売春施設です。韓国兵士にセックスを提供するための施設です。それ以外の何ものでもありません」
フィンライソン氏によれば、問題の施設は、トルコ風呂としてはかなり大規模なものだが、サイゴン市内の別の場所には、これよりもさらに大きい慰安所があったという。施設は内部が多くのブロックに分かれていて、1区画に20人前後のベトナム人女性が働かされていたという。
韓国軍が、なぜサイゴン市内に大規模な慰安所を作らなければならなかったのかを尋ねると、フィンライソン氏は即座にこう答えた。
「韓国兵がベトナム女性をレイプしたり、個別に性的関係を持ったりするのを防ぎたかったからです。また、韓国軍将校が農村で女性を売春婦として囲う恐れもあり、こうした行為はベトナム社会と韓国兵の間で政治的トラブルに発展する危険性がありました」
「また性病の蔓延も重大な懸念でした。慰安所ならば慰安婦の健康を管理できます。当時現地では性病が大きな問題で、特に梅毒が蔓延していました」
ベトナム戦争当時、一定期間前線で戦った韓国軍の兵士は、「休息と回復期間(Rest & Recuperation)」として戦地を離れ、サイゴンで休養する事を許された。この「静養中」の韓国兵がサイゴンや近郊の農村でトラブルを起こしたり、性病に罹ったりしないよう、韓国軍が韓国兵のための慰安所を、サイゴン市内に設置したというのだ。
では韓国兵士の相手をさせられたベトナム人の慰安婦とは、どんな女性たちだったのか。
フィンライソン氏は、そのほとんどがベトナム各地の農村の少女だったと断言した。
「こうした売春施設で働いている女性はほぼ例外なく農村部出身のきわめて若い女性でした。
彼女達が施設に来た理由は様々です。貧困のために家族に売られてきた少女もいたし、自らの意思で来た女性もいた。彼女たちは、職を失って慰安婦となった。 騙されて連れてこられた女性も当然いたでしょう」
同書簡には、この施設は韓国兵専用の慰安所として設立されたが、米軍など友軍の兵士も特別に利用する事ができ、その場合は1回につき38ドルが請求されたと書かれている。
施設に行った事があるという別の米軍OBは、匿名を条件に次のように証言した。
「ほとんどが10代の少女だった。16歳だという少女もいたし、もっと幼く見える女の子もいた。こうした農村出身の素直で華奢な少女に夢中になる兵士も多く、こうした者は『Yellow Fever(黄熱病)』と揶揄されていた」
ニュージャージー州に住む70代前半のこの人物は、問題の慰安所は隣接する複数の家屋を併せた大規模な施設で、通りの向かい側にも別棟があったと語った。その後の調査で、この施設が入っていた建物はホーチミン市内に現存する事が確認されたが、隣接する地番が一体となって雑居ビルを構成している点など現地の状況は完全に一致していた。ベトナム人慰安婦の多くが年端も行かぬ少女だったという驚くべき証言だったが、十分に信頼しうると感じた。
韓国軍慰安所が友軍の兵士を受け入れた理由については、フィンライソン氏はこう説明した。
韓国の国家としての意思
「『休息期間』でサイゴンに滞在する韓国兵の数は時期や季節によってばらつきがありました。このため、そもそもは韓国兵専用として設立された施設ですが、韓国兵の数が少ない時期に、友軍の兵士も受け入れるようになっていったのです」
私が投げかけるあらゆる質問に対して、フィンライソン氏の答えは簡潔かつ明快だった。そしてその解説は、それまでに読み込んだ公文書の内容や関係者からの聞き取りと、ぴったりと一致していた。
もちろん、韓国軍による慰安所設置の経緯、規模、運営実態など、今後解明されなければならない事は多い。しかしフィンライソン氏への1時間半に渡るインタビューを終え、ベトナム戦争当時「都市型慰安所」とでもいうべき、これまで知られていなかった施設が存在したという点については、確信を持つに至った。
では、韓国軍の慰安所経営について、ベトナムの人々はどう受け止めるのだろうか。南ベトナム政府の元官僚で現在はワシントン郊外に住むグエン・ゴック・ビック博士に話を聞く事ができた。
