快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  明智光秀が山崎の戦いで大敗した要因を考える イエズス会の宣教師オルガンティノに主導権が有ったと見られる記録の数々

2019-06-30 18:52:39 | 明智光秀
 明智光秀が大敗した山崎の戦いについてイエズス会が主導権を握っていたと考えられる事は既に記事にした通りです。
 この件について更に検証すると多くのデータが出て来ます。
 最初にですが本能寺の変の後、そう間を置かずに明智光秀は高山右近の高槻城へ使者を送り、明智方に加勢するよう要請し、加勢して貰えるような返事を得ています。
 それはルイス・フロイスがローマに送った「1582年度日本年報」に書かれており、「家臣たちは都合の良いように偽った返答をした」と言う旨の部分です。
 これで明智光秀は高山右近が明智方に加勢すると思い込んでしまったようで、この点についても同じ「1582年度日本年報」に於いて「光秀は十分納得したので人質を要求することも、また同じ目的で我らを利用することもなかった」と言う旨が書かれています。
 この点については城主である高山右近が毛利討伐に出発していた為に家臣が適当な返事をしたと言う事になるので、確かに高山右近本人がウソをついたわけではない事になります。
 この状況により明智光秀は高山勢側から人質を取らなかったようで、人質を取らなかった事が明智勢の敗北要因であった事をやはりルイス・フロイスも書いています。
 それではイエズス会がこの時どのような動きをしたかですが、次の通りです。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E8%BF%94%E3%81%97

長秀・信孝・恒興らに尼崎着陣を伝えた書状において秀吉は、今回の戦いは「逆賊明智光秀を討つための義戦である」ということを強調している。6月12日、秀吉軍は尼崎から西国街道をそのまま進み富田(大阪府高槻市)に着陣したが、秀吉の宣伝は功を奏し、恒興、中川清秀、高山右近ら摂津の諸将が相次いで秀吉陣営にはせ参じた[19]。中国方面軍司令官である秀吉が大軍を率いて無傷で帰還したことで、それまで去就をためらっていた諸勢力が一気に秀吉方についたのであり、このことが山崎の戦いでの秀吉の大勝利につながった。一方の光秀はキリシタン大名の右近に対してイエズス会の宣教師オルガンティノを通して説得したが、成功しなかった[45]。

引用終了

 明智光秀はそれなりに イエズス会の宣教師オルガンティノを通して説得した、つまりオルガンティノは光秀の要請に適えるべくそれなりに動いたようですが、このパフォーマンスとは裏腹にオルガンティノは高山右近には次の様に言っている事がルイス・フロイスの日本史に書かれています。
 「たとえ、我ら全員が礫刑に処せられるに接しても、絶対に、この暴君に仕えないように、そうすることは我らの主なるゼウスに奉仕することになるからである」。
 「この暴君」とはつまり当時は明智光秀であるわけで、これが何を意味するのかと言うとそれは宣教師オルガンティノが表向きは明智光秀に高山右近の加勢を進めるパフォーマンスをしておきながら、一方では高山右近に「決して明智光秀には加勢しないように」と言っている事になるのです。
 明智光秀は宣教師オルガンティノから調子の良いリアクションで協力して貰えると思ってしまったし、そして例え城主の高山右近がいなくても家臣らから明智方加勢に抵抗ないような返事をもらえたので疑わなかったのかと思えます。
 しかし良く考えれば当時に於いては畿内の北約半分エリアあたりは明智光秀が軍事的に制圧していた期間であり、とても「高山右近とその家臣、或いはイエズス会は明智方に加勢はできない」などと言えない状況であり、仮に言おうものなら途端に城は攻略されてしまうか追放されてしまう、或いは最悪処刑されてしまう為、調子の良い返事しか出来ない状況だったはずと考えています。
 なのでこの返事をマトモも考えてはいけないのですが、どう言うわけかそれを光秀は本気に信用してしまったのか、或いは薄々怪しいとは思っていても既に他の選択肢が無かった状況なのか、兎に角疑わな意と言う前提で軍事戦略を構築し、そして短期で大敗します。
 少なくとも言える事は宣教師オルガンティノが高山右近とその近縁の中川清秀に対して、「明智方に加勢せよ」と指示していればあのような明智勢の短期惨敗は無かったわけで、山崎の戦いの主導権はどう見てもイエズス会が握っていた、と個人的に思えるわけです。
 
 

仕組みとアプローチ -  明智光秀が山崎の戦いで大敗した要因を考える 高山右近らが秀吉方に加勢したのは秀吉の巧妙な情報工作や調略が決め手だったからではない、とする考え方

