菊人形問答もなく崩さるる 藤田湘子
季語は「菊人形」で秋。漱石の『三四郎』に本郷団子坂での興業の賑わいぶりが登場する。明治末期の話だが、この時期の娯楽としては相当に人気が高かったようだ。さて、掲句は現代の作。菊師(きくし)入魂の作品である人形も、興業が果てて取りかたづけられる段になると、かくのごとくに「問答無用」と崩されていく。丹精込める菊師の人形作りには「問答」があるけれど、始末する作業者にはそれがない。ないから、むしろ小気味よい感じで「崩さるる」のだ。このときの作者には、せっかくの人形を乱暴に崩すなんてなどという感傷はないだろう。見る間に崩されていく場景を、むしろ無感動に近い気持ちで見つめている。仮に哀れの念がわくとしても、それはこの場を去ってからのことにちがいない。あまりにも見事な崩しぶりに、感じ入っているだけなのだ。ひどく乾いた抒情が、句から伝わってくる。ところで、小沢信男に「凶の籤菊人形の御袖に」がある。「凶」だとはいえ、そこらへんに捨ててしまうわけにもいかず、持ち歩いていた御神籤(おみくじ)の札を、そっと「菊人形の御袖に」しのばせたというのである。なかなかに、洒落れた捨て所ではないか。で、展示が終了したときに、この人形をどさどさっと手際よく作業者が崩しにかかると、なにやら白い紙がひらひらっと舞い上がり、男の額にぺたりと張り付いた。なんだろうと、男が紙を開いてみる。……。「へい、おあとがよろしいようで」。『去来の花』(1986)所収。(清水哲男)
【菊人形】 きくにんぎょう(・・ギヤウ)
◇「菊細工」 ◇「菊師」 ◇「菊花展」(きっかてん) ◇「菊展」
菊の花や葉を衣装に擬して作った人形。見世物として興行する。明治時代には本郷団子坂の展覧会が有名。現在は各地の公園や寺社の境内、遊園地などで行われている。また花のみを観賞する展覧会も各地で開催され、審査のうえ様々な賞が授与されるので、「菊花展」として季語になっている。
例句 作者
さびしさや懐ろ見える菊人形 増田龍雨
菊花展より戻りたるばかりの鉢 西村和子
菊展を観て来て越える団子坂 阿部夜咲
殺される女口あけ菊人形 木村杢来
菊人形五衰の肋見えにけり 三村純也
討つ人も討たるる人も菊人形 木島斗川