雛飾りつゝふと命惜しきかな 星野立子
五十歳を目前にしての句。きっと、幼いときから親しんできた雛を飾っているのだろう。昔の女性にとっての雛飾りは、そのまま素直に「女の一生」の記憶につながっていったと思われる。物心のついたころからはじまって、少女時代、娘時代を経て結婚、出産のときのことなどと、雛を飾りながらひとりでに思い出されることは多かったはずだ。「節句」の意味合いは、そこにもある。そんな物思いのなかで、「ふと」強烈に「命惜しき」という気持ちが突き上げてきた。間もなく死期が訪れるような年齢ではないのだけれど、それだけに、句の切なさが余計に読者の胸を打つ。俳句に「ふと」が禁句だと言ったのは上田五千石だったが、この場合は断じて「ふと」でなければなるまい。人が「無常」であるという実感的認識を抱くのは、当人にはいつも「ふと」の機会にしかないのではなかろうか。華やかな雛飾りと暗たんたる孤独な思いと……。たとえばこう図式化してしまうには、あまりにも生々しい人間の心の動きが、ここにはある。蛇足ながら、立子はその後三十年ほどの命を得ている。私は未見だが、鎌倉寿福寺に、掲句の刻まれた立子の墓碑があると聞いた。あと一週間で、今年も雛祭がめぐってくる。『春雷』(1969)所収。(清水哲男)
雛祭】 ひなまつり
◇「雛」 ◇「雛遊」 ◇「ひいな」 ◇「初雛」 ◇「内裏雛」(だいりびな) ◇「土雛」 ◇「紙雛」 ◇「雛飾る」 ◇「雛菓子」 ◇「雛の灯」 ◇「雛の客」 ◇「雛の宴」 ◇「雛の宿」
3月3日、桃の節句。女児のある家で幸福・成長を祈って雛壇を設けて雛人形を飾り、調度品を具え、菱餅・白酒・桃の花などを供える祭。雛遊び。雛人形。雛の燈。ひひな。
例句 作者
いにしへの色とぞ思ふ土雛 石川星水女
嫁せし子の雛が眠れる天袋 小岩井清三
厨房に貝があるくよ雛まつり 秋元不死男
雛の日の小さな宿に泊りけり 奥名春江
誰をおもひかくもやさしき雛の眉 加藤三七子
箱を出て初雛のまゝ照りたまふ 渡辺水巴
夜々おそくもどりて今宵雛あらぬ 大島民郎
雛を見て雛に見られて戻りけり 児玉喜代
天平のをとめぞ立てる雛かな 水原秋櫻子
雛の間をかくれんばうの鬼覗く 行方克己