ビック博士とは、昨年夏ワシントンで開かれたベトナム戦争50周年の記念フォーラムで出会った。中部の港湾都市ダナンで生まれサイゴンで育ったビック博士は、ベトナム戦争が本格化する直前の五八年にアメリカに渡り、コロンビア大学や京都大学などに留学した後、複数のアメリカの大学で教鞭をとったアジア文学の研究者だ。
ベトナム戦争時の韓国軍による虐殺などの蛮行については詳しく知っていたが、慰安所の事は知らなかったという。ビック博士は小柄で白髪の温厚な紳士だが、問題の書簡を読んでもらうと見る見る顔つきが厳しくなった。
「韓国軍がベトナム人に対して酷いことをしたのであれば、うやむやにすることは絶対にできません」
アメリカ在住のベトナム人団体の議長も務めるビック博士は、ベトナム人について「二千年前の出来事でも昨日のことのように話す民族」であるという。
「犯罪や酷い行為が行われたのならば、それは日本人だろうが韓国人だろうがベトナム人だろうがアメリカ人だろうが、悪いものは悪いのです」
「我々は良心に従って韓国と向き合い、調査し、交渉をして、白黒はっきりつけなければならない。真実が分からない限り、いつまでも問題は解決しないし、国家間の関係を害することになる」
ビック博士が最も強調したのが、慰安所設置に踏み切った、韓国の国家としての意思だ。
「一部の不良がやっていた違法行為でなく、韓国政府が政策としてやっていたのなら、看過されるべきではない。国家が関与したこういう行為は、決して正当化する事はできないのです」
「軍の規律維持」と「性病防止」のために、韓国政府と韓国軍が組織的に慰安所を設置、運営したのであれば、そこには明白な国家の意思が存在することになる。そしてその構図は、韓国政府が繰り返し厳しく批判する日本軍の慰安所と全く同じだ。
だがそれもそのはず、当時の大統領・朴正煕は、日本の陸軍士官学校を卒業し、太平洋戦争では日本軍兵士として満州各地を転戦した経歴を持つ。それだけに、日本軍の慰安所の仕組みと機能を熟知していた。また、問題の書簡を受け取った蔡命新司令官は、61年に朴正煕がクーデターを起こした直後に幹部に抜擢した、腹心中の腹心だ。
蔡命新は、94年に執筆した自叙伝『死線幾たび』の中で、朝鮮戦争当時韓国軍が慰安所を運営していた事実を認めている。
朝鮮戦争終結後、わずか10年余でベトナム戦争に参戦した韓国軍が、ベトナムでも慰安所を経営するのはごく自然な成り行きだっただろう。朴正煕と蔡命新という政軍両トップの存在があったからこそ、ベトナム戦争でも韓国軍が慰安所経営に踏み切ったともいえる。
一方、朴正煕の娘である朴槿恵大統領は、私が渡米して以降も、日本軍の慰安所について国際社会で厳しく糾弾し続けていた。 昨秋の国連総会では、世界に向けてこう演説した。
「戦時の女性に対する性暴力は、時代、地域を問わず、 明らかに人権と人道主義に反する行為だ」
韓国軍によるベトナムでの慰安所経営がアメリカの公文書によって明らかになった今、朴槿恵大統領は自ら発した言葉に自ら応える義務を負った。
彼女が慰安婦問題を、反日を煽る内政や外交のツールではなく、真に人権問題として捉えているのであれば、サイゴンで韓国兵の相手をさせられたベトナムの少女に思いを致すだろう。何人の少女が、どのような経緯で慰安婦にされたのか。意に反して慰安婦になる事を強いられた女性はいなかったのか。どんな環境で働かされたのかなど、率先して調査するだろう。韓国の元慰安婦に対して行ったのと同じように。
そして、韓国軍慰安所と日本軍慰安所は、どこが同じでどこが異なっていたのか調査し、何が問題で何が問題でないのか検証するだろう。こうした公正な姿勢によってのみ、日韓両国の慰安婦問題が整理され、両国が真の和解に向かう礎が生まれると私は信じる。
しかし、もし韓国政府がこの問題を黙殺したり、調査もせず否定したりするなら、彼らこそ都合の悪い事実に背を向け、歴史を直視しない国家である事を、国際社会に対して自ら証明する事になる。
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TBSワシントン支局長 山口敬之
1966年生まれ。慶応大学卒。90年TBS入社。報道カメラマン、ロンドン支局、社会部(警視庁担当、運輸省担当など)、政治部(外務省担当、官邸キャップなど)を経て13年8月渡米。現ワシントン支局長(掲載時)