快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  明智光秀が山崎の戦いで大敗した要因を考える 秀吉は山崎をスルーパスできたのにそれをしなかった理由は何か

2019-07-31 21:33:33 | 明智光秀
 書きたい事はサブタイトルに有る通りです。
 秀吉が上洛するのなら別に山崎を通らずとも中立宣言した細川氏の丹後、或いは兵が出払っていた丹波、更に筒井順慶の大和経由でも上洛ルートは十分に確保できたはずです。
 ですがそれを採用せずに敢えて山崎で明智勢と戦いました。
 ここまで来れば理由は明らかではないでしょうか。
 それは山崎で決戦する事で旧室町幕府奉公衆や近江衆などを含む明智勢の殲滅ができる事とその勝算が有ったからです。
 それでは何でそれだけ勝算が有ったのか?
 それは高山右近・中川清秀、そして筒井順慶が確実に秀吉方に加勢する確信が有ったからではないでしょうか。
 一方の明智光秀は高山右近・中川清秀までは国主である池田恒興の下で明智方には加勢しない可能性も考えていたのかも知れませんが、筒井順慶はもしかして明智方に加勢してくれると期待し、そしてその前提ならば戦闘時のメリットが大きい山崎を決戦の場に選んだのではないでしょうか。
 最後まで明智方か秀吉方かどうもはっきりしない筒井順慶のドタキャン「日和見」の姿勢が明智光秀にとってトラップとなり事前対策が遅れて短期大敗してしまった面が大きい、と言う事だったのではないでしょうか。

仕組みとアプローチ -   日本国内の有感地震がやや活発化

2019-07-30 18:23:46 | 地震 津波
 今月28日の長潮の日あたりから国内では有感地震がやや活発化しているようです。

                        Mj  最大震度
      
2019年7月30日 17時32分ごろ 長野県中部 3.0 2
2019年7月30日 15時52分ごろ 胆振地方中東部 4.3 3
2019年7月30日 13時13分ごろ 十勝地方南部 4.2 2
2019年7月30日 12時46分ごろ 沖縄本島近海 4.6 1
2019年7月30日 7時08分ごろ 福島県沖 4.3 1
2019年7月30日 5時38分ごろ 八丈島東方沖 6.0 3
2019年7月29日 5時58分ごろ 神奈川県西部 2.7 1
2019年7月29日 2時50分ごろ 沖縄本島近海 4.3 1
2019年7月29日 0時35分ごろ 千葉県東方沖 4.6 3
2019年7月29日 0時05分ごろ 奄美大島北西沖 3.9 1
2019年7月28日 20時54分ごろ 日向灘     3.0 1
2019年7月28日 18時06分ごろ 沖縄本島近海 3.7 1
2019年7月28日 16時41分ごろ 茨城県南部 3.1 1
2019年7月28日 3時31分ごろ 三重県南東沖 6.5 4

 来月1日は年間最大新月(8月30日)前の大きな新月、そして次第に大きくなる新月です。
 今後、年間最大新月とその前後までは月の引力による地球自体のゆがみ、たわみだけでなくマントル、プレート、更には海水や地下水なども含めての変形やゆがみなどはそれなりになって行くわけですが、これらが地震の面で今後どう影響して行くでしょうか。
 それは現状の技術では全容を把握出来ません。
 「神のみぞ知る」の世界です。

