木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

吐瀉物を食べた山岡鉄舟~鉄舟流鍛錬方法

2012年07月19日 | 江戸の人物
今日、7月19日は山岡鉄舟が没した日。明治21年のことで、享年53歳。

山岡鉄舟は剣豪として名高いが、手元にある高校の教科書には名前が載っていない。
「鉄舟は何をした人?」と、改まって聞かれると、結構分からない人が多いのではないだろうか。
江戸城開城の際に、勝海舟の代理として駿府に滞在していた西郷隆盛のもとに赴き、交渉を成功させた。この件が歴史的には一番有名だが、そんな史実は鉄舟の人となりを語らない。

鉄舟を調べていくと、かなりの変人だという印象を強く持つ。
言い方を変えれば、自分が追い求める真実・真理追求のためには、誰が何と言おうと決して道を譲らない頑固者。偏屈と言ってもよい。
生活そのものが求道であり、生きるとは真理を見極めることに他ならなかった。
鉄舟を人は剣豪と呼ぶが、彼にとって剣も道を極めるための手段であったし、禅にしても同じだった。
このような表現をすると、鉄舟は山にこもって仙人のような生活をしていたかのように思われるかも知れないが、そうではない。

「最後のサムライ 山岡鉄舟」から鉄舟夫人・英(ふさ)の話を引用する。

二十四、五歳の頃から盛んに、飲む、買うというようになりました。もっとも一人の女に入れ揚げるというのではなく、なんでも日本中の商売女をなで斬りにするのだと同輩の者には語っていたようです

心配した親族が離縁するよう夫人に迫ると、鉄舟は「うるさい身内など、没交渉のほうが、面倒がなくてよい」と語ったので、怒った親族とは絶交となったと言う。
ストイックな印象の強い鉄舟だが、この行為は「まことに情欲を断ちたいと思うなら、今よりも更に進んで情欲の海に飛び込み、懸命に努力してその正体を見極めるしかない」という鉄舟の徹底した姿勢から出たものだった。
調子のいい話だと思った人もいるのではないだろうか。
その人たちには、次の強烈なエピソードを紹介したい。

無刀流を開いた明治十三年以降、鉄舟は毎年三月三十日に無礼講の宴会を開くのを常としていた。
ある年、一人の門人が鉄舟の前に手をついて何かを言おうとした瞬間、吐瀉してしまった。
鉄舟は、何を思ったか、門人が戻した汚物を片っ端から食べて、跡形もなくした。
これは、鉄舟の考える浄穢不二、つまり清いものと汚いものの区別を超越するための鍛錬だった。
弟子が「それにしても、体に毒でございましょう」と鉄舟の身を気遣うと、「畳の上の水連では役に立たない」と笑ったと言う。

このような徹底した鉄舟の態度をみると、先の色情を絶つために情欲の渦に飛び込む、という行為も鉄舟流の鍛錬に違いなかったことが分かる。
もうひとつ面白いエピソードがある。
酒席で夜中まで飲んでいると、健脚を誇る者がいる。成田山までの往復百四十キロを誰か、明日一緒に歩かないか、と豪語した。
酒席のことだから、流せばいいものを、鉄舟は「それがしが同行いたす」と受ける。それが今で言う午前一時。出発は四時。当然、言いだしっぺは起きることは起きたが、歩けもしない。
それでも、約束は約束、と鉄舟は一人で成田山まで歩き、その日の深夜にすり減った下駄の歯と共に帰って来た。

鉄舟は身の丈六尺(180cm)。頭脳も優秀で、体力にも恵まれていた。親の死に別れにより、若い頃は金銭的には恵まれていなかったが、自己を肯定する気持ちはかなり強かったに違いない。
成田山の話にしても、笑って済ませばいいのに、信念があったのだろうが、非常に頑固で融通の利かない行為である。
買色の話にしても、夫人にも周囲にも何一つ説明がないし、文句を言う親族は邪魔とばかりに切り捨てる。
吐瀉物の話にしても、思いつきの域を出ない。
それでも、私は鉄舟の行為には憧れに似た気持ちを抱く。

人は行為によって地位を得る。
地位によって、己を証明したいと願う。

「優秀だから、出世した。だから俺は偉い」
「私は努力した。その結果、マラソンでこれだけ速い記録を残せた。だから、わたしは凄い」

鉄舟は全く逆で、自分自身が満足できる境地に辿り着ければ、名誉も金もいらなかった。
そんな鉄舟の周りには自然と人が集まってきたし、地位も得た。
時代がよかった、と片づけてしまうのは簡単だが、精神の綺麗さ、潔さというものを思わずにはいられない。
鉄舟は頑固で無骨者であったが、驚くほど素直な性格の持ち主だった。周囲の人間も、時には鉄舟の言動に振り回されながらも、彼の魅力に惹きつけられたのだろう。

華族にするとの知らせを聞いたときに詠んだ句が鉄舟らしい。

「食ふてねて 働きもせぬ御褒美に 蚊(華)族となりて 又も血を吸ふ」



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