高住神社公式ブログ

英彦山豊前坊高住神社の公式ブログです。

6月14日(火)の様子

2011年06月14日 15時12分00秒 | 日別天気・交通情報

本日の高住神社の状況です。

◆晴れ

◆17℃

 

今日は私一人。

天気が良いので、焚き火場の掃除をしたり洗濯したりと、雨降りにはできない外作業にいそしんでいました。

晴れ晴れとして開放的気分!それとも解放的!?(笑)

 

その頃Fさんはというと、休みを利用して英彦山登山に。

昼ごろに法螺の音とともに下山してきて、「オオヤマレンゲを写してきた!」と嬉々としてカメラを渡してきました。

それが下の写真。

P6130017

中央下方にある白い花がオオヤマレンゲ。

位置的に花の中心を写すのが難しかったそうですが、つぼみもちらほらと見えています。

 

P6130021

これはまた別の木のショット。

葯と呼ばれる花の中心部分が薄っすらと黄色にピンク色がかった色合いです。

熊谷氏の本によると、

「英彦山の名花の筆頭。英彦山と同様の霊山である大峰山では「天女の花」と呼ばれている。標高1000M以上の稜線部に生育する落葉低木ないし小高木。

~中略~

多数の葯は淡い黄土色、芳香がある。3日花で1日目の日中に半開、夕方に開花、2日目に受粉して3日目にはしおれ、花弁は茶色に変わる。」

とのこと。

あまりもたない花なんですね。

 

英彦山と大峰山のオオヤマレンゲの違いを記すべく、『茶花図譜』という図鑑に載っているオオヤマレンゲの写真と文を抜き出してみました。

P6160001

奈良県の大峰山に多いところからこの名がある。山林中にはえる落葉樹で庭木としても植えられている。

~中略~

花は5~7センチ位で、花弁は六~九枚、中心の芷は紅色で、花弁の柔らかい白色と対照的で美しい。」

 

明らかに葯の色が違うのが分かります。

それにしても、地域によってこれだけの差があるのは何故でしょうね。

理由を知っている方がいれば、ぜひ教えてください。

 

ちなみにFさんオススメは以下の場所。

①溶岩の壁付近(防護柵が目印)

②一本杉にぶつかって右に行った大岩の上

③北岳~中岳(寄り)の岩と岩の間(最初の写真がこれ)

 

過去に花盗人がいたようで、英彦山を愛する登山家が悲しんでいました。

たとえ手に取れる範囲でも、決してむしって行かないようお願いします。

山中で見るからこそ“天女の花”です。

天女の色香に惑わされ、盗ろうとして崖から落ちても知りませんよ。

 

梅雨の晴れ間はぜひ、英彦山の麗しき天女に逢いにお越しください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月13日(月)の様子

2011年06月13日 15時52分12秒 | 日別天気・交通情報

本日の高住神社の状況です。

◆晴れ

◆15℃

 

先日からの大雨もすっかりおさまり、昨日とうって変わっての晴れ模様。

今日は登山者もぼちぼち上がっているようで、オオヤマレンゲが咲いているよと教えていただきました。

昨年は6/17ぐらいに咲いたようです。

(昨年の日記:http://blog.goo.ne.jp/takasumi-jinja/d/20100619

 

中岳のヒコサンヒメシャラも数輪咲いたとのこと。

境内のヒメシャラはといいますと、こんな感じでパラパラ落ち始めています。

P6120011

こないだは二輪三輪咲いたぐらいだったのに、はじけるように次々と開花しました。

 