2019-06-29 12:18:39 | 明智光秀
 本能寺の変の後、秀吉は単独で「中国おお返し」を強行し山崎の戦いで勝利します。
 この時の状況については「中国おお返し」を疑問視する見方など様々あるようですが、見落としてはならないのは「秀吉勢単独で中国おお返しをした」と言う点だと思っています。
 通常ならは上杉氏と戦っていた柴田勝家らと連携を取り、明智勢を挟み撃ちにする、と言うのがより安全で確実な方法だからです。
 なのに秀吉がよりハイリスクな手法を採ったのは何故か? となるのですが、それは摂津衆である池田恒興と、高山右近とその近縁の中川清秀が秀吉方に必ず加勢する、と言う確信が有ったからに他ならないと思います。
 池田恒興については織田家との信頼関係も以前から有り、まず名目上は織田派である秀吉方か柴田勝家方に加勢するのは明らかですが、高山右近とその近縁の中川清秀については荒木村重の反乱の時には織田方から離反しておりそれを信長の脅迫(キリシタン弾圧をするかも知れないと言うもの)によって仕方なく信長に寝返ったグループです。
 なので明智方へ加勢してもおかしくない二人なのですが、秀吉はこの二人について必ず加勢して貰えると言う前提が有ったからこそ単独で「中国おお返し」をできたように見えます。
 通説ではこの点について秀吉の情報工作、調略が巧妙だった事が決め手だったと言う事になっているようです。
 しかし(個人的な考えに過ぎませんが)仮にイエズス会が高山右近とその近縁の中川清秀に「明智方に加勢せよ」と指示を出したとしたら秀吉の調略が如何に巧妙なもので有ったとして秀吉はも高山右近と中川清秀を与力にする事ができず、そうなると当時の状況に於いて秀吉は到底優位に立てない事になります。
 ルイス・フロイスによる記述では「秀吉の軍勢は皆疲れ果てていた」と言う旨の部分が有るようで、そうであったなら疲弊していない残る摂津衆がこの戦いの主軸だったと考えられるからです。
 そして仮に高山右近と中川清秀が明智方に加勢する事で戦闘の優勢が続くような状況になれば筒井順慶は明智方へ加勢したとも考えられ、仮にそのような展開になれば秀吉勢が敗走となり、特に戦死してしまえば秀吉と中川清秀との間の内誓紙など反故にしてもかまわなくなり、そもそもそのような内誓紙の存在も明らかにはされないかも知れないわけです。
 山崎の戦いの主導権は秀吉と言うよりもイエズス会に有った、そしてイエズス会は明智光秀ではなく秀吉を選んだ、と言う事だったと考えています。
 では何故イエズス会は明智光秀を選ばなかったのか?
 一つの理由として考えられるのは信長がイエズス会を無視するようになって来た時の参謀が明智光秀だった事から、光秀もやはり信長と同じ路線を続けるのではないか?と疑っていたからと言う事なのかも知れません。

仕組みとアプローチ -   台風3号が去った後の現在 目立つ地震の状況

2019-06-29 09:31:24 | 地震 津波
 台風3号はそれ程強くもならず既に去ったのですが、以前に記事で書いている「台風一過の地震晴れ」はどうなるのか? となります。
 今回は台風が去った後も雨天、曇天が続くエリアが多く、宇宙からの影響や地磁気の影響は少なくとも二本エリアでは大きくならない所が殆んどと言う事だからなのかどうかは確率の問題に過ぎないのですが、特に現時点では目立つは発生していません。
 月齢では今日は長潮で来月3日は大きい方の新月です。
 台風の雨天曇天とは関係無かったせいなのかどうかの因果関係についての断定まではできないのですが、マリアナ諸島エリアではやや目立つ地震が有り、日本でも有感地震となったようです。

引用開始(一部抜粋)

https://www.emsc-csem.org/Earthquake/?filter=yes

2019-06-28 15:51:33.7
8hr 16min ago
19.89 N 144.25 E 450 6.4 MAUG ISLANDS REG, N. MARIANA IS.

引用終了

 日本時間で今日に入ってからの有感地震は次の通り。

                        Mj  最大震度
 2019年6月29日 3時46分ごろ 土佐湾     3.4 1
 2019年6月29日 3時19分ごろ 福島県中通り 2.6 2
 2019年6月29日 0時52分ごろ マリアナ諸島 6.5 1
 2019年6月29日 0時30分ごろ 紀伊水道 2.5 1

