昨年の12月25日、群馬の児童相談所にランドセルが送られたという報道がなされて以来、連日のように全国で同様のプレゼントが発生しているが、正直なところここまでくると見飽きたというか、少々の嫌悪感を感じてしまうのはなぜだろう。
1つは、毎度のことながら、表面情報のみ面白可笑しく無邪気に垂れ流す報道機関の節操のなさである。
2つは、そのような報道にあおられ単純に付和雷同してしまう人達である。
長く地道に支援活動をしている人は沢山いるにもかかわらずこんなところだけとりあげられる。名前が「伊達直人」でなければこれほど話題にされなかったのではないか。
送られる物も児童相談所等で本当に欲しいものかどうかも分からない。児童相談所等にとっても迷惑な場合もあろうが「好意」なのでテレビカメラの前では言えないだろう。送られる側も予算が十分でなく運営は厳しいという。特定の子供だけにランドセルを与える訳にはいかず、場合によっては、これまで持っていなかった子供や来年必要になる子供にもそろえる必要が発生してしまうこともあるのではないか。自己満足のプレゼントで一時だけ話題になり、後は忘れてしまって、逆に傷ついてしまう子供達がでてきたりしなければいいのだがと思われるこの頃ではある。
因に、自分がお世話になったその施設にお返ししたいというお気持ちの方もおられると思うし、そうでない場合は、例えば、あしなが育英会ではクレジット送金という無理のない継続的な支援方法も設けられていたりする。
1つは、毎度のことながら、表面情報のみ面白可笑しく無邪気に垂れ流す報道機関の節操のなさである。
2つは、そのような報道にあおられ単純に付和雷同してしまう人達である。
長く地道に支援活動をしている人は沢山いるにもかかわらずこんなところだけとりあげられる。名前が「伊達直人」でなければこれほど話題にされなかったのではないか。
送られる物も児童相談所等で本当に欲しいものかどうかも分からない。児童相談所等にとっても迷惑な場合もあろうが「好意」なのでテレビカメラの前では言えないだろう。送られる側も予算が十分でなく運営は厳しいという。特定の子供だけにランドセルを与える訳にはいかず、場合によっては、これまで持っていなかった子供や来年必要になる子供にもそろえる必要が発生してしまうこともあるのではないか。自己満足のプレゼントで一時だけ話題になり、後は忘れてしまって、逆に傷ついてしまう子供達がでてきたりしなければいいのだがと思われるこの頃ではある。
因に、自分がお世話になったその施設にお返ししたいというお気持ちの方もおられると思うし、そうでない場合は、例えば、あしなが育英会ではクレジット送金という無理のない継続的な支援方法も設けられていたりする。