P6120013

ここのヒメシャラはお滝場にあります。

普段は鎖を張って立ち入り禁止にしていますので、写真撮影されたい方は社務所に一声お掛けください。

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九州の昔話①・ごんざ虫

2011年06月11日 12時57分34秒 | 昔話・伝承

むかし、英彦山のふもとの村に貧しい一家が住んでいました。

夫婦には三人の子どもがいましたが、母親が亡くなり、父親も疲れで病気になってしまいました。

親孝行者だった長男の源吉は、父に代わって家族を支えようと、お金を借りるために隣村の権三おじをたずねました。

ところがこの権三おじ、金持ちなのにひどくケチな男で、頼みこんでもわずかばかりの穴銭しか貸してくれません。

あっという間にお金が尽きたので、源吉はもう一度権三おじのもとをたずねました。

すると権三おじ、

「お前んごた貧乏人に貸すような金はない」

と冷たくあしらって、源吉を追い返しました。

P61100011

しかたなく源吉はうなだれてトボトボ帰っていると、一人のおじいさんがあらわれました。

「この下駄をお前にさずけよう。しかし望みが人のためなら良いが、自分のためならば転ぶたびに体が小さくなってゆくことを忘れるでないぞ」

と、一足の粗末な下駄をくれました。

P61100021

源吉は下駄をはいてお父のためと転ぶと、小判が一枚、チャリンと出てきました。

そのお金で父親を看病したおかげでみるみる元気になりました。

それを聞きつけた権三おじ、下駄が欲しくて押しかけてきたのです。

「この前貸した金を返しとくれ。それができんのなら下駄をもらってくぞ」

と無理やり下駄をつかんで帰ってしまいました。

 

翌日、源吉は下駄を返してもらおうと権三おじの家に出かけると、おじの姿がありません。

土間にはまばゆい小判の山があるばかり。

源吉が足元を見ると、見なれない虫が一匹、小判にしがみついていました。

それは欲張って転げすぎて虫になってしまった権三おじでした。

それを誰となく『ごんざ虫』と呼ぶようになったそうです。

P61100031

 

参考資料:添田町HP-「添田町の神話・伝説・民話」

      「ふるさとお話の旅・福岡」/星の環会

* * * * * * * *

 

これが英彦山に伝わる「ごんざ虫」という話。

欲張りが過ぎると痛い目に遭うよという話なのですが、白髪の老人は彦山権現の化身と伝えられているそうです。

心やさしい孝行者には福徳を授け、欲深い者には罰が下るというこれに似た話は西日本に広く分布しており、その他の地域では「宝下駄」という話で伝わっています。

ごんざ虫とは米につくコクゾウムシのこととも。

米にしがみついている虫を、姿を変えても我欲に執着する権三に例えたのでしょう。

 

 

京築田川をはじめ、旧豊前国域には英彦山や山伏にまつわる民話が多くあります。

今回は第1回ということで、ごんざ虫について書いてみました。

子どもたちにも読んでもらえるよう、方言をまじえながら多少簡略化しています。

詳しくお知りになりたい方は、図書館などでお調べください。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月9日(木)の様子

2011年06月09日 15時56分21秒 | 日別天気・交通情報

本日の高住神社の状況です。

◆晴れ

◆15℃

 

朝からミソサザイがようけ鳴いております。

ピピピピピピピピピピィ!!と激しく鳴いているのは警戒音でしょうか。

あまりに近くで鳴いていたので探してみると、焚き火場の脇で鳴いていました。

P6080014

デジタルカメラを命一杯ズームして撮ったのですが、いやはや、鳥を撮るのは難しいもので、三脚固定した望遠レンズつき一眼レフではないとブレてしまいますね。

この子のルートは、滝場発~止まり木経由~手水舎行きのようなので、その導線上で構えておけばいつか撮れると思います。

 

そして、境内のヒコサンヒメシャラも咲きました。

P6080004

咲いたのはまだ数輪。

これからだんだんと咲き始めることでしょう。

奉幣殿や別所駐車場のヒコサンヒメシャラはだいぶ先に開花しましたが、標高差もあって1、2週間ほど遅れたでしょうか。

これから増えてゆくのが楽しみです。

 