 この雨天曇天はどのエリアで、そしていつまで続のかは判りませんが、沖縄方面は晴間が見えるのが続き、それ以外では大体の予想だと7月4日頃にはやや晴間が見えて来るエリアが北海道でも有るようです。
 雨天曇天が続き、それだけこの要因の分だけ地震トリガーが少なくなって地殻やプレート、それらの境界面などに歪(ストレス)が蓄積しやすい事がどちらかと言えば晴れた時よりは多いので、7月3日の新月の前後数日に晴間が来ると「雨天曇天一過の地震晴れ」とが重なって平均よりは地震が発生しやすいのかと考えています。
 そして目立つ地震も無く、或いは中小地震の多発も無くこの期間を過ぎてしまうとストレスが発散されずに持ち越してしまう事が想定できるわけで、それだけ後にこの分が発散される事が多いと見られます。
 何度も記事の中で書いているあのエリアのMw7以上の地震空白期は2016年4月の熊本地震を最後に既に3年
2ヶ月以上続いており、そして北半球でのMw7以上の地震空白期がEMSCのデータではほぼ6ヶ月となります。
 今後どこでどの程度の規模となって目立つ地震が発生するのでしょうか。
 

仕組みとアプローチ -   地震や微振動と深海魚の関連性 深海魚の一部が定置網などの岸近くまで辿り着く事が有る理由

2019-06-28 08:38:25 | 地震 津波
 リュウグウノツカイやなどの深海魚で大型のものが沿岸の定置網などまで生きたまま辿り着けるケースが有りますがこれについて考えて見たいと思います。
 以前に記事の中で書いた事が有るのですが、例えばリュウグウノツカイは不味い魚でもないようです。
 なので通常、浅い所に来てしまうと大型の魚やイルカ、クジラなどに捕食される事は多いのだと思えます。
 それで例えばサメなどの大型魚が何を頼りに大きなリュウグウノツカイなどを見つけているのか?と言うとそれは微振動、音、嗅覚、視覚、場合によっては電気的変化あたりかとなります。
 それでこれらの観点から、リュウグウノツカイが無事に定置網まで辿り着けられる状況について列挙してみます。

1. 新月やその周辺期間で暗く、海中の視界が悪くサメなどに知られにくい事が有る。
2. 中小の地震や地殻の微振動が頻発したり継続してリュウグウノツカイなどが泳ぐ時の振動がかき消  されてサメなどに知られにくい事が有る。
3. 地磁気の変化、中小の地震や地殻の微振動が頻発や継続、或いは海底からの硫黄分などの噴出によ  る妨害臭、更にもしかするとと言う程度に過ぎませんが海底の地殻が部分的に割れる寸前の電気的変  化、これらをサメなどが嫌う為、深海魚が浅い所に来ても捕食されにくくなる事が有る。
3. 海水面が低気圧などで荒れていてリュウグウノツカイなどが泳ぐ時の振動がかき消されてサメなど  に知られにくい事が有る。これは「台風一過の地震晴れ」、「雨天曇天一過の地震晴れ」にあたる事  も有るが、必ずしも風が強いとは限らない事と、雨と言う淡水の影響が大きかった場合には深海魚が  塩分濃度の低下を嫌って浅い所には近着かない事も場合によっては有る。
4. 遊泳力があまり無い深海魚でも風や潮流の影響で海岸近くまで流される事が有る。
5. 冬の日本海側などは雨より雪が多くなるエリアが有り、河川から海へながれ込む淡水量が減って淡  水を好まない種類が多い深海魚が比較的海岸近くまで寄って来る事が有る。
6. 例えば冬の北西からの季節風が有ると、太平洋側では海面とその近い深さでは南東など吹き流さ   れ、それだけ深い所から海水が補填されるように上昇して来る、湧昇流が強くなりそれに乗って深海  魚も海面近くに来る事が有る。

 以上、大体ですが上記のケースが考えられるかと思います。
 では太平洋側で深海魚が定置網などで確認される事が日本海側より少ないのは何故か? ですが、それは仮に深海魚が表層にまで無事に来ていても海流や偏西風による潮流、冬の季節風などによりそのまま岸とは反対の方へ流れてしまうケースが多くそれで見つかる事が少ないケースが多いと考えています。
 一方、日本海側では冬の季節風の影響などで浅い所まで上がって着た深海魚がそのまま風やそれに伴う潮流で陸地への流される事が有る、と言う事かと思っています。

仕組みとアプローチ -   深海魚が沿岸で確認される事は周辺での大地震の予兆と言う程ではない、がしかし地震や微振動とは関連性が有る

2019-06-27 08:16:17 | 地震 津波
 深海魚の捕獲や打ち上げなどが大地震の予兆なのかどうかについて様々な論議がなされているようです。
 多くの考え方があり、更に傾向を捕らえる「物差」自体も多種多様なので自分なりの個人的な分析状況だけを今回は記事にしてみようと思い増す。

 まず深海魚が捕獲された例をいくつか挙げてその時前後で発生した有感地震との関連をデータで見て行きます。

 例1

 2018年02月16日に小田原魚市場でリュウグウノツカイが水揚げ

 対応する期間とその前後の有感地震
                        Mj  最大震度
 2019年5月26日 0時29分ごろ 伊豆半島東方沖 2.7 2
 2018年2月20日 1時35分ごろ 伊豆半島東方沖 3.0 1
 2018年1月6日 6時13分ごろ 伊豆半島東方沖 2.7 1
 2018年1月6日 4時38分ごろ 伊豆半島東方沖 4.4 3
 2017年10月27日 19時55分ごろ 伊豆半島東方沖 2.8 2

 2018年8月2日 12時04分ごろ 伊豆大島近海 2.5 1
 2018年2月9日 23時38分ごろ 伊豆大島近海 3.7 1
 2018年1月15日 3時12分ごろ 伊豆大島近海 3.5 3
 2018年1月6日 5時48分ごろ 伊豆大島近海 4.6 3
 2017年12月22日 15時46分ごろ 伊豆大島近海 2.7 1
 2017年9月24日 6時08分ごろ 伊豆大島近海 4.1 3


 例2

 2018年12月13日 神奈川県 江ノ島 リュウグウノツカイが定置網にかかった

 対応する期間とその前後の有感地震

                        Mj  最大震度
 2019年5月26日 0時29分ごろ 伊豆半島東方沖 2.7 2

                        Mj  最大震度
 2019年5月25日 22時15分ごろ 伊豆大島近海 2.3 1
 2019年2月14日 1時54分ごろ 伊豆大島近海 2.0 1
 2019年2月14日 1時23分ごろ 伊豆大島近海 2.1 1
 2019年2月14日 1時13分ごろ 伊豆大島近海 3.4 3
 2019年2月14日 0時30分ごろ 伊豆大島近海 2.5 2
 2019年2月12日 16時12分ごろ 伊豆大島近海 2.5 2
 2019年2月12日 16時09分ごろ 伊豆大島近海 2.6 2
 2019年2月12日 15時34分ごろ 伊豆大島近海 1.9 1
 2019年1月17日 16時04分ごろ 伊豆大島近海 2.8 2
 2018年11月27日 22時16分ごろ 伊豆大島近海 3.0 2
 2018年9月28日 18時57分ごろ 伊豆大島近海 3.1 1


 例3

 富山湾沿岸でリュウグウノツカイの発見が多く2019年春の時点におけるデータでは2018年秋以降、 富山県内で見つかったのは11匹で過去最多。冬の発見が多い。

 対応する期間とその前後の有感地震

                        Mj  最大震度
 2019年4月29日 3時32分ごろ 富山県東部 2.7 1
 2018年12月27日 9時54分ごろ 富山県東部 3.6 2
 2018年12月20日 15時58分ごろ 富山県東部 4.2 3
 2017年4月19日 2時49分ごろ 富山県東部 2.8 1
 2012年7月28日 7時18分ごろ 富山県東部 3.3 1


 これら3つの例について考えるとこうなります。

1. リュウグウノツカイが沿岸で確認される事についてはM6未満の地震の多発が起因している事も関  係しているケースが多い。
2. 地震の前だけでなく後にでもリュウグウノツカイが沿岸で確認される事は有る。
3. 有感地震が発生していない空白期間と発生が複数回ある程度の期間内で発生した時と、リュウグウ  ノツカイが沿岸で確認された月日とは明らかに有意な差が有る。
4. これらから言える事はリュウグウノツカイはM6以上とかの目立つ地震に影響されると言うより   も、 中小地震や或いは微振動の多発、長期間の多発に影響されて沿岸で確認される事が多いと見ら  れる。
5. M6以上の地震が一回だけというのではその一回で死んでしまったり、或いは深海から浅海へ移動  しようとはせず様子を見る事が多く、寧ろ中小地震や或いは微振動の多発、長期間だと生きたままそ  れを嫌がって浅域に移動する事が考えられる。
6. M6以上の地震であっても余震が多発すれば生き残っていたリュウグウノツカイが浅域へ移動しよ  うとする事は有る。
7. 冬に日本海側で沿岸で確認される事が多いのは北、北西、西の風で吹き寄せられる事が多いから。
8. 冬で北西の季節風の時が多いのに小田原や江ノ島など本州沿岸で捕獲されるのは、富士山、箱根   山、丹沢山系などに季節風が一部遮られて南東へ吹き流される事がない日が有るからと言うケースは  有ると考えられる。
9. リュウグウノツカイ以外の深海魚も同様な事になる種類は有るとは思いますが、全ての種類とは限  らない。

 以上、個人的な考え方に過ぎませんが、大体上記の通りです。
 つまり「リュウグウノツカイが沿岸で確認される事は地震と関係は有る、がしかし出現したエリアとその周辺に於ける大地震の予兆と言う程の有意な差は無い」と言う事になると思っています。