仕組みとアプローチ -  明智光秀が山崎の戦いで大敗した要因を考える 更にまだ有る奇妙な矛盾点

2019-07-29 22:25:21 | 明智光秀
 山崎の戦いについては奇妙な矛盾点と思われる事が他にも有ります。
 秀吉方の軍勢は大体3つに分けられ、天王山の山麓付近は中川清秀らの部隊、中央は大山崎町を占拠していた高山右近の部隊、そして桂川沿いを池田恒興らの部隊でそれぞれ後詰めや後方援護部隊も有りました。
 このうち桂川沿いの川岸周辺を進んだ池田恒興らの部隊ですが、あっさりと円明寺川に到達し、そしてこの川を越えています。
 明智光秀が山崎を戦いの場とした理由は、「ここが隘路になっているため、ボトルネック効果が期待できて兵力の差が出にくい、と言う利点があったから」と言われているのに、大山崎町の両サイド、特に桂川沿いの川岸周辺ルートが戦闘経過の記録では特に明智勢が防御するための策を構築していた記録がどうも無いようです。
 実は防御策は有る程度構築していたのかどうかはわかりませんが、それにしても短時間で秀吉方の池田勢などに兵をすすめられているのはやはりこのルートを使ってくる秀吉勢をここで叩くための策が殆んどなされていなかったからではないでしょうか。
 しかしそれでは明智勢が山崎と言う隘路を利用するメリットが殆んど無い事になってしまいます。
 これも山崎の戦いの記録に見られる奇妙な矛盾点の一つです。
 

仕組みとアプローチ -  明智光秀が山崎の戦いで大敗した要因を考える 奇妙な矛盾点

2019-07-28 15:16:25 | 明智光秀
 明智光秀が大敗した山崎の戦いですが、奇妙な矛盾点が有るように思えますので記事にしてみます。
 それは山崎城に関連する事です。
 本能寺の変の後、山崎片家は山崎城に籠もるのですがやがて明智方に降伏し、明智勢は山崎城を占拠します。
 ところがどうしたわけか、山崎の戦いの前にこの山崎城を放棄してしまいます。
 接近しつつある秀吉勢の兵力がかなりのものと見て抗しきれないと考えたからとする見方も出来なくは無いのですが、その後におかしな事が発生しているのです。
 それは山崎の戦いの時、明智方の松田・並河隊が天王山の中腹あたりを進んで秀吉勢と戦闘になり壊滅した、とする記録がそのまま現在では通説に近いものになっている事です。
 後の戦闘で天王山の中腹あたりを進むのなら最初から山崎城を放棄などしなければ良いのではないでしょうか。
 可能な限りは山崎城に見張りと防御部隊くらいは残し、眺望の良い山崎城や周辺から山崎の戦闘状況を把握、そして仮に押し寄せる秀吉の軍勢に抗しきれずに撤退するとしても森林の中にあった城ならば、予め撤退手段を考えておきさえすれば退却戦をしながら撤退するのもそう困難ではないと思われます。
 更に仮に撤退でなく秀吉勢を迎撃するのなら山崎城の部隊が松田・並河隊と連携したりもできたわけです。
 山崎城を手放しておきながら、その後に天王山に進軍した、そして松田・並河隊が壊滅したと言う矛盾がどうも理解できません。
 押し寄せる秀吉勢が想定以上だったのか?・・・いや想定していた秀吉勢がそう大したものでないと考えていたのならば明智勢が山崎城を手放す理由など無い事になり、辻褄が合いません。
 ならば後に書かれた古文書の記録が事実でないのか? それとも明智勢の指揮系統が既に崩れて支離滅裂な状態になっていたのか?それとも撤退したと見せて裏をかいて天王山に兵を進めたがやはり無理が有ったのか? と言う事になって来るのですが、果たして真相はどうだったのでしょう。
 

仕組みとアプローチ -   三重県南東沖でMj6.5の地震発生

2019-07-28 09:21:41 | 地震 津波
 今日は来月1日の大きな新月の前の長潮。
 台風か熱帯低気圧が通過した直後のエリアと、そしてこの新月とその前後期間がタイミング的に重なるので通常の長潮よりはどちらかと言えば要注意と見ていたので、それを今日あたりに記事にでもしようかと思っていたら、その記事を書く前に目立つ地震が発生してしまいました。

                        Mj 最大震度
 2019年7月28日 3時31分ごろ 三重県南東沖 6.5 4

 震源の深さは420kmでこのあたりは深い震源の地震が発生する帯(延長線上に近い所にはあの白頭山あたりとなっている)エリアに含まれます。
 ではEMSCではこのあたりの地震が過去も含めてどうなっているのかと、Mw5以上、震源の深さ150km以深で見て見ると次の通りです。

引用開始(一部抜粋)

https://www.emsc-csem.org/Earthquake/?filter=yes

                                Mw 
2019-07-27 18:31:08.1
5hr 24min ago
        33.15 N 137.33 E 378 6.3 NEAR S. COAST OF HONSHU, JAPAN
2014-05-04 20:18:24.0 34.84 N 139.36 E 152 6.0 NEAR S. COAST OF HONSHU, JAPAN
2013-11-18 19:10:45.0 34.33 N 137.06 E 332 5.7 NEAR S. COAST OF HONSHU, JAPAN
2010-04-26 23:23:50.4 33.69 N 137.02 E 356 5.0 NEAR S. COAST OF HONSHU, JAPAN
2007-07-28 08:55:46.4 34.02 N 137.35 E 308 5.0 NEAR S. COAST OF HONSHU, JAPAN
2007-01-15 18:17:58.0 34.90 N 138.68 E 170 5.9 NEAR S. COAST OF 2006-11-17 12:31:32.7 33.22 N 137.32 E 339 5.3 NEAR S. COAST OF HONSHU, JAPAN
2006-03-04 18:38:12.8 33.69 N 137.35 E 331 5.3 NEAR S. COAST OF HONSHU, JAPAN
2005-02-22 11:20:27.1 33.58 N 137.19 E 381 5.4 NEAR S. COAST OF HONSHU, JAPAN

引用終了

 EMSCのデータ開始は2004年の途中からですが、今回はその期間内で最大、そして該当する地震は5年以上の空白期間を経てからのものでした。
 「空白期間が長かったのでそれだけストレスが多く貯まっていたから」なのか、それとも「プレートや地殻の動き自体が活発化しているから」なのか、或いはそれとも「両者のAND」なのか、は定かでは有りません。
 そしてここの所、フィリピンで目立つ地震が発生していたので時計回りでウネリが到来したのか、と言う気もしますが、その前であるUTCで7月24日に日本国内ではやや目立つ地震が発生しているので、これはどうもわかりません。
 この国内地震以降に発生したMw5以上の地震はEMSCで次の通りです。

引用開始(一部抜粋)

https://www.emsc-csem.org/Earthquake/?filter=yes

                                Mw 
2019-07-27 18:31:08.1
5hr 36min ago
        33.15 N 137.33 E 378 6.3 NEAR S. COAST OF HONSHU, JAPAN
2019-07-27 10:11:32.5 20.79 N 121.98 E 10 5.1 BATAN ISL REGION, PHILIPPINES
2019-07-27 10:07:54.9 59.65 S 151.47 W 10 5.0 PACIFIC-ANTARCTIC RIDGE
2019-07-27 09:55:08.3 59.68 S 150.97 W 10 5.3 PACIFIC-ANTARCTIC RIDGE
2019-07-27 05:57:23.2 37.21 S 17.45 W 10 5.2 SOUTHERN MID-ATLANTIC RIDGE
2019-07-27 01:24:43.4 20.77 N 122.09 E 2 5.7 BATAN ISL REGION, PHILIPPINES
2019-07-26 23:37:58.3 20.78 N 122.05 E 10 5.9 BATAN ISL REGION, PHILIPPINES
2019-07-26 23:36:36.5 16.82 S 176.30 E 10 5.1 FIJI REGION
2019-07-26 21:14:48.3 51.33 N 174.87 W 30 5.0 ANDREANOF ISLANDS, ALEUTIAN IS.
2019-07-26 20:16:57.4 20.74 N 121.99 E 10 5.4 BATAN ISL REGION, PHILIPPINES
2019-07-25 20:47:23.3 5.45 S 68.69 E 10 5.0 CHAGOS ARCHIPELAGO REGION
2019-07-25 14:13:25.4 20.10 S 173.11 W 50 5.0 TONGA
2019-07-24 22:14:22.0 35.08 N 140.76 E 40 5.0 NEAR EAST COAST OF HONSHU, JAPAN

引用終了

 北半球の東経エリアで発生した割合が多いようです。
 日本を含むあのエリアでMw7以上の地震空白期は既に3年3ヶ月を超えています。
 この空白期が終了するのはいつ、そして何処でなのでしょうか。