前回記事で一部誤植が有りました。
「天応直轄領」は「天皇直轄領」に訂正です。
当時は実質毛利氏の所領であった石見銀山を名目上(利益のどれだけが朝廷に献上されていたのかは定かではないのですが朝廷の直轄領である事を名目のしている以上は主導権は朝廷)であっても朝廷の直轄地とする事によって、毛利氏は朝廷から覚えの高い家柄を維持していたのでした。
そこへ信長の織田家が割って入り、御料地を奪取しその後にこの御料地が果たして朝廷の直轄領となるのか? それとも織田家の主導となって朝廷は結局、織田勢の家来となってしまうのか?
さすがに朝廷には御料地からの収益を減らすというのはどうも考えにくいですが、朝廷ではなく公家衆にとっては取り分が減らされ、挙句プライドや生活水準の維持の面で大変なリスクだった事か思っています。
ところで信長の土岐一族警戒モードエスカレートですが、サブタイトルの通りで、「築山殿-今川氏真-早川殿-北条氏康-上総土岐氏と常陸土岐氏」という路線で考えると当然の如く信長がこの土岐一族ネットワークの分断に動いたのは理解できます。
その発端が「築山殿と信康の抹殺」であり、これに限らずその後も土岐一族の織田勢包囲網の崩壊政策を採っていた事からどうも土岐一族リスクを信長の耳に流し込んでいた家臣や敵方の情報工作部隊はどう見てもかなり多かったと考えています。
「天応直轄領」は「天皇直轄領」に訂正です。
当時は実質毛利氏の所領であった石見銀山を名目上(利益のどれだけが朝廷に献上されていたのかは定かではないのですが朝廷の直轄領である事を名目のしている以上は主導権は朝廷)であっても朝廷の直轄地とする事によって、毛利氏は朝廷から覚えの高い家柄を維持していたのでした。
そこへ信長の織田家が割って入り、御料地を奪取しその後にこの御料地が果たして朝廷の直轄領となるのか? それとも織田家の主導となって朝廷は結局、織田勢の家来となってしまうのか?
さすがに朝廷には御料地からの収益を減らすというのはどうも考えにくいですが、朝廷ではなく公家衆にとっては取り分が減らされ、挙句プライドや生活水準の維持の面で大変なリスクだった事か思っています。
ところで信長の土岐一族警戒モードエスカレートですが、サブタイトルの通りで、「築山殿-今川氏真-早川殿-北条氏康-上総土岐氏と常陸土岐氏」という路線で考えると当然の如く信長がこの土岐一族ネットワークの分断に動いたのは理解できます。
その発端が「築山殿と信康の抹殺」であり、これに限らずその後も土岐一族の織田勢包囲網の崩壊政策を採っていた事からどうも土岐一族リスクを信長の耳に流し込んでいた家臣や敵方の情報工作部隊はどう見てもかなり多かったと考えています。