木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

妻に土下座した勘定奉行

2010年05月23日 | 江戸の人物
江戸時代は男性上位で、特に武家階級においては、女性軽視の傾向が強かったと思われがちである。
だが、江戸など男性の人口が多い地区では、町民階級ではカミさん連中の力は男性を凌駕した。
武士においては、確かに男性の力が強かったのであるが、今以上にリベラルな考えを持った人物もいた。
川路左衛門尉聖謨(かわじとしあきら)という人物もその一人である。
幕末期、勘定奉行を勤めた人だが、ロシアやアメリカとの交渉において力を発揮した傑物である。
ロシアの代表であるプチャーチンと下田で交渉した際、雑談になると「自分の妻は江戸で一番美しい女性なので、こうして出張していると思い出して困ります」などと発言している。
この川路が、妻の佐登に平伏したことがある。
この事件(?)については、吉村昭の小説が簡潔に書き表しているので、引用したい。

弘化四年十二月中旬、かれは奈良奉行として一事件の裁きをした。一人の女が夫以外の男と関係をもち、そのもつれで夫を殺害し、捕らえられた。川路は、そのような色恋沙汰で事件をおこした女はさぞ美しいだろうと想像していたが、白州にすえられていた女は、稀なほどの醜女であった。
かれは、このような女でも欲情のもつれで一人の男を死に追いやったことに驚き、美貌の佐登を妻としている自分の幸せをあらためて強く感じた。
裁きを終えたかれは、居室にいる佐登の前にゆくと平伏し、ありがたや、ありがたやと何度も頭を下げた。佐登は大いに驚き、精神錯乱をおこしたかと不安になってただすと、かれは醜女のおかした事件を口にし、美しい佐登を妻にしていることがもったいない、と、さらに頭をさげつづけた。その姿に、佐登をはじめ居合わせた用人たちは、息をつまらせて笑った。


佐登という女性が実際に江戸小町になるほど美しかったのかどうか分からない。
焦点は佐登の容姿ではなく、のろけともとれるような妻の長所をほめる発言を平然と行い、そして、妻にも頭を下げる左衛門尉の態度である。
そこには、作為がない。
変なプライドとか、照れとか、駆け引きなどを超越して、ただ妻に頭を下げる左衛門尉の態度は凄いと思う。
相手が配偶者でなく他人であっても、自分の思いをここまで素直に吐きだすのは、難しい。
それだけに、左衛門尉の行動は、貴重なものに思われる。


吉村昭「落日の宴」講談社


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4 コメント

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Unknown (美穂)
2010-05-24 17:26:43
奥さんを褒める江戸時代の人なんて
なんだか想像つきません、
現代だって未だ、女性を褒める男性は少ないのに。。。

自分の気持ちに正直になれる人に
私もなりたいなぁ。。。と思いました。

江戸時代でもそんな事件が起きるのですね
ビックリしました。
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Unknown (木村春介)
2010-05-24 20:27:23
川路さんのもうひとつ凄いところは、すぐに行動を起こすところです。
これは、多分、武士というのは、今日一日で死ぬかも知れないという日々に対する思いがあったのだと思います。
各地の転勤先を再訪する機会があると、領民や同僚がやってきて再会を涙して喜んだというので、そういった意味でも凄いと思います。
凄く頭がいい人なのに、素直。
確かになりたい人物です。
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Unknown (照姫)
2010-05-25 23:03:40
確かその佐登さんは3人目の妻だったと記憶していす。。。でも彼自身はお世辞にも美男子とは言えないお顔をしていますよね。そりゃあ平伏もするよね、と思っちゃいました(笑)
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Unknown (木村春介)
2010-05-26 17:30:20
照姫さま
そうですね。佐登は三番目の奥さんです。
ご存じのエピソードだと思いますが、プチャーチンが写真を撮ろうとすると「ロシアに写真を持ち帰られ、かような顔が日本男児だと思われると、日本の色男諸氏に申し訳ない」と固辞したそうです。でもプチャーチンに「ロシアの女性は男性を容姿ではなく、知性で判断する」と返答されて内心「傷ついた」と書いているので意外と言葉とは裏腹だったのかも知れません。
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