週刊文春4月2日号に掲載されたTBSワシントン支局長(当時)の山口敬之氏の記事が
ケント・ギルバートさんのブログに掲載されていました。
拡散自由で山口氏からも承諾を得てるとの事ですので転載します。
尚、元原稿の為文春記事と異なっている部分があるかもわからないとの事です。
英文は下記ギルバートさんのブログでどうぞ。
韓国軍にベトナム人慰安婦がいた!二カ国語 Part1(拡散自由)
歴史的スクープ! 韓国軍にベトナム人慰安婦がいた
米機密公文書が暴く朴槿惠の”急所”
3月21日、ソウル。三年ぶりの日中韓外相会談が行われたが、日韓間で慰安婦問題の議論は平行線を辿った。だがもし韓国軍が同様の行為を行っていたら---。米公文書館での徹底調査とベトナム現地取材で初めて明らかになるベトナム戦争下での韓国軍の真実。
最初に、TBSでワシントン支局長を務めている私が、なぜベトナム戦争当時の韓国軍について取材を始めたのかを記しておきたい。
きっかけは、アメリカに赴任する直前の2013年初夏、ある外交関係者から聞いた言葉だった。日韓関係に長らく関わり、野党時代の朴槿恵氏と食事をしたこともある人物だ。
「朴大統領は就任早々、慰安婦問題で出口のない迷路に入り込んでしまった」
その年の2月に第18代大統領に就任した朴槿恵氏は、早くも慰安婦問題で日本に強硬な姿勢で臨む方針を明確にしていた。
韓国では04年に、植民地時代に日本に協力した者を糾弾する「親日・反民族行為真相究明特別法案」が成立している。植民地時代、日本軍の将校だった朴正煕元大統領を父に持つ朴大統領は、この法律によって大いに苦しめられてきた。
「父の親日イメージを断ち切ろうとするかのように、日本批判を続ける事が彼女のレゾンデートルとなってしまった。そして、慰安婦問題が朴大統領自らの反日姿勢を証明するツールとなった以上、彼女が自分からこの問題を解決するという選択肢はなくなった。もはや慰安婦問題は韓国の内政問題となってしまったのだ」
それでは、慰安婦問題を巡る日韓の軋轢に出口はないのだろうか? 私の問いに、彼はこう答えた。
「もしかしたら、あなたがこれから赴任するアメリカに解決のヒントがあるかもしれない」
日韓両国から遠く離れたアメリカに、何があるというのか。
「実は、ベトナム戦争当時、韓国軍が南ベトナム各地で慰安所を経営していたという未確認の情報がある。これをアメリカ政府の資料等によって裏付ける事ができれば、慰安婦問題において韓国に『加害者』の側面が加わる事になる。そのことをきっかけに、朴大統領と韓国国民が頭を冷やし、真摯に慰安婦問題に向き合うようになれば、事態は変わるかもしれない」
日韓関係の現状を憂うこの人物に背中を押され、ワシントン赴任早々の13年9月から、私の全米各地に眠る公文書を探す取材が始まった。
アメリカには、国立公文書記録管理局、通称「NARA」と呼ばれる組織がある。政府の公文書や歴史的価値が高いと判断された各種資料を保管する米政府の公式機関で、全米33カ所に公文書管理施設を持ち、40億枚の紙、30万本の映像、500万枚の地図や統計資料などを保管、公開する世界最大の公文書管理組織だ。
ベトナム戦争についても、南北の内戦突入(60年)から米軍全面撤退(73年)に至る、膨大な公文書や映像資料が保管されている。
そもそも、1960年代に本格化したベトナム戦争は、ソ連や中国など共産主義陣営が支援する北ベトナム側と、アメリカや台湾など自由主義陣営が支援する南ベトナム側が戦ったことから「冷戦米ソの代理戦争」と呼ばれた。
50年代前半の朝鮮戦争で国土が荒れ果て、世界の最貧国レベルにまで落ち込んでいた韓国。63年に第5代大統領となった朴正煕は、ベトナム戦争を復興に向けた千載一遇のチャンスと位置づけた。粘り強い交渉の結果、アメリカ政府から派兵規模に応じた補助金支給と、対米移民枠の設定を勝ち取り、65年から本格的に韓国軍を投入。延べ31万人の韓国兵がベトナムに渡った。
ベトナム戦争時の韓国軍に関する公文書は全米各地に点在している。私は本業のワシントン支局長としての業務の合間を縫って、ワシントン市内や郊外メリーランド州の公文書館、さらに各地の米軍基地付属の図書館や資料館を訪れたり、リサーチャーを派遣したりして、関連の文書を大量にコピーし、支局に持ち帰っては読み込む作業を続けた。
ジョン・F・ケネディ大統領(61~63年)やリンドン・B・ジョンソン大統領(63~69年)、ロバート・マクマナラ国防長官(61~68年) など当時のキーマンの書簡から、各国の外交官や軍関係者のメモまで、ありとあらゆる階層の様々なやり取りを記録した公文書からは、教科書や歴史書からは伝わらない、当時の生々しい息遣いが感じられた。
最初に集中的に読み込んだのは、ホワイトハウスや国務省等の外交文書の分析だ。そこから判明したのは、当時のアメリカ政府がベトナムにおける韓国兵の行状に、相当手を焼いていたという事だった。
韓国兵の蛮行の記録は派兵が本格化された65年から早くも始まっていた。戦地での市民の虐殺、強姦から、サイゴンなどの都市部での為替偽造、物資の横流し、麻薬密売に至るまで、ありとあらゆる犯罪記録が大量に残されていた。
米軍司令部は韓国軍司令部に対して繰り返し書簡を送り、違反者の訴追と再発防止を求めたが事態は悪化の一途をたどった。
70年には、アメリカ連邦議会下院の外交委員会で、韓国軍による残虐行為を追及する特別調査チームが作られる事態にまで発展した。
ただ、これら外交文書の多くは虐殺や経済犯罪などに関するもので、韓国軍の慰安所に関するものはなかなか出てこなかった。
そこで、私はリサーチの目先を変えてみた。韓国兵の悪行が問題になっていたなら、犯罪や裁判の記録の中に何らかの手がかりがあるのではないかと考えて、14年の春から、ベトナム駐留米軍の軍政部と軍警察の犯罪記録に手を伸ばし、年代順にコピーして片っ端から読み始めた。そこには、強姦、暴行、窃盗、傷害、軍需物資の不正取得など、夥しい数の韓国兵の犯罪が様々な形で記録されていた。
サイゴンの「韓国軍慰安所」
そして、7月25日深夜。誰もいない支局の小部屋で、いつものように犯罪記録の公文書を1枚1枚剥ぐように読み込んでいると、1通の書簡に行き当たった。
その書簡は、サイゴン(現ホーチミン市)のアメリカ軍司令部から、同じくサイゴンの韓国軍司令部に送られたものだった。宛先は、ベトナム駐留韓国軍最高司令官・蔡命新(チェ・ミュンシン)将軍だ。
この書簡には日付の記載がなかったが、年代順に整理された他の公文書や記載内容を基にした関連取材で、69年1月から4月の間に書かれたものと判明した。
書簡の主題は、韓国兵が関与した経済事件に関するもので、不正な通貨を用いて米軍の軍需物資が大量に横流しされていると指摘していた。 その一連の犯罪行為の舞台のうちの一つが、サイゴン市中心部にあったという「The Turkish Bath」(トルコ風呂)だ。
この「トルコ風呂」について書簡は、「売春行為が行われていて、ベトナム人女性が働かされている」と説明している。
そして、主題である通貨不正事件の捜査のために、米軍とベトナム通関当局が共同で家宅捜索を行った結果を、次のように記していた。
「この施設は、韓国軍による、韓国兵専用の慰安所(Welfare Center)である」
何度も読み返したが、間違いなく、米軍司令部が捜査に基づいて、「韓国軍の韓国兵のための慰安所」と断定している。
米軍司令部は「韓国軍の慰安所」と断定するにあたり二つの根拠を示している。
まず、押収資料の中から、韓国兵の福利厚生を担当する特務部次長の任にあった韓国軍大佐の署名入りの書類が見つかり、その書類が韓国軍の慰安所であると示している事。
さらに、家宅捜索でこの施設から押収された物資について、韓国軍幹部がベトナム税関当局に対し、返還を求める書類を提出した事実を、軍幹部の実名を示して韓国側に突きつけていた。
その上で米軍司令部は、韓国軍の最高司令官蔡命新に対して、経済犯罪に関わった疑いのある大佐や中佐など、韓国兵6名の実名を通報した。友軍の司令官に犯罪者の摘発を要請する書簡だけに、その文章は捜査と証拠に基づいていて隙がない。