
南風や小猿の赤いちゃんちゃんこ 菊田一夫
4、5月頃から吹きはじめる湿った暖かい風が南風。北風とちがって大方は待たれている風であるゆえに、日本の各地でさまざまな呼び方がされている。正南風(まみなみ、まはえ)、南風(みなみかぜ、なんぷう、はえ)、南東風(はえごち)、南西風(はえにし)……。気候と密接な関係にある農/漁業者の労働にとって,特に無視できない南から吹く風である。夏の到来を告げる風。小猿が着ている「ちゃんちゃんこ」は冬の季語だが、小猿が季節はずれのちゃんちゃんこをまだ着ているうちに,夏がやってきたよ、というやさしい気持ちが句にはこめられている。動物園などに飼われている猿ではなく、動物好きの個人に飼われて愛嬌を振りまいているのを、通りがかりに目にしたのだろう。赤いちゃんちゃんこをまだ着せたままになっていることに対する気持ちと、「もう夏だというのに……」という気持ちの両方をこめながら、作者は微笑んでいるようだ。芭蕉は「猿も小蓑をほしげなり」と詠んだが、ここはすでに「蓑」の時代ではない。加藤楸邨に「遺書封ず南風の雲のしかかり」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)
ちゃんちゃんこ 三冬
【子季語】
袖無羽織、猿子、でんち、袖無
【解説】
袖無し羽織に綿を入れたもので、主に子供や老人が着る。表布には縮緬や綸子、紬、木綿などが用いられる。袖がないので動きやすく、背中があたたか。手が自由になり、脱ぎ着が楽で重ね着もできることから働くときの防寒着としても重宝された。
例句 作者
あらくれを舟ごと叱るちゃんちゃんこ 岸本長一郎
この頭巾このちゃんちゃんこ象堂忌 森 かほる
しぐるゝやまさるめでたきちやんちやんこ 久保田万太郎 流寓抄
そっと手を通す形見のちゃんちゃんこ 川口咲子
その子の家の藁屋根厚しちやんちやんこ 中村草田男
ちゃんちゃんこ一日畦にぬぎ置きて 三栖 ひさゑ
ちゃんちゃんこ着ても家長の位かな 富安風生
ちゃんちゃんこ着て坊守の鐘を撞く 阪田 ひで
ちゃんちゃんこ着て存念にかげりなし 高木喬一
ちやんちやんこには猫の爪かかり易 波多野爽波 『一筆』以後
ちやんちやんこの皆雛めきてお雛粥 宮津昭彦
ちやんちやんこ死なねばならぬ一大事 木田千女
ちやんちやんこ猫脊に坐り打とけて 吉屋信子
ちやんちやんこ着せ父大事母大事 宮下翠舟
ちやんちやんこ着ても家長の位かな 富安風生
ちやんちやんこ着て島を出るこ