そんなこんなで境内で写真撮影をしていたら、団体さんが上って来られました。

中間市から植物観察に来たとのこと。

先生がピンクの房のついた指示棒であれこれ説明をしています。

P6080009

咲いたばかりのヒコサンヒメシャラを説明したら、満面の笑みで喜んでくださいました。

こうして花一輪でも喜んでくれると嬉しいですね。

オオヤマレンゲが咲くまではもうちょっとのようです。

登山者からの情報によると、今月半ばには咲きそうだということです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月8日(水)の様子

2011年06月08日 15時04分00秒 | 日別天気・交通情報

本日の高住神社の状況です。

◆晴れ

◆14℃

 

九州北部もついに梅雨入りしましたね。

特に英彦山は年間降水量が多いので、毎年雨と湿気に悩まされます。

防カビ対策として御守保管箱に除湿剤を入れたりと、この時期は何かと手間がかかるものです。

それでも霧にけぶる高住神社は格別の雰囲気があり、梅雨ならではの情緒が待ち遠しくさえ思えます。

 

さて、先日6日は二十四節気の「芒種(ぼうしゅ)」

芒種とは、稲など穂先に芒(のぎ)と呼ばれる突起のある植物の種を蒔く時期のこと。

250pxunhulled_rice

とは言っても、今川上流域ではすでにほとんどの地域で田植えが終ったようで、津野周辺の皆作祈願も梅雨入りした先日5日で最後。

田植えは上から下へと順に進んでゆくようなので、今月からは行橋など下流域の集落で田植えが始まる頃でしょう。

二十四節気は農作の指標となるものなので、都市部暮らしには馴染みがないものの、こうした農村部では現在でも目安になるように思えます。

 

* * * * * *

 

田川市郡は今でも農家が多いため、農耕に関わる祭事が各所の神社・小祠で行われており、私も斎主として出向くことがあるのですが、年長者に祭りの日について尋ねると、昔は15日だったということが多いようです。

旧暦と呼ばれる太陰太陽暦では15日は満月であり、月明かりが一番輝かしい時期というのと、満月から満ちあふれる不思議な力にあやかろうとしたのでしょうか。

220pxtsuki

餅の語源は一説に「望月」からきているともいい、真円に近いものは神霊を表すことから、餅を御霊になぞらえ供物として重用したようです。秋の十五夜には月見団子を供えますが、これも同様の意味があります。

昔は「お籠もり」といって氏神様の元に集まって一夜を明かす習わしがあり、現在では秋に行うところがほとんどですが、昔は春のお籠もりも盛んに行われていたようです。

餅や団子といった御霊をあらわす物を神様ないし満月に捧げ、霊威の宿った供物を頂くことで魂の賦活を祈り、ハレの祭りによってケである日常の安寧を願ったのではないでしょうか。

神事といわれるものの根底には、そうした人々の生活と季節の流れに即した習わしがあり、そういったことを学ぶのも祭りの意義を知る上で大切なのではと思います。

 

* * * * * *

 

とまあ、大分長くなりましたが、今日はつらつらとコラムを書いてみました。

高住神社は農業神としての信仰上、年間を通じて農作に関わる祭事が多いので、今は使われていない太陰太陽暦のことを知っておくと何かと便利です。

 

といった新暦と旧暦が載っているのがこれ。福岡県神社庁で発行している神社庁暦

新旧暦とともに、六曜・十干十二支・九星の他、暦選日・十二直・二十八宿(この辺りは私は苦手)などが調べられます。

また主だった神社の祭りが掲載されているので、一冊あると何かと便利ですよ。

P6090017

半年も経ってるのに在庫を持て余しているのは内緒。

ちなみに表紙絵は通りもんのCMでおなじみ、長谷川法世さんのイラスト。

毎年出ているので、知らなかった方はこれを機会にぜひ。

 

300円とリーズナブルなお手ごろ価格で授与しておりますので、よろしくお願いいたします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする