仕組みとアプローチ - 来年を迎えるにあたって 2021-12-31 09:56:18 | 地震 津波 今年も世界的には災害で多くの被害と犠牲者が出てしまいました。 国内に限らずこれまで世界で発生した災害によりお亡くなりになられた犠牲者の方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。 来年はより良き年でありますように。
仕組みとアプローチ - 10万円給付は本来、炊き出し利用券とか子供食堂利用券とかにすべき 2021-12-31 09:01:22 | 国富の獲得か流出か 10万円給付は本来、炊き出し利用券とか子供食堂利用券とかにすべき。 生活に余裕が有る人達はそれを一律で受け取ったら寄付をするわけで、炊き出し利用とか子供食堂利用の資金がかなり多くなるのでコロナとかで本当に困っている人達は助かるはず。 何でそういう社会システムにならないのだろうか。 少し前の時代の「世の中は勝ち組、負け組、負けた方は自分が悪いんじゃん」みたいな「日本人同士を共食いさせる思想」の延長がまだ蔓延っているのでしょうかね。
仕組みとアプローチ - 10万円のクーポン給付 そして秀吉のトコロテン方式 2021-12-31 08:36:19 | 国富の獲得か流出か 政府が10万円給付する事についてそれを現金にするかクーポンなども使うかで論議になってますが、これってピント外れですよね。 現金給付だと貯金に回ってしまうからダメとかって、では10万円給付のクーポンなら貯金に回らないのか?と言うと決してそんな事はない。 例え富裕層だって日々の生活で支出ゼロと言う事は有り得ないわけで、10万円給付がクーポンで実施されたとて本来は支出するはずの現金をクーポンで支払い、余った分をトコロテン方式で貯蓄に回すわけですから。 アタマのオカシイこの論議はどうにかしないといけないと思います。 秀吉の中国おお返しが宇喜多勢の将兵とのコラボによるトコロテン方式だったと言う考え方は以前の記事でもかきましたよね。
仕組みとアプローチ - 年末年始の牛乳余りについて 2021-12-31 07:44:25 | 国富の獲得か流出か 12月8日の記事の後から暫く記事を書いていなかったのですが、何故か記事を書かない期間の閲覧数が増えていたのは不思議でした。 今回は牛乳が年末年始に余ってしまう為、政府がなるべく牛乳を消費するように言った件について考えて見ました。 個人的には牛乳は嫌いではなく、ましてや国産。 新型コロナなどでインバウンド観光客などの外貨獲得が出来なくなっているならば、当然のように国産のものを消費する方が良い、となるのでなるべく国産品を消費するように努めています。 それで牛乳なんですが、調べてみると牛乳と片栗粉とかで豆腐に近いものもできるようです。 日頃の食事は欧米風や中華風のパスタやスープが好きなのですが、この時期にはミルクシチューに入れた牛乳による豆腐でこなそうかと思っています。 ただ国や自治体が公費を配分して子供食堂に牛乳を提供するような動きもあるようなので、ならばその量が多い方が子供食堂には良いわけで、自分が牛乳を日頃より多く接種するかどうか、と言うのは少し迷います。 本来は「炊き出し」だの「子共食堂」みたいなのは、国や自治体などが民間団体が行う前に先んじて強行すべき事なのではないかと思うのですが、どうなんでしょう。 d
仕組みとアプローチ - ダイコンが豊作で安価 十分に食べるのは「農家応援の為」だけでなく「自分の為」 2021-12-08 12:52:19 | 新型コロナウィルスやパンデミック このところの天候でダイコンが豊作で価格下落しているようです。 栄養学の専門家でもない私にとって、ダイコンについてあまり知らないとせっかくのお買い得チャンスを逃してしまう、と言うのが最近よくわかって来ました。 それは「ダイコンに含まれるジアスターゼと言う消化酵素が血栓防止作用や解毒作用がある」と言う事です。 この消化酵素は熱を加えると分解してしまうのでダイコンおろしとか漬物とかだと有効なようです。 なので自分はダイコンおろしや漬物として主に使い、皮とか葉の部分は加熱して味噌汁やスープなどに利用しています。 「血栓」と言えばあの新型コロナによる重症化や死亡などの大きな要因になっているようです。 また新型コロナ用のワクチンが血栓を誘発するのではないか?と言う説も有るようですが、実際にどれだけの確率なのかは定かではありません。 ただゼロではないわけで、いずれにしても血栓対策を十分にする事がワクチン非接種、ワクチン接種を問わず有効で有る事は確かかも知れません。 現在は豊作で安価で売られているダイコンを十分に接種する事で多少とも血栓防止作用に寄与して効果が有る、と言う事にもなるかと思えます。 ダイコンのより有効な利用は「(農家を)食べて応援」と言うだけでなく「自分の為」でも有る事になるかわけです。