幕末には、上野彦馬と下岡蓮杖くらいしか写真師はいなかったかのように思っている人がいるが、そんなことはなかった。
京都には堀与兵衛がいたし、江戸には鵜飼玉川やこの島霞谷、妻の隆などがいた。多少のずれはあるが、写真という金のなる商売に興味を持った人間が増えたとしても不思議はない。
霞谷は、桐生の旅籠屋の息子。開成所で絵図調出役を仰せられるほど絵画に熟練しており、はやくから写真にも取り組んでいた。この頃の写真家は、蓮杖や横山松三郎も霞谷もみな絵師出身である。
彼の写真でもっとも有名なのは禁裏御守衛総督時代の徳川慶喜である。これは、100%霞谷の撮った写真というわけではなく、霞谷のものと伝えられる写真ではあるが、幕府のトップを撮った写真としては出色である。
霞谷は44歳で夭折しているので、歴史の舞台に大きな足跡を残すことができなかったが、日本写真史上で、忘れてはならない存在